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邪馬台国研究: 卑弥呼の前半生

卑弥呼は、邪馬台国の女王で、中国側が知ったときには、もうおばちゃんでありました。
独身で、弟が外向けの仕事や世話はしてくれて、侍女や部下が1000人で召使をしてくれて、死ぬときには100余人が一緒に殉死しました。

さて、在位を見ると 188年頃〜248年 とありまず。
2世紀終わりから、3世紀だいたい半ばまでです。

このときにはすでに神武天皇は東征していて、畿内に拠点を置いています。一応、今の奈良県橿原市です。

なんか、よく「邪馬台国が、大和朝廷になったんだー」みたいなことを言う人がいます。ああ、原田大六先生でさえ、それに近いことを言われていますが、大和朝廷公称 紀元前660年、私のリアル計算では紀元1世紀くらい、卑弥呼のまあ、20-60年とかくらい前に、神武天皇、つまり大和朝廷はとっくの昔に畿内入りして、まずは畿内で縄文人の先住豪族をつぶして、従属させていきます。素直に従った一族は、まあたとえば、豪族としてそのまま取り扱ったのでしょう。国造りには、人手も金もいるので、「ちょっと人と予算を出してよん」とお願いしまくって、都造りをしていたのでしょう。

さて、卑弥呼は在位の最初の予想が188年です。これは、0歳ってことじゃないです。いつか、わかりませんが、「この子は、巫女の才能がある」ということで、巫女のリーダとして育てられたと予想しますので、古代だとうーん、10-13歳くらいでしょうか。姪のイト(またはイヨ)は、13歳で女王に擁立されたそうです。まあ、幼児が王様になるのは、よくあることです。神輿の飾りだから、軽くていいんです。
でもまあ、それなりの儀式が形だけでもできないとだめだし、祈りをしないといけないので、そうすると12歳、脳が最低限度生育する頃ですから、それでいいのです。
一方、巫女は独身ですので、神様が夫です。処女が望ましいです。
(もし、男ができたら、巫女は廃業する。)

ある人が、「独身って、未亡人かもよ」といっていましたが、さすがに、12歳で未亡人って・・・・。

「契丹古伝」という古書には、卑弥呼の別の名前は、「イサハミ姫」という名で、イヨは、邪馬台国と狗奴国の争いで、ミマナ(任那?)に移住したという話が載っています。


ただ、契丹って今のモンゴルあたりで、別に中国本土ほど文化的な国でもなく、内容が5世紀6世紀で、邪馬台国の3世紀より、むしろ後です。
後で、ぐだぐだ書かれても内容は信用には値しませんので、まあ、「てきとーに嘘をいれてる」のかなと思います。

そういえば、立場が同じなのに、イヨの墓はぜんぜん話題にもならないので、イヨが死ぬときはぼろ負けか、滅亡していたのかもしれません。
国土が荒れていたら、立派な墓なんて作ってもらえず、戦場に放置されて、どうなったかもわからないくらい、ぼろ負けで死んだのかもしれないです。

狗奴国は、ある人の仮説では、高知県にあったらしく、なるほど高知の人は今でも勇猛なので、邪馬台国を滅ぼしても不思議はない気がします。

ちょっと面白そうですが、契丹古伝のほうは、インチキっぽいです。
ああ、残念。卑弥呼の前半生がなんかわかるかなと思ったのですが・・・。

まあ、普通に太陽信仰の巫女は腐るほどいるので、邪馬台国になる前の地域で、まあまあ有名な先輩巫女に指導されて、本格的な巫女になろうとしていたのかなあと思います。まあ、巫女の作法や祝詞とか、すぐ覚えるのは頭がいい印かもですね。

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