イケる女の恋愛遍歴:case_0.大学デビュー編

高校時代は寮生活で割と自由に過ごしていたが、生徒数が異様に少ない学校で、異性にとっては悪目立ち(主に服装が近寄りがたい感じだった)しかしていなかったため、浮いた話とは無縁だった。
厨二病の延長のようなイマジナリー彼氏(たぶん付き合ってないけど、デートしている人みたいな言い方をしていたような?)がいるので、ここでモテなくても間に合っているというスタンスを貫いた。

そんな3年間で無駄にたまったフラストレーションは、私の大学生活のスタートダッシュを猛スピードで加速させた。
推薦で入ったため、同じ高校から入学した生徒もいたが、みんな違う学部だったので、存分に開放した自分でいようと思った。
自分でもびっくりするくらい人が好きで、本当にすぐに好きになれるので、何も気にせず距離を詰めていたら、入学して1ヶ月経つ頃には、ヨーロッパからの帰国子女で、ハーフだという話が定着していた。

自由な高校生活で磨き上げたメイクと高身長、露出多めの服、(世代じゃないが、強いていうなら)ルー大柴みたいなしゃべり(実際は英語に力を入れている学校だったので、大体の寮生はこんなしゃべり方だった)が為せる技だったが、わざわざ誤解を解いて回るのもつまらないので、特に否定することなく過ごした。

その結果、男子の比率が異様に低い文系に所属していた私の存在は際立って異質なものとなった。
細くて背が高い、ボーイッシュなサバサバ系という典型的に女子にモテるタイプの女子だったはずの私は「ハーフ」という架空の武器を手に入れることで、男子に対しても異様なモテを発揮することとなったのだ。

私はチヤホヤされることを目標としていたし、入学半年で留学することが決まっていたので、その間に大学生らしく遊ばなくては損だと思っていたので、かなり理想的なスタートを切った。
これがいわゆる大学デビューだったんだろうと思う。

そして大学らしく遊ぶといえばサークルだ!と短絡的に思い、喜び勇んで新歓コンパに参加していた。
タダだし、お花見シーズンだし、最高!と思いながらも、初めて他学部の子や先輩たちと関わることになり、一つ思い知ったことがある。

私は「モテる女」ではなく、「イケる女」だった。

文系の中でも文学は特に男子比率が少ないので、女子に慣れてない男子が多く、彼らにとっての私は、一見して垢抜けた「モテる女」だったかもしれない。
でも、社会学や経済・経営の男子は遊び慣れているし、社交的だ。
この辺にとって、私はすぐ「イケる女」だった。
彼らも距離を詰めるのが早いが、私もうっかり手伝って距離を詰めてしまうので、色々手間が省けて楽勝だっただろう。

しかし「イケる女」だという認識は、私に取っても好都合だった。
この時の私に取っては願ってもない女性像だったのだ。
男の人がどんな思惑を持っているのかを気遣う必要もなく、こちらも自由に味見ができるというは、正直わくわくした。

それというのも、私の大学生活は忙しなさを極めていて、前期が終わったら、2年の留学に行くことが決まっていたので、大学生にもなって授業は5限だか6限まで入ってて、必要に駆られて19時までいることもザラだった。
一人暮らしや留学生活の足しにするため、21時にはキャバクラでバイト、割と健全に午前1時くらいに帰宅して、1限に出たりすることもあった。
学生の街・京都では、大学生キャバ嬢はそう珍しくもない。
効率良く、安全に稼ぐには、送迎もついて、そこそこいい仕事だった。

留学に行くまでのたったの4ヶ月で、こいつは「イケる女」だと思えるくらい遊び慣れている人の居心地の良さはしみじみと感じた。
新入生オリエンテーションが終わってすぐの頃、文系同級生のアプローチを受けていたことがある。
はじめは彼を好ましく思っていたので、校内でよく話したり、一緒に学食を食べたりしていたが、そのあとの距離の詰め方を思いの外、不快だった。
「イケる女」ながらに、不快に思う自分にびっくりしたくらいだ。

初めて2人きりで、何か地元のイベントへ一緒に行った時、たぶんベタベタしはじめたのは私だった。
これは未だにだが、とにかく腕を組むことが好きで、父親と出かける時もそうやって歩いている方が安心した。
さすがの奥手男子でも、この状況なら、もう次に進む気でいるだろうことはなんとなくわかっていて、話しながら、やたらと人気がない方に進んでいくと思っていた。
それなりに賑わっているイベントだったので、なかなか人気のない場所もなく、痺れを切らしたのか、そう人混みから離れてもいないのに、唐突に極まったようにキスしようとしてきた。
話の流れからも、場所からしても、思わず「いやいやいや!」と茶化してしまうほどの手際の悪さだった。
性急にことを進めるにしても、まるでTPOがなってないと強烈に感じた。

ここでの1番の問題は、「手際の悪さはプライベート空間でしか可愛くない」ということだ。
オープンスペースで手際の悪さを可愛がる心の広さは、私にはない。
その点、遊び慣れていて、私を「イケる女」たらしめる男子の手際の良さには惚れ惚れする。
どんな状況でも彼らは、最短距離でプライベート空間へ持ち込むことができる。
「イケる女」がプライベート空間において、多少無茶なことも許してしまうことを知っているのだ。
遊び慣れる、女の扱いに慣れる、というのはこういうことの集大成である。

ちなみにその後、別の文系同級生(♂)に「勘違いさせてやるな」と諌められ、彼とは友達の距離感を保つように努力したが、物凄い勢いで避けられまくった上に、助言をしてきた彼にもちょっと距離を置かれ、すごい悪者になった気分だった。

そんな手近な失敗をしつつ、私の「イケる女」生活は、面白い男性経験によって満たされることになる。
それはまた続きで。



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