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福田翁随想録(41)

 難病奇病を克服して思う 

 いまは医者でさえ「西式健康法」を提唱した西勝造氏を知る人は稀となった。 
 一般には心臓はポンプの働きをしていて血液を全身くまなく行き渡らせているとされているが、西氏はこのようなポンプ説ではなく、タンク説を唱えている。
 水の四、五倍もの粘着性のある血液を、心臓の四分の一しかない左心室の収縮力だけで、全身の毛細血管五十一億本すべてにわずか十一秒で押し出しきるということは力学的に考えても、冠状動脈を通る血液のエネルギー計算からしても不可能なことだという。 
 末端神経が栄養を必要として毛細血管に働きかけ、血液を吸引させていると考えた方が循環のメカニズムを説明できるから、心臓はポンプではなくタンクだと捉えている。
「西式健康法」では朝食抜き、生水、生野菜摂取を鉄則としているが、私はこれを実践して顔にできたイボと極度の腰痛を全治させた経験を持つ。
 当初私は「西式健康法」なるものに興味を持っていなかった。
 岩手日報から岩手放送に転じた当時、岩手農蚕は有力なスポーンサーのひとつだったので松田覚太社長とは昵懇の間柄だった。
 松田氏は七十歳を越していたが、天狗のような鉄板張りの下駄を愛用し、豪放磊落、ものに拘らない人だった。「西式健康法」の岩手県支部長も務められていて、毎月行われていた幹部の常盤会に出席できなくなった時はいつしか私が代理で市ヶ谷の西健康会館に顔を出すようになっていた。
 その頃私は口の周り一帯に粟粒状にイボができ、どうすることもできずにいた。ある時無理にニキビを潰すように一粒抜き取ろうとしたらイボが竹ぼうきのように皮膚に深く刺さりこみ、出血して止まらないことがあった。
 五年も悩んだある日「皮膚がんになるよ」と医者に脅され、それまでお義理で出ていた常盤会を思い出し西勝造氏に相談したところ「朝飯を止めて、生水を飲みなさい」と事もなげなご託宣である。
 そんなバカなと疑いながらも続けていると、なんと奇妙奇天烈なことにあれほど悩ませられていたイボが嘘のように顔面から消えていった。
 朝食抜きは楽なようだが、夕食を早く済ました日には十八時間以上胃袋は空のままだ。空腹は四十歳前の働き盛りには実に辛かった。しかしこの空腹責めが生体に大きな変化を与えたらしい。サジを投げていた医者は「ウイルスが原因なので治療法はなさそうです」と呟いていたが、本当に生水責めでウイルスは退散したのかもしれない。
 元首相の池田勇人は、イボではなく顔が湿性でただれる症状があった。これが四国八十八か寺をお遍路したら全治したということを後で知った。まだまだ近代医療ではお手上げの難病奇病が多くあるものだ。 
 その後私のひどい腰痛も入院していた病院を抜け出し、かわりに頼った西式の断食で一ヵ月で快癒した。隣に入院していた患者は治療率六割という開腹手術を受け、脊椎から米粒大の軟骨を摘出したそうだが、お見舞いに行くと泣かんばかりの激痛の手術を大層悔やんでいた。
 私を担当した医者とたまたま出会ったので快癒の報告をしたところ「治る時には治るもんだよ」といささかも私の本復に関心を示さなかった。あれほど慢性だから治らないと宣言していたのを忘れたかのような口ぶりだった。
 大学で修めた西洋医学療法に拘らず、どうして治癒したのか探求心を抱くのが科学者としても医者としても必要な資質ではないだろうか。
 私の経験した病歴はいろいろなものに発表しているので今も時々問い合わせがある。治療法を教えてくれと聞かれるが、私は丁寧に説明してお断りしている。
 腰痛と言っても、物理的衝撃、脊椎異常、あるいは神経圧迫とか原因はいろいろ違うから「一発で治してくれる名医がいる」などという類の軽々しい親切案内はしないことにしている。
 西式健康法の盲信者のなかには、医療技術を信じないで病気を篤くして死期を早めた人もいるから、時と場合によっては早めに専門医の診療を受けるべきだろう。
 とにかく私は松田氏とのご縁で難病奇病を治療費もかけず完治させることができて有難かった。翁も米寿近くなると年齢には勝てず入院された。意識はしっかりしていて、自分の死期が迫ったのを知るや周囲の反対を押し切って退院し、西式の断食に入り、亡くなる前日まで日記をつけられていたそうである。
 私もこの最期にあやかりたいと密かに念じている。

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