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かごしま県知事選:僕が伊藤祐一郎さんを応援する理由と向き合っている問い

6月25日から17日間の県知事選がはじまった。投票日は7月12日(日)。今回はコロナ禍における“非常時の鹿児島”の4年間を左右する大事な選挙だけに、僕のタイムラインでもたくさんの人がこの知事選について投稿している。

僕と政治との出逢い

「自分にとって政治とは何だろう?」
最近そんな問いについて考える機会が多い。覚えているかぎり、僕と政治との出逢いは大学3年か4年の、京都で過ごしていた時のこと。そのころ漠然と「世界をよくしたい」と思い行動していた僕に、「それならば政治について知りなさい」と教えてくれた先輩がいた。

当時、一人ひとりの「個人」に対していかに働きかけるかという視点しか持っていなかった僕は、その個人が生きるベースとしての「社会」があり、その社会を形づくるひとつの仕組みとして「政治」があるということを初めて知ったように思う(ざっくり)。

それから京都のある政治家のもとで後援会の学生部代表として活動したり、最後にはその先輩が出馬するというので、選挙秘書までやった。本当にいろんなことがあって人間不信になりかけながら、口内炎が10個以上できるほどにボロボロになりながらやったのも今ではいい思い出。

その頃、今でも心から尊敬しているある人に「野崎くん、政治というのは“民のかまど”なんだよ」と言われたことがあって、そのときのことは今でもはっきりと覚えている。調べてみると、仁徳天皇にまつわる逸話らしい。

高台から国を望んだとき、まちの家々にあかりが灯り、かまどから煙がもくもくと上がっている、それこそが政治の役割なのだと。つまりは普段は誰も意識もしないぐらい当たり前の、でも大切なことを支えるのが政治なのだと、僕はそれから思うようになった。

続けてきた自分なりの政治活動

秘書を経験してからは正直もう2度と“いわゆる政治”には直接関わりたくないと思ったのも事実。けれどそのあと縁あって、東日本大震災の復興支援事業や、社会起業家と言われる人たちの支援事業に携わらせていただいたのは、自分なりの政治活動だったかもしれないと、今では思う。

鹿児島に帰ってきて、もうすぐ丸5年。それこそ大学生の頃からやっている対話の場づくり=ファシリテーターをお仕事として続けさせていただいてきたけれど、よく考えるとそれも「民主主義」の新しい形を模索する取り組みなのかもしれない。

特にこの3年は仲間たちと、セクターや分野の垣根を超えた対話の場から鹿児島の未来を創発するという、草の根の活動を続けてきた。これもある意味では僕たちなりの政治活動であり、逆に言えば、“いわゆる政治”に対する絶望感から、そのオルタナティブとして、「自分たちで地域社会の未来を創るのだ」というエネルギーの表出だったのだと思う。

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コロナによって突きつけられたこと

そこへやってきたのがこのコロナ。先の仁徳天皇の言葉を借りるならば、「民のかまど」が危ないということではないか。これを書いている僕も決して他人事ではなく、先のことを思うと正直心配ごとが絶えない。

僕自身このコロナによって気づかされたのは、“非常時”においては、“いわゆる政治”が果たすべき役割がとても大きいということ。そして、今回の県知事選で突きつけられたのは、“いわゆる政治”に対して僕はなにもしてこなかったということ。

今は伊藤さんしか居ないと思うわけ

僕は今回の立候補者の顔ぶれを見て、このタイミングの鹿児島を預けられるのは「いとう祐一郎」さんしかいないと思う。それは、この4年に限っては、勉強期間を待てるほど悠長なことは言っていられないから。就任直後から全力で公務にあたれる熟練のスペシャリストが求めれる。

伊藤さんはもともと政治家になりたいと思ったことは一度もなかったらしい。それが、約16年前に財政再建団体寸前になっていた鹿児島県を救ってほしい、お前も故郷に恩義があるだろうと声がかかり突如知事選へ出馬。そこから451億円の立て直しをした実績がある。

ここ最近で何度か直接お話をさせていただく機会があったけれど、どの市町村のことについてもその特徴や課題について、そしてそれぞれの首長の人となりまで把握されていて、まさに「地方行政のスーパーコンピューター」と言われるゆえん。

誰よりも早くマニュフェストを出しかつ具体的なのは、財源まで含めて見えていて就任後のロードマップが描けているから。それでもなお、伊藤さんでさえ「それでうまくいくかわからない」と言っている。

見えてきた民主主義というカベ

ただ、このままいくと伊藤さんの当選は難しいかもしれない。それは、みんなメディアを通した伊藤さんのイメージから「何となく偉そうでイヤ」で、「何となく若い人や新しい人の方が良さそう」と思ってしまうから。僕も正直伊藤さんとのご縁がなければ、他の人に入れていたかもしれない。

僕たちはいま民主主義の限界にぶち当たっているのではないか。

もし自分の会社の経営を、この危機の最中に任せるならば、「若いから」「女性だから」という理由だけで、実力を考えずに選ぶことは決してしない。でもなぜか政治のことになると、僕たちは正常な判断ができなくなる傾向がある(伊藤さんを応援する僕が正しいと言いたいわけではなく)。

そして、もっと重要なことには、これは日本が和を大切にする文化だからか、政治的な意志を表明したり議論することを嫌う傾向があるように思う。狭い地域社会においては、それがなおさら。実際、僕も今これを書きながらかなりヒリヒリしてる。

けれど、そこを乗り越えていかなければ(思考停止にならずに考え抜き、意志を表現していかなければ)、「民意」は形成されていかない。結果としてだれも望まないリーダーが現れ、望まない未来が創られていってしまう。

問われているのは「僕はどう社会に関わるのか」ということ

ちなみに僕は「伊藤さんが知事になったらすべてうまくいく」とは微塵も思っていない。現実としてこの複雑になりすぎた世界のことを一人の人間が把握することなど不可能だと思うから。ましてや伊藤さんはもう70代。本人も1期だけならと、ご老体にムチ打ち隠居の身から出てきてくださっている(めちゃくちゃお元気だけど)。

なので、僕らは僕らとして、自分たちなりの草の根からの政治活動を続けていく。知事からのトップダウンの動きとと共に、草の根からのボトムアップの動き。その両方の協働と共創があってはじめてこの危機を乗り越え、鹿児島からこれからの時代の地域のあり方を発信できる可能性が出てくるのではないか。

そして、4年後にある次の選挙には、必ず僕たちの世代から候補者を出したい。今回には間に合わなかったけれど、伊藤さん世代に安心して引き継いでいただけるように。そのためにも、みんなで大いに議論を交わしながら、今回の選挙をよりよい機会へとしていきたい。

※紹介記事

今回の選挙、心から信頼し尊敬する友人たちがこぞって伊藤さんを応援しています。何人かはnoteにも記事を書いているので、紹介させてください↓


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