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アンディとギラン

物語の始まりは常に空港から始まる。見知らぬ土地で、一体どんな冒険が待っているかなんて、日常生活の中でいったい誰が考えつくだろうか?冒険家という職業の人間ですらわからない領域ではないだろうか。私の人生は常に冒険と隣り合わせである。見たこともない、聞いたこともないことが大好きだし、何より珍と鐘が常になる珍冒険旅行に必ずなるから面白い。

さていつも、私は中川ワニの嫁として常にワニ目線で物語を書いてきたが古い写真を整理していたら〝アンディとギラン〟の写真がたくさん出てきて、それを眺めているうちに、自分たちが主人公の物語よりも、彼のことを書く方が愉快に思えたのでこうして筆を取り始めた。

冒頭にも述べているが常に物語は空港から始まる。

飛行機から眺める景色はこれから始まる出来事の入口なのだ。この時はアンディーに会いにいくのは確か3回目だった気がする。冒険旅行の記録をきっちり残すためプロのカメラマンさんにも同行してもらって(これがのちに素晴らしい出来事を村にもたらすのだがそれは後日記す)

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私たちが目指すアンディがいる島に行くためには飛行機を3回乗り継いで、そこから車で3、4時間かけて…いや4、5時間かな?かけて行く必要がある。とにかく遠い道のりなのだが、日本から離れれば離れるほど逆に懐かしき古き良き時代を味わいがある。

私とアンディの初めての出会いは、ゴミクズの様な生豆(飲むための珈琲になる前の生の豆のこと)がきっかけである。当時、純胡椒の仙人さんとの運命的な出会いがインドネシアと私を結びつけてくれたのだが、うちは1994年から焙煎を生業とする珈琲焙煎のみを基本メインとする一風変わった個人焙煎家の珈琲暮らしをしている。だから、純胡椒(生の胡椒の実の塩漬け)と一緒に小さなビニール袋に300gぐらい入った生豆を「お土産です」ともらったのが最初。

珈琲焙煎を生業としていない〝生豆〟を見ることは当時珍しいことだと思うし、その職業ですら、〝現地の状況に近いもの〟(整備されていないもの)を見ることは少ないと思います。

日本に輸入される生豆は当たり前のことだが、売るためにある程度選別されている。その選別具合や豆のグレードによって内容は異なるが一般的にある程度綺麗である。とっても綺麗なものもある。だから、自分の家の庭で取れたんだよぐらいのノリの生豆をなんの知識もない人が集めただけだとゴミの様に見えるのだとその時初めて知った。(整ったものしか見たことがないからです)

プロの焙煎人もその袋を一眼見て「こりゃ、だめだね」(使いようがない)って感じだった。でもなんだろう、私はその袋の中身がとても気になって、一人で選別(ハンドピック)してみたくなった。その理由は、昔ラオスに住む方から「本当に大切なものって意外と誰もが見向きもしないものの中に隠れていてて、それを見つけれるかですよ」と教えられていたことが頭によぎったからである。選別自体とても時間がかかった。私がおいしいと思うものとそうでないものと振り分けていくと残ったものはわずか50gほどだった。

でも、それはとても良い香りがして、思わずハンドローストして飲んでみようかな?って気分になるもので、ザルで調理してみると今まで飲んだことがない様なまるでフルーツジュース!ネクターのような味わいの甘いコーヒーだったので驚いてもう一度、仙人さんと焙煎人を呼んで飲んでもらうことにした。

「いったい、こんなおいしいもの誰が作ってるの?」どうやって見つけたの?と聞くと「友達がお土産にくれて…いく種類かあってどれがどうだかもわかりませんよね…」と確かにいただいたものは何種類かあったので思わず笑ってしまった。「友達の名前だけはわかるんですけどね。」と。私はまだ、この時はアンディの名前すら知らないままビニール袋に書かれたインドネシア語をローマ時読みしてた。

それから、結局アンディに会いにいくまで3年の月日がかかったが今でも初めて空港に着いた時の感動は耳の横に肌感覚で存在している。初めて降り立った空港はラマダンの歌が響いていた。

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