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内山まもる先生が、なんでメジャー少年誌掲載じゃなかったか?

2,3年前におなくなりになった内山まもる先生は、絵がめちゃうまい。
話もちゃんとしている。盛り上げ方とか、大コマの使い方とか、実に正統派だ。

一番人気なのは、ウルトラマン関係の漫画かなと思う。
TVのウルトラファミリーなのだが、けっこうエピソードも自分なりに工夫してある。キャラ付けとかうまい。


こういう、全身アオリとか、デッサンがきっちりしてないと描けないよ。おまけに、かっこいい。


あまり知らなかったが、大人向け漫画も描いておられた。
うおー、普通に人物もうまいな!! うん、素晴らしい。


こんなに、こんなにうまいし、いい漫画家なのに、まあ、今でこそメジャーなコロコロコミックスとかであるが、普通に昔からメジャーの少年誌のサンデーやマガジン、ジャンプとかには連載、ないのだ。
(探せばあるかもしれないが、少なくともあまり聞かない。→野球は少し描かれていたそうです。「リトル巨人くん」っていうのがあった。)


と、つらつら考えることに、ちょうど似たような年齢、そして絵柄もなんとなく、兄弟かイトコくらいに似ていて、めちゃ絵がさらにうまいという、池上遼一先生がいたからではなかろうか?


巨匠 VS 超巨匠 ってかんじなのだ。

うーん・・・・池上先生はもう頂点のうまさだから、さすがに抜けないよねえ・・・。
うまい、うますぎる。もう神の腕!!


うーん、割と似た傾向の作画のライバルが同じ世代でいすぎると、埋もれてしまうのかもしれない。
なんて、かわいそうなんだ。号泣(T_T)

それで、まあ、特撮のウルトラマンにいって、もっと子供向けとかにいったんじゃないかなあと思われる。

Wikipediaによると、こんなのがあった。
小学館からは再度誘われ、「ウルトラマンを描かないか」と言われる。タツノコのライバルである円谷プロダクションの作品だったこともあり、連載開始と同時にタツノコを退社して独立する。当時は20歳になっており、約束の2年間を過ぎたので親が連れ戻しに来たが、結局はそのまま東京に残ったという[2]

小学館の学年別学習雑誌などで『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『ウルトラマンタロウ』『ウルトラマンレオ』などを描き、『レオ』終了後の1975年、『小学三年生』4月号から『さよならウルトラ兄弟』の連載を開始する[2]。この作品は後年に『ザ・ウルトラマン』と改題されて『コロコロコミック』に再掲載され、第三次ウルトラブームの一翼を担うことになり、内山も一気にブレイクする[2]。」

しかしなー、どうせなら、うーんと、めちゃ絵がうまいんだから、たとえばサッカーとか、社会人野球とか、ビジネスマンがとか(ほら、「島耕作」みたいなの)、自衛隊ものとか・・・あの素晴らしいデッサン力をいかした、アクションものとかに行ってくれたらよかったのに・・・。ぐっすん。
出版社か、編集者か知らんが、なんとかしてくれていたら・・・。ああ。
(短編というか、短期連載みたいなのはあるらしい。男性漫画は、短編とかだとなかなか、単行本にならないんだよね・・・。ああ、残念。)

なんで、
「先生、野球はもう人気に陰りもあるので、一度サッカーで、かつプロサッカー漫画描いてくれませんか」って
誰かいってくれたらよかったんだよおおおおおおおおおーーーー!!
(→ゴルフは好きだったらしく、少しだけ書かれていますが、長期連載とかがない・・・。orz)

もうお亡くなりだから、描けないじゃねーか。号泣 (T_T)


なんか、平家物語とか長期連載で歴史大作とか書いてくれたらなあ・・・・・。
ああ、残念っつ!!



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