見出し画像

#推し短歌 以前から心の中でぼんやりと思っていたことを短歌にしてみた

歌人・俵万智さんと岡本真帆さんによる企画に拙作ですが参加します。

決められた日時と場所とチケットと
手続きが要る 会うための儀式

私の趣味は将棋です。
そして応援しているプロ棋士は兵庫県加古川市を拠点に活躍されている井上慶太九段です。

プロ棋士の一番大切な仕事は「対局」。
良い内容の棋譜を残すことが棋士の本懐と言えるでしょう。
そしてそれと同じくらいに大切な、言わば両輪のもう片方の車輪である大きな仕事に「普及」があります。

普及の方法は色々ありますが、大盤解説会やトークショーなどのイベントは、普段は雲の上の存在のプロ棋士に将棋ファンが近い距離で会うことのできる貴重な場の一つ。
井上九段はこうしたファンとの交流型イベントにも積極的に出演される先生なので、私はこまめにネットをチェックして先生がお出になるイベントにはできる限り参加しようと決めています。

イベントを見つけたら、即座に職場の共通掲示板に「この日は絶対に出勤できない日です!」と書き込んで休暇を申請。
イベントによりますが先着順や抽選制でチケットを手に入れる必要もあります。
井上九段は日本将棋連盟の関西所属棋士のため、出演されるイベントの多くは大阪、または先生の地元である兵庫県やその周辺のことが多いです。
関東圏に住んでいる私は新幹線でないと行けない距離なので交通手段を確保する必要があります。
イベントの開始時間や終了時間によっては前泊・後泊も考えないといけません。
こうした段取りを一つひとつ経た上でようやく井上九段に会うことが叶うわけです。

でもこれらは面倒なことでは全くなくて、むしろ私にはとても大切で楽しいひと時。
少しばかり手間のかかる段取り全てをまるっと込みで、お目にかかるために必要な儀式のように感じています。
この先も私はスマホを握りしめて井上九段と会えるイベントを探し、この儀式を繰り返していくのでしょう。

中の数 分からぬドロップ缶のよう
君に会える残りの回数

時々「あと何回、井上九段に会いに遠征できるかな」と考えることがあります。
今は幸いなことに私も主人の方も親は健在で私自身を含め家族はいたって健康。
私が数日間、自分の趣味のために不在にしたからといって直ぐに何かがある訳でもなく比較的自由に動ける状態です。
ですが親や自分の年齢を考えると、いつ状況が変わっても不思議ではありません。

お菓子のドロップ缶なら中をのぞいて残りの個数が見られるけれど、推しの先生に会える残りの回数は神のみぞ知ること。
もしかしたらこれが最後になるかもしれないという、うっすらとした覚悟を毎回抱えつつ、缶からドロップを大切に一つずつ取り出すようにして遠征に出掛けています。

直接お会いし応援の想いを伝えられるのが一番いいのだけれど、この先いつかは会いたくても会えなくなる日が来るのだろう。
簡単にはお目にかかれない遙かで遠い存在の方だと分かっているからこそ、会える時にはちょっとくらいの無理はしても行こうと思っています。

盤上の孤独で迷う戦いも
我が心には 北極星あり

将棋はとても孤独な競技です。
団体競技であれば自分がミスしても仲間がカバーしてくれる場面もあるだろうし、逆に自分が仲間の失敗をフォローできる時もあるでしょう。

ですが将棋はいったん対局が始まれば、相談タイムを取って誰かに助言をもらうことは一切出来ず終局まで頼れるのは自分のみです。
盤上では己が大将であり参謀であり兵士であり、勝負の結果は勝っても敗れても全て自分だけのもの。
結果を受け止めるのが辛く厳しい時もありますが、その潔さに惹かれて私は将棋を指しています。

そんな孤独な競技ですが、私は対局中に指し手に困る時にはいつも「こういう局面で井上九段の棋書には何て書いてあったっけ?先生の本で覚えた手筋で今ここで使えそうなもの無い?」と頭をフル回転させます。
井上九段は盤上で行き先が見えなくなった時に最初に思い浮かべる道標のような存在です。

そしてそれは盤上のことに限りません。
例えば対局相手がチェスクロックを押し忘れている時に「押し忘れを教えなければ私に有利じゃん‥言わずにおこうか‥」とずるい考えが一瞬頭をよぎる時があります。
でもすぐに「そんなことで勝てたとして、それを井上九段に正直に言えるのか?」と自身に問えば、答えは即座にノーです。
井上九段にお見せできるのは正々堂々と戦った結果だけ。
陰りのある勝利よりも、どこから見ても一点の曇りのない清い敗局を私は捧げたい。
そう思えば自然と己の対局姿勢もスッと背筋が伸びたものとなります。

人は迷った時に「あの人だったらどんな選択をするだろうか?」と思い浮かべられる誰かがいるというだけで、とても心強くいられるのではないでしょうか。
例えその人に直接何かを相談できるような間柄ではないとしても「あの人ならこんな時にはこちらの道を選ぶのだろう(または、こんな選択肢は選ばないだろう)」という方向性が何となくでも見えれば、自分が目指す理想とする道からそれほど大きく外れることはないのではないかと思います。
井上九段は私が将棋を指していく上で、迷える旅人にとっての北極星のような、そんな存在です。

楽しそうだからと軽い気持ちで始めた将棋でしたが、そんなふうに思える先生を見つける事ができて私は本当に幸せな人間だと感じています。

この記事が参加している募集

将棋がスキ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?