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欠史八代研究: 纏向遺跡の謎。

纏向遺跡は何回もずーっと発掘が続いています。
一部は箸墓古墳で有名です。

じゃあ、それ、誰の都なの?
と考えると、どうみても単純に景行天皇じゃないの?

「考古学上、実在したとすれば4世紀前期から中期の大王と推定されるが、定かではない。」
仲哀天皇が350年前後だから、それより前だからOkだけど、天皇の期間がなんか短いよなあ・・・。早死にした人いるかな?

「宮(皇居)の名称は、『日本書紀』では纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)。伝承地は現在の奈良県桜井市穴師。」

纏向遺跡がある場所が(実際は広かったと思いますが)、この右上あたりの穴師です。纏向遺跡と同じです。
左下には、箸墓があります。ここも桜井市で纏向遺跡のすぐ近くです。


「箸墓古墳(はしはかこふん)、箸中山古墳(はしなかやまこふん)は、奈良県桜井市箸中にある古墳。形状は前方後円墳。実際の被葬者は不明だが、宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定(じじょう)されている。」

「奈良盆地東南部、三輪山北西山麓の扇状地帯に広がる大和・柳本古墳群に含まれる纒向古墳群(箸中古墳群)の盟主的古墳であり、纒向遺跡箸中地区に位置する。出現期古墳の中でも最古級と考えられている前方後円墳である。

築造年代は、墳丘周辺の周壕から出土した土器(土師器)の考古学的年代決定論と、土器に付着した炭化物による炭素14年代測定法により、邪馬台国の卑弥呼の没年(248年から遠くない頃)に近い3世紀中頃から後半とする説がある。一方で、近年炭素14年代測定法では、実年代より50-100年程度古く推定されることが明らかとなっていることや、古墳の規模および様式が魏志倭人伝の記述と異なっていることなどを理由に、4世紀中期以降とする説もある。」

250年くらいかー。

第7代孝霊天皇

欠史八代のまんまですなあ。
まあ、時代におかしいことはないなあ。
ただ、ちょっと各天皇が短すぎる気がする。2,3人いなかったのはありかも?

うーん、素直に景行天皇の宮でいいじゃん。
何が不満があるのだろうか?


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