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継続するコツ 第9回 継続したくなる環境

 原稿を書こうとしていたのですが、高校2年生の男の子から一人で育ててくれたお父さんが突然死んでしまって、それで生活するお金がないので助けて欲しいといういのっちの電話がかかってきたので、こうなると、僕の場合は、さっと仕事を止めて、そっちに集中してしまいます。ま、それでいいんです。仕事なんてどうでもいいのですから。本当に大事なことは困った人を助けるってことです。これが僕の考え、というのか自然な動きです。自然なまま動かすと、体は本領を発揮します。だから、それでいいんです。お金がないのなら、僕の口座にはたくさんお金が入っているので、それを払えばいいんです。ですが、僕の場合は、口座は全て妻が管理してますので、妻に振り込んでおいてと言えばいいのですが、困った人を助けることが自然なのは僕だけでして、もちろん、妻も気持ちとしてはそうなんでしょうが、それで僕がお金をばら撒いてしまったら、自分たちにも二人の子供がいますから、彼女は二の足をふむんですね。それもそれで自然なことです。ということで、自然な動きをしていてもこのように他者が絡んでくると、混乱してくるんですね。でも、どうにか高校生にお金を振り込みたい。さて、どうするか。

 方法はいくつか考えられます。

 まず第一に僕が持っているお金を振り込む。こうすれば一番早いですが、妻がいますので、彼女との問題が起きます。とりあえずやめておきましょう。とにかく問題が発生すると継続することができません。いのっちの電話は10年以上続いていて、なおかつ僕は死ぬまでやり遂げてみようと死ぬまでの継続を決めているわけです。ということで、問題はできるだけ減らしていきたいところです。家族との問題も、社会的な問題として発露はしませんが、それも僕の中では重要な問題です。僕にとっては家族の問題と社会の問題には境目はありません。どちらんも同じくらい重要なものとして捉えてます。だって、毎日一緒にいるんですから。彼らが変な気持ちになってはいのっちの電話を継続することはできません。なんてったって、いのっちの電話はお金を全く産まないということになってます。お金は誰からももらいません。むしろ持ち出すことの方が多いです。これまでも僕は何回かこれをやっているんですね。持っているお金を平気でどんどん振り込んじゃいます。僕は人が助かればそれでいい、と平気に思っているところがありますので、僕は電話の相手の正確な住所とか名前とか聞かずに平気に振り込んでしまいます。それでいいんです。嘘なら嘘でいいじゃないですか。僕を騙せるもんなら騙してください、僕はそれくらい馬鹿みたいに人を信用してます。だから騙されたことが一度もありません。というか騙されて困ったことが一度もないってことです。困らなければ詳しく調べませんから。それで振り込んだ相手が安心できたといって連絡が来なくなれば、僕としては助かったんだ、よかったということになります。それくらい単純に考えてます。しかし、家族はそうはいきません。ということで、納得させていく必要があるんです。これまでは勝手に振り込んできましたが、これだと税務的にも色々問題が発生するんですね。そんなわけで、ただお金を振り込むという方法では継続することができない、ということが経験していく上で見えてきました。

 もう一つの方法としては、僕は絵を描いているのですが、これが一枚165000円で売れるわけです。それなりに早く売れちゃう。ということで、この絵を売って、それでお金を作って、それを全額高校生に振り込んでもいいのではないか、とも考えました。これだと問題はなさそうです。妻にも怒られなさそうです。そうだ、じゃあこの方法でやろう、高校生にいくら欲しいのかと聞くと、十万円ひとまず欲しいと言っていたので、いつもより安く10万円で売れば、すぐに売れるし、そのまま彼に振り込めると思ったんです。

 で、それをやろうと思ったんですけど、それでいいんですけど、今度は、彼のことを考えてみたんですね。高校生のことを。

 彼は親が突然死してしまい、大学にもいけなくなったかもしれないと、なってました。ということは高校を卒業したら、就職ってことになります。というか、みんなすぐに就職って話になります。どうやって稼ぐかを知らないからです。知らないもんだから、手っ取り早くお金が稼げる方法ってことで、誰かが起こした会社で働くというわけです。しかし、一体、それでいいのか、自分でどうやってお金を稼ぐことができるかってことを試さないで、そのまま働けばいいのか、これはいつも僕が考え、発言していることです。僕が継続的に言っていることです。彼の継続について考えると、ただお金を渡して、はい、それで終わり、とすればいいのだろうか、確かに、今すぐ必要なんです。お金は。だから、時間をかけるわけにはいかない、しかし、僕がそのままお金をあげていいのだろうか、それで彼はどうするのか、と僕はついつい彼の継続について考えてしまったので、と言っても、この状態になるまでに電話がかかってから、まだ5分ですけど、僕はいつもどうすれば継続できるのか、もっと継続するにはどうすればいいんだろうかと考え続けてますので、早いんです。それで、僕がただ助けるだけじゃダメだ、こういう時に使う言葉かは分かりませんが、面白くない、と思いました。面白くない時は、うまくいかない時ですので、絵をただ売るんじゃダメだ、と。で、僕は元々寄付みたいなことはどうも面白くないんですね。ただお金をもらうのは面白くない。彼の継続、彼はこの後も仕事をしていなくちゃいけませんので、じゃあ、彼に仕事をしてもらおう、彼が自分でできることを、僕が代わりに売ってみるのはどうか、と考えました。

 で、彼に、絵を描いたりしたことはないか聞きました。ない、と即答です。でも、と彼は言いました。小説や詩を読むのが好きです、と言ったのです。

 それなら、詩を書いて、と僕は言いました。今、頭にあるものをそのまま書いて、と伝えました。で、彼は30分以内に写真を撮って、紙に書いた詩を送ってきたんです。

 それを僕は自分のネットショップで販売することにしました。というか、今も販売中なのですが、一枚五千円で売りました。あとは買ってくれた人数分、その詩を紙に書いて、あなたが自分で郵送しなさいと伝えました。今、10枚売れました。だから5万円です。もうここで稼いでいるという結果が見えたので、もう僕は自分の口座から即日で振り込むことができます。妻も納得してました。こうすると、僕の口座も安定したままなので継続できます。僕の絵を、寄付のために売るということをせずに済んだので、僕の絵の状態もそのままです。妻の精神状態も落ち着いたままです。振り込む時に不安を感じず、彼のことを心配しながら振り込むことができるでしょう。僕と妻の関係も良好なまま継続することができます。かつ、五万円が即日で振り込めるので、彼自身の生活も継続できます。さらに、彼は自分で、詩を書いて売るという、自分で考えて自分で作って自分で売ってお金を稼ぐという経験をしたわけです。これはとても素晴らしいことです。たとえ一回だけであっても、今後、そのままの仕事はしないにせよ、それでも自分の作品を売る、という経験は体に染み込んでいくんです。これは自分で経験してきたことなので、よく分かります。

 

 こんなふうに、僕は自分の一つの行動ごとに、どうすれば継続できるかってことを考えてます。

 なぜなら、僕は自然なままに体を動かすからです。動いてしまうからです。それは自然です。自然だから、当たり前ですがとても自然なのですが、あまりにも自然なので、速度も早く、実現力も高いのですが、自然すぎるとまわりとの問題が起きやすいということもあります。まわりの人は自然じゃないことが多いからです。人が困っているんだから、助けるのは当然だろうと強めの言葉で言っても、伝わらないんです。人はそれぞれ自分の人生みたいなものがありますから、まずはそのことを第一に考えるんですね。それもまあ自然ですね。その人なりの自然ってことですね。僕には自然と思えないことでもその人にとっては自然なんでしょうね。だから、色々と納得、説得させながら進ませていくしかありません。しかし、説得とかさせるのは面白くないんですね。自然な流れと反してますので、スピードが一気に落ちちゃうんです。こうすると、どんどん好きに行動するみたいなことがしにくくなっていきます。そうなると継続ができなくなるんです。お金にならないいのっちの電話とか、なかなか難しいんです。初めは人助けのためと思って、いいジャン、と思うじゃないですか、でも、お金が足りなくなってきたりすると、一気に冷めてきます。人を助けるどころじゃなくなるんですね。だからボランティアみたいな行為はほとんど長続きしません。結局身を削っていくとうまくいかないんですね。身を削らないとうまくいきます。

 継続するためには身を削らないことです。

 楽しけりゃなんでもいいと言ってみたいところですが、楽しいだけではだめで、自分が楽しいのは必ず大事なところですが、周りから文句を言われない状況を作るってことがさらに大事です。別に周りまで楽しませなくてもいいんです。それぞれ人は自分で楽しんでいくもんですから。人を楽しませなくてもいいんです。人から文句を言われなきゃいいんです。つまり、人が嫌がることはゴリ押ししてやり続けちゃいかんのですね。それでもいいんですが、そういう行為は決して長続きできないんです。本当にこれは経験を通じて味わってきたので真理だと思います。自分が楽しいだけじゃダメなんです。でも自分は楽しくないと続かないんです。自分が楽しい、かつ、人が嫌な気持ちにならない。これがいのっちの電話をやる上で、僕がいつも心がけてきたことです。もちろんたくさん失敗もしているんですがね。。。


 いのっちの電話を10年以上も継続しているんですが、正直、僕は疲れてないと思うんですよ。だからこれも何かコツみたいなものがあるのかもしれない。ということで考えてみましょう。いのっちの電話をはじめたのが2011年ですから、もう丸10年超えています。やってきたことは毎日365日24時間死にたい人からの電話に出るってことです。実際は365日24時間は出ていないのですが、僕が普段使っている携帯電話でそのままやっているので、一応、365日24時間出れる状態ではあるってことです。眠い時は寝てますし、僕は鬱にもなるので、鬱の時は、電話にでても、多分僕の方が今死にそうなんで勘弁してくれ、というか、僕の応援をしてくれ、と言っちゃいます。僕は、自分が面白いと思える環境でないと、動きが鈍くなるというか、とにかくすぐ嫌になっちゃうんですね。僕は徹底的にわがままな人だと思います。でも自分が心地よいと思える環境にいる限りは、365日24時間お金にならないのに電話に出続けることができるんですから、それでいいじゃないですか。というわけで、まずはいのっちの電話においても、いつものように、自分が得意な方法を知ることから始めるんですね。

 

 まず僕が得意なのは、電話に出ることです。何と比べるかというと、実際に会うってことです。僕は人に会うことを全く好んでいません。もちろん親しい友人とは会いたいです。僕が会いたいと思う人には会いたいんですね。でも誰か知らない人から会いたいと言われても、全く心が動かないんです。それは無名な人だけでなく、たとえ有名人みたいな人だろうとそうです。僕は関心がない人には全く会いたくないんですね。僕はよく会いたいと思われる方から電話がかかってもくるんです。電話番号を公開しちゃっているので、そういうことが起きるんですね。ですが、毎回丁重にお断りしてます。そんなに仲良くない人と会うと、すぐ疲れるんですね。そこそこ仲が良いというような人にすら僕は会う必要はないんです。とにかく親しい人だけでいい。新しく知り合いを増やしたいみたいな感覚が全くないんですね。もちろん、僕が会いたいと思った人には会いにいくんです。それで十分なんですね。僕の場合は、外からのけしかけみたいなものが全く必要ないんです。僕が会いたい人と会うだけでいいんです。時々、この人に会った方がいい、とかおせっかいしてくれて、僕とその人とで会う機会を作ってくれたりする友人もいるんですけど、それも全く不要なんで、友人だろうとそこは断っちゃいます。なかなか断り難い場合もあるんですけど、そこはよくできてまして、気が乗らないのに会う機会を作らされたりすると、簡単に鬱になるんですね。もちろんわざとじゃないんですよ。鬱は便利だと思って活用しているわけじゃないんです。でも必ず鬱になっちゃうんです。だから、どう転んでもやりたくないことはやらないようになっているんです。ほんとうざいですよね。うざいなとは思いますが、それでいいんです。やりたくないことを無理やりやらされると僕の場合は鬱になるんです。だから、ほっといてくれたら最高なんです。ほとんどの人が僕とは関係ない人なんですから。会いたくはないんです。人類愛とは僕にはありません。僕は電話をするのが好きなだけです。電話であれば、どんな人からでも声を聞けるんです。僕は多分人間の体と思っていないんだと思います。僕の目的は声を聞くってことだけです。声を聞いているだけで、声で発している話の内容は聞いてません。僕、愛情でやっているんじゃ多分ないんですよね。人間に興味がなく、声には興味がある人なんです。話の内容にもほとんど関心がなくて、僕が見ているのは声の質感なんですね。高いとか低いとか、もちろんそれだけじゃないんですけど、声の質なんですね。声の質が低下している時は、どのひとも同じような話の内容になってます。僕が感じているのは、悩みの内容はもうほとんど関係ないんですね。声の調子によって悩む内容が変わってくるんです。同じ人間であっても。だから、悩みの内容自体はほとんど信用にならないんですね。この人が死ぬか死なないかは声の調子で分かります。もちろん、これは僕の経験ですから、正確かどうかは分かりません。でも、電話したあとに自殺された方がいれば、そのあと、刑事から電話がかかってくるんですが、なぜそれを知っているかというと、実際に一度だけ電話がかかってきたからなのですが、ということで、それ以外のもう3万件は出てきたと思うのですが、その一件以外は誰も死ななかった可能性が高いということです。その刑事によればですけど。

 ということで、とにかく僕は何万人と会っているわけじゃなくて、何万の声を聞いているだけです。そして声を聞く限りにおいては、僕は疲れないらしいです。理由は人間と思っていないからです。声ですので、音楽だと思ってます。音楽は大好きなんですね。僕は大好きなことなら、どんだけやっても疲れないんです。もちろん疲れない方法を継続すればってことですが。

 で、僕は電話で相談を聞きながら、仕事をすることができます。原稿も書けます。絵も描けるんですね。元々、僕は自分の仕事だ、これが俺だ、原稿を書いている時こそが俺の時間だ、みたいな感覚がないんですね。みんなにもないかもしれませんが。つまり、原稿を書くことも、絵を描くことも、そんなにむちゃくちゃ集中しているってわけじゃないんですね。片手間というと、あれですが、はっきり言うと、片手間でやっているんです。もっというと、片手間の方がうまくいくんですね。僕の場合は受験のために部活もやめ、友人とも遊ばなくなったりしても全くうまくいかないんです。これは高校生の時からです。受験で盛り上がるためには、部活もやり、僕は部活はつまらなくてやめましたので、バンド活動でしたが、そして、彼女とも好きに遊んでいた方が、どんどん勉強もできるんです。勉強も片手間が一番だったってことです。原稿を書きながら、電話をして、人助けが必要な時は仕事を中断しても夢中になって人助けをして、終わったら絵を描きながら、また電話がきたら出る、みたいなやり方が一番効率がいいんです。どんどん進みます。仕事の質を問うことは全くしてませんので、僕は声の質を観察することに夢中になってますので、仕事の質はもはやどうでもいいんですね。なんとかやれてたらそれで百点なんです。もちろん、電話に出続けて仕事がおろそかになってしまっては妻に怒られますから継続できませんが、かと言って仕事って集中したからうまくいくとかにはならないんですよ。絵とかも、力が入って、いい絵は一枚も描けません。よそに目がいかずに、そのものだけをみていても、いい作品は作れないんですね。できるかもしれませんが、重くなって僕の場合は逆にうまくいかないんですね。だから、仕上げたい作品があるからといって、この日は朝からアトリエに籠るから、何かあっても入ってきたりしないでくれ、休日だけど、子供は妻、君に任せるみたいなことをすると、逆にうまくいかないんですね。だから、僕は仕事をしながら電話に出ます。ですが、逆に考えると、電話に出てるのに、パソコンで文字を打ち込んでいたり、絵を描いていたりするので、時々、話を聞いているのかと電話相談してきた人から怒られることもあります。僕としては慣れているので、全然聞いているので、そう伝えます。ほとんどそれ以上に怒られることはありません。元々、話を無料で聞く場所もないですしね、仕事をしながらだろうが、聞いてもらえるだけありがたいと思ってくれているのかもしれませんが、僕としては、仕事をしながら電話に出たほうが、僕にとってはやりやすいのでそうやってます。時間がないから、全部一緒くたにしてます、というわけではありません。僕としてはいつも、自分はこうだったら、どんどんいい仕事ができるって方法をとにかく、得意な方法ですね、それをやっているつもりです。だから仕事が進まないということもありません。その逆になんです。仕事もどんどん進むんです。電話に出まくっている時のほうが仕事が進むんです。変な話かもしれないですけど、ながら作業の方がうまく進むタイプの人間ってのがいるのかもしれません。

 というわけで、電話に出ることで、365日24時間出るって言ってますので、仕事をしている時は必ず電話に出てるんですが、これは僕にとっては必ず仕事がうまく進むための方法ってことでもあるんです。意味がわからないとおっしゃるかもしれませんが、そういう体の動きなんですね。僕は嫌なんです、仕事に真剣になるばかりに、家庭をほっといているみたいな、感じの人が、仕事ばかりに夢中になって、家の掃除もしない、みたいな感じが、どうも苦手で、それだと周りの人が楽しくないじゃないですか。それで色々うまくいくはずないんですよね。だから、とにかく仕事は二の次、ってのがポイントですね。逆にどんどん進むんです。そりゃ名作が生まれるわけじゃないかもしれませんよ。でも仕事は終わるんです。仕事が終われば次の仕事が始まる。死ぬ前に一度くらい名作ができればいいな、くらいのノリでどんどん次の作品を作ってますが、それもこの電話のおかげかもしれません。それくらい作品作りに集中はできません。それなのに、仕事はどんどん進むんです。こうすることで、自分の作品というものにどんどん執着しないで済むようになったのかもしれません。


 とか言っている間に、もうすでに17作品売れましたので、もう85000円を高校生に振り込むことができるんです。彼もむちゃくちゃ喜んでました。父親が死んで落ち込んでいたので、笑ってくれるだけでも嬉しいものです。この彼を信じて今日中に10万円振り込んでおくように今妻にメールしておきました。入金もあるので、きっと僕も妻に怒られないでしょう。

 

 電話に出れば出るほど、仕事が進むので、電話をやめる理由がそもそもないんです。電話に出るってことで、恒常的に忙しさを作り出しているような感じですね。僕は元々予定が全くないので、人に会う予定もほとんどありません。だから電話に出続けることができるんですが、電話に出れば出るほど仕事が進みますし、電話にでて、声を聞く、この声ってのがもう3万件以上僕の頭にストックされているのですが、これはこれで膨大なデーターベースみたいになってまして、しかも、誰にも言えない悩みを僕に話しているわけで、多くの人が正直な声を出しているですね。それが僕の頭の中に入っているのですが、これは僕の中では読書をするよりも何百倍もニュースを見るよりも何千倍もリアルな今の声、社会の状況、人間の心を映し出しているんですね。そういう意味ではこれはフィールドワークをしていると言っても過言ではないかもしれません。本来なら、お金を払ってでも手に入れたい情報なのかもしれません。もちろん、僕はそのデーターベースを使って何かをするとかはありませんが、無意識レベルで、ありえない数の読書をし続けているような状態なのではないでしょうか。だから、これはお金を生み出さない仕事では元々ないんですね。お金を払ったとしても手に入れることができない貴重な声に僕は毎日触れているんです。僕はお金を払うべきだとすら思うくらいです。だから、お金がない人にはお金をできるだけ払おうと思っているくらいです。ここでの僕の仕事が、おそらく本の執筆、絵の制作、音楽制作、ありとあらゆる僕の表現の隅々に染み渡っているんだと思います。直接的に何か使うことはないが、僕としては生きる上での毎日のエクササイズとして、人々の正直な声を聞き続けているつもりです。助けられるとも思っていませんが、それでもなんとかしたいとはいつも思ってます。誰からも見られていませんので、隠れてなんでもできます。しかし、その一人の人と向き合う、という行為は、とんでもなく個別的な一つのケースなのですが、僕の経験ではその一人の固有のケースにそのまま向き合うということこそが、普遍的な方法を導き出すんです。それを知っているので、とにかくとことん、一人に付き合います。もちろん時には怒っちゃう時とかもあります。でもそれも僕の正直な反応なので、仕方がないんです。文句も言われているかもしれません。それでもいいんです。僕は嘘つかずにとことんやってみているつもりです。おかげで生き延びた、と電話がかかってくることも稀ではありません。それ以上に嬉しいことってありますか。本当にこの声を聞くと、嬉しいんです。もちろん声の質も変わってます。僕はとにかく声の研究をしている研究者なのかもしれません。研究者にとっては毎日声が聞けるというのは研究する上でこの上なく幸福なことではないか。人の不幸を喜んでいるつもりはありません。そんな精神では3ヶ月ももたないでしょう。そうです。継続は、とにかく嘘を全部蹴散らしてくれます。嘘だろうとなんだろうといいのです。どうせ嘘は続かないんですから。10年くらいじゃまだまだでしょう。僕は死ぬまでやるんです。あと50年はやるんです。50年くらいやったら、僕の言っていることも嘘ではなくなるかもしれません。しかも、継続していくことに少しも気が遠くなっていません。とことんやってみたいと思ってます。しかも力入ってません。適当にやるだけです。他の仕事と同じです。カツカツで働いていいことがありません。

 どうしたら継続できるのか、みたいな問いがむちゃくちゃになってきているかもしれません。

 それくらい、僕にとっていのっちの電話は、なんでやり続けることができるのか、ということではなく、なんでみんなもやらないんだ、その意味がわかない、というところにまでいっちゃっているからです。ここまで行くと、10年は余裕で継続できます。だって、継続したいんですから。継続は義務では不可能です。継続はやりたくないとできないんです。

 といいつつ、この原稿は今日、高校生を助けるために、色々動いてまして、その空いている時間の暇潰しに書いていたので、でも20枚以上書いちゃっているのですが、それで、ちゃんと高校生にお金が渡せそうで、今回は僕の懐からも出ることはなさそうで、そうすると、妻が怒らなそうなので、あ、また継続できる!嬉しい!と思った一日でした。

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