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神功皇后=卑弥呼なんて、ぜんぜん嘘じゃん! →時代が100年以上違った件

世の中、天皇の系図はわかっているし、お墓とかの比定も、まあ、宮内庁が隠しているのだが、それでも周辺情報でわかったりする。

さて、すぐ 神功皇后=卑弥呼 っていう人がおるのだが、時代を確認してみました。

まず、神功皇后の夫は、 第14代天皇・仲哀天皇です。
だいたい同じ年齢と思います。かりに年上年下でも、50歳も上下することはありません。
そして、仲哀天皇は、
「実在したとすれば後述の広開土王碑文、三国史記や七支刀に加えて纒向遺跡の廃絶年代、陵墓の年代などからも総合して4世紀後半頃と見ることが出来る。
とWikipediaにあります。
ありがたいことにWikipediaは、他のを調べてもあまり間違っていたことはなく、学説が割れる場合は、両方とも書いてあることが多いです。
これはWikiの方針だと思いますが、一番まっとうだと思います。

「日本書紀神功皇后摂政52年条に、百済と倭国の同盟を記念して神功皇后へ「七子鏡」一枚とともに「七枝刀」一振りが献上されたとの記述がある。紀年論によるとこの年が372年にあたり、年代的に日本書紀と七支刀の対応および合致が認められている(後述)。」

一方、卑弥呼はだいたい中国の歴史書で生きていた時代はわかるし、死んだのもだいたいわかります。日食があったことで、それくらいで、もしかしたら、殺されたのかもといわれています。太陽の巫女ですからね。
3世紀前半です。

つまり100年以上違うってことです。
いまだと、うーん、明治初期の人と、現代人を比較するようなものです。

まあ「卑弥呼」っていう役職だからという人もいますが、じゃあ、次の姪の台与にしても、台与ががんばっても3世紀後半です。100歳くらいまで長生きしていたら、ぎりぎり301年くらいまで生きていたとかいうのはありかもしれないのですが、4世紀後半というのは 350年以降なので、長生きしてもさらに50年ほど後ろです。
神功皇后は子供も産んでいるので、妊娠できる年齢だということがわかります。だから、神功皇后がすっごい早く生まれていて、80歳で仲哀天皇と結婚していたとしても、これでは子供が産めません。

正直、このてのいけしゃーしゃー系考察には、うんざりです。
もうちょっと幅広に、いろいろと調べたらいいのにと思いますが。

ぶっちゃけ、最近思うに、何もわからないときは最初にWkipediaをみて、それで全体を理解してから、個別の文献にあたると時間が効率的に使えていいかなあと思います。


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