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徳島に古事記や日本書記の神社が多い理由(があやしいw)

うーん、なんていうか、渡来人がおもっきり、徳島に集中砲火で移民していた気がする。
忌部氏が行く前に、どうなっていたか、わからんのだ。小さい古墳はいっぱいあるのだ。縄文人の豪族だろうけど。

「「阿波」の名称と由来
古代、現在の徳島県の北の地域は粟の生産地だったために粟国、南の地域は長国と呼ばれていた。『古語拾遺』によれば、神武東征において忌部氏を率いて、木国の材木を採取し畝傍山の麓に橿原宮を造営したという[注釈 1]。のち、律令制において長国造の領域を含め令制国としての粟国が成立した。和銅6年(713年)、元明天皇による好字令で、地名を二字で表記するため「粟」は「阿波」に変更された。」

愛媛も狙って、移民させていた気がする。まあ、国衙が多いところはそうだと思うが。ほら、これは越智氏で愛媛県の名家だ。
「越智氏は越智郷(現在の今治市国分付近)が出自とされる。4世紀後半に近畿政権の国造制により、現在の愛媛西部に五国造が設置され、中央豪族が地域の支配者に任じられた。そのうちひとつである物部氏の大新河命の孫の小致命(おちのみこと)が小市国造である越智氏の始まりとされている(『国造本紀』)。『新撰姓氏録』では左京の神別氏族として越智直が神饒速日命の後と見える。」

なぜかというと、もしかして、邪馬台国の残党狩りでつぶしたいからじゃないかなあ?
わかりませんが。
まあ、素直な人たちは、「えー、麻布とか作り方指導してくれんの? えーじゃん。建物とかも作ってくれんの? えーじゃん」
・・・・ううー、まるでアフリカ人が中国人を歓迎していたのとそっくりじゃん???

それにいやに徳島に、古事記や日本書記の神様の神社が多く建立されている。まるで、むきになっているようだ。

それもやっぱり、大和朝廷が邪馬台国残党を洗脳して、「大和朝廷に従えー」っていう作戦じゃないかなあ???

Youtube見るとこんな風に、やたらとイザナミイザナキ、高天原関係の名前の神社が多いんだよねえ。


1つめとかは、いいと思うんだけど(ほんとに上陸した土地だからだ)、設立年代とこの前のしめ縄とか、神社のマークとか、ちょっと気になるんだが。

そして、本家本元の九州にもこうい高天原関係の土地や神様がいるのだ。
そしてそっちは確実に、古くて2世紀かそれ以前のもある。

でも徳島のって、3世紀以降じゃないの? 要は国衙ができてきてからみたいであって、5-6世紀で200年ほど遅いのだ。

ねー、怪しいでしょー?

まあ、あとでチェックするのだ。
大変なので、秘書さんに頼もうかなあ・・・・。しんどいなあ。


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