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お湯を沸かす、ポットに移す温度

朝から、サラダを作りながら今日1日を考えた。頭の中は真っ白で考えた分だけ未来は白かった。ベランダに出て、雨が止んだ空を見上げると、少し雲はあったけれど、たわやかな青空が広がっていた。去年の出来事がフラッシュバックして胸がキュッと痛んだと同時に小さいけれど強いやさしさも思い出いだす。

2012年私は、阪急六甲の駅の踏切を渡りながら、友人が営む喫茶店に向かっていた。コーヒーと結婚することが決まったことの報告と不安を話し込みに行くのだが自分で決めたことゆえ後戻りができなかった。コーヒーと結婚とはいささか大袈裟に思われるかもしれないが正式には珈琲豆を焙煎することを生業とする画家の嫁さんになってほしいと言われたのである。1ヶ月悩んだ末の決断だった。元々紅茶派で珈琲などというものを全く飲まない私が、コーヒーでできた様な人と結婚すること自体が人生最大の冒険の様に思ったり、今まで受けた仕事の中で最もハードミッションになる気がした。

そして、友人の店で2時間半待ってやっと焼き上がるホットケーキを食べながら見えない未来を考える時間は当時の私にはまだなかった。

写真の整理をしていると、ラオスに行く途中にトランジットで立ち寄ったタイの空港の写真が出てきた。

よく見ると荒波の中で竜と戦う人々の前か?
人生波乱万丈だが、コーヒーはたわやかにゆるやかで人を癒すものと感じる昨今。キンキンに沸いたお湯をヤカンからドリップポットに移しかえる所作(時間)だけ熱が冷める温度がコーヒーを淹れるのに丁度いい温度に下がる様に、人生にもそういう時間があっていいと思う。

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