大学4年で進む道を見失った僕が、ダンボール1枚を使って、生きていけるレベルまで稼げるようになった話
新型コロナで世界が大変なことになった2020年、僕はどうやって生きていくか分からなくなっていました。
コロナの影響は本当にすさまじく、ウイルス自体の脅威はもちろんですが、経済的な面においても本当に大きな打撃となっています。まさにそんな状況の中、僕は大学の卒業や就職先など、今後の方向性が決まっていませんでした。
結果的に、僕はこの1年間で幾多の試行錯誤をしながらダンボール1枚で生活費を稼ぐことに成功し、なんとか方向性を見出すことが出来ました。
このnoteは、特殊な才能も大きなお金もないくせに就職を諦めたどうしようもない大学生が、コロナの波に揉まれながら自分なりに食べていく方法にたどり着いた話です。どうしようもないなと思いながら読んでください。
とはいえ、同じような境遇にいる大学生や、人生を見失ってしまった人などがいれば、その人たちに何か届くものがあればいいなと思い書いてみます。
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突然、進む道が分からなくなった
去年のちょうど今頃僕は大学4年生で、大学院に進みたいと考えていました。もともと勉強が好きだったこともあってわりと早くから大学院に進む道を考えていた僕は、それに向けて勉強し、試験を受け…と色々やっていたのですが、結果的に大学院における研究の世界が自分に向いていないと思い、断念することになります。
大学院の場では日々コツコツと研究を積んでいかなければなりません。論文を沢山読み、議論を重ね、長い論文を書き…。
僕は集中力があまりなく、長い時間机に向かっていることも苦手な人間でした。本を読むにも集中が続かず、文章を書くのも手を付けるまでに途方もない時間がかかってしまってなかなか進みません。また、計画を立ててそれを実行していくこともかなり苦手です。当然これでは「研究」になりません。
「勉強」と「研究」は内容も必要な能力も全然違う、というのは有名な話です。多くの人はこのことにもっと早く気づき、自分に向いてなければ別の道を探すのでしょうが、僕はあまりにも漠然と考えていたためにようやくこのタイミングで気づきました。遅すぎますね。
大学院がダメ、となれば一般的には就職ということになります。しかし、もう既に大学4年の2月。全く就職活動をしてこなかった僕を今さら拾ってくれる会社もそうそうありません。進路が完全に白紙になった私はひとまず留年し、もう一度4年生をやることになった上で休学をします。コロナが社会問題化してきたのはそんな矢先でした。
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コロナが思ったより大変なことになった
当初は多くの人が「大したことにはならないだろう」と高を括っていたコロナですが、想像以上に大変なことになってきました。4月に入るとついには緊急事態宣言が出され、コロナの影響による苦しい声が次々と聞こえてきます。自粛により経営が苦しくなった飲食店、海外からの観光客がストップして機能が大きく損なわれた観光業界や旅行業界。そんな中でも、自分も生きていかなければなりません。
「どうするか〜」としばらく考えた挙句、家庭教師のあっせん事業をやることにしました。理由は結構単純で、特に自分で何か事業をしたことがあるわけではない僕の視野でも、コロナの状況下で入り込む隙間があると思えたからです。
緊急事態宣言の前後で、テレワークやzoom飲みなど諸々のオンライン化が浸透してきます。それは塾や学校などの教育業界も同様でした。しかし僕の率直な感想として、オンラインでオフラインの指導と同等のクオリティを保つのはそう簡単ではないと感じました。
教育とオンラインの相性を考えたとき、「講義」と「指導」には大きな違いがあると思います。「講義」はオンラインとの相性が良く、多くの人に届けられる上にそれによって価格も安く抑えることができます。東進やスタディサプリの映像授業はいい例です。一方で「指導」に関して、これはおそらくオンラインには向いていないと思います。例えば相手が小学生の場合、対面であれば同じ場所に2人が存在して勉強する空気を作れますが、オンラインでは集中力が落ちます。また、対面では実際に生徒が勉強している様子や問題を解いている様子を確認することが出来ますが、オンラインではうまく工夫しないとなかなか難しいです。
こうした理由から、
「対面での指導を必要とする人はきっといなくならない」
「むしろオンラインで不十分な面を補うために増えるかもしれない」
似たような境遇で仲良くしていた、同じく大学4年の永野くんとそんなことを話し合い、2人で事業を始めることになりました。
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資金がないので0円でスタート
「事業」と言っても、法人を立ち上げたり事務所を借りたりなどをしたわけではありません。そもそも僕自身、大学の授業料が免除になる程度には家が貧しかったため、大きなことを始める余裕もありませんでした。
やり方も分からない。資金もない。とりあえず「人がたくさんいるところに行ってみよう」という話をしました。最初に向かったのは公園です。これも「お母さんがいそう」という安直な考えでしたが、結果的にこの公園で1人目のお客さんに出会います。
ただ声をかけても怪しさ極まりないので、なにか看板を持つかあった方がいいかという話になりました。そこで思いついたのが「ダンボール」です。近くにあったホームセンターに行き、ダンボールをもらいました。結構快くくれるものですね。そこに「家庭教師やります」とマジックで大きく書き、公園を何周かまわってみました。お母さんらしき方に出会ったら声をかけます。
すると1人の方が興味を持ってくれ、すぐにでもお願いしたいとまで言っていただけました。すごくびっくりしたのと、嬉しかったのを覚えています。咄嗟に持っていたレシートの裏に名前と電話番号を書き、渡しました。虚を突かれた形だったとはいえ、今思うと失礼すぎますね。申し訳ありません。
後ほど改めて電話をし、場所、曜日、教える内容、授業料、希望の条件などを相談しました。2人で何度も話す内容を確認し、興奮しながら電話をかけたのは忘れられません。
初期の様子。字が酷すぎるし、服装や身なりも全部酷すぎる。パッと見のインパクトが大事だと思い、「東大生講師がいる」と大きく書いておこうという中学生のような発想だった。
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同じ方法で次は教師を探す
その方は中学受験を目指す小学校高学年の生徒さんで、同じく中学受験経験のある東大生講師がいいという話でした。確かその日から4日後くらいにはもう始めたいとかで、死ぬ気で講師の方を探さなければなりません。慌てて次の日に東大に行きました。
この日は確か雨で、コロナの影響もあって東大生が全然いませんでした。キャンパスに入って宣伝のようなことをするのはきっとダメそうだったので、路上で1人が傘をさしながらもう1人がダンボールを持ち、必死に声をかけました。
正直講師の方に関しては仕事をもらう側なので、案外なんとかなるだろうと甘く見ている部分がありましたが、結構な難易度でした。まず、「もう他のバイトをしている」「忙しくてやっている余裕がない」「家庭教師はちょっと...」などの理由で、興味を持ってくれる方を見つけるのも一苦労です。「やりたい」と言っていただけても、距離的な問題、経験の問題、曜日的な問題、教えられる科目的な問題などでなかなかぴったり合う方に出会えません。午前中から立ち始めて夕方になってようやく探し求めていた方に巡り会うことが出来ました。
その後何度か双方と電話やラインでやりとりを重ね、顔合わせをします。とにかく不適切な部分がないよう細心の注意を払いながら無事顔合わせと授業を終え、「1組のマッチング」が成功しました。
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数々の試行錯誤と多くの出会い
結局これが最善であるかは分かりませんが、現在に至るまで「ダンボールを持つ」というやり方は変わっていません。とはいえ、日々試行錯誤し、大小な様々な失敗があり、そして多くの出会いがありました。全部書くととんでもないことになってしまうので、ある程度選んでいくつか書いていこうと思います。
まず、場所です。毎日同じ公園に行き続けても限界があります。また、初日こそ運良く出会うことが出来ましたが、公園はお子さんの年齢が低いお母さんが多く、家庭教師の需要とはちょっとズレているのではと思いました。また、夕方以降は公園にいる人がどんどん減っていきます。その辺りも含めて場所の見直しが必要でした。
右下がボケてしまっているが、公園で子どもたちに追いかけ回されてしまった日。完全に面白がられてしまった。
飲み屋街、学校の前、塾の前、百貨店の前、遊園地の前、思いついた場所には端から行ってみました。曜日、時間帯などを考えて日々行く場所を変え、成果を記録していきます。何時間も立って1人も見つからなくて悔しい思いをする日も沢山ありました。
服装もいろいろ試しました。最初のTシャツ1枚は論外として、大学生感が出過ぎてもダメだし、スーツなどで営業感が出過ぎてもダメそうということで、知り合いの方のアドバイスもありポロシャツで統一しました。
青いポロシャツで統一した。この頃のダンボールは初期に比べて字が少しだけきれいになっている。写真も入れた。
立ち止まって会話をしてくれる方を1人でも増やすために、会話ができたら少しでも長く話せるように、1人でも多くの方と連絡先を交換できるように、考えられることはなんでもやってみました。「チラシを渡すとそれきりになってしまうからチラシは作らない」とか(あった方がいいに決まっています。その後当然作ることになります。)、「名刺を作ってみよう」とか、「名刺の役職が営業担当とかだと目を引かないから『歩行担当』にしよう」とか、「名刺は渡したら連絡を待つだけになってしまうから直接連絡先を聞こう」とか、「ダンボールの書き方や装飾を変えてみよう」とか(初期から数えて15回くらい新しく作り直しました)、「目の前でダンボールを落とすハプニングを装って気を引こう」とか、色々です。今思うと笑ってしまうようなものも沢山ありますが、本当に何も分からなかったので真面目にやっていました。冷静に考えて何も実績もネームバリューもないので、必死に考えないとダメでした。
チラシを渡すのではなくダンボールの裏に詳細を書いておくことで、それを撮ってもらった際に連絡先を交換しよう作戦。この詳細も当時真面目に考えてこれで行けると思って書いてました。恥ずかしいのであまり読まないでください。
また、やっていく中で出会いも数多くありました。何かあるとすぐ電話で「ここに行くと良さそうよ」「こういうタイミングで行ってみたら」「友達に紹介しておいたわよ」と気にかけてくださる方。重要な店頭にもかかわらず僕たちのチラシを貼ってくださる不動産会社の社長さん。チラシをおいていただける美容室さん。講師としても指導にあたってくれつつ僕たちと一緒にやりたいとメッセージをくれ、主に英語や中国語を話すお母さんとの会話でスーパー大活躍するアメリカの学校に通うトリリンガルの学生。どれも貴重で、大変に嬉しく、ひたすらに感謝の思いです。
チラシを貼っていただいている不動産屋さん。感動しました。
トリリンガルスーパー学生(真ん中)。頭もめちゃキレます。
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勉強になったこと。及びまとめ
さて、何かをやるからには稼げなければ仕方ありません。最初の月、僕たちの利益は2人合わせて1000円くらいでした。仮に時給に換算すればとんでもないことになります。それでも、始めて半年ほどで一般的な会社員と同等レベルの収入に達し、生きていけるようになりました。相変わらず目を引くような合格実績やネームバリューはありませんし、未熟な点も多々ありますが、口コミでの紹介の話も結構もらえるようになってきました。もっとスケールアップしていきたいと思っています。
現状に少しも満足しているわけではありませんが、進む方向性もなく何もなかった一年前と比べると、少しは道が見えてきたような気がします。何より、本当に何もなくても、0円からのスタートでも、ダンボールと気合があればなんとかなるということは非常に勉強になりました。この先、この家庭教師事業あるいはそれ以外のことですっかりダメになってしまっても、またダンボールを持って頑張っていこうと思えるだろうということはきっと支えにもなるはずです。
最近ではSNSやYouTubeが広く普及し、「ブログで稼ぐ」「SNSを使って稼ぐ」「オンラインサロンが〜」など一見すると魅力的なことを言う人もいます。時にはそれに釣られてせっかく入った会社を辞めてしまったというような話もTwitter等で目にします。Yutuberの方々、確かに華々しく見えるでしょう。ビットコインをはじめとした仮想通貨や投資なども壮大な世界に見えます。しかしそれらはどれも、なんらかの部分で人一倍の能力があり、人一倍の努力をできる人がたどり着けるものだと思います。僕たちのような何もない凡人はひたすらに足を動かし、根性でやっていくしかありません。特に大学生の方、コロナも本当に大変ですが、一緒に頑張っていきましょう。
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