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プレ皇室研究: 皇室が南九州出身だと思い込むから、とんちき説がたくさん出てくる。

まあ、九州王朝とか、早良王国とか、皇室が南九州出身と思い込んで、でも北部九州にあきらかに立派な王国があるのをなんとかして、説明しないといけないから、変な学説になるのだ。

ちなみに、宮崎から鹿児島にうばってきた鹿児島のインチキ役人がこいつね。田中頼庸って学者・役人ね。


別のもあったので、なかなかこっちもかわいそうに、思い込みでおかしい。
Wikipediaとか見たら、けっこうまじに「後付けです」とか、「後世の地名です」とか、ばりばり書いてあるのになあ・・・。

1つめ

「ところで、隼人の居住地であった南九州といえば、『記紀』の記述によれば、王権の祖・天孫族が降臨したとみなされるところ(諸説あり)のはず。天孫・瓊瓊杵尊が降臨したとされる高千穂峰をはじめ、その陵墓・可愛山陵(えのみささぎ)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の陵墓・高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)、神武天皇の父の陵墓・吾平山上陵(あいらさんりょう)、神武天皇の生誕地とされる皇子原(おうじばる)神社等々、枚挙にいとまがないほど伝承地が存在する。」


2つめ
もうこの思い違いを見ていると、かわいそうになってきます。この人、まじにひっかかりやすいな。近所に水平社があるってことで、ちょっとやばいとかって気づけよ。


ちゃんと代わりに調べてあげたからね!! 次から、ひっかからないようにしろよ!! 


3つめ
まあ、同じ人なんだけど。
多少目の付け所はあるものの、徹底して調べないので、2段目あたりで積むのであった・・・。
(まあ、仕事忙しかったら、調査が中途になるよねっていうのはわかるわかる。)

「■天皇の祖先の上陸地は、九州最南端?!

『日本書紀』によれば、天皇の祖先は「高千穂の峯」に降臨した。降臨の地を宮崎県高千穂町と見なすか、宮崎県と鹿児島県の県境にそびえる高千穂峰と見なすか激論が戦わされ続けている。

 しかし、場所としては九州中〜南部であることには変わりない。九州北部には先住の海人族が開拓し尽くしていたため、新たな耕作地を得ることができなかったからであろう。これが、後に邪馬台国連合国に発展したものと筆者は睨んでいるが、果たして?」

いやいや、九州北部だってば。

ほら。私が4年かけてつきとめた地図だ。みんな、北部九州で、だいたい5-10キロ以内なので、女性で未舗装の道でも徒歩でいけるわwww



南九州が、後進地域だってことは、実は鉄製品の出土とか見ればすぐわかるんだよね。
例えば、この人の図です。ぎりぎり熊本はちょっとあるんだが(だって、神武天皇の孫が移住している)、宮崎県と鹿児島県は、もののみごとにほとんど0に近い。これじゃあ、関東とかのほうが「鉄多いじゃん」といえそう。
だいたい、伊弉諾も息子のスサノオも、海幸彦・山幸彦だって、鉄の剣とか、釣り針とか使ってんだぜ。そいつら、1本だけじゃなくて普通なら予備とか、他の息子たちや部下も1人1本持っていたりするから、村全体では100本とかになるかもしれないじゃないか。
(一応、たたら製鉄はまだだが、紀元前3世紀には、鉄製品は使っていたらしく、鉄剣、鉄の農具などに使われている。)


下記より引用

次に鏡もそうである。鏡ざくざくは北部九州ばっかりなのだ。まあ、伊都国と奴国がメインで、あとは一種の衛星国の属国が少しずつ持っている。


上記より引用

こっちもものの見事に、宮崎県と鹿児島県は、ほぼ0だ。
ついでに、先日調べたら、宮崎県の弥生時代遺跡ってあったけど、10件20件程度の村で、石包丁とか石器しかでなかったよ。つまり未開の地なんだよ。

普通のプロ学者なら、「おかしい!」ってわかるはずなんだよね。

といいつつ、あの有名な梅原先生も間違えて、おもっきり宮崎県周辺で「日向」本を出しているんだけどね(号泣)。おもろかったけど。
まあ、梅原先生、本来は考古学者じゃないから、しょうがないかもしれないんだけど・・・。残念。


世の中には、昔から、陰謀論者とか、妄想性パーソナリティ障害の人はいたので、インチキを思い込み過ぎる人もいるのでありました。

何か所も周辺を調べたら、おかしいってことに気づきますよ。
だいたい、ぽつーんと1つだけ、時代違いのがあったら、怪しいです。まあ、たまに夫婦セットとかあるみたいだが。


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