わたしの看取りプロジェクト27

やっぱり訪問看護はすごかった

父の死後、しばらくしてから気付いたことがあります。
父が亡くなる数日前に訪問看護師さんがしてくれたことの意味。

口腔ケアなどの処置をしながら、看護師さんは母とわたしに父の昔のことをあれこれ尋ねてくれました。
そのときわたしは、父はしゃべることができないから、家族から患者の人となりを知ろうとしているのかなと思っていました。

でもそれだけじゃない、もっと大きな意味があったのです。

亡くなる12年前に認知症と診断された父は、病状が進行するにつれ家族を困らせる行動を繰り返し、最後は寝たきりの病人になりました。
だから、わたしたち家族にとって父は「認知症のお父さん」でした。

ところが看護師さんが昔のことを聞いてくれたおかげで、わたしたちのお父さん像が「認知症のお父さん」から本来の「優しくて頼りがいのあるお父さん」へと引きもどされたのです。

風呂につかっているときにこのことに気付いたわたしは、おもわず「すごい!」と叫び声をあげてしまいました。

今年に入り、わたしの看取りの経験を公民館や集会所で話す機会を持ちました。
あの看護師さんも協力してくれました。
お話し会には、あまり告知しなかったにもかかわらず、けっこうな人数が集まりました。
自宅で最期を迎えることに関心を持つ人は多いようです。

最後に、自宅で看取ることを考える上で、一読するといいと思った本をいくつか挙げます。

「死ぬ瞬間-死とその過程について」エリザベス キューブラー・ロス
「病院で死ぬのはもったいない〈いのち〉を受けとめる新しい町へ」山崎章郎、二ノ坂保喜、米沢
「大往生したけりゃ医療とかかわるな」中村仁一
「胃ろうという選択、しない選択 「平穏死」から考える胃ろうの功と罪」長尾和宏
「口から食べられなくなったらどうしますか 平穏死のすすめ」石飛幸三

父の看取りに関する一連の文章はこれで終わりにします。
読んでくださってありがとうございました。
(2015.4.6)

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