見出し画像

プレ皇室研究中

神武天皇以前のことを私が勝手に「プレ皇室」といっているのですが、なんか、不可思議なことがあります。
もっと研究しないとなあ。

系図と居場所としては、こんなかんじ。





おのころ神社。イザナギ、イザナミ神が作った島ですね。

https://www.freedom.ne.jp/onokoro/onokoro/onokoro.htm


「また松前健は、地方神であった伊弉諾尊の神話が、淡路国から大和朝廷の神話に組み込まれたとする[3]。松前によれば、伊弉諾尊を皇祖神の親とする信仰が宮廷に古くからあったとは思えず、2神が組み込まれたのは7世紀中頃以降で、大嘗祭卯の日の神事に召された淡路出身者や、宮廷に食料を運んだ淡路の海人が伝えたとする[3]。また、『日本三代実録』で当社が無品勲八等から一品の極位へ一足飛びに神位を進めるのは、この時期に正式に皇祖神の最近親者とされたため、とする[3]。」

あー、これって、ギリシアの神々みたいです。アジアの地方神がギリシア神話に入ってきていて、面白いのですが、日本もおなじかも?

これ、Wikiにページがなーい。小戸神社。

https://www.odo-jinja.jp/history/

「このように全国のすべての神社で奏上される「祓詞」にもある、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にて禊祓をされた神様であります。またその小戸の地名が当社の社名になっているものと思われます。

なお創建当時は日向灘に面した場所に祀られていたことから、航海の安全を守る神様として船会社からの信仰が篤く、境内に現存する一対の石燈籠は、元禄6年(1693年)に宮崎で最も古い豪商の一人である「日高屋」から奉納されたものであります。」
「第12代景行天皇の勅により創建と伝える。」
そこまで古いわけでもないようです。

こっちも。

「『古事記』『日本書紀』には、伊邪那岐尊が黄泉から帰還して禊を行ったという記述がある。禊を行なった場所について、『古事記』では「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」、『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」と記すが、この「阿波岐原・檍原(あわきがはら)」が当地であると伝えられている。この地名は、全国の神社であげられる「祝詞」の冒頭でも「かけまくも畏き伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓へたまひし時に」と読み上げられている。そのため「御祓い発祥の地」とされる[1]。

当社近くの「みそぎ池」が伊邪那岐尊が禊を行った地と伝えられ、かつては入江であったが、後に開墾されて「江田」と称されたという[2]。なお上記の神話に基づき、当地はイザナギの子であるアマテラス・ツクヨミ・スサノオら三貴子や住吉三神の誕生地と伝えている[2]。

当社の周辺には古代の集落跡が多数あり、代表的なものには弥生時代初め(約2,400年前)の檍(あおき)遺跡がある。また、古墳時代の初期(3世紀末)の前方後円墳・檍1号墳からは国内最大の木製墓室・木槨跡が見つかった。」

おー、古いです。でもうーん、紀元前とかほしいなあ。


またみつかったら、報告します。

なんか、イザナギイザナミのくせに、紀元前ってほどでもないのがなあ・・・。
紀元前5世紀とか6世紀とか7世紀でもいいのになあ。


AI,脳科学、生物学、心理学など幅広く研究しております。 貴重なサポートは、文献の購入などにあてさせていただきます。 これからも、科学的事実を皆様に役立つようにシェアしていきたいと思います。 ありがとうございます!!