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小山のプロフィール

先日、海外の日本人学校に関する修士論文を書いている大学院生にインタビューを受けましたが、冒頭、「あなたは、どちらのご出身ですか?」と聞かれ、面食らいました。もちろん、聞いているのは「あなたはどういう組織/業界で仕事をしてきたのか?」「何の専門家なのか?」ということなんですけど、これが一言では説明し難いのです。
1976年から私費留学斡旋業を始めましたが、"子連れ留学" をする顧客のために 子どもの教育関係のお世話をする一方で、海外渡航中の安全対策も手掛けるようになりました。顧客の海外渡航後の不適応症状、あるいは帰国後の「逆文化ショック (Reverse Culture Shock)」の問題にも、日々向き合っていました。
それが縁で、海外子女教育振興財団(外務省と文科省の共同管轄下にある非営利法人)に、1978年から14年間 勤務することになりました。同財団では、駐在員夫人の渡航前研修や帰国子女の外国語保持教室の運営のほか、刊行物の制作・販売を担当。日本人学校等の校舎建設募金の仕事もしたことがあり、ともかく、それ以来は「海外子女・帰国子女の教育」にどっぷりと浸かった仕事をしてきました。

海外勤務は、ジャカルタ日本人学校 事務長、クアラルンプール日本人学校 国際交流ディレクター、上海日本人学校 高等部開設準備室長/学校事業計画室長を3年ずつ(通算9年)。 また、啓明学園 国際教育センター長(3年)、順心広尾学園 校長補佐(7年)も歴任しました。「主たる給与」をいただく先が変わっても、仕事は同じなので “転職” ではありません (笑)。

他方、1997年以降、日本マレーシア協会 参事(文化担当)、ならびに フリーランスの異文化研修講師として、国内の企業や学校で異文化理解・国際交流の指導にあたってきたことが、よけい私の横顔を分かり難くしています。また東南アジア各地の日本人会や日本人学校などでの教育講演会のほか、北米の補習授業校などを教育相談等のために訪問。これまでに延べ 350回以上の講演をしています。
さらに 各種月刊詩などに署名記事を書きだしたのは、海外子女教育振興財団を辞めた後の1992年からです。『月刊 グローバル経営』などに載った記事・コラムは、 http://www.toshima.ne.jp/kyoiku/shigaku-koron.htm#L300 をご覧ください。『月刊 海外子女教育』には 2001年から署名記事を書いてきましたが、2023年8月号で引退しました。
多い時には、ボランティア活動も含め 7枚の名刺を持ってました(多羅尾伴内…いっぱいあってな…)。個人的な名刺には「国際教育相談員」と書いてますが、よけい正体不明と思われるかもしれませんね。(苦笑)

2003年から「グローバル化社会の教育研究会(EGS)」を組織し、事務局長をしています。「何らかの異文化的な背景をもつ子ども達が 安心して学校生活や学習に臨める社会の実現に向けて協働していくこと」を目指している実務者・実践者の会です。http://www.toshima.ne.jp/kyoiku/index.htm

※ こう はっきり書いていても、学校の先生だと思ってもらえなかったです(苦笑)。
 『世界の国ぐに』は ポプラ社の人気シーズ(国内の図書館には 必ず置いてある)。
 右は、朝日新聞アジア衛星版のテレビ番組表脇の広告(誰もが必ず見る場所!)。

マレーシアでは、水ロケットを作って遊んでいました。滑空して帰還する「スペースシャトル型」の水ロケットは、超ユニーク。是非ご覧ください。


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