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卑弥呼時代の日食を研究してみた


実は邪馬台国時代に日本では日食が2回くらいあったらしいのだ。

なお、天照大神の岩戸隠れを日食だと想定しているのだが、神武天皇よりさらに昔なので、紀元前700年とか、もし1年;2年で2倍カウントする場合でも、紀元前4世紀くらいじゃないかなあ?

なので、下記の表には記載がない。
(下のリンク先より、引用しています。)
水色のが、邪馬台国のだ。


すごいなー。こっから指定したら、いつのときでもどこでも日食を確認できるのかなあ。

「ヒミコの日食


[図8]247年3月24日の皆既食
http://eclipse.gsfc.nasa.gov/eclipse.html より

247年3月24日とその翌年9月5日の日食は日本古代史に重要なヒントを与えてくれ,わが国古代史上最重要日食といえるでしょう。前者は図8のようにアフリカから朝鮮半島まで,中国(魏)の洛陽や長安では夕方,皆既が見られましたが,わが国ではすでに太陽が沈んだ後でのことです。しかし部分食は日没前に始まり,その欠け具合は西にいくほど大きいのです。近畿では日没時に半分強ですが,北九州では7割くらい欠けます。地平線近くで欠け始め,細くなりながら没する太陽,明日はもう昇って来ないのではないかという不安を駆り立てる壮絶な光景です。一方,後者の皆既ゾーンは図9のように能登半島から北関東さらに太平洋上に長く延びています。中国ではまだ夜明け前,朝鮮半島では低空の東天,この皆既日食が見えた陸地は地球上で本州だけ,ですから記録は世界中どこにもありません。太陽が欠けていく過程は見られず昇って来たときにはすでにやせ細った状態,そしてすぐに復円が始まり,7時にはすべて終了します。近畿でも九州でも太陽は9割欠けます。この日食の後半の過程を見た当時の人々はきっとホッとしたことでしょう。もしあなたがこれら2つの日食を眺めたとしたらどのように感じますか?


[図9]248年9月5日の皆既食
http://eclipse.gsfc.nasa.gov/eclipse.html より

これらの日食は現在PCで再現できますが,記録伝承には残っていないでしょうか?」

この説明だと、四国は記載がないが、近畿と九州の間だから、日食は四国でも見えたってことだろうなあ。

「博士は更に、福岡と奈良でのこの日食の見え具合についても考察し、図1の場合福岡の方が全皆既日食となって壮絶な日の入りであったろうと述べ、奈良ではそれほどでもないとしている。 図2は、福岡、奈良ともに同じくらいの見え具合だそうである。」

もう1人の人も「奈良はそれほどでもない」とあるが、部分的には大丈夫そうだから、その中間にある四国も日食は見えたのだろう。

ということで、邪馬台国が国外や北海道でもないかぎり、関西方面なら大丈夫そうだ。


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