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プレ皇室研究: うーん、イザナミの墓は山陰?三重?

神社の由来や明治に決まったような宮内庁の御陵指定なんてのは、だいたい非科学的なのが多いです。
なんか、昔の人が一所懸命、神社存続のために、変にうそをこいたPRを考えたりしたのでしょう?

またいつものように、「ここがじゃ」といっている場所の情報を集めます。


これは面白かったです。
たしかに、「死んだ」のではなくて、「離婚した」のかもしれないです。
でも皇室の先祖がいきなり初代が、離婚ってのは恥ずかしいのでごまかしたのかもですね(苦笑)。いやー、古代から忖度してるwww
でも離婚だったら、スサノオが「お母さん恋しい」って泣くのに、母をイザナミに想定しているのです。離婚してから、あとで子供ができたっていうのはあるのかもしれないですね。なるほど。


うーん・・・まあ、こっちのほうが正しそうかなあ・・・。
島根県松江市東出雲町 ほら、同じ市内で近いし・・・。

島根県松江市東出雲町揖屋


もう1つ、「うちがイザナミの墓じゃ」っていうのが、なんと三重県熊野市にあるのです。
そして、すっごい立派な岩屋があるのです。


検索してもらうとわかりますが、本当に崖みたいになっていて、そこに神社があって、子供のカグツチの墓も祭ってあるのです。小さい(といっても1m以上あります)岩があって、それがカグツチというのです。

崖の上にかっこいい綱を引っ張ってありまして、なにかロープで作ったきれいな飾りがぶら下げてあるのです。

しかし、なんていうか、怪しいのが、近くに1つも古墳とか、住居遺跡がないんです。
巨石信仰じゃないかなあと思います。

洞窟があるなら、別なのですが・・・。
洞窟っていうより、大きな岩の崖の下にお墓があるようになっていて、うーん、「古事記」の記述と違うのです。
「日本書紀」の由来で書いてあるのですが、「日本書紀」は異論をいくつか並行で並べてあることもあるので、よくわかりません。違う書き方なのに、2つ書いてあったりします。

地図でみれるので、ちょっと画面ショットを取りました。
もののみごとに、三重県は北部に古墳が固まっています。熊野市には古墳がないのです。昔から修験道の場所だったわりに、なんもないのはちょっと謎なのですが、修験道が流行したのはもっと後の時代からで、イザナミが生きていたような紀元前には、誰も住んでないという可能性はあります。
だいたい、平地でかつ海の近くに集落ができるはずです。



うーん、地元には申し訳ないですが、後付けっぽいよなあ・・・。

だって、病気のイザナミを瀬戸内海あたりに住んでいたイザナギが、連れていって、お墓に埋めるとかって、無理じゃん?
その間に、体が腐ってしまいます。夏場だと、さぞ臭かったでしょうし、三重県は冬でも温かい土地です。

おまけ
森浩一教授の本を読んでいたら、横穴式石室のことじゃないかと言われていました。(あるいは洞窟とか)

その前までは、1つのお墓は1人ずつだったのですが(例えば、甕棺墓)、横穴式石室になったら、2,3人ずつ入りますので、追葬という習慣ができるのです。
たとえば、叡福寺北古墳です。ここは聖徳太子のお墓でして、お妃と母皇后の3人で葬られています。

「築造時期は、古墳時代終末期・飛鳥時代の7世紀後半頃と推定される[3]。被葬者は、宮内庁では聖徳太子(厩戸皇子、622年薨去)に治定され[2]、考古学的にも厩戸皇子・穴穂部間人皇女(用明天皇皇后、皇子母)・膳部菩岐々美郎女(皇子妃)ら3人の合葬墓(三骨一廟)の可能性が高いと推定される[2][3][5]。被葬者が明らかな古墳として、古墳編年における1つの基準として重要視される古墳になる。」



なるほどなあと思いました。
横穴式石室でなければ、洞窟などでもOKだとありました。



この人のWeb面白いです。
御陵や御所がたくさん見ることができます。
欠史八代研究のときにまた、見ようと思います。


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