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プレ皇室研究: またいい遺跡みつけてもーた。ハロウ遺跡(対馬)

前に、対馬の神社について、これは豊玉姫と父親の住んでいた場所という話をしました。素晴らしくかっこいー神社です。
いや、神社はビジュアルにこらないとねwww 人、来ませんww お布施もらえません。

「長崎県:下県郡豊玉町仁位村ハロー遺跡
[現在地名]豊玉町仁位
仁位にい浜の船着場の西にある遺跡。弥生時代より古墳時代にわたる石棺群が発見され、昭和四五年(一九七〇)の調査では半壊状の石棺四基のうち最古の一号棺は弥生時代中期とされ、退化形式の鉄剣形磨製石剣が出土。二号棺ではガラス小玉・蕨手刀子・長頸壺形土器・坏などが出ており、弥生時代後期に相当するが、土師器・須恵器があることから古墳時代中期に石棺を再使用したと考えられ、珍しい事例である。

石剣って古すぎーwww

「 仁位周辺は、弥生時代後期の遺跡が多く、特に船着き場近くのハロウ遺跡は、箱式石棺7基、竪穴式石室1基があり、弥生後期後半から終末期の墳墓から土器や広形銅矛などが発見された。さらにそこから3kmほど離れた、仁位浅茅湾の中程にある志多賀黒島の遺跡からは銅矛15本が出土するなど、仁位の当時のあり様を伝える貴重な遺物が発掘されている。
 埋蔵品の中でも、権威を示す鏡・剣・玉、村を守る祭祀に欠かせない平形銅矛、さらに遺跡の密度などをもとに推定すると、卑弥呼の時代=弥生時代後期、仁位周辺が対馬の中心であった可能性が高いらしい。ちなみに仁位の前は三根(弥生中期)、その後は鶏知周辺(古墳時代以後)だそうだ。」

弥生中期は紀元前1世紀なので、これはなかなかよいです。
伊弉諾の老年時代です。まあ、最後は淡路島に帰るのですが、それまでは対馬ー九州北部を息子たちと仕事で立ち寄ったかもしれません。
まあ、残念ながら、使えない息子 須佐之男命は山陰地方に行ってしまいますが・・・。

実は、イザナギが「銅矛」を配る立場というのがあるのです。
祭器は、出雲では銅鐸だったのですが、その前は銅矛を祭器にする一族がいて、それが皇室の先祖の前半でして、だんだん鏡 天照大神の象徴を祭器として配るようになるのだそうです。
この考え方はなかなか面白いので、知っておくといいのですが、ただ、移民一世のイザナギがそこまで金とかあったのか、影響力があったかは疑問です。

三根という地域に言及されていますので、そこも調べてみましょう。

https://www.city.tsushima.nagasaki.jp/material/files/group/70/202301kouhou-5.pdf

うまくコピペできないので、画像で引用します。
面白いのは、「古代に稲はここらでは遺跡が出てない」ことです。九州北部のほうが定着したということです。素通り状態ですね。
鉄製釣り針は、面白いです。山幸彦が失くした釣り針と同じかもです。


こちらもリンクします。

「対馬市峰町三根字ガヤノキ所在の遺跡。
 三根集落の中心部に位置しており、その存在は古くから知られていました。1932年には中山平次郎氏による調査、1948年に東亜考古学会による調査、そして1970年には九州大学考古学研究室によって調査が行われました。
 時期は弥生時代の中期後半から古墳時代後期に及び、墳墓(6基)や埋納遺構(2基)の合計8遺構が確認されています。今まで行われた調査はA~Hの8地点に分かれています。B・C・F・G・H地点は墳墓で、E地点も攪乱をうけていましたが墳墓の可能性の強いものです。A地点は調査時には消滅していましたが、埋納遺跡と考えられます。
 出土資料としては、B地点から鉄剣や鉄斧・鍔(つば)形銅器・金銅釧(くしろ)・碧玉(へきぎょく)製の管玉・土器などが見つかり、H地点からは中広(なかひろ)形銅矛・銅剣・石剣などが見つかっています。その他にも、銅戈(か)(A地点)やガラス小玉・鉄刀(E地点)・前漢鏡(F地点)など多数の遺物が発見されました。」

残念ながら、三種の神器はでていませんね。
要するに皇室の先祖が定住した場所ではないということでしょう。
まあ、豊玉姫の生育場所ですので、まあいいかなと思います。

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