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天石門別八倉比売神社を詳しく調べてみる

[卑弥呼の墓」とか「天照大神の別名」とかいう話であるが、奥の院にある五角形の磐座が怪しい。
前から、面白い磐座なんだけど、社伝も嘘っぱちくさくて、だめなんだなあ。
いつから、嘘こいてるんだか??? まあ、しょうがないよなあ。

この人の考察が面白い。


偽書っぽい社伝がこれだ。場所の謂れとかが多い感じです。

まあ、どうかなっていうのは、別のときに考えよう。

ところで、この磐座をもうちょっとまじに調べてみたのだ。
前にいったように、これは剣石があって、それって男性のシンボルなのだ。だから、これは男性の墓なので、卑弥呼でもアマテラスでもない。

じゃあ、なんなの?
とずーっと不思議だったのだが、上と下で分けたら、単純に上はドルメンなんですなあ。
サイズ感はぜんぜん違いますが、構造はこんなのと同じ。卓上みたいになっているのです。


要するに、ユダヤの墓とかいう前に、ただの朝鮮半島ドルメンのこういう机みたいなやつだったのだ。


下は台座なんだな。
この台座部分は、面白いことに、木口積と言って切り口を見せるやりかたで、わりときっちりした積み方だ。
角もきれいなのだ。ちょっと特徴をピックアップしてみた。
(元の写真はWikipediaより引用。)

しかも、②で書いているように間詰め石が詰めてあるのです。
時代が古いとこういうのはなくて、隙間ができていることが多いです。それに、角も①のように、丁寧に揃っているとは限りませんで、ぼこぼこしていたりします。


(積み方の説明はこちら。木口積とイギリス積は別ですので、訂正いたします。木口積のみです。失礼しました。)

四国になんか、段々畑や棚田があって、古いのは野面積なのだが、ちょっとどんなのか探してみた。
こんなかんじ。立派に、きれいにまっすぐ積んである。まあ、これは近代のなのだろう。古代ってことはないけど。


上のところは、やたらと丁寧なのだ。なんていうか、「そんなに古代じゃない気がする」のですな。(紀元前ではなくて、どっちかというと奈良時代に近い古代かなあ?)

さらに、他の人も
「千年以上たっているというには、ぜんぜん苔もなんもないよね」
っていうのですな。ちょっと青緑色になっているところもあるのですが・・・。
因みに、苔を調べたら、けっこう1年くらいで苔むしてくるので、「千年たってるのにー」っていうのは、うーん、たしかに・・・って思いました。

そして、例によって本当に古いかどうかは、周囲に遺跡、古墳がないかをチェックします。
この神社は、山を拝むことになっているので、周囲に古墳があるのです。

気延山古墳群といいまして、弥生時代末期から古墳時代の終わりにかけて築造されました。まあ、卑弥呼の時代から、もう少し後まであるようです。
時代的には悪くないかんじです。


これは、周囲のバックグラウンドについては合格です。

問題は、この五角形のところだけですなあ・・・。
うーん、男性の朝鮮渡来系で、6世紀かそれ以降に作ったのかなあ・・・。
ここまでくると掘ってみないとわかりません。副葬品によって決まるかなあと思います。

卑弥呼と天照大神の可能性は、0ですね。


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