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生きのびるための事務 はじめに 〜ジムとの出会い

2021年6月1日 執筆開始

 
 生きのびるための事務

 坂口恭平


 はじめに 〜ジムとの出会い


 みなさん、こんにちは。坂口恭平です。もはや何をやっている人かは分かりませんが、それも自分で選んだことです。何をやっているのかを他者にわかられてしまうのは死活問題だと思ってます。できるだけ、収入源がわからないようにする、一つに絞らない。これらは僕が生きのびるために考え出したことです。わざとやっているわけです。もちろん、もともと色んなことを同時にすることが好きな体質でもありました。でも、ただ体質のまんまに生きてきたわけではありません。そもそも体質のままに生きていくことは難しいです。今の社会はそんなことできません。すぐにうまくいかなくなります。しかし、だからといって人の言いなりに従って生きていくのも疲れます。窮屈です。窮屈に関しては躁鬱大学でもお伝えしたので、今回は省きましょう。体質のままに生きていくのも難しく、だからといって体質とは全く合わない規則に従って生きていくのもしんどい。じゃあどうするんだよ。そうなりますよね。僕もそうなってました。体質のままに生きることが楽、だということは頭にあるわけです。できるだけそちらを選びたい。そうじゃない道は面白くなさそうだ。面白くないことはやりたくない。退屈は死と直結してました。僕はそれくらい退屈なことが嫌いです。できるだけ面白いように生きてみたい。しかし、それもやっぱり難しいのです。
 そこでどうしたか。それが今回の「生きのびるための事務」という講座でお話しすることです。講座ですから、躁鬱大学、みたいにしっかりと体系化されているわけではありません。僕の中でもまだはっきりとは見えていないのかもしれない。事務について講座を開こうと思ったことですら最近のことです。得意の思いつきです。つまり体質のまんまの行動です。そうです。今は体質のままにやってみたいことをやってみるということができているのです。そうなると体は楽です。だからさらにどんどん行動を広げていくことができます。僕の今の感触としては、二十歳くらいに夢想していた、気分のまま、体質のまま、つまり、自分が感じたことをそのまま即行動に移す、ということがここ最近はできているような気がしてます。
 何をしたからそれが実現したのか。
 そのことを自分でも振り返ってみるために、この講座を始めてみようと思いました。もちろん、いつものように即興的な講座です。構成も何もありません。構成なんかしても面白くないのです。思いついたままに講座をすることが楽しいのですから、そんな楽しみを取り除く意味がありません。
 ではただの即興なのか。
 そうではないとも僕は思ってます。即興的ではあるけど、厳密に言うと即興ではない。そのための訓練をしているわけではないけど、だからといって無知で何もわからずやっているわけではありません。何かはあるんです。自分の中に確固たるものが。それがどんな色や形をしているかはうまく言葉にできません。だから言葉にしてみようと思っているのです。
 まず出てきたものが、今回のメインテーマになりそうな「事務」という言葉です。

 どんな人にも事務作業はあります。もちろん僕にもあります。そして、僕はこの事務作業がとても好きなんですね。何をやっているのかわからない注意散漫で集中力はあるもののすぐに飽きがきてしまう僕のような人間は放っておくと、毎日違うことを考えて、行動して、すぐに混乱してしまいます。だからこそ事務がとても大事だったのです。僕の仕事で考えると、仕事が執筆、絵画制作、音楽制作などの「創造活動」です。一方、事務とはどんな作業のことを指すのでしょうか。

 まず僕にとって一番重要な事務は二つあります。
 一つがスケジュール管理、そしてもう一つがお金の計算です。
 僕は大学を4年で卒業しました。しかし、体質に合わないので就職活動はしませんでした。誰かの命令を聞いて、それでやりたくないことをして、その対価をもらうのだが、どれだけ頑張ってもやった分だけ稼げるわけではなく、給料というものがなぜか決まっていて、仕事をしてもしなくてもその金額をもらうことができるものの、だからこそ稼ぎも少なく昇給が頻繁にあるわけでもない。それが僕の中での、会社に就職して働く、というものでした。これは退屈すぎる、と僕は感じてました。しかし、それ以外には選択肢がないように見えました。だから最初、絶望していたのです。どうすればいいのかわからなかった。死にたいとすら感じていたと思います。
 でもやっぱり不安だからと、自分で進みたくない道を選ぶことはできませんでした。
 それなら、自分で進んでみたい道とは一体、なんだったのか。
 それもそれで不明確でした。でも言葉にすることはできていました。
 僕が当時、やってみたいと思っていたことは、建築学科で学んではいたが、空き家が余っているのが現状だったので新築を設計する建築家になりたいという高校生の頃の夢は諦めるしかなく、というかすでにそんなことはやりたいとは思っておらず、そこで僕が尊敬していた建築家であり、僕が高校生の時に見つけた初めての感動した建築家であり、在学中である大学の直接の恩師である石山修武が一体、どうやって僕と同い年の頃、生きのびたのかを研究してみたんです。
 話がどんどん本線から外れていっているかもしれません。なぜなら僕もなぜ今、事務に注目しているのかがまだよくわかっていないからです。でもわかっているのは、僕にとって事務とは、創造活動とは別個の分けて考えるべき行為ではなく、事務こそが創造の原点だと思っていることです。そのための例え話として僕の話をしようと思ってますが、事務の話になるのかは分かりません。でも、進めてみましょう。まずは講座を開いてみることです。まずは何を伝えたいか考える前に、書きたいように書いてみたらいいんです。あ、これもきっと僕の中での事務作業です。一つずつ出てきたら、チェックしておきましょう。

 事務その1 何を書きたいのかを必死に探すのではなく、書きたいと思ったことを書きたい時に書きたいだけ書く。

 これのどこが事務なのかとおっしゃる方もいると思います。僕だってそう思うのですが、今、僕はこの心持ちを事務だと思ったのです。何かを書きたいと思ったとします。しかし、まだ書いていない。つまり、まだ創造活動には突入してません。もちろん考えることだって創造だとおっしゃる方もいると思いますが、僕の中ではこれは創造とは言いません。なぜなら大抵人間はいつも考えているからで、しかも大抵何もせずに考えるだけで、そのまま通り過ぎ、忘れてしまって、形にも残っていかないことを知っているからです。僕の中ではこれは創造ではないんです。だけど、創造の源流の存在には気づいている状態です。でも創造ではない。チロチロ水の音は聞こえているわけです。創造という源流があることはわかる。でもそのままではうまくいきません。ちゃんとその源流がどこにあるのか、その前にチロチロ水の音だけしか確認してませんから、実際に水が流れている様子をこの目で確認しないといけません。
 今の状態で言うと、まず僕は「事務」という言葉に関心を持っている。そのことについて書いてみたいなと思っている。でもどのように書けばいいのかはわからない。事務について書くことが果たして面白いのか。それもわからない。でも事務について書いてみたいなとは思っている。こんな状態です。
 でも大抵は事務についての本なんて誰も書きません。僕も書きません。それは一つの思いつきとして、忘れていくんです。普通は。
 しかし、ここで事務が登場してくるのですが、僕は芸術家、作家、音楽家である前に、まずはれっきとした事務員なんですね。その自覚があります。
 事務員である僕が自分にこう言うんです。
「ひらめいたことは全て本になるんだよ。ただ誰も書かないだけ」
 これはですね、創造者の言葉ではありません。事務員である僕の言葉です。事務机に座っている僕が、創造をするんだと息巻いていながら何もしていない創造者である僕に対して突っ込んでいるわけです。事務員の仕事の一つがこれです。
 息巻いている自分に対してツッコミを入れること。
 息巻いているだけでは何も形をなしません。ただ大口を叩いているビッグマウスでしかありません。僕はもともと無名なビッグマウスでした。無名のビッグマウスってもう末期症状です。終わってます。言うだけ言って何もしないやつです。カッコ悪いです。はい、僕がそうでした。恥ずかしくもありません。本当にそうでしたから。創造者である僕は恥ずかしがってました。でも事務員である僕は全く恥ずかしく感じていませんでした。むしろ、ビッグマウスの何が悪い、そこまでひらめいているのなら、あとはやればいいだけなんだから、事務員である俺が入社してあげるから、ちゃんと作業をはじめなさい。
 こうして、僕の体という組織の中に事務員が入社してました。名前をジムと言います。単純明快です。事務員であるジムです。
「ハジメマシテ。ワタシノナマエハ、ジム、デス」
 そして、ジムが先ほどの言葉を僕に吐いたんです。
「ひらめいたことは全て本になるんだよ。ただ誰も書かないだけ」
 そんなわけで、今回は全て僕の体の中のジムが僕に教えてくれたことを書いていきたいと思います。

 つまり、ジムは僕に感じたことは全て実現できるんだから、全て実行に移せ、と言ってきました。思ったことは全て現実になる、なんてどこかの怪しい自己啓発本みたいですよね。だから僕は他人にこのジムのことを話せずにいました。あいつ頭がおかしくなったんじゃないかと思われることを恐れていたからです。すると、ジムがまたこう言いました。
「人から頭がおかしい奴と思われたらいい。そうすれば何をやっても頭がおかしいからって許されるから。こんなお得な話はありませんよ」
 ジムは決して僕を笑いません。馬鹿にしません。他人から文句を言われても、ジムは入社している僕にいつも忠誠を誓っているのか、項垂れることなくいつも励ましてくれるのです。僕も次第にジムが言ってくれることにすんなりと耳を傾けるようになっていきました。ジムは僕が素直になればなるほど、たくさんのことを教えてくれたのです。
「素直にならないと、何事も成し遂げられないよ」
 ジムは、僕がついついイライラして、思ってもないことを口にするとそう突っ込んできます。
 そんなわけで、大学4年生の時、就職活動もせずに卒業だけは決まっていた、無名で何も成し遂げていない僕は、事務員のジムと出会うことになったのです。


 


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