広く浅く生きる効能 その2 好きなことがわからない人へ

 広く浅く生きる、ってどういうことかというと、まあ、なんでも適当に好きなことやって生きていこう、というしょうもないことになるんですけど、これが結構、難題でもあるらしいですね。つまり、どういうことかというと、好きなことが何かわからないって人がある一定数いるんです。僕が相談を聞いている限りでは、かなりの数います。多くの人が、自分の好きなことが何かわかっていないんです。これは僕の中では大問題なのですが、結構、普通にそういう人がいます。しかも、あんまり問題になっていないんです。好きなことを適当にやる、なんて人生ではない、と思い込んでいるようにすら思えてしまいます。好きなことをやる、だなんて贅沢だ、みたいな感じで。好きなことをやり続けることは不可能であるとあたかも最初から思い込んで、生きているように見えます。そういう人がその後によく言う言葉があります。それは、生きるって何か意味あるんですか?という言葉です。

 生きる意味?

 僕は生きる意味がわかっている人に会ったことがないから、よくわかっていません。生きる意味がわかりませんって人は多々いるが、生きる意味がわかりました!って喜んでいる人は皆無なんですね。本当に一人も出会ったことがありません。だからちょっと慎重に言葉に耳を傾ける必要があるんです。生きる意味がわかりませんといきなり言われてもびっくりしますが、その前に色々あるんですね言葉が、やりたくもないのにやらなくちゃいけないと言われ、色々やってきたけど、失敗してばかりで、もうどうにもならん、この先、これをやり続けて、生きていても意味がない、って感じです。たぶん、使っている言葉が間違っているんだと思います。生きる意味がない、という人は、おそらくなんですけど、これ以上、今までやってきた生き方をしたくない、もっと言うと、全然楽しくない、ってことなんだと思うんです。というのは、僕がいつも質問するからなんです。生きる意味がない、って言う人に必ず僕は「今やっていることで、楽しいことはなんですか?」って聞くんです。なぜなら、僕自身も生きる意味を見出す、というところにまでは至ってないですが、少しでも楽しいことがあれば、これをやっている間は楽しいんだから他のこともちょっとが我慢できる、と思って生きてきたからです。だからそこが突破口になると思って聞くんです。「色々辛いんでしょうけど、せめて何か楽しいことはないんですか?」と。すると、なんかいつも怒られちゃうんです。「楽しいことなんかあるわけないでしょ」と。死にたいと思っているときに、楽しいことなんかできるわけないじゃないですか、馬鹿にしているんですか、と怒られます。

 楽しいことが一つもないんだったら、そりゃ死にたくもなりますよ、と僕は納得してしまいます。

 大人だったらわかりにくいかもしれませんが、子供の時を考えたらすぐにわかるじゃないですか。子供の時、何ひとつ楽しいことができずに、楽しくないことを嫌々ずっとやってたらどうしますか? 簡単に死にたくなるじゃないですか。生きることに意味があるとかなんとか考える暇もないじゃないですか。そもそも生きることが楽しくないんですから。

 子供だったら、生きる意味なんか問わないわけですよ。最近では中学生くらいから問う人が増えているってのが僕の実感ですが。

 もっと簡単に言うと、生きることが楽しくない、ってことです。ただひたすら楽しくないんですよ、生きる意味を問う人は。

 むちゃくちゃ安直かもしれませんが、僕は広く浅くの人なので、これくらいしか考えることができません。

 でも難しく考えることの良さもあるかもしれませんが、ある程度大抵のことは簡単に考えた方が楽です。楽をすると、余裕ができますから、危機に対応することができるんですね。つまり、体が危機を感じている時、難しく考えることは多分毒になるんです。難しく考えることが悪いとは思ってません。それは頭を使うことが得意な人にとっては、素晴らしい結果をもたらすでしょう。でも、危機を感じている人にとってはただの毒にしかなりません。余裕がないのに難しいことを考えることはできないからです。

 ということで、今は危機ですから、さらっと適当に考えましょう。生きる意味とは何かと問う時は、何か哲学的な大問題とぶつかっているような充実した時間ではなく、実は、ただ楽しくない、時です。すみません。どうでもいい話ばかりしているのではないかと不安にもなりますが、僕は簡単なことを簡単にゆっくり考えてみることが好きなんですね。こうやって簡単なことをゆっくり考えると、体は楽ですからどんどん考えられますので、楽しんです。考えることって小難しく考えるだけが全てじゃないんですよ。簡単なことをゆっくりじっくり楽しみながら考えるってことも考えるなんです。健康で頭の良い人であれば、少しは難しく考えることの効能も感じていいと思いますが、この本を読もうとしている人は、結構危機が訪れていると仮定しますと、簡単なことからゆっくり考えて、楽しむことを覚えていってほしいんです。楽しいこともあるんですよ、この世には。楽しいことを知らないと、それこそ生きる意味があるとかないとか、考えてしまうから気をつけましょう。ただ楽しくないんですよ、きっと。ただ退屈している。退屈な人生が苦行にしか思えていないだけかもしれませんよ。

 で、退屈しのぎを考えたいわけです。苦しんでいる方が少しでも楽になってほしいから。そこで好きなことってありますか?と聞くと、みんな動きが止まってしまいます。好きなことがわからなくなっているんですね。好きなことが一つもない時間が延々と襲ってくる人生、そりゃ辛いですよ、死にたくもなりますよ。わかります。なぜなら、僕も経験があるからです。でも好きなことが一つもないわけじゃないんですね。僕は広く浅く生きる人生を送ってきましたので、適当に好きなことを見つけることがうまいんです。でも、僕は躁鬱病というものを患ってまして、もうほぼ完治しているのですが、ちょっと昔までは3ヶ月に一回くらい、自動的に死にたくなったんです。不思議なものです。悩みなんか一つもないのに、死にたくなるんです。そのときに、僕もなっていたんです。好きなことなんか何一つもない、と感じるように。これは結構辛いです。もう本当に死にたくなります。好きなことが何一つもないなんてことは絶対に僕の場合はないのですが、なぜか自動的にそう思ってしまうんです。これが躁鬱病の鬱状態です。恐ろしい状態ですが、ずっとは続きません。ある程度で落ち着いてきて、すぐに好きなことを思い出します。そんなわけで僕は死なずに済んだのですが、好きなことがわからない、って時の絶望的な状態は、想像だけでなく、経験でわかってます。辛いと思います。そりゃ生きる意味を問いかけたりするよ、と思います。

 というわけで、好きなことの見つけ方、についてのヒントをここで書いてみたいと思います。

 あまりにも簡単すぎることを書くのですが、これは本当にわからなくなっている人用の文章です。ですので、わかるわかるって人のために書きませんので、無駄に丁寧に書くと思います。当たり前のことを書くなと言わないでくださいね。好きなことが本当にわからなくなっている人がいるんです。本当に。僕は自分でも経験してますので痛いほどわかります。なので、健康な人は読み飛ばしてください。好きなことが何かを知覚しておくことは、広く浅く生きるためには最低条件ですので、ここは本当に大事なところです。でもあまりにもわかりきっていることでもあります。健康な人は読まないように。変に僕が文句を言われるだけです。とにかく今回は、わかりきっていることをゆっくり丁寧に書いてみたいんです。なぜなら、それが僕の楽しみだからでもあります。

 それではいきます。

 まず、好きなことは未来にあるのではありません。好きなことは過去にしかありません。

 こちらの説明をしましょう。好きなことがわからない、と言っているみなさんは、みなさん同じように、好きなことというものは近い将来、自分が見つけることができるものだと思い込んでます。しかし、それは最初から完全に間違ってます。好きなことは未来にはありません。なぜかわかりますか? 話を少し変えると、美味しいものは未来にはないのはわかりますか? なぜなら食べたことがないからです。意味わかりますか? 食べたことがないものは美味しさがわからないということはわかりますか? だからあなたが好きな食べ物は、今まで食べてきたものの中にしかないんです。もちろん、新しく美味しさを近い将来見つけ出すという可能性もなくはないですよ。でもそれはもう偶然の世界で、自分で検討をつけることができないんですよ。検討がつけられないものは存在しないというわけではないんです。それは偶然に見つかるだけですので、ラッキーってことです。自分の好きなものを、まだ食べたことのない食べ物の中から選ぶ人はいないでしょ? そういうことです。簡単なことです。好きな食べ物とは、今まで食べてきたものの中から見つけるものです。以前食べたあの美味しさを、あの忘れられない美味しさをもう一度、味わいたい、という感じです。それが好きってことです。

 好きなことっていうのは、好きな食べ物が変形したものです。だから未来にはないんです。簡単なことです。

 つまり、好きなことは、今まで生きてきて、何をしている時が楽しかったか、ってことです。むしろ、それだけです。

 楽しかった、という感覚を忘れている人もいます。苦しい時は何もかも苦しい思い出になってしまうのも確かです。ですから楽しかったのは何をしている時だったのかと思い出そうとしても、できないです。全部楽しくないってなりますから。そんな時、僕がよくやる方法は、何をしている時が一番マシだったか、って考えるんです。人生とはどっちがマシかと選択していく連続です。元々みなさんも僕もたいした能力はないわけですから、すみません、そのつもりで話してます。能力が高いと自負している方は僕の話は聞かないほうがいいと思います。僕は能力がないという前提で生きている専用の人です。という前提ですので、変に怒ったりしないでくださいね。僕もみなさんもたいした能力はありません。しかし、だからといって、人生がつまらないわけでもなんでもないんだって話をしたいわけです。なんとかやりくりすることで、結構楽しめるぞ、という話です。僕は生きる意味なんかいまだに一切わかってませんが、なんか結構楽しいかも生きることって、くらいの状態にいます。まあ、ずいぶん適当ですが、それでいいんです。それが中途半端な能力しか持ち合わせのない人間による幸福論でもあります。結構楽になれますよ、と僕は意外と強く思ってます。

 ということで、人生で一番マシだった時のことを思い出してみてください。 

 僕は10歳の頃です。あの頃は明日のことなんか考えずに毎日、なんか面白かったです。中学生に入るとそうでもなくなりました。めんどくさいなと思っていた。高校になると、楽しいことと同じくらい、将来どうやって生きていくんかなあって不安になってました。でも10歳の時の僕はちょっと違ってました。なんか不満が全然なかった。勉強はほどほどにしてました。それ以外のことが面白かった。本はほとんど読んでませんでした。でも本みたいなものを作りたいなと思ってました。漫画もほとんど読めませんでした。読んでいると、自分で漫画を描きたくなっていたんです。歌を作るのも好きでした。あとはダンボールで適当に工作してました。紙と鉛筆だけあれば、ゲームとか文房具とかなんでも作ってました。全部たいして能力はありませんでした。それは問題ではありません。それをやっていることが好きなだけで、結果はどうでもよかったし、自分なりには楽しめるものが作り出すことができていた。

 そんな感じでマシだった時を思い出してみてください。そのときにコツは、たった一日でいいってことです。10歳の時ずっとマシである必要はありません。たったの一日でいいんです。とにかく人生で一番マシだった1日を思い出してみてください。そこに全てが詰め込まれてます。それだとあるような気がしてきませんか? とにかく能力は関係ないですから気にせずに。みんな何かをやるときに、自分が能力がないことを気にしてやらない、みたいな人がいるんですが、それはもう狂気だと僕は言ってしまいます。なぜなら、能力とは経験した時間のことですから。もちろん、ある人は1日で覚えられることがある人には一年もかかってしまうというくらいの差はありますよ。しかし、厳密にみると、実は差がないこともわかってくるはずです。能力があると言われる人は早くから自分の体にしっくりいくと感じて、練習を積んでいるだけです。ちょっと失敗したくらいで落ち込むのは周りが悪いだけです。周りで笑う人がいると能力がないとすぐに思い込んでしまいます。大事なことは笑われることなく、穏やかにやってたマシなことです。だから、小さいときに一人で黙々やってたあれです。別に誰かに見せるつもりもなく、ただ適当にやっていて、やっていることが楽しかったあれ。あのマシなアレを思い出してみてください。僕の経験では、それはすぐに見つかります。でもそれじゃ、食っていけない、とか、いきなり、下手な大人出してこないでくださいね。広く浅く生きるためには、実は長い時間が必要になります。広く浅く死ぬまで生きるってことです。それで稼ぐとかそういうことでは一切ありません。金にはならないかもしれませんが、むっちゃ面白い人生が送れることは僕が保証します。金なんてどうでもいいのです。幸福であれば、金が無かろうが、どうやってでも楽しく生きれるし、もっと言うと、そういうずっと続けられることでない限り、継続的に稼ぐこともまた不可能なんです。とにかく人生最高の瞬間なんかどうでもいいので、人生で一番穏やかに楽しく過ごせたマシな1日のことをどうぞ、一回振り返ってみてください。それがあなたの種になります。

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