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虚軸、悪夢の追憶、狂愛の末路。

プロフで大々的に静岡アンチを喧伝していると理由を聞かれることも多い.

アンチする理由は簡単で,自己紹介ページの§2.10や『卯月の魚、汚辱、駿河。』に書いてある通り,昔静岡に住んでいた頃に虐めを受けたからだ.悪口や病原菌扱い,モノを壊される/隠される,仲間外れ,殴る蹴る,スカートめくり,水泳の時間に男子に追いかけられ胸部や下半身を触られる,無視,学級委員決めや運動会の出場種目決めで皆やりたがらないものに推薦されるなど.思い出すだけでも胸糞悪い.

これを言うと,虐められたこともないような平和ボケしている間抜けが不躾に「虐められた程度でその県を嫌いになるのはオーバーだ」と宣うのだが,少なくとも当時の私にとっては,根深いトラウマが「静岡」という場所に紐づけられて心の奥底に植え付けられた.

静岡に越してきてから虐められるようになったとはいえ,学校の外では安全かというとそうでもない.どの土地にしたってそうだが,同じ土地に住んでいる人が放課後や休日に出かける場所なんて相場が決まっているし,ちょっとした遠出にしたって大体数は限られる.万が一そこで出くわしたらどうだろうか.実際,何度も休日に出くわした.親の前でこそ何も言わないものの,例えばトイレの中で遭遇すると最悪で,周りに自らを窘める大人がいないと分かると途端に奴らは牙を剥いて襲ってくる.

結局,私の5年間の静岡生活に良い思い出は殆どなかったのだ.このような状態で静岡に何の感情も抱くなという方が無理な話だろう.

そしてこの古傷はまだ私の中で蠢いている.まあ通常生活を送る分には支障になることはないのだが,ネットという簡単に相手との関係を切れる場となるとこれが変わってくる.

例えば嫌なのが仲間外れ.複数人が歓談している中私だけがその話題を理解出来ないのがとんでもなく苦痛だ.よくあったのが,わざと私のいる前で「私は絶対に知り得ない話題」を振ってばつが悪そうにする私を嘲る風潮.

これがまだ私が努力すれば理解出来るような話題ならいい.例えばやったことないゲームの話や行ったことのない場所の話.こういうのに関しては,そういうゲームをしたりそういう場所に行ったことがない私にも多かれ少なかれ非はあるだろう.そしてそのことが明確に分かるような形で言及されていれば,私にも入り込む余地があったかもしれない.

本当に嫌なのは,「私がいない場で起きたこと」の話題である.これに関しては当事者からの話を聴くほか知る術はない.彼ら彼女らが口を割らぬ限りずっと私は孤独なのだ.そしてたとえ口を割っても,当事者間でしか分からないようにわざと代名詞を使って会話するのだ.「この前みんなであそこいったときに食べたあれ美味しかったよね」とか「明日いつものとこであれやろ」とか.

相手と仲がよければ良いほど,或いは相手を好きであればあるほどこれをやられたときのダメージが大きい.

まあなんで急にこんなことを書いているかというと,これを思い起こすようなことがあったからだ.一方的に私がヘラってるだけで相手方は何も悪くないわけだが,こんな程度のことで精神を崩していると自分という人間の脆さが嫌になる.

一度気を病むと暫く根に持って立ち直れない性質で,余程良いことがあるか相手方からの過剰な歩み寄りでもないと健常に戻れない厄介な人間なのが恨めしい.そして自責の念がありつつも溜め込み過ぎると本当に潰れてしまうから,責任転嫁でその捌け口を元凶たる静岡にするのだ.


こうなると全てが悪いことに見える.

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