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福田翁随想録(序)

 十数年前のことになる。師事していた方から「好きにしてよい」と、かなりの分量の原稿を託された。早速この随想を一冊の本にするべく、編集し、企画書をつくり、当時関わりがあった出版社数社に持ち込んだ。
 ところが、滋味深いが目新しさに欠けるとの見立てで、出版にはこぎつけなかった。
 その翌年、翁は八十四歳で亡くなった。遺稿は日の目を見ることなく、私の家の書棚の引き出しにしまい込まれたままになった。
 眠らせておくのは託された者として恥ずべきことと思い至り、このウェブサイトに少しずつ公開していくことにした次第である。

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 はじめに

 「生」「死」は、われわれにとって一大事である。
 私は今度数えで八十三歳になるが、もとより「生」「死」の極意を会得しているわけではない。 
 顧みれば波瀾に富んだものではなく、平凡な日常の積み重ねのうちにいつしか高齢に至った。こうしてペンを執りながら、しみじみと八十という年齢の重さを覚える。
 とはいっても、杉田玄白(1733~1817)は、『蘭学事始』を著した時は八十三歳であった。晩年老衰がひどくなり脱肛やおもらしをしていたけれども、患者の診察に当たったという。
 貝原益軒(1630~1714)も病気がちで、『養生訓』を書いたのは八十四歳であった。
 また佐藤一斎(1772~1859)が『言志四録』の最終録を起稿したのは八十歳からの二年間である。
 私はこれら先人に大いに励まされているが、益軒は「畏れ」を第一に挙げ、万事控えめを強調し、生きる上でのたしなみを教え、一斎はなぜ死ぬことにオドオドとするか、と一喝している。つまりは、「生」「死」の覚悟は、人各々がそれぞれに自ら持つべきであり、他から押しつけられたり、強制されたりする筋合いのものではない、ということになるのであろう。
 こうして心機一転すると、身にも心にも軽さを覚えるのではないか。

 いま出版界は深刻な不況のなかにあるが、それでも仏典や般若心経、漢籍の注釈、また先哲の人生談義などが盛んに出回っているのは、「生」「死」について探求する読者子の要望に応えんがためなのであろう。
「生」「老」「病」「死」などについて、なにかの参考になるかもしれないと、折に触れて考えていることをしたためてみた。

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福田常雄(ふくだ・つねお)
1917年(大正6年)、岩手県生まれ。早稲田大学高等師範部国漢科卒。東亜新報社天津支社勤務。戦後引揚げ、岩手日報社入社。岩手放送創立に参加、代表取締役専務などを歴任。
引退後は同社最高顧問を務める。退職後、老後の暮らし方を模索。様々な自らの体験や心得を講演や執筆にて発信。
著書に『私の人生街道』(未来社)、『今だから読む菜根譚』、『人生に定年なし』(PHP研究所)、『いかに生き、いかに死すべきか』(廣済堂出版)、『もっと楽に生きられる』(読売新聞社)など多数。

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