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プレ皇室研究: 神社について調べました。

よく「式内社」とかいう言葉を聞くので、神社には一定のランクがあることは知っていましたが、正確には知らないので、ちょっと調べてみました。

「延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。

基本がこれです。
「延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)は、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。」

このあと、この神社のジャンル分けがあるのですが、表があるので、リンク先をご覧ください。

いわゆる 官社か、そうでないか(国立と私立みたいなかんじ)が分けられますが、たぶん、これ重要。要するにスポンサーが国なのか、そうでないかってこと。
そうでない例は、たとえば、藤原氏や他の豪族や、有名な将軍が創建させたとかですな。「私人」の発願ですよね。

「式内社は各種の種別がある。まず官幣社と国幣社の別である。官社とは、毎年2月の祈年祭に神祇官から幣帛を受ける神社のことで、各神社の祝部(ほうりべ、旧仮名遣:はふりべ)が神祇官に集まり幣帛を受け取っていた。その後延暦17年(798年)に、引き続き神祇官から幣帛を受ける官幣社と、国司から幣帛を受ける国幣社とに分けられた。式内社では、官幣社が573社 737座、国幣社が2288社 2395座である。国幣社が設けられたのは、遠方の神社では祝部の上京が困難なためと考えられるが、遠方でも重要な神社は官幣社となっている。」

そして、これです。
後からできた神社については、呼び方も決めてあります。

式内社の後裔が現在のどの神社なのかを比定する研究は古くから行われている。現代において、延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔と推定される神社のことを論社(ろんしゃ)・比定社(ひていしゃ)などと呼ばれる。

式内社の後裔としてほぼ確実視されている神社でも、確実な証拠はほとんど無く、伝承により後裔の可能性がきわめて高い論社という扱いである。延喜式編纂時以降、社名や祭神・鎮座地などが変更されたり、他の神社に合祀されたり、また、荒廃した後に復興されたりした場合、式内社の後裔と目される神社が複数になることもある。

論社には、他の研究によって後裔社だとみなされることもあるが、その神社自ら式内社だと主張することも多い。


おい、自己申告じゃねーかwwwww
だめじゃんwwww
というわけで、社伝とかで、それをそのままうのみにするのはやめましょうwwww

ついでに参考にこちらも。


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