お金の学校 (9) 模倣を三つ揃えると経済になる 〜坂口恭平の経済史①
今日は僕のこれまでの経済のこと、お金のことについてどうやってきたかを話してみることにしてみましょう。
まずは僕が生まれて初めてお金を稼いだ時のことから話してみましょう。みなさんは覚えてますか? あなたが生まれて初めてお金を稼いだ時のことを。僕はしっかりと覚えてます。なぜならば、楽しかったからです。笑えたからです。嬉しかったからです。その時覚えていることは、お金の金額はどうでもよかったということです。そんなことはちっとも問題ではなかった。それよりも、僕の行為がお金になった、誰かが払う気になったという事実が嬉しすぎました。まずはこのお話からはじめてみましょう。今日は今までお金をどうやって稼いできたかの話をできるだけ話してみたいと思ってます。
僕が生まれて初めてお金を稼いだのは、小学5年生の時でした。総額200円くらいでした。どうやったかというと、物を同級生に売ったのです。当時はサンリオの文房具が全盛期を迎えていました。
けろけろけろっぴとかゴロピカドンとかキティもそうですね、僕はハンギョドンとかボ、ボクはねずみ小僧だいとかも好きでした。文房具がとにかく好きでした。中でもみんなのたあ坊が好きで好きで、何であんなに好きだったんですかね、今はたあ坊元気にしてるんでしょうか。あんまり見ません。でも当時、僕は全ての文房具をみんなのたあ坊で揃えてました。
下敷きに定規に鉛筆、消しゴム。とにかく僕は文房具が好きすぎて、そういえば、当時、僕の机の上に転がっている文房具たちが、僕がいない間に意識を持って、キン肉マンみたいに戦いあう『モノモノくん』という漫画のシリーズも描いてました。今で言うとトイストーリーみたいな感じです。あれのバトル版みたいなものを描いていたんです。漫画はどうやって描いていたかというと、A4の無地の紙を半分に切るんですね、そしてそれぞれ二つ折りして重ねる。そしてホッチキスで留める。そうすると、表紙と裏表紙がある6ページの無地の本みたいなものが出来上がるわけです。そこに毎回6ページの連載一回分の漫画を鉛筆で描いていくわけです。本にする前に描いたら描きやすいのに、いつも本にしてから描いてました。だって本ですからね。自分で本を作ることができると知った時の衝撃もまた忘れられません。
僕は小学1年生のときから漫画を描いています。週刊ジャンプが好きで、でもやっぱりキン肉マンでしたね僕は、銀牙も聖闘士星矢も好きでしたけど、お笑いが入ってる方が楽になるっていうか、そこで僕はこの前NHKでもお話しましたけど、キン肉マン→マッスルマン、マッスルだとそのままなので音だけ合わせてハッスルにすり替えて、ハッスルマンという漫画を描きました。それが初の連載物の漫画です。小学1年生のときです。やる気です。二年生になっても、三年生の1学期まで僕はハッスルマン一本でやってました。丸2年は連載していたわけです。あのA4の6ページの漫画を、です。そうすると、漫画は溜まっていきます。読者は弟だけでしたが、弟は食いついてました。そして、僕も食いついてました。僕は自分の漫画を読むのが本当に好きだったんですね。僕の机は漫画の仕事場でもありましたが、次の連載をどうやって展開していくかの編集部でもありました。そして、読者である小学生の僕もいたんです。以前にもお話ししましたけど、ここで僕は増えているんですね。漫画家の僕、編集者の僕、そして読者の僕、そして読者の弟、さらにはハッスルマンという名前になぜしたかというと、僕が住んでいた団地は11棟だったのですが、隣の12棟に一年先輩のよく泊まりに行っていた広島カープファンのコウちゃんが住んでまして、コウちゃんがまさにキン肉マンではなく『マッスルマン』という人気連載を描いていたんです。コウちゃんは画力があり、キン肉マンにあるギャグ要素ゼロのガチのバトル漫画を描いてました。これがまあすごかったわけですね。だから僕はパクったわけです。だからマッスルからハッスルにスライドしたわけです。僕は当時はそんなに絵がうまくなかったです。でも絵を描くことは好きでした。学校に行く前に、朝の6時に起きて、机に向かって、漫画を1時間毎日描いちゃうくらい好きでした。当時から毎日日課を作って、それで作品の量をためるって作業はやってたってことです。これは今も変わりません。
だから量がたまりまして、ではそろそろ単行本を、みたいな話に編集者となるじゃないですか。そこで僕も編集者と話をしたんですね。全部自分の中ですよ。でも増えているんです。つまり、それが経済ってことなんですが、自分の中の増えていくもの、予感だけじゃないですよ、実際に増えているわけです。それを感じています。編集者は単行本ではなく、それを超えて、もう雑誌作っちゃいなよ。と他の連載も描けみたいな話になったんです、こうして生まれたのが『ものものくん』というピクサー寄りの物語漫画です。この二大連載が収録された雑誌を作ろうって話になりました。その編集者、チグカサってやつなんですね。鳥山明の担当のトリシマを逆さまにしたのがDr.マシリトだったわけで、あんな感じの厳しい編集者なんですが、そいつがいつもネーミングは考えてました。
「ジャンプだろ、ジャンプだろ、ジャンプする前に人間は何をするんだよ、おい坂口」
「え?」
「だから飛んでいくんだよ、坂口お前は、世界に羽ばたく、世界にジャンプしていくんだよこれからおい」
「はあ」
「だ〜か〜ら〜、雑誌の名前は何? もう出てきてるでしょ」
「わかんないす」
「もお、お前は作品を作ることばっかりだな、作品は世にうんこみたいに出さないと肥料になんないんだよ。お前の腸破裂するぞ」
「はあ」
「週刊ホップステップでしょ」
「え?」
「お前はまだ未熟者だ、世界には羽ばたけねえ、でも諦めちゃいない、俺だってそうだ。俺だって、お前みたいな新米漫画家の担当になったからには夢を抱くよ、いつか世界にジャンプする鳥山明みたいになれと願いを込めての・・・」
「ホップ、ステップ、、、」
「ジャンプ!」
「・・・・」
「決まりだよ。お前がなんと言おうと、タイトルはいつも俺が決める。雑誌の名前は『週刊ホップステップ』だ」
というわけで敏腕編集者チグカサによって、僕が作った雑誌はホップステップと命名されました。これはどうやって作るかというと、連載ものの6ページの漫画たちを順に重ねて、今度はホッチキスで一気にカチャンとできないので、木工用ボンドを背のところに厚めに塗るんですね。そうすると、これまた本になります。さらに今度はA4の紙じゃなくて、お菓子の空き箱みたいな物を母ちゃんにもらってきて、それでハードカバーをつけることにしました。表紙はモノクロじゃつまらんということで、色鉛筆で彩色まで施して、それで雑誌『ホップステップ』の完成です。さすがに僕は感動しました。自分の漫画が続けて読めるってことに。結局二つの漫画が合わさった単行本を作ってたってことなんですが、僕の中では初めて雑誌を作ったのです。
このように僕はなんと言いますか、まずは全ての形を模倣したわけですね。しかし、模倣を起源としない人間の行為は存在しないとベンヤミンも語っていた通り、それこそこの今使っている僕の言葉、言葉こそまさに模倣なんですよね。僕の感覚、言葉にできない感情、感覚、直感、それら全ての模倣なわけです。どうにか言葉というものに置き換えてますが、実際は違うわけですから。言葉が模倣の根源とも言えるかもしれません。そんなわけで、人間はみな模倣するんです。なんだよお前人の真似ばっかりしてんじゃねえよなどと決して人に言ってはいけません。それが自然な行為だからですし、あなたもまた常に日々模倣しているからです。つまり、経済の基本もまた模倣であるのです。僕はゆでたまご先生の模倣をしたコウちゃんの模倣です。ばったもんです。でもいいんです。それが基本ですから。ちゃんと段階を踏んでいるってことです。経済が模倣であると同時に、模倣もまた経済です。つまり、模倣にも流れがあります。ハッスルマンはバレバレの模倣です。しかし、そこにものもの君というタイストーリーの模倣、いやそれはおかしいですね、未来の模倣だなんて、ま、いいです進めてましょう、さらには週刊ジャンプの模倣としての週刊ホップステップ、このように模倣は増えていくことで、僕にしかできないオリジナルな生き方が発生してきます。こうちゃんも「雑誌を作るってところまでには至らなかった」とそこで初めて悔しがってます。つまり、模倣は一つだけだと、お前、人の真似すんなよ、と怒られます。それでは流れて行かずに、盗作として訴えられてしまうことになります。しかし、ものもの君はもう少しほんわか系の線で描きました、多分これはサンリオの模倣だと思います。サンリオのバトルものってことですね、さらにそれを束ねて雑誌にしたってところが僕の経済です。もうそこまで言ったら、ジャンプの模倣としてのその前のホップステップですので、安直なのですが、その安直さがむしろ、オリジナルの面白さを際立たせてます。
模倣が2つではまだ、それぞれのものをそれぞれにパクっているやつでしかありません。模倣が一つだと俺の真似するなと怒られます。しかし、三つ合わさると、もう誰も怒れません。つまり模倣が二つではまだ流れないんですね。三つになると、流れはじめます。コウちゃんだって納得してくれるし、その時にはもうハッスルマンを描いたことは和解しました。ハッスルマンだけ描き続けて、それで学校に持っていって人気でも出たら、こうちゃんに絶交されていたと思います。しかし、僕はさすがにそれはコウちゃんに悪いなって思ったんです。だって、僕が漫画を描くきっかけを与えてくれた人です。インフルエンサーです。だったらリスペクトしたい。そして、僕自身もインフルエンサーになりたい。だったら努力するしかない、みたいな流れだとめんどくさいじゃないですか。楽しくないじゃないですか。そうじゃなくて、パクる人を他に見つけるんです。しかも他に二人見つけるんです。そうすると、オリジナルになります。そうすると、怒られないんです。つまり、流れるんです。つまり、それが経済です。
つまり、模倣は一つだと流れないが、三つ揃うとオリジナルになっていい感じに流れ始めるってことです。流れるんですから、もうみなさんはわかりますよね。つまり、模倣を三つ揃えると経済になるってことです。この世にオリジナルなものはないなんて言葉がありますが、そもそも言葉が模倣なんですから、この世に模倣ではないものがないんです。かと言って模倣するだけでは、いつまでたっても、そのパイオニアが見つけ出した楽しさからは脱却できないんですね。だから模倣を複数化させるのです。模倣の複数化が経済です。それがオリジナルってことです。オリジナルは流れるんです。模倣一つでは経済にはなりません。しかし、パクってお金を稼ぐことはできない。模倣一つでお金は稼げるが、経済ではないんです。つまり、楽しくはないんです。ばったもんの世界です。すぐに滅びます。しかし、それは惜しいんです。模倣をさらに2つ足せばお金も稼げるし、経済にもなるんです。ここは大事なところです。頭に入れておいてくださいね。
というわけで、僕はお金を稼ぐよりも前にまずは経済を見出しました。その第一作目が週刊ホップステップという雑誌なんです。それは3年生の1学期、その夏休みに僕は福岡から熊本に引っ越して、コウちゃんと別れてしまいますが、9歳の時に僕は自分の経済を見出しました。興味深いことにお金は稼いでません。それでいいんです。よかったんです。つまり、僕は経済とお金が違うものだということに最初に気付けたのです。それはお金が稼げなかったから気付けたんです。お金を稼ごうとすらしませんでした。お金というものに興味もなかったのです。みんなは週刊ジャンプを毎週買ってもらうために親からお金をもらおうとしました。僕は一度もお金をせびったりしませんでした。なぜなら、それは立ち読みで十分だったからです。同じ11棟のタカちゃんには六年生のお兄ちゃんがいまして、彼もまた漫画家だったのですが、毎週しっかりジャンプを買ってらっしゃいました。そこにいけば読めるんです。しかも僕は物語の中に没頭することができませんでした。根っからの経済野郎なんです。一切のファンタジーがないんですね。みんな同級生は物語の中に没頭しては、来週はどうなると展開を予想してました。僕はそうではなく、ジャンプの束の厚さや紙質、コマの割り方、タイトルのレタリング、そういうことばかりに目が行きました。
なぜならどうせ自分で作った方が面白いってことにこの時点で気付いていたからです。
時を同じくして、僕がちょうど小学1年生のときに、宮本茂さんがスーパーマリオブラザーズを生み出します。ファミコンにも僕は衝撃を受けましたが、またまたゲームの物語の中に没頭することができませんでした。どうしてもうまくなりません。理由はゲームの中身に興味がないからです。どうやってゲームが成り立っているのか、つまり、どうやってゲームが流れているのか、僕はやはりゲームというものの中の経済に興味があったんですね。すると、どうなるかというと、ノートを取り出して、僕はとにかく紙が好きです。紙こそ僕にとっての経済なのですが、ここではなんでも試せます。僕の経済の訓練は全てこのノートの上で行ってます。コインやキノコが出てくるハテナボックスや、地面、雲、山、などをまずはノートに描き込んで、ノートを横スクロールできるようにセロテープで巻物みたいにつないでいきます。そして、マリオの絵を描いて、割り箸に貼り、人形劇ができるような感じにして、クリボーとかノコノコとかクッパとかも割り箸に貼って敵を作ります。そして、弟にマリオ役をさせて、僕が敵の役をになって、ペーパーマリオと名付けてゲームを作ってました。まさか、のちに本当に任天堂からペーパーマリオが発売されるようになるとは思ってもいません。つい僕は「俺の真似をしやがって」と小言を言いましたから。あれは僕の作品です。でもいいんです。当時、発表しなかった僕が悪いんです。と言っても、経済ではないとは言い切れません。今、こうやってみなさんに伝えているんですから。しかも当時、弟はとにかく楽しんでくれましたから。楽しいのが経済ですよね。
ま、こんなことばかりやってました。僕はみんなみたいに物語、ゲームに没頭できないなと思いつつ、でも、僕が好きなのは、衝撃を受けたものを自分で作ってみる、それらを組み合わせて、新しいものを作るってことでした。つまり、僕はゲームや漫画にはハマっていませんでした。経済をつくることにばかりハマっていたと言えるのです。
それが小学5年生の時に、ビッグバンを起こします。お伝えしていたように僕は文房具にハマってました。みんなのたあ坊に衝撃を受けてました。一番適当なキャラクターに見えたんです。なんでこんな適当なキャラクター、やる気もなんもないのに、いつもただ幸せそうに笑ってるこのたあ坊をキャラクターにしたサンリオの企画会議の通過っぷりに感動していたと言えるのかもしれません。ということで、僕も模倣することにしました。ここで大事なことは、衝撃を受けたら、まずはすぐに模倣してみろってことです。このスピードが大事です。なぜならスピードこそ、流れていることの証だからです。
今、お金の学校をやってます。これ大変な分量の原稿なんですけど、みんな飲むように読んでます。早いです。僕が書くのも早いです。リアクションも早いです。入学金はとうとう100人の方が払ってくれました。1000万円じゃないですか。まだ初めて10日間も経ってないんです。早いです。つまり、これが経済です。これが流れです。みなさんも今、流れの中に身を委ねていると思います。早さを感じないくらいに自然なんだと思います。毎朝原稿が届くのが当然になってます。僕も書くことが当然になってます。何を今日は書こうかななんて1秒も考えません。思案せずに思うままに飛び出てくる。これが経済です。なぜなら流れているからです。なぜなら楽しいからです。だからお金が回ります。お金は自由になって、あ、これいくらだっけ? ちょっと高いなあとか考えません。お金はただの流れる水に変化します。ターミネーターT1000みたいに、お金は硬貨や札束であることを物質であることをすっかり忘れて、液体になって、気体になって、ついにはプラズマになって、そこら中に散らばっていきます。でもカオスではありません。そこに潮流があるのです。見えない道、潮の流れです。これが経済です。ヨーロッパから高知県の片田舎までひとっ飛びです。もちろん、流れですから、無料です。お金が流れているのに、無料の感じってことです。自由ってことです。取り放題食べ放題触り放題好きにしていいんです。品格は重要ですが、それさえ守って礼儀正しく自由にしていられるんです。満足しますよね。満たされますよね。嬉しいですよね。そうなればなるほどさらに流れは早くなります。というわけで、経済が発生している時には、このスピードが発生してます。チェックするのはそれです。ゆっくりになったり早くなったりするわけではありません。とにかく早いんです。別に急いでいるわけではありません。自然と早いんです。魚が必死に泳いでますか? そんなことはありません。彼らはエスカレーターみたいに高速道路みたいに流れていく潮を常に読んでいるわけです。為替を読んでいるみたいなものです。魚が動くということ自体が経済なのです。流れそのものですから。あのイメージで。引っ掛かったら、すぐにやめてください。お金がもっと稼げるからと言って、遅くなってるのにやり続けるのはいけません。入学金制度のことですが、僕は最初100人限定と伝えたので、そのまま売り切れにさせました。すると、すごい数のもっと入学金を払いたいという流れのメールが送られてきました。メールだって流れです。早いです。そこで僕は時間で決めて、後6時間流れさせようと決めました。その間17人の方が流れてきました。そこで打ち切りにしたのです。お金で言えばこれから最終回がまだなのに、なんでもっと稼げるじゃんと思われるかもしれませんが、僕は流れに少しの停滞さも同時に感じたのです。それは僕の気持ちです。そこまでお金はいらないんです。僕の予想を超えたからです。そこで僕は打ち切りにしました。あまり重くなっては遅くなるからです。早いままが好きです。楽しいです。1000万円も入ってそれ以上も欲しいだなんて重くなるだけです。次に行きましょう。僕はすでに編集者に50万円、デザイナーに完成したら即日で50万円払うと決めました。僕はもう次に向かっていて、次の早さに流れているのです。印刷所も決めて、見積もりを出してもらってます。次はこの原稿をお金の学校という新作の本にしようと思っているのです。雑誌ホップステップと同じような気持ちで。いつも僕は同じなんです。
お金の学校はどんな模倣なんでしょうね。お金の学校は「金持ち父さん貧乏父さん」の模倣です。でも大事なことは金持ち父さん貧乏父さんを僕は読んだことがありません。ただ売れてるビジネス書って認識なだけです。別に熟知しなくていいんです。僕には形だけが必要なんです。しかし、それでは夢見るゾウみたいになっちゃうじゃないですか。あれはあれで名著だとは思いますが、売れることが僕の目的ではなく、経済、つまり楽しいことが目的ですので、夢見るゾウってのは数多の自己啓発本の模倣です。模倣の複数化はだから模倣の無数化と言えるほどまでできているのですが、その模倣の種類、角度が同じなんですね、同じ模倣を無数繰り返していると言えます。模倣の無数化ですが、単調な模倣の無数化のため、確かに経済にはなってますが、ずっと楽しいというわけにはいかないんですね。今読むと、へえ、くらいで終わります。僕もお金に関する自己啓発本みたいな形を模倣してはいます。で、次の模倣が、ソクラテス先生です。これはソクラテス先生についての本をいくつか読んでいるうちに僕の体の中にソクラテスの模倣体が出来上がってしまったんですね。というわけで、この学校の中の言葉は実はソクラテス先生の言葉から拝借してます。でもそのようには誰も読めないってくらい変形させてます。でも僕の中のソクラテス先生が話したことをそのまま書いているんです。ということで、今のところお金の学校はロバートキヨサキの模倣、そしてソクラテスの模倣が入ってます。でもこれだけじゃ二つです。あと一つ必要です。そこで僕は幼少期の坂口恭平の模倣をすることにしました。あのペーパーマリオ、文房具、ホップステップ編集長だった頃の僕の模倣です。
つまり、全部自分でやるってことです。自分で作っているんです。これから本にもなりますが、その時に僕は版元「坂口恭平」を立ち上げます。お金も全部自腹でやります。もともと自腹でやる気だったんです。そこまでやるつもりではじめたんです。もともとが、税理士から今年お金を稼ぎすぎているからこのままだと税金で全部持っていかれちゃうから、経費ってなんかないかなあ、恭平さん物欲全然ないからお金が減らないんですよ、そうすると売上がありすぎて、経費がかからないってことは、その分税金が取られるってことなのよ。と言われ、僕は妻の生命保険として500万円払ったりしてました。でもまだそれでも足りないっていうんです。今度は僕の両親や弟妹を執行役員にして、そうすると給料は払わないでいいですから、その執行役員に生命保険をかけるという方法もあるのですが、何か面白いことできないかなあと思って、それなら出版でもしてみよっか、そして、盛大に失敗でもしてみようか、なんて面白いことを考えたわけです。だからお金の学校も全部無料でいいです〜、入学金後払いでいいです〜、みたいな余裕綽綽だったわけです。あれは痩せ我慢でもなんでもなくただの余裕だったからなんです。そもそもこの学校自体が遊びで始まったわけです。経費として始めたつもりだったんです。しかし、予想が大きく狂ったのは、ここに流れが起きはじめたんです。まあ、もちろん薄々気付いてはいましたよ、だって、今のこのご時世、余裕綽綽のただお金をドブに捨てるみたいなことをする人いますか? あ、前澤さんもそんなことやってましたね、大富豪。彼も税金で払うよりも、経費として、お金をみんなにばらまいた方が、みんなから好かれるし、フォロワー数も世界一になるし、言い訳ですよね。宣伝費ってことです。その額が半端ないですけど、賢いなあと思います。それで実際に助けられた人もいるわけですから。ま、僕は彼とは違って、別にたいして稼いでるわけじゃないんですけど、それでも大きな失敗をしてもいいから好きに思うままに挑戦できる環境であったことは間違いありません。
僕は結構、危なっかしいやつだと思われたり、直感的に動く野性的な人だと思われたりするんですけど、実は全然違います。僕は人生で一度も地雷を踏んだことがありません。つまり、失敗というものをしたことがないんですね。やばいですね自慢ですね。いや自慢ではなく、これこそが生き延びる技術だと思っているんです。失敗とは僕はつまり致命傷を負うってことです。僕は生きるか死ぬかしか考えてないので、ほどほどの何も起こらない人生みたいなものは考慮してません。そんなのつまんないっす。つまんないくらいなら死んだ方がマシだの精神です。だってそれって自分の保身のために何も起こらないようにするわけですから。つまり、何も起こってない人は安心してください。それはあなたの保身のためにあなたが仕組んだことです。あなたはそうやって安心したいんです。だから何も起こってないんです。退屈なんです。それもまた人生です。人間はいろいろあっていいんです。僕にとってはつまんないだけです。僕にとっては失敗とはすなわち死を意味するわけです。死とは再起不能になるってことです。絶対に避けたい、というか、そうなったら死ぬって決めてるくらいです。だから絶対にミスを犯してはなりません。みんな失敗してもいいんだよー、みたいな世界でよく生活していられますね。うらやましいです。僕には考えられません。だから僕は絶対に失敗をしない方法を死ぬ気で考えるということをよくします。でも石橋を叩いて渡ろうとも思いません。後ろから殴られて終わりです。そうじゃないんです。絶対に失敗しない、だからと言って安全策をとるわけでもない、早く即断して、自由に動き回れる環境を作るってことです。どうやったらそんなことができるのか。今日は、そんな話につながるのでしょうか。そして、話はちゃんと終わるのだろうか? ではまた来週、ってくらいに、序盤でもうすでにかなり時間使ってますが、無駄なことは何一つ言っているつもりはありません。
失敗しないようにするには、自分の力を100%使う必要があります。それは素直でないとできません。大事なことは素直であることだけです。これが経済の基本です。ずる賢くしてはいけません。絶対に失敗します。失敗しないために、全てを明らかにするのです。僕の内訳も全て見せるのです。素直でいるとあらゆるものが流れてもいいのかって思えるようになります。素直は物質の精神を変えるのです。これは人間のすごい力です。これが100パーセントの力です。隠してはいけません。嘘をついてはいけません。自分の力の正直になるということです。これが自分を救うんです。ソクラテスはそれを自己への配慮と言ったわけです。
教育とは、炎を燃えあがらせることであり、入れ物を埋めることではない
これもまたソクラテス先生の言葉です。どうですか? 燃え上がってますか? 僕はあなたたちに型に嵌めようとは思ってません。なぜならソクラテスだからです。口にはしませんでしたが、申し遅れました。わたくしはソクラテスです。サカラテスかもしれません。すぐそんな冗談ばかり言うのです、そうでした、話を戻しましょう。小学5年生の時の僕もそうだったんです。ダジャレです。サンリオじゃなくてサカリオってのを作ったんです。文房具メーカーです。資本金0円です。これが僕の生まれて初めて作った会社です。オリジナルの文房具を作る会社です。当時の売上高は200円でした。もちろんたいした額ではありません。でも売れたんですよ。五年生の時に、みなさん売った方はいますか? 小学生の時に。そういえば小学三年生の時のアオは10万円です。僕と比べて雲泥の差です。でも僕がパイオニアなんです。それは比べものにはなりません。すぐそうやってムキになるのも僕の特徴です。さ、どうやって稼いだのかをお伝えしましょう。
用意するものはいつもA4用紙です。そして、色鉛筆と定規で横線を入れます。はい便箋を作るんです。下の方にはキャラクターを描くので空けておいてください。そして、好きなキャラクターを描き込んでください。僕が第一作目、サカリオの顔として生み出したのはキリギリスのキリギスというキャラクターでした。子供の時、キリギリスってなんかふざけた遊び人のイメージじゃないですか。アリが素晴らしくて、キリギリスは冬凍えて死ぬじゃないですか。それが童話にもなっているし、むしろ教訓みたいになってるじゃないですか。僕はああいう話が本当に嫌いでして、なんか説教くさいっていうか、つまんないやつが書いたと思うんですよね、それをつまんないやつが利用している。だから僕は子供用の読み物、みたいなものが大嫌いなんですよ、そういう教訓めいたものが、僕は林明子先生の絵本で育ってまして、とにかく自由、色も気持ちもどこまでも現実の中なのに、軽くてどこまでも歩いていこう、夢の世界じゃなくて現実を素敵に気持ちよく歩こうみたいな感じで生きていたんですが、なんか現実は厳しいみたいなことを言いたがる大人多すぎるじゃないですか。あれが本当に嫌いで、アリとキリギリスの話だと、とにかく僕はキリギリス派だったわけです。だって、キリギリスは真面目に働きすぎてるアリに、音楽という心を豊かにさせるものを提供したではありませんか? みんな聞いてるわけですよキリギリスの音楽を。なんで、重い荷物を持つことの方が大事な仕事なんですか? そんなことさせられてることに疑問を抱かないんですか? 女王アリが牛耳ってるんですよ。奴隷ですよ奴隷。なんでそんな決められた時間働けみたいに言われて、そのまま鵜呑みにして働くんですか? と僕は馬鹿だから先生に質問していたイラズラ小僧です。鼠小僧が好きな小学生でしたから。基本的に心の豊かな泥棒とかが好きだったんですよ。なんか清々しくてね。キリギリスだってそんな僕のヒールヒーローみたいな感じで憧れでした。僕だって、死ぬまでバイオリンを弾いて暮らして飢え死にしたいとまで思ってました。ということで、翌年、バイオリンは無理と言われ、ギターをおじいちゃんからもらって弾き始めるんですけど、しかも、いまだに僕は歌ってます笑。いいですよね、こういう首尾一貫しているところが、僕は自分のそんなところが好きです。キリギリスが好きでギターを弾いて今でもキリギリスのような人生を歩んでいるのは、なぜならそのような人生を歩むとその時に決めたからなんです。だから今、こうしてみんなの前で口にするのが楽しいんです。だって、あの時の僕と再会できて、褒めてあげることができるからです。よくぞ、アリ派にならなかったな、と。キリギリスは別にアリに食料なんかもらいません。キリギリスは自分で食べます。ただもしも冬、飢饉になってみんなで困ったらどうするかって時にでもキリギリスは音楽を手にしたというわけです。人の心を豊かにさせようとしたんです。それをなんでアリは備蓄している食料をあげないんですか? 意味がわかりません。僕が先生ならアリになってはいけないと伝えます。自分の財は人に分け与えなさい。さもないと死にますよ。流れないんだから。その財は死ぬんです。経済ではないのですから、その共同体からは除去されるんです、と伝えますよ。
というわけで、僕はキリギリスを主人公のキャラクターグッズを作ったわけですね、便箋を作ったら、次はその便箋をいれる封筒作り。これは好きな封筒を分解したら、どこに折り目をつけたらそうなるかがわかります。もちろんこれもA4用紙と糊さえあれば簡単にできます。するとこれでレターセットができるわけです。記念すべきサカリオの初めての商品です。
さて次はどうすれば文房具メーカーが発売したレターセットになるんでしょう。僕はいろんな文房具を見ながら、閃きました。なんと全て透明のOP P袋に入っていたんです。これには目が鱗でした。なんとなく今のところただの紙に色鉛筆で絵を描いただけみたいな感じが残っているんですよね。それがOPP袋に入れるだけで一変するんです。全て変わる。母ちゃんに相談しました。すると、母ちゃんはそんな袋をたくさん持ってたんですね。なぜなら母ちゃんはお菓子作りが好きで、誰かにあげる時にちょっとそういうものに入れると喜ばれるんだって言ってました。で、さっそく透明の袋をもらってきて、便箋を入れてみたいんですよ。ビンせん2枚と封筒2枚のセットを一つの透明の袋に。すると、まさにこれが文房具メーカーサカリオの第一作の商品になったんです。袋の中のキリギスの顔が引き締まって見えました。さらに名前シールってあるじゃないですか、青い枠とか赤い枠とかのあれを袋に貼ったらさらに商品っぽくなりまして、思わず僕は50円って書き込みました。初めて自分が作ったものに値段をつけた瞬間です。みなさんはありますか? 値段をつけたことが? 楽しいですよ。今すぐ何か作ってみてください。そして、値段をつけてみてください。楽しいですか? 確認するのはそれだけです。僕は楽しかった! つまり、流れてますね。経済ですね。翌日僕はそれを5セット持って学校へ行き、興味を持ってくれた女性五人に手渡しました。
いいんです。先にお金は絶対に取らないこと。それじゃ流れません。だって、僕が作ったものを人はまだ商品とは思っていないじゃないですか。だから焦ってお金はもらいませんでした。でもきっと大丈夫。なぜなら袋に入ったものを取り出した時、僕はなんとも言えない感動を味わっていたからです。自分でさえそうなのです。だって、自分のチンチンとかおまんことか触って私たちは普段からオナニーをたびたびするわけですけど、ま、それでも気持ちはいいじゃないですか? でも、それが他人が触ると、もっとずっと気持ちよくないですか? なんというか知らない者同士が知らない手で触ったりすること自体に意味があると思うんですよね。もしかして楽しくないですか? そこ流れてますよねきっと? つまり、それも経済なんですね。つまりセックスも経済ですよね。売春だけが経済としてのセックスではないんです。
ま、それはいいとして、他人が自分が作ったものを見るときもまたそのような効果があるかもしれないと僕は気付いたんですね。だって、妹に袋に入れたものを見せたら興奮してましたから。実は第一作の試作品は妹がどうしても欲しいって言うからただであげたんです。だから自信があったんですね。絶対に翌日、彼女らは家に持って帰って「これ恭君が作ったんだけど」とか言って見せて盛り上がるだろう、と。しかも、そこに50円と書いてあるのを彼女らは、だって恭くんくれたよ、とか言ってごまかすかもしれないが、大人はそうは行かないだろう、と。「貸しは作るな、いつも貸せ」は僕のおじいちゃんの口癖でした。だから貸すんですね、僕は。人にこれしてあれしてとは決して言いません。人には「なんでもしてあげるよ」と言います。これぞ生き延びる極意なんですね。極道とも言います。いけませんそんなことを言っては。だから大人が五十円をその子供たちに手渡すだろうと予想したわけです。手渡さなくてもいいんです。楽しいんですから。そこも大事なところです。ま、もらえたらラッキーくらいの気分で、でもその日の夢ではお金をもらってました。あ、僕はいつも夢で試すんです。現実では失敗しませんが、夢では失敗してもいいと思って、無茶なことをたくさん試します。
どうやるかと言うと、寝る前にですね、頭の中に教室を思い浮かべます。細かいところまでちゃんと忠実に再現するんです。教室ができたら次は机を思い浮かべ、そして椅子、そして、人間を一人ずつクラスの友達を思い浮かべます。正確に、です。ここがポイントです。そして、今日の昼休みにキリギスレターセットをあげた五人の女性たちにその夢の中で声をかけるんです。まあ、まだ寝てませんが、寝ぼけてはいます。だから女性たちはポケットに手を突っ込んでくれます。手を広げると五十円玉が入ってます。僕は嬉しくなって女性たちに抱きつきます。女性たちもまんざらではない様子です。そのまま僕は熟睡するのです。これが夢の練習です。夢で練習するってことです。そうすると現実で失敗しません。みなさん騙されたと思ってぜひやってみてくださいね。僕はこれで5年生の時、全てのテストを100点とって、なんと通知表は全てオール5に右上に丸までついてたんです。規格外ってことです。もちろんです。失敗しないんですから。夢での練習のおかげです。簡単なことです。イメージするって僕が度々伝えてるその源流がこの夢の練習です。みなさんもその技術を身につけたら失敗という文字が辞書から消えますよ。
というわけで翌日、本当に四人の人が五十円を持ってきてくれたんです。一人だけ頑固にお金を払わない子がいましたが、周りの子ははらいなさいって言ったんですよ。でも僕はいいじゃないかいいじゃないかと伝えました。だけど、その子、レターセット自体はとても気に入ってくれて、なんとその便箋を使って、後日、僕にラブレターを書いてくれました。しかも、今でもとても仲の良い友達です。彼女はお金を払わなかった代わりに、好きという言葉を僕に払ったということですね。これもまた流れです。それで僕はより一層学校が楽しくなったんですから。つまり、経済です。
というわけで、今日はサカリオの話でした。僕の経済についての歴史話はまだまだ続くんですが、今日は、娘の病院の定期検診があって、もう出なくてはなりませんので、今日の授業は早めに終わります。みなさんに宿題はどうしますかね?
宿題はこんにゃくを湯煎して温めて、それを人間の舌の形にカッターで正確に成形して、それを使って、舐められているような感じでオナニーしてみてください。つまり、人が触ってる舐めてるみたいな感じと、自分で触った時とどれくらい気持ち良さが違うのかってことを、実験してみてください。これは真面目な実験ですよ。やったらわかるってやつです。経験しないとわかりません。ぜひ宿題もいつも楽しんでやってくれたらと思ってます。
それではまた明日。明日ではまだ終わりそうになりですね。よかったですねみなさん。
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