【モヤモヤ日記】「かわいそう」の正しい使用法。

故郷に10年来の友人がいる。離れてはいるけれど、3日に1度は長いLINEをし、ほとんどはとるに足りないコトを投げ合い、でもそれもまた大切だと感じるような思いや話を交わして、帰郷の際はほぼ会ってごはんをする。とても身近に感じる友人だ。

その友人・マレちゃんから、「ゆうべ寿司屋に行ったんだー。美味しかったー」とLINEがきた。確かに美味しそうな写真の数々。

その話を締める最後のLINEがこうだった。
「そっちでは、この名物食べられなくてかわいそう」。

は?かわいそう???

見た瞬間、そう思った。
なんで? なんでわたし、かわいそうなの???

てか、わたしその名物、特段好きってわけじゃないし、マレちゃんに食べたいとも、それ食べれていいなーと投げたわけでもないのに。
なんだか、モヤモヤと湧いてくる腹立たしさ。即座に、はぁ?!と返したい衝動にかられながらも、意図をあれこれ考えた。
え、マレちゃん的には、冗談として「かわいそう~!いいでしょう~!フフン!」ってトーンで送ってきた??LINEは感情を伝えないからな・・わからんな・・ はたまた、マレちゃんはわりと使うことばにあまり気を配っていないフシがあるので、至ってカジュアルに、安易に、「かわいそう」ってことばを持ってきただけで、『わたし、この地でこの地の名物を美味しく食べられて幸せだよ』ってことを言いたかっただけ??

何にしろ、モヤモヤを感じたときに一番良くないのは、モヤモヤにそのまま蓋をしてしまうことだ。まずは吐き出すに限る。ただし、慎重に、かつ的確に。
さっそくマレちゃんに考えながら返信した。

「なんだとー! かわいそうって・・・
地元の美味しいものを美味しく食べられて幸せだったのね」
そう書いた。

すると、マレちゃんからはこう返ってきた。
「笑! え、だってこの名物ないよね?そっちにはないって聞いたよ」

「かわいそう」に込めている気持ちの違い。

ソレを見て、ものすごく遠い気持ちになった。
そうか・・「かわいそう」の表現云々ではなく、その名物の有無に焦点が合っているのか・・・そうか・・・

マレちゃんが、という話ではなく。
世間一般的に、「かわいそう」ということばは本当によく使われる。主に、同情やいたわりを示す『心優しき人』の心情を表すものとして。

ほんとうに?

ほんとうにそうだろうか?

実際、この件を夫や妹に話すと、このマレちゃんの「かわいそう」については、「何も思わない」と口を揃えたので驚いた!    が、そんなわたしに妹も驚いていた。「マレちゃんもびっくりしてるだろうね。なんで、『なんだとー!』って言われたんだろう、って」と。

(ちなみに、モヤりを感じたときには第三者に言ってみるに限る。ここで笑い飛ばされたり、まったく共感されなかったりすると、新たに客観的かつ幅広い考え方に出会えたりするのでオススメ)

夫はしかも一刀両断だった。
「そっちでは食べらんなくて残念だね、ってことでしょ。あんたは『かわいそう』の意味、一択しかないからね」。

そうか・・・残念だね。悲しいね。さびしいね。「かわいそう」をそういう意味で使ってくる人もいるのか。。。
でも、だったら、残念なら残念、悲しいなら悲しいの、誤解のないことばをを選んでほしい!!
とは言っても。ことばなんて誤解はつきものか。
世間にはいろんな人がいる。十人十色。人それぞれ。。。

「かわいそう」に敏感な人は、プライドが高すぎる?

たかがこんなことに、なぜかどうにも解せないので、ネットで見てみた。
同じ想いの人はたくさんいた。安心した。
かわいそうとは、憐れまれているということだ。哀れだ、惨めだと思われているということだ。自分はそうじゃなくてよかったと安心している、優越感を感じている人が言うことばだ。軽率に使うことばではない。etc・・・

ちょっと考えてみた。これが、わたしの敬愛する夫母が言ったならどうだっただろう。
想像してみると、腹は立たなかった。
なんだろうか。言う口によって、腹が立つ・立たないが変わる。
ということは。わたしのなかに無意識に、マレちゃんを見下すような気持ちがあって、腹が立ったのではなかろうか。
故郷の美味しいものを堪能し、幸せを満喫しているマレちゃんを、無意識に羨み妬んで、腹が立ったのではなかろうか。

マレちゃんとは音楽や自然が好きという趣味がとても合う反面、仕事の同僚として出会っていたなら、多分ここまで仲良くはならなかっただろうとお互い自認している。
わたしは自分の好きなことを仕事にするために邁進し、マレちゃんは愚痴を重ねながらも割り当てられた仕事を粛々とこなすタイプ。
言いたいことは言った方がいいに努めるわたしに対し、マレちゃんは「言っても変わらない」を口グセに、旦那さんへの不満もため込んでいる。
変えるために言うんじゃなくて、自分のために言うのよ!
そう息巻くわたしに「もうこの話やめよう。楽しい話しよう」とマレちゃんは言う。マレちゃんがそれがいいなら、それでいい。

「らいおんハート」も大嫌い。『あげる』だぁ??

わたしは昔から言霊があると思っているし、口にしていることは脳みそに反映して行動にもつながると思っているし、それゆえ、ことばには敏感な方だと思っている。

夫がよく友人同士で軽いノリで「殺すよ?!」とか言って笑ってることがあるのだが、即刻、ニラみつけてやる。夫は、あっ、という顔で口を閉じる。「殺す」って言う人は大嫌いだと伝えてある。

今回の「かわいそう」も、夫にも妹にも不可解と言われたけど、
それと同じ反応をされたのが、わたしが「SMAPの『らいおんハート』の歌詞が大嫌い」と言ったときだった。

何がって、そばにいてあげる、の『あげる』だ。
あげるとか思ってるなら、くれなくていいわ!と思うのだが。思わないらしい。世間は。うっとりしちゃうらしい。そばにいて『くれて』ありがとう~しあわせ~~ってなるらしい。解せん!!

これからの人生、一生共に歩いていこう、大切にしよう、支え合っていこうって、心から思う相手に『あげる』って言うかなあ??? 言うの?世間では。
そばにいてあげるじゃなくて、そばにいるよ、じゃないの? むしろ、そばにいさせてじゃないの?
『あんたがあたしを嫌いでも、あたしは好きよ、マミリン!』(天使なんかじゃない/矢沢あい)とか、
『「一人で大丈夫」なんて絶対言わせない/嫌がったってムリヤリ連れていくよ』(とっておきの唄/BUMP OF CHICKEN)とかこそが、
まっすぐな心の真髄なんじゃないの?!ねえ?!

まあ、「らいおんハート」の件は、妹にも、ほんとにことばに敏感すぎる、うっとりしてる人はうっとりさせといてくれと言われたので、人の受け止め方は千差万別、と思っているが。
もちろんわたしは圧倒的マイノリティーなのは否めない。

とりあえず、この本でも読んでみるかな~。


そういえば、ゴーバンズの森若ちゃんの歌詞は、いつも分厚く隠されてるとこを容赦なく剝いてくる。
私の憂鬱は、彼女の優越って・・・


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