見出し画像

お金の学校 (11) 卒業式 祝辞 たかちゃんへの返礼

 みなさん、卒業おめでとうございます。

 たった10日間のお金の学校でした。いかがでしたか?僕はとても楽しかったです。僕は教壇に立って、教えるのは全く好きではありません。だからこんなふうにして手紙による学校をやってみました。僕にとってはとても楽でした。どんどん僕の好きにできるような気がしました。はい、流れてますね。そうです。僕は自分がこれまで得てきたことをどうにかしてみんなに伝えたいものだと思ってました。だから何度も学校を始めようとしたものです。でも教壇に立つのは嫌いですし、現行の学校も大嫌いです。なんで、あんな枠にはめるようなことばかりするのか。そもそもなぜ先生が命令するのか、注意するのか。僕は注意されることが大嫌いです。僕も舐めて生きてはいません。僕なりに考えて行動しているんです。だから大人がさも自分が知っているような感じで注意されるのが本当に大嫌いでした。だから僕は注意したくありません。むしろ、人に禁止することを自ら禁止してます。なぜならそっちの方が流れるって知っているからです。
 その人が流れたら、その人が楽しくなります。誰かが楽しくなるのを止めたくありません。誰かがうまくいってたら、どんどん褒めてあげてください。もちろん嫉妬だってしていいんです。嫉妬も自然な感情です。でも、嫉妬してるなら、素直に口にしてみましょう。嫉妬してるのに、ダンマリを決め込んでいると、むすっとしてしまいます。相手はなんでむすっとしているのかわかりません。だから恥ずかしいかもしれませんが、嫉妬してたら、今、すごく嫉妬してるって口に出してみましょう。そして、その後にその人が楽しんでいることを祝ってあげましょう。きっとあなたも楽しくなりますし、その人のおかげです、そして、その人も実はさ、悩みがあってさみたいな感じで心を開いてくれると思いますよ。そんなふうにして、流れていることを、祝いましょう。流れに境界線はありません。全て水です。あなたのところにまで流れは到達するでしょうし、あなたを通過して、また別の誰かのところへ、もちろん、人間だけではありません。植物や動物たちにまで流れていくでしょう。感情もまた流れていくものとして捉えてみてください。それはあなたのものではないのかもしれませんよ。嫉妬ですらあなたの感情ではないのかもしれないのです。流れてますね。そう感じたら、どんな悪いと思っている感情だって、流してみてください。変に枠にはめないでください。あなたの個人的な嫌な感情なんだと決めつけないでください。感情だって我が子みたいに接してあげてください。自由に遊ばせてあげてください。きっと、健やかに育ってくれますよ。
 というわけで、僕はいつも好き勝手にやらせてもらってます。僕は自分が仕事をする時に自分のやりたいことを伝えます。たとえばこのように人前に立って講演をするって時に、まずは、内容はきっちり決めると窮屈になって、流れなくなるので、何にも決めないでいいですか?と。タイトルは適当につけるのが得意なので、中身と関係がないかもしれませんが、それでもなんだか楽しくなるようなものをつけることができます。と。こうしていいですか?と自分の要求を伝えた後は、自分にはこんなことができます、とも伝えてあげるんです。そうすると相手はきっと理解してくれます。だって、誰もが流れるように事が運んで欲しいのです。
 全ての人が経済を常に求めているってことです。全ての人が楽しいことが好きなんです。
 だから自分だけの要求を通せと言っているのではないんですよ。こうした方がきっとあなたも楽しくなるはずと伝えてみてください。僕は躁鬱病でしたから、当日の体調が悪くなる可能性もあるんです。だからといって講演を一切しないのも寂しいものがあります。頼んでくれる人もそれは心配。でも、だからといって、絶対に大丈夫です、体調を整えてきますから!と言うのではなく、僕は体調が悪い時は、一切講演で話すことができませんと正直に伝えます。でも、その代わり、僕は歌おうと思ってますとも伝えます。歌って不思議です。歌はその日の体調でもちろん歌い方が変わりますが、詩とメロディは一応、決まってますので、鬱の時でも頭を動かさないで済むんですね。だから鬱の時は、一切トークをせずに、講演と言うよりも、ライブに変更します、と伝えます。主催者はむしろ、そっちの方がいいかもなんて笑ってくれます。おかげで、僕は自分の病気を理由に断ったりしないで済むようになったんです。
 でも昔は違ってました。まだ躁鬱病だとわかっていない時は、なんで、自分が調子良かったり、突然、寂しい気持ちになって悲しくなって、何を話せばいいのかわからなくなったり、まわりとどんどんすれ違って、なんだか自分だけ一人取り残されたような気分になるかわかっていませんでした。だから大変でした。しかも躁鬱病というものは遺伝子の関わりが強い病気である可能性が高く、つまりは、僕は幼少の時から、このような寂しい感じ、取り残されたような感覚に時々襲われていたんですね。
 というわけで、卒業式の今日、僕は一番最初の記憶に近いことを話そうと思います。
 それは4歳くらいのことだったと記憶しています。でもこの記憶は定かではありません。それくらい僕の記憶は濃淡の差が激しく、覚えていることはどこまでも覚えていますが、覚えていないことはどこまでもぼんやりとしています。一定ではなく、常に揺らいでいるんですね。それは4歳の時からそうでした。僕の気分自体が常に揺らいでいました。今考えるとそれは躁鬱病である僕の体質であるところが大きかったんだと思えます。ところが、その当時はそんなこと知りもしませんでしたし、両親に自分の違和感を説明することすらできませんでした。これは僕だけの状態なのかどうかもわかりませんでしたが、もしもみんながそうだったら、どうしてみんなは腹を抱えて笑ったりできるのか意味がわかりませんでした。それくらい強い不安があったんです。僕は常に不安を抱えていました。しかも、それは理由のないものでした。現実では何も起きていないんです。嫌なことがあったわけでもないんです。それは根本的な不安でした。つまり、僕はなんでここで生きているのかわからなかったんです。
 4歳のまわりの子供たちはそうじゃないように見えてました。僕は福岡の団地で育ってました。だから同い年くらいの子供たちがわんさかいたんですね。みんな屈託のない笑顔を浮かべて、何が楽しいのか腹を抱えて笑ってました。テレビがあれば夢中で見て、漫画があれば夢中で読んでました。ところが僕は、どうしてもうまく集中できない、没頭できないなと思ってました。なんだかこの現実に自分がいることが意味不明すぎて、その現実にあるものになかなか夢中になれなかったんですね。みんなは友達とたくさん遊んでましたが、僕はなかなか馴染めなかったんです。友達だけじゃありません。家とも馴染めない感じがしました。両親とも馴染めない感じがしました。祖父母たちとも馴染めない感じがしました。でもまわりのみんなは僕のことをよく知っている人のように、気兼ねなく接しているように感じました。僕がその人たちに思っている親密さと、向こうが僕に思っている親密さにズレがあるような気がしたんです。そのことに気づけば気づくほど距離ができてしまい、でも僕は言葉を持ってませんでしたから、なかなかその状況をうまく説明することができませんでした。わかりません、こんなことってみんなもあったのでしょうか。僕は人だけでなく、住んでいた団地にも、団地の周りの昔ながらの漁師町の街並みとも、そこでも強い共同体の感じや、神社が持っている時間の厚みなんかも、自分とは全く違いすぎて、違和感、なんというか申し訳ないと言うか、僕なんかがこんな現実に暮らしていていいのか、何にも夢中になれていないのに、何にも没頭できないのに、いつもどこか不安で、いつも距離があるのに、となんとなくそんなことを感じてました。慣れたように地名や友達の下の名前を呼んでいる子供や大人たちを見て、なんかびっくりしてました。どうしてそんなふうに親密さを持つことができるのだろうかと、不可解でした。でも彼らはいたって普通にそれをやっていました。僕は自分がずっと迷子になっているような気がしてました。しかも、誰も僕が迷子だと気づくことができないようにも感じてました。彼らは僕を団地のある新宮という町に住む一人の4歳の子供みたいに接してきてたからです。
 でも、僕は実は迷子だったんです。
 両親も兄弟も友達もいるのに、団地も幼稚園も両親の車カローラもあるのに、僕はなぜか迷子で、だからどんなことにも夢中になれず、没頭できず、つまり、僕は何かを好きになる、ってことができませんでした。みなさんは僕のことを、今では好きになる名人とすら思っているところもあるかもしれません。しかし、4歳の僕は、好きとは何かがわかっていなかったのです。親友のたかちゃんは、週刊ジャンプに夢中になり、花札に夢中になり、その絵柄を模写し、プラモデルが好きになり、スパルタンXをやるのが何よりも好きでした。サッカーのスパイクが好きすぎて、日常的にスパイクをはき、あんなに気持ちの悪いヤモリを、トカゲを、まるで飼い猫みたいに飼育していました。僕は自然とのもちろん距離がありました。たかちゃんは僕にとって好きになる名人、つまり、現実と遊ぶ名人でした。たかちゃんには、僕にあるような逡巡とか距離とか不安がないように見えていたのです。たかちゃんに相談はしませんでした。たかちゃんは決して何も知らない、そして距離が離れているので、臆病になっている僕を馬鹿にしませんでした。なんというか、そっち系は俺得意だからと、たかちゃんはなんでも教えてくれました。しかも、知らないよね、だから教えてあげるって感じじゃなくて、僕が知らないことなんか確認せずに、まるで僕もたかちゃんみたいになんでも知っている人みたいに接してくれて、それなら何にも教えなくていいはずですが、たかちゃんは全部僕に教えてくれました。つまり、たかちゃんは僕が現実と距離があることを知ってくれていたのです。それなのに、たかちゃんはそのことを馬鹿にせず、確認もせず、そんなこと気にせず、なぜなら楽しいから、知ると楽しいし、楽しいことを知っているから教えてあげる、みたいな気持ちでたかちゃんは僕に接してくれたんだと思います。
 このお金の学校があるのはたかちゃんのおかげと言ってもいいのかもしれません。
 この場で、たかちゃんにお礼を伝えたいと思います。たかちゃんありがとう。実はたかちゃんとは音信不通なのです。不治の病にかかって新聞配達のバイトを大学生の時にやめたというところまでしかわかっていません。僕は何度もこの団地があった場所に戻り、大人になっても聞き込みを続けているんですね。たかちゃんにお礼を伝えたいんだけど、伝えることができません。僕がこれまで作ってきたもの全てが、僕にとってはたかちゃんへの返礼なんです。これも流れてますね。これも経済です。僕が世間の評価などどうでもいい、金になるならないは全く気にしないでいられるのは、僕にとっての創造は、あの現実との付き合い方を馬鹿にせず教えてくれたたかちゃんへの返礼だからです。それが価値基準なんです。あらゆる全ての物事の。これが僕の経済なんです。つまり魂です。僕はたかちゃんによって、この世から離れてしまうのを留められたのではないかとすら思ってます。つまり、たかちゃんは命の恩人なのです。だから探し出さなくてはならないのです。たかちゃんにお礼を伝えたいのです。というかたかちゃんに会いたい。ただ会って、9歳の時に僕は父親の転勤で熊本に引っ越しをするのですが、それ以来、僕がどんなことをしてきたのかを伝えたい。それが完了するまでは僕はずっと旅をしているような、転勤で引っ越しをしているような気分です。
 僕の楽しさの源流にたかちゃんがいます。何一つ夢中になれなかった僕に現実の楽しみを教えてくれたんです。たかちゃんが教えてくれたように、僕は一人の時でもそれをやってみました。他の友達といる時、家族といる時も、たかちゃんに教えてもらったようにやってみました。すると、え、すごいじゃん、うまいじゃん、とか、言われるようになりました。たかちゃんが教えてくれたようにやるとなんでもうまくいったのです。たかちゃんは教えることが本当に上手でした。たかちゃんの手にかかると、両手を使わずにホッピングに乗ることができました。たかちゃんは団地の外に出ることも余裕のよっちゃんだったのですが、僕は横断歩道をわたることができませんでした。たかちゃんはこう言いました。
「信号機じゃなくて、車を見ればいいんだよ。信号が赤だからと言って止まってたらいいわけじゃなくて、青だからって何も見ずに渡ったらそっちの方が危ない。要は車を見ればいいってことよ。信号機を無視するんだ。車が走ってたら青だろうが、止まってた方がいい。でも赤でも車が通り過ぎて、いなくなれば、ほら」
 たかちゃんはそう言って、赤信号の横断歩道をサッと渡ったのです。神かと思いました。そして、僕にも渡るように手招きをしたのです。
 おかげで僕はいつでも車道に出ることができるようになりました。両親は今でも4歳の時、急に迷子になって気付いたら車道を渡ってプラモデル屋さんの中にいた、と驚きながら言うのですが、理由は簡単です。たかちゃんが車道の渡り方を教えてくれたからです。そうやって、僕はたかちゃんの導きによって、少しずつ現実との解離を修正していくことができました。いつも頭にたかちゃんを思い浮かべると、たかちゃんがそれを颯爽とやりこなしている姿が目に浮かびます。引っ越しをしてからも僕はたかちゃんのイメージで、たかちゃんだったらこうするんじゃないか、とイメージをして行動をすると、とてもうまくいくことに気づきました。たかちゃんはいつも外に僕を引っ張ってくれました。
 たかちゃんこそ、僕の初めての先生なのです。たかちゃんのおかげで僕は文字通り、死なずに済んだのかもしれません。
 死なないように現実との付き合い方を教える。
 これが僕の中の教育です。そしてそれはたかちゃんが僕に与えてくれたものでもあります。
 何よりもたかちゃんは、僕に「好きとは何か?」ということを教えてくれたんだと僕は思ってます。僕には好きなものがなかったのですから。好きどころか、不安だらけで怯えていて、何もかも怖がっていたんですから。楽しめるはずがありません。好きになれるわけがないんです。
 僕は車道を渡ることが怖かったんです。
 でもたかちゃんのおかげで、いつしか僕は車道を渡ることが好きになったんです。
 つまり、好きとは、恐怖心をもたずに物事と向き合うということで発生します。それで前向きに試してみてもし楽しかったら・・・・
 僕はその物事を好きになったと言えるのです。
 つまり、僕がこのお金の学校で伝えたかったことがこれなんですね。
 お金を、経済を「好きになる」ってことです。
 でももうちょっとその片鱗を感じてはいませんか? 何事も流れているか、流れていないかで、見れるようになっているはずです。そして、流れているものはとにかく楽しいんだってことに気づいているはずです。楽しいんですから、恐怖心が和らいでいるんです。そうすれば、好きになるのはもうすぐそこです。そうやって現実を、世界を、人を植物を動物を、そして、お金を見てみてください。その時、絶対に、あなたは「自分が何を好きなのか」ってことを知覚できるようになります。好きなものを見つけたら一生ものです。その好きなものがどんなに世間に叩かれ、文句を言われ、蹴飛ばされようと、あなたは好きなままでいてあげてください。あなたを生かしてくれた恩人なのですから。世間の評価なんか屁みたいなもんです。人間に好きになる以上の力はありません。人は誰かを好きになります。何かに夢中になります。その時、その行為自体が経済となって、この大変生きづらい世界の中でのあなたが生きる時空間に、空気に、生きながらえる湧き水になるはずです。一度、見つけたら、決して手を離さないでください。
 僕が生まれて初めて好きになった人がたかちゃんなんです。たかちゃんは男の子です。でも関係ありません。異性愛とか同性愛とかそんな区別の向こう、好きとは何かの僕にとっての源流がたかちゃんなんです。たかちゃんは生きるとは何かを教えてくれた先生であり、いつも日が暮れるまで遊んでた親友であり、僕が現実からあぶれて窒息死することを助けた命の恩人です。たかちゃんだったら、僕が今いのっちの電話をやってて自殺者をゼロにしようとしていると言っても、決して笑わないでしょう。僕はたかちゃんが僕に教えてくれたように、みなさんに現実との楽しみ方、好きになり方を教えてきたつもりです。
 いますぐたかちゃんにお礼を伝えたい。 
 でもたかちゃんはどれだけ探してもまだ見つかってません。
 たかちゃんどこにいるんですか。
 いつか必ず僕はたかちゃんと再会します。そう決めて、僕は生きてます。
 最後にこの場を借りて、たかちゃんに心からの感謝の気持ちを贈りたいと思います。
 たかちゃん、ありがとう。
 涙が流れてます。またこれも流れてますね。涙もまた経済なんです。
 それではみなさんそろそろ時間です。毎日、朝から熱心にがんばりました。僕はみなさんの頑張りをずっと見てきました。
 大丈夫、きっとうまくいくよ。
 横断歩道なんか信号なんかどうでもいいです。ちゃんと車を見てください。通り過ぎましたか?
 さあ、車道を渡って、あなたのお金を探しに行くのです。
 お金の学校はこれでおしまいです。
 みなさんありがとうございました。
 僕が生まれて好きになった人、好きとは何かを教えてくれ人、そして、僕を窮地から救い、現実で生き延びるための技術を教えてくれた命の恩人であるたかちゃんからもらった恩恵。それがこのお金の学校です。
 僕なりの返礼なのです。
 みなさんもここでの教えを、どうか世界のどこかで返してあげてください。
 そしてまたここで再会しましょう。
 その日を心待ちにしています。
 みなさん、卒業おめでとう。

 2020年10月10日      お金の学校校長 坂口恭平

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?