大好きなおばあちゃんの旅立ち

おばあちゃん


令和2年6月3日(水)朝7:00に天国に。

100歳

さようなら。そして、ありがとう。


その朝は、とても静かで、

目覚めると小鳥たちが鳴いていて

庭で草を取っていました。


なにも、変わらぬ日常。


携帯に見知らぬ電話が3回着信あり、

電話してみると

「おばあさんが、なくなりました」と 施設のご担当者様がいいました。


「わかりました。今から行きます」

家にはちょうど一人だったので

電話を切るとどうしていいかわからずアタフタして、

心を落ち着かせるようにシャワーをしました。


カブで5分の所に施設があるので、髪も乾かぬまま

行ってみると普通にベッドの上に祖母は寝ていました。

窓辺に白いやわらかい透き通るカーテン

そこからあたたかい朝日がさしこんで

窓の向こうにうっすら見える緑の山

赤い瓦の屋根 

その方向に、頭を向けておばあちゃんは寝ていた

「おばあちゃん、おはよう」


「おばあちゃん」


いつもなら「ん?もう少し寝かして」というのですが何も答えない

ほっぺを触るとひんやり冷たい

手は、いつもの通りお腹の上でくんでいて

いつもの水玉の長袖T


よく見ると、

つぶった左目から涙が一滴流れた後があって

つたって耳の上の髪が濡れていた


右手の人差し指でそっと拭き取ったら

おばあちゃんが、笑っているようだった


医師が8時30頃きた。

冷房がひえきっていて、

気づいたら私の体温も冷え切っていて鼻水がでていた。


医師から、

「6時には生きていらっしゃって7時には息をひきとっていた」

という説明から、寝ながら静かに亡くなったんだと。


生前、祖母はよく

「人間は寿命があるから、

 その時がきたら死ぬ。

 寝ながら死にたいな」


といっていた、本当にそんなことができるのかなと思ったけど

祖母は本当にそのようにして亡くなった。


100歳まで、何の病気もなく手術もなく

祖母のお母さんは26歳で病気でなくなって

小さい時は妹と苦労したと。

大好きだった男性は戦争に行きそのまま帰ってこなく

お見合いで結婚して

戦争も経験して

食べ物がなくて

計り知れない苦労をしたけど


たべること

うたうこと

が大好きでした。


祖母が、

三途の川を歌いながら渡っているのが

目に見えてくる。


いろいろ、教えてくれてありがとう





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