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皇室のDNAはわかっていた。ついでに藤原氏のDNAもわかっていた。

皇室は、万系一世で、男性DNA(Y染色体)は連続性があります。
そして、奈良時代後半くらいから、藤原氏は多く妃を皇室に入れていました。また、藤原氏の子孫は多く、天皇由来の源氏平氏と同じように、どんどこ地方に移住して、侍になっていき、最後は普通の庶民になりました。

Y染色体ハプログループと、女性のミトコンドリア ハプログループがあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2DNA%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D1a2a_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)

「北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800-3,500 年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体は、ハプログループD1a2a2a(D-CTS220)であった[25][26]。これにより「ハプログループD1a2a系統は縄文系である」ということや、D-CTS220が日本の南部から検出されていることなどから、「D系統は南方経由で日本に到達した」という、従来からの仮説が立証された[27]。」


これらは、時代が経ると分岐していっていて、記号でわかるようになっています。



天皇家のハプロタイプは(D-CTS8093)に属する系統。
藤原氏は、(O-CTS10145)系統。
阿武山古墳の被葬者のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)であると推定されるそうです。

「D1a2a1a2b1a1a(CTS8093) 最近共通祖先 2100年前
→あらまあ、びっくりだいたい紀元前1世紀に、派生しているわけです。
これは、九州北部に皇室の祖先が定住しはじめた頃です。つまり、男性の天照大神は、このパターンだったというわけです。もしかしたら、イザナミ→天照大神の間で、突然変異が発生したのかもしれません。まあ、イザナミは子供時代は日本以外の朝鮮半島か、対馬・壱岐あたりに住んでいたので、九州北部に来てから、派生ツリーができたのかもです。たしかに、ちょっと風土気候が違いますよね。

藤原氏のほうはこちら。O系統ですね。

ハプログループO-M176は日本人及び朝鮮民族の約30%の男性に見られる[23]。」
「モンゴル国及び中国「蒙古族」のサンプルの中でハプログループO1b2に属す者が観察された例としては、Di Cristofaro氏等(2013年)による論文(Mongol-NorthEast 1/20 O2b-M176、Mongol-SouthWest 0/2 O2b-M176、Mongol-Central 0/18 O2b-M176、Mongol-SouthEast 0/23 O2b-M176、Mongol-NorthWest 0/97 O2b-M176、モンゴル国在住モンゴル人計1/160 = 0.6% O2b-M176[37])とXuwei Hou等(2022年)による論文(遼寧省阜新市蒙古族 1/13 O1b2a1a1-K7/CTS11723[38])と何光林等(2023年)による論文(中国蒙古族5/175 = 2.86% O1b2a1a; 詳細は山東省蒙古族1/6 O1b2a1a1、遼寧省阜新市蒙古族1/9 O1b2a1a1、黒竜江省蒙古族1/10 O1b2a1a3a、遼寧省朝陽市蒙古族1/12 O1b2a1a1、内蒙古自治区赤峰市蒙古族1/22 O1b2a1a1[39])があり、ハプログループO1b2に属すモンゴル民族の人が主にモンゴル民族居住地域の東部、特に南東部の者であるという事がうかがえる。」
東アジア北東部水稲農耕をもたらした集団との考えがあり、現代日本人に高頻度でアイヌ民族には見られないことから、弥生時代以降の倭人(弥生人)の遺伝子と推定されている[42]。」

O1b2a1a1 (47z, K7) - 日本人(大和民族、琉球民族)の約22%、朝鮮民族の約9%の男性に見られる。中国(全国男性人口の約0.19%[17]、満洲族約0.78%[45]、蒙古族約0.72%[29]、回族約0.12%[46])等でも稀に見られる。」

うーむ、皇室が瞼が一重っているのは、藤原氏のDNAのせいかもしれないです。ちょっと寒いところのだから、納得ですね。
でも、見た目以外は皇室は南方から来た縄文人系ってことですね。
これはまあ、なんというか、コノハナサクヤヒメや玉依姫、豊玉姫は縄文時なので、当然縄文人のDNAが混じっていますね。あれ? でも男性も縄文系ってどういうことなのかな? ああ、そうか、縄文人が朝鮮半島に移住したから、その子孫かもしれないですね。だから、どっちもなんだ。

ところで米はというと、揚子江流域から来て、九州で定着したんだけど、たぶん、行き来しているうちに、朝鮮半島にも逆輸入されたんだろう。
だって、熱帯育ちの稲が、いきなり亜寒帯の朝鮮半島で育たないもん。



日本人全体はこちら。


篠田謙一先生の研究から引用
(これはミトコンドリア ハプログループのほうです。)



しかし、若干疑問があります。
(1) 本当の天皇の皇子でない人が、(いわゆる間男)天皇に一度もなってないのかなあ?
(2) 神武天皇と継体天皇は本当に子孫関係なのかなあ?
 より近い人が断絶したので、遡って後継ぎを探してきたので、なんせ古代のことだから、そんな5代も6代も前なんて、正確なのかなあ???
 継体天皇だって、親が間男にやられてない???
 まあ継体天皇は北陸あたりにいたから、縄文人でちょっとだけ渡来系が混じったDNAかもしれないかなあ。地域的にはそれくらいかも。

という疑問です。平安時代以降、けっこう室町時代とかには宮廷の性的問題は、乱雑になっていて、夜は夜這いしやすいとかいう状態になっていました。
たとえば、「源氏物語」では、光源氏は藤壺のところにいって、子供を作ってしまいます。まあ、光源氏の場合は皇族なので、Y染色体が変わることはないのですが・・・(まあ、どうせフィクションだし)。

 いずれにしろ、仮にその間男は誰かというと、縄文人DNA系列の人だったのでしょう。それなら、ばれないwww



なんか、DNA分析されている有名人がいるので、リンクします。

この人は、15世紀ですが、先祖は任那とかの倭人の混血じゃないかといわれています。

「申叔舟は日本への渡航経験もあり日本文化に精通してる学者と見られていたが、子孫らによるDNA鑑定の結果、申叔舟は倭人の子孫であった可能性が濃厚で、申叔舟自身が実際は倭人であった可能性も浮上している。


「鳥取県の青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)から大量に出土した100体近くの古代人骨は、頭蓋骨に脳の組織が残るほど保存状態の良いものが含まれていました。出土地の沼地が酸素を遮断し腐敗を防いだため、腐りやすい組織である脳が奇跡的に古代から現代まで保存される結果となりました。

これらの古代人骨は、骨格の測定から当初は弥生人骨と考えられていましたが、2019年、篠田謙一(Shinoda Kenichi)らのグループが、Y染色体を解析した結果、75%の人骨は、ハプログループD1a2(M64.1)に属することが分かり、男系は縄文系に由来する人々であることが明らかとなりました。」


「曹操
中国三国時代の魏の曹操(155-220)のY染色体は、現代の中国人の中では稀なタイプであるハプログループO1b1a2a(O-M268, subclade-F993)に属していることが解析された。」

「平安時代後期の武将で、平泉に中尊寺を開基した奥州藤原氏の祖・藤原清衡(1056-1128)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)である。これは、奥州藤原氏四代の骨格の調査や、子孫複数名から得られたサンプルの解析結果などによるものである。藤原清衡の血液型はAB型。」

奥州藤原氏は、京都の藤原氏の一門だそうです。決着はついているみたいですね。

男性が縄文人系が多いっていうのは、うーむ、日本に定住していた男性縄文人が、弥生系女性を妻にしたってことかな?
じゃあ、弥生系男性はどうなったんじゃ? → たぶん殺されてるかなあ。もしくは独身で終わったとか?
でも、豪族とかは渡来系なんだがなあ・・・。

まとめると

皇室はどうやら、縄文系なんだが、朝鮮半島に移住していた一族(まあ南部に住んでいて、日本と朝鮮半島を行き来しているような人々)。それで九州北部に出戻りして、定住した。これは男性が基本。
古代には、国津神の縄文人女性と結婚している。
そのうち、奈良時代ー平安時代になると、朝鮮系渡来人である中臣氏・藤原氏とは何度も結婚しているので、女系からDNAをもらった。一重で、寒冷地適応な顔つきは、どうもこのせいかもしれない。

日本人全般でいうと、古代においては、男性は縄文系が主流だったようだ。それで女性の弥生人と結婚したのだ。縄文女性は駆逐されたのかもしれない。多数派から落ちてしまったようだ。
まあ、とはいえど、社会の上層は、皇室の子孫と藤原氏の子孫でどんどこ占められており、庶民まで降りてきてしまったのだった。なので、藤原氏由来の渡来人DNAは、数的には多くなったのであった。
縄文人―縄文人 一家は、たとえばサンカなどになったり、東北のアテルイの子孫とかになったのかもしれない。村で住んでいる人だと、絶対名主クラス(だいたい、源平藤原子孫の武士とか豪農とかなんだなあ・・・)は渡来人DNAをもらってしまうので、あまりそういうのと結婚していない一族の人が、ピュアな縄文人一族として残ったのかもしれない。

以上、ちゃんちゃん。

追記
本がありましたわ。これから取り寄せて読みます。


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