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何を盛っても

最近、よく買い物をする。よくといっても、以前に比べてよくである。
歳を重ね過ぎてくると不思議なもので、段々と購買意欲が研ぎ澄まされていく。生きてきた分だけ必要なものは十分揃ってくるので、なんとなく購入するという気持ちが薄くなる。(欲しい物が極端になくなる)

物品を見ると

人生に絶対必要なもの?、これからの時間をより楽しくしてくれるもの?と〝ぐらいのときめき〟でないとなかなか手が出なくなる。

よって、無意識に買い物に慎重になるのだが、

それとは別枠で私の場合〝開発枠〟というのが存在する。(参考商品やスイッチになる様なもの)
珈琲のある暮らしがより楽しくなる様にワニに因んだグッズを開発し続けたのだが、十年の月日をかけて気がつけばそれなりの商品が揃った中で

皿がない(欲しい)

と思う様になった。陶器でなく、ガラスでもなく木でもなく銅で作りたい。一番イメージに近いと参考で購入した物があるのだが(セラミックだが鉄に見えるが購入う理由)何を盛っても美味しく見えないという事実に日々直面している。(いつか、ベストマッチングな食べ物が見つかることを願う)

人生なかなか思う皿が無いと思う様に物事も思う様に進まないことがある。

新しい職業につきたい(作りたい)と思う様になって一年近く経つ。元々アパレルデザイナーだったので絵を描いて物を作り出すがメインだったので自分の持ってる何かを活用した職業が欲しいと思った。悩みはじめてふと思ったのがデコモデルだった。

昔からデコルテが綺麗だと褒められていた。歳を重ねるごとのその部位だけはよく褒められる。つい最近買った(本当に?)おもちゃのネックレスをつけるとデコルテもそれもより輝きを増す。

パーツ(デコ)モデルになりたい

と願いが心に浮上した。旦那さんの友人に事務所の社長さんがおられるのでどうやったら実現できるか聞いて欲しいと頼んだところ10代から始めないとダメという回答とうちでは断りという返事だったそうだ。知り合いのお手伝いでデコモデルするとかしか無いんじない?的な発想が本当に人生の難しさを感じで寂し思った。

世の中ヒエラルキーで出来ており、いかに人脈や若さが大切か。長く続けてこそ職業(手に職)的な発想はわかるのだが人生が100年時代と言われる中で、老いこそ職業的な発想にし難いのが寂しかった。

それが寂しいそうが題材の京子日記に描かれている様に思う。

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旦那さんは私より8歳年上で13歳から珈琲を一貫して続けている。それが大人という器になって生業となった。いつまで続けられるかわからないのが個人商売だが彼は死ぬまで珈琲の人を笑顔で貫くと思う。ゆっくり、穏やかに。

私はどんな風を吹かせながら生きるのだろう。

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