幸福人フー  第3回 不安ゼロの人


 さて今回は、フーちゃんが躁鬱病の僕とどのように過ごしてきたのかってことを聞いていこうと思っているのですが、まずは僕が躁鬱病と付き合っていく上でフーちゃんにどのように助けられてきたのかってことを、僕の視点から書いてみたいと思います。フーちゃんにじっくり話を聞きたいところなんですが、フーちゃんは昨年から、生まれて初めて自分のお店を持ち、週末だけは家から離れて、店番をしてジュエリーを売っているので、今日、金曜日なんですが、金曜日と土曜日はなかなか話は聞けないんです。でも、僕は、どんどん書きたい。フーちゃんへのインタビューは少しだけにして、僕が感じているフーちゃんを書いていくことにしましょう。今回のインタビューを通じて、僕自身も初めて気づくことが多く、そのこと自体も記録しておかなきゃとも思うからです。

 昨日の文章もフーちゃん全部読んでくれたみたいなんですが、今日は朝、「文章面白かった!」という感想をもらいました。とにかくフーちゃんは細かく僕に言葉で伝えるみたいなことはほとんどしません。フーちゃんは僕自身を分析するとか、評価するとか、そういうことを一切しないんですね。へえ、とかそうなんだー、とかしか言いません。私はこう思うよ、みたいに自論を僕にぶつけるみたいな感じがないんです。というわけで、議論になったりすることがありません。喋るのはいつも僕で、その感想を、適当にする、もしくはただ相槌を打つだけです。

 

 僕は10代の時から、精神の波が激しく、かなり目に見えてきつくなってきたのは19歳の時、つまり、大学進学とともに、熊本から東京に出て、一人暮らしをはじめてからのことです。とは言っても、今のように、躁と鬱がはっきりと別れているわけではありませんでした。鬱だからと、誰とも会わずに、ずっと部屋で引きこもっているというわけでもありませんでした。そもそも躁鬱病という言葉を知りませんでした。でも何かおかしいなとはずっと思ってました。なんでもやれると思っている時はいいんですが、反対に、不安で完全に体が固まるみたいな状態になると、外を眺めていても、全て灰色に見えるし、忘れっぽくなるし、手元もおぼつかないし、人とも話せないし、作り笑いをしかなく、一人になりたいけど、一人になると不安すぎて怖くなるみたいな状態がしばらく続きます。しかも、こんな状態を人に相談してはいけないと思い込んでいて、でも、一人でどうすることもできずに、本屋さんで、不安を感じる人へ、みたいな自己啓発本を見つけると、ついつい手に取って読んでしまいます。のちに気づくことなんですが、鬱の時は、そんな本を読んでも、全て自分に当てはまると思ってしまうんですね、ですから、どんどん悪い方向へと考えてしまいます。しかも、そういう本に、具体的な解決法みたいなものは一切書かれていないんです。だからもうだめだーってなる。でも部屋で寝込んでいた記憶はありません。1週間くらいしたら、また躁状態になって、何か閃いて、取り掛かっていたんだと思います。10代の頃、20歳代前半は、僕は何をしたらいいのかが全くわからず、でも何かはしたい、したいけど、それが何かはわからない、最初は、ヒッチハイクとか旅とか弾き語りして全国一周とかそんなふうにして躁状態のエネルギーを体力を浪費させることばかりやってました。しかし、どうもこれだけじゃ物足りない、よく考えたら、小さい頃から、僕は文章書いたり、絵を描いたりして、本を作ってきた、だから、本を書いたらいいんじゃないか、と大学卒業近くになって思うようになってました。でもやり方もわからないし、そもそも僕は何かを作ることには少しだけ得意かもしれないとは思っていたんですが、本を全く読めなかったんです。そんな人間が本を書きたいかあ、変だなあ、できるのかなあ、でも卒業論文を、本の執筆だと思って、生まれて初めて取り組んでみたんですが、それは素晴らしい出来だったんです。審査でも大学で一番いい成績をつけてもらったんです。もしかしたらいけるのかしれない。でもどうやって? そんな感じで、僕は在学中に作り上げた一冊の自家製本を持って、もちろんエントリーシートも書かず、スーツも持たず、就職活動など少しもせずに、卒業しました。夢はあるっちゃあるけど、それをどう叶えたらいいのかはわからない、でも、一冊の本は書いてあって、その本自体は持っているだけで、元気になる。僕がフーちゃんと出会った頃はそんな感じでした。ま、どこの馬の骨かわからない人間でした。

 

 それでフーちゃんと出会い、僕は最初に書いたように、生まれて初めて、鬱状態の自分をフーちゃんに見せたんですね。他人に伝えたこと自体が初めてでした。しかも、当時はこれが鬱だとかも知らなかったんです。ただ「不安」だと思ってました。

「付き合ったばかりの頃、高円寺に住んでたじゃん、あの四畳半の狭い家。時々、恭平、家で泣いてた」

 僕はもう忘れてしまっていたんですが、フーちゃんは覚えてました。泣いて、なんだか知らないけど、不安で苦しいと言ってたそうです。当時は、その不安を両親のせいだと言ってたそうです。「自分が買った洋服のことを、母親に笑われていた。それが今でも辛くて、悔しくて、怒りを感じる」と僕はフーちゃんに言ってたそうです。ここで興味深いのは、フーちゃんは僕の言葉をそのまま鵜呑みにしないんですね。もちろん、苦しいこと自体は理解してくれるんです。そう感じたんなら、そりゃきついよ、と。でも同時に、それは親が悪いよ、みたいな感じに言わないんですね。きっと、お母さんも悪気があって言ってたわけじゃなくて、少しからかうつもりだったんだろうけど、言い方がきつかったのかもね、みたいな感じで。僕としてはもっと理解してほしい、みたいな気持ちがないわけでもないんです。母親を悪者にして、僕をもっと守ってよ、みたいな感じに。フーちゃんは絶対にそう言わないんですね。フーちゃんは当時から、今もですが、僕の両親ともむちゃくちゃ仲が良いんです。それとこれとはしっかり別になってる。僕のことも否定しないんですが、母親のことも否定しないわけです。僕の意見や気持ちは尊重してくれます。しかし、フーちゃんはそのあとこう言うんです。

「それと私が恭平の両親をどう見るのかはまた別の話なんだよ」

 もしも、自分が親との関係で不安を感じていたりしたら、僕の話に共感して、それに自分の不安も合体して、僕が正しい、親が間違っているんだ、みたいになっていたのかもしれません。しかし、フーちゃんは全く違うんです。フーちゃんは僕の不安に共感したことが一度もありません。

 それはなぜかというと、フーちゃんが不安というものを感じないからです。

 そのことが僕はずっと理解することができませんでした。不安を感じないってあり得ないと思っていたんです。

 誰だって感じるのが不安じゃないですか。不安のない人生なんか存在しないじゃないですか。なんなら不安があるからこそ、人間はそれに打ち勝つための努力をしたりするのではないか。凝り固まった僕の考えはそんな感じでした。フーちゃんに「不安じゃないの?」と何度聞いたことか。それは僕たちが一緒に暮らしはじめからもずっと僕は聞いてきました。そのたびにフーちゃんは「う、、、感じてないかも?」と惚けたようにつぶやき、しばらく黙ったあと、突然笑い出すんです。それを見てたら、僕も自分が深刻になっているのが馬鹿らしくなって、一緒に笑ってしまいます。

「あのね、恭平も、そりゃ今は鬱っぽいから不安をずっと感じているように思い込んでいるけど、そんなことないよ、普段は結構元気だから。私から見たら、そんなことできる?みたいなことにも果敢に挑戦してるもん。だから、不安を感じている時もあるけど、感じてなくて超楽しいって思っている時もあるんだと思うよ」

 フーちゃんはすかさずそう僕に言うんです。そっか、今は落ち込んでるからこれまでの人生で感じた不安も全部思い出しちゃって、今までずっと不安だったと言ってしまうのか。

「そうだよー。恭平大袈裟だもん。そうじゃない時もたくさんあったのに、今の視点から見てばっかりで、あの時も元気そうに見えたかもしれないけど実は腹の底では不安だったと全部言うんだもん。私は疑うことを知らないから、恭平がそう言うなら、そうかもしれない、ってついつい言っちゃうけど、でもやっぱり不安を感じてない時もあると思うよ、元気な時に質問すると、あ、あれね、あれは不安な時の僕が言う口癖だよ、って笑いながら言ってるよ。でも鬱になった時の恭平は冗談が通じないっていうか、もちろん真剣に悩んでるから、そんな時に私が、前もそれ言ってたよ、とか冗談っぽく言っても、嫌な気持ちになるじゃん、だから黙ってるだけ」

 そんなふうに伝えてくれるフーの言葉を聞きながら、僕は自分が感じていることだけが自分が感じていることじゃないってことに気づくようになりました。僕は常に今のこの瞬間の精神状態で、これまでの全ての人生で感じてきた感情を一度、即座に判断してしまうようです。今がダメなら全部ダメだったと言ってしまいがちです。しかし、実際はそうではないんです。僕は不安の分量で、すぐに自分の人生の良し悪しをその瞬間の価値観だけで決めつけてしまいます。しかし、フーちゃんはそうではありません。理由は簡単です。フーちゃんは不安ではないからです。でも僕には不安を感じたことがないということの意味が全く分かっていませんでした。そこで「不安を感じないなんて良いなあ、むっちゃ良いなあ、俺もフーちゃんみたいに不安を感じなかったらもっともっと仕事が上手くいっているはずなのになあ」と言うと、

「不安を感じない代わりかどうかはわからないけど、私は恭平みたいに、あーーー今むっちゃ幸せ!!!みたいなことも感じないんだけどねえ、、、」

 フーちゃんはさらにこう言うんです。まるで僕が酔っ払いで、フーちゃんはシラフの人みたいです。僕は感情や不安でいつも酔っ払っているんだなあっていつもフーちゃんと話すと、恥ずかしくなります。で、今度はそのことで落ち込むんです。めんどくさいでしょ、僕は。すると、すかさずフーちゃんが肩を叩くんです。

「でもいいじゃない~。それでいい絵や文章が生まれるんだから。それは恭平にしかできないことだよ~」と。

 その辺で僕はまた感情や不安の分量が、僕の中での中間地点くらいに戻り、さっと仕事場に戻って、仕事を始めることになるんです。

 

 不安が完全にゼロな人、フーちゃん。なんだか納得がいかない僕は、とにかくフーちゃんの中のどこかに不安が潜んでいないかついつい探してしまいます。

「フーちゃん今、不安?」

「うーん。。。いや、全く不安じゃないかも。ちょっと眠いかも」

「フーちゃんって眠れない日とかないの?」

「私、アトピーだからね、痒いときは眠れないけど、あとはないかな」

「これから先、いい作品が作っていくかどうかとか不安にならないの?」

「私のこと? 私はジュエリーを作るのが好きで楽しいからね。売れないかもしれないけど、作るのが楽しいから続けると思うな。売れないといっても、私のジュエリーを好きでいてくれる人が少ないかもしれないけど、少しはいる知っているし、仲が良い友人たちも応援してくれてるし、そういうのを見ると、頑張ろうって思うよ」

「うーーーん。納得がいかない。おれは不安だよ、自分がこれからも良い作品が作れるかどうかって」

「恭平は絶対大丈夫だよ。だって私ずっと横で見てきてるもん。恭平って、もちろん鬱になって落ち込む時はあるけど、どんなに苦しい時だって、いつも必ずその後に新しい作品が生まれているから。恭平が見失っても大丈夫だよ、私がずっと見てきたし、私は本当にずっと定点観測しているから。必ずいつも新しい作品生まれてるでしょ? きつい年は何度もあったけど、作品が一つも生まれなかった年って何回ある?」

「え? えっと、、、あ、一回もない」

「でしょ。だから絶対大丈夫なの。今は、調子が悪いから、全部悪い方向見てるだけだから、でも悪い方を考えないことも難しいんだろうから、それしか考えられないならそれはそれで仕方ないよ。でもそれと事実は違うから。事実は私が客観的に見てるからそっちは任せて。絶対、もう二度と作品なんか作れないって落ち込んでいる時でも、いつも必ず新しい作品を生み出してきたのが恭平だよ。それって私なんかよりもすごいことだと思うんだけどなあ。分かってないなあ。でも今はわかることができないんだから、わかることができないことに悩まなくてもいいよ。でも悩むことが仕事なのが、今だから、悩んだとしてもいい。だからなんでもいいのよ」

「うーーーん。悔しい。俺は不安ばかり感じているのに、なんでフーは感じないんだ、、、」

「そうかな? 私から見たら、恭平もほとんどの時間は不安なんか感じてないと思うよ。鬱の時は、実は躁状態の時も不安ではあるが、躁状態のエネルギーでそれを全て吹っ飛ばしているだけだから、本当は心の奥の奥の奥の方に不安があるって言ってるけど、私はそうじゃないと思ってる。だって、恭平、ちょっとでも不安感じたら、すぐ言うじゃん不安って。だから、いってない時は不安を感じてないんだよ。そもそも人間ってそんなに不安を感じるものなのかなあ」

「人間には不安がつきものであるというのが初期設定のはずなのに、フーちゃんには不安を感じられない。どこかに隠しているはず」

「隠してるように見えるの?」

「え、、、いや、全くそう感じない、、、本当に不安を感じてないように見えてる」

「それそれ、そのまま受け取ってよ。そもそも何が不安なの?」

「お金とか不安じゃないの?」

「お金って? 恭平、こんなに頑張ってるのに?」

「でも何度も、お金がなくなりそうなときあったじゃん」

「そっかな」

「なんで分かってないんだよお。あったじゃん、2009年とか、アオが一歳で、貯金残高が10万円切った時」

「あ、あの時はねえ、でも恭平、すぐ引っ越しのサカイでバイトしてくれたじゃん。私も市役所のバイトを申し込んだけど、落ちちゃって笑」

「なんで落ちて笑えるんだよ、お金がなくなるかもしれないって時に」

「でもその後、すぐ恭平の高校の同級生の親友のハザマが、100万円くれたじゃん」

「おれの絵と文章と引き換えに、ね」

「その後ももう一回あったよね?」

「50万円もらった時もあった。絵と引き換えに」

「ハザマに感謝しなきゃ!」

「確かに」

「ほら、なんとかなってきたじゃん」

「でも、何度かお金がなくなりそうなときあったはずだけど、あれどうやって切り抜けたんだっっけ?」

「他の時は、たぶん、お母さんがお金くれた」

「えっ?」

「そうだよ、お母さんとお父さんが私が成長した時のためにってずっと貯金してくれてて、それが金額を聞いてないけどそれなりにあるらしくて、50万円くらいをぽんと何度か入れてもらったことあるよ。もちろん、貯まったら返すんだけど、それでも返してないお金が結構ある。でもそれ私のために貯めててくれたからいいんだって」

「おばちゃん、、、、泣」

「ま、恭平、なんとかなるって。恭平は毎日、作品作っているんだし、私のために貯めてくれているお金もまだもう少しあるし、なんにせよ、恭平の両親も私の親も元気だし、どっちも持ち家だし、お金が本当にゼロになったら、どっちかの家に住ませてもらおうよ。ほら、だから、変に不安を感じずに、あなたは好きに仕事をしなさい。仕事はどんな精神状態になっても新しい作品作るんだし、お金がなくなっても住む家はあるんだし、私が思うには、あとはなんの不安があるの? 不安感じなくて良くない?」

 フーちゃんは助けてくれる親しい仲間、家族がいるから、なんの不安もないってことなんだそうだ。そして、不思議とフーちゃんの視点から考えると、いつも、なんで僕はこんなに無駄に不安を感じているのかの意味がわからなくなってくる。確かに、やっていきたい仕事は分かっているし、もちろん、鬱の時は何もできなくなるけど、それでも確かにフーちゃんの言う通り、どんな苦しい状態だろうと、迷子になったことはなく、どんな苦しくてもその苦しい時なりに作ることがあるし、そうやって新作が生まれて僕を助けてきた。売れようが売れまいが作品が生まれたら、あとで、いつも僕を助けてくれるし、それが最終的にはお金になって、僕たちが生きていく糧になってきた。お金がなくなった時は何度かあったが、別に借金しているわけでもないし。

「だって、私も恭平も、別に何か高い金額の欲しいものがあるわけでもないし、贅沢するのも別に興味ないし、白米と卵焼きと味噌汁食べてたら、家族全員で美味い!って喜んでるし、別に、それが一日一食になってもそれはそれで仕方ないし、なんとかなるんじゃ?」

 フーちゃんはこんな調子なのである。だからなんでもいいんだって。「そんなことはあり得ないと思うけど、もしも恭平が働けなくなるくらい鬱になったとしても、その時は私が働けばいいし、もう子供たちも大きいから自分で自分のことはできるし、恭平はずっと寝ててもいいよ。生きてたらなんでもいい。私だって、今や自分でお店持っているし、そこまで売れてないと言っても、それでもバイトするよりも全然稼げてるし、きっとどうにかなるよ。だから生活の不安とかないでしょ? あとは何を不安がるの? そもそも恭平って別に不安な人だという認識なんか私ないよ。あなたは生きることを楽しんでいるように見えるけど。鬱の時だけ。しかも鬱の時だって、一年も続いたことないでしょ。最近なんか五日間くらいで、それくらい休みなよ。死んだら仕方がないよ。もちろん恭平が死んでも、なんとかやっていくよ。きっと大丈夫。私には助けてくれる人がいるもん。恭平だって毎日いのっちの電話でみんな助けてるし、何かがあればみんな助けてくれるかもよ。そういうふうに考えてみたらどう? なんでも一人でやろうとすると大変だけど、みんな助けてくれるから、困ったら困ったから助けてって伝えたらいいだけだよ。私、そういうことを恥ずかしいとか思わないから」

「フーちゃんって恥ずかしいって感覚もないよね」

「うん。恥ずかしくない。人からどう見られるとか思ってないし、そもそも人ってそんなに人のことを悪く思うものだと思っていないかも」

「そっかあ、俺が鬱の時、人からどう見られるかむっちゃ気にするのは、つまり、人から文句を言われたり、馬鹿にされたりすることを恐れているってことかあ」

「あのね、人ってそんなに悪い人ばかりじゃないよ。もちろん、全然知らない人まで入れたらそういう人がいないとは言えないよ。事件も起きてるし。でも、恭平や私の周りにそんな人いる? 恭平は調子が悪い人が苦しそうに外を歩いていたら、あいつ鬱だ、って笑ったりするの?」

「するわけないよ」

「それと同じことだよ。恭平に悪く言う人は一人もいないと思うよ。逆でしょ。大丈夫?ってみんな心配してくれてると思うよ。でも声がかかってきてないのは、今は調子が悪そうだから、って心配して、声をかけないだけで、恭平が誰かに電話して、助けてって伝えたら、きっとみんなすぐ家に来てくれて、助けてくれると思うよ。それをしたくないのならしなくてもいいんだけど」

「おれはフーちゃんみたいに世界を見たいよ」

「うん、いつもはできてるよ。元気な時は。私と同じように世界に対して開いているよ。開きすぎって時もあるけど」

「なんで、フーちゃんはそんなにバランスが良いんだよ。俺はいっつも偏ってる」

「あははは、そこが恭平の良いところなんだと思うよ」

「ムキー」

 とまあ、こんな対話が延々と続くのであるが、どこを探しても、フーちゃんの中に不安が一つも見つからないし、不安ではない理由もいつもしっかりしているし、全部納得できちゃうのである。同時に、なんで、僕はそんなに不安がるのか、と不安になってくる。

「悩むのは、好きだよね、恭平は。それはそれでなんか意味があるんだと思うよ」

 不安がる僕を否定もしないんです。でももうここまで話すと、すでに僕の不安は蝶々みたいにどこかに飛んでいってしまってるんです。

 この対話は最近の対話なんですが、この感じをもうずっと出会った頃から続けているんです。フーちゃんは本当に出会った頃から、何も変わってません。その頃、僕は23歳でフーちゃんも24歳。若かったはずですから、悩みの一つくらいありそうですが、それが全く見当たりませんでした。24歳の時からこの調子でした。フーちゃんは自分がこうなりたい、という姿がありません。だからといって、何もできない人だと思っている様子も微塵もありません。当時は、ジュエリーの専門学校を卒業し、代官山のジュエリーショップで働き始めた頃です。なんというか、大きな、自分がこうなるべきみたいな姿がない代わりに、フーちゃんはいつも等身大の自分がいて、どんなことでもいつはじめたとしても遅くないからゆっくり着実にやっていこう、みたいな精神がありました。大学を卒業し、就職もせずにジュエリーを作りたいと思ったからジュエリーの専門学校に入って、そこがむちゃくちゃ楽しかったらしいです。作ることが楽しいんだと自分でわかって嬉しくなって学校に行ってたと。楽しいから技術もどんどん覚えていくわけです。フーちゃんは気が遠くなったりしません。大学卒業した後だからもう遅いとかもありません。みんなは就職しているのに、自分だけ遅れているみたいな思考回路もありません。まわりはもちろん仲が良くみんな応援します。自分の中に恥ずかしさがありませんから、自分のみっともない姿を見られているみたいな感じが少しもありません。僕だったら、自分は当時日雇いのバイトを嫌々やっていたので、そんな姿をフーちゃんに見せたくないとか思っていたのですが、フーちゃんはそのような、ズレがほとんどないんです。そこは出会ってからずっと一貫してました。ジュエリーを作ることでこれからどうやっていくかみたいなことで、フーちゃんが悩んでいる様子が全くありません。僕は、それを昔は突っ込んだりしてました。もっと将来の夢を描かないと、実現しないぞ、みたいな感じで。でも、フーちゃんはいつもとぼけて、あ、そっか、どんな感じになりたいのかなあ、わかんないなあ、みたいに言うんです。でも手先は本当に器用で、何よりも、丁寧なんです。本当に丁寧に小さなジュエリーを作る。一つも雑なところがないんです。不安を感じている僕は、細部は結構雑で、大きな夢はあるけど、生活が丁寧だったかというと全くそうではなく、なんというか、大きなものを見るばっかりに、足が地についていないわけです。フーちゃんにはそのような自分の感覚からズレてまで妄想することが全くありませんでした。自分ができることだけを最大限やっていく。ほんとそのシンプルな生活を実践してました。だから一度も落胆しないんです。何よりも、自分が楽しいと思えることを知っている。自分の特徴をよく知っている。得意なこと、好きなことをよく知っている。それを自分だけでなく、家族も知っている、仲間も知っている。フーちゃんはそういう人との関係を、小さい頃からずっと続けているような感覚がありました。僕はその都度、その都度、成長のたびに付き合う人も変われば、感覚も変わっていたのですが、フーちゃんはそこが一つの道になって続いているような、しかもその道は安心感があり、危険な空気が微塵もなく、だからといって甘やかされているという感じも全くないんです。だって、僕は一人でいることが当時怖かったのに、フーちゃんにそのような恐怖心が全くなかったのです。フーちゃんは出会った時にはすでに一人でいることの天才でした。

 書けば書くほど、なんでそんなふうに成長できたのか不思議に思う一方、こうも僕は思うのです。

 それはとても自然な成長なのではないか。別におかしなことでも特別なことでもなく、フーちゃんはとても素直にまっすぐ正直に成長してきただけのような気もする。そして、同時に、僕はなんで自分はそのように素直に育つことができなかったのか、って憧れのようなものを抱いてしまいます。そして、ついつい僕はよくフーちゃんみたいになりたいと言っちゃってました。すると、いつもフーちゃんがガハハと笑いながらこう言うんです。

「恭平が私にもしもなったら、絶対になれないんだけどね、でももしも私になったら、きっとむちゃくちゃ退屈して、びっくりすると思うよ。だから、恭平は恭平のままでいいの」

 退屈する、と聞いて、少しほっとしたのを覚えてます。あ、良いんだ、僕は僕で、と。その辺の細かいところの言葉の選び方がフーちゃんは徹底して優しいんです。少し僕が喜ぶように言ってくれるわけですね、しかも、それがおそらく意識的ではない。フーちゃんには人を馬鹿にするような精神が本当に一ミリも潜んでいません。そして、僕はそのような人と出会ったことがほとんどなかったんです。しかし、僕はフーちゃんと出会ったあとにはそのような人と出会うことになるんです。フーちゃんのお母さんだってそうで、お姉ちゃんもそうでした。親戚のおばちゃんおじちゃんたちとも仲良くなるのですが、彼らにもそのような感覚がありませんでした。あとは血は繋がっていない、フーちゃんの幼馴染、フーちゃんのお父さんの会社の同僚の家族とも僕は仲良くなるのですが、彼らにもまたそのような感覚がありませんでした。なんかみんなまっすぐ素直で、そして、そんなフーちゃんの家族や親戚や幼馴染たちの人が、僕に対して、まっすぐ素直に触れてくれて、しかも、僕のことをまっすぐ素直な人だねって思ってくれたように僕は感じました。なんかどこにもその裏を疑うみたいな感じがないっていうか、なんですかね、これは、なかなかうまく言葉にすることができないんですが、僕は嬉しかったんです。僕は心が楽になって、僕は自分自身のことを素直な人間なのかもしれないって思えて、それが嬉しかったんです。僕はどこか家族というものに対して、否定的な感覚がありました。僕が何かやろうとすると、いつも文句を言われているような。だから親にも反発してました。でもフーちゃんと会ってから僕は自分の家族に対する視線も少しずつ変化していったんだと思います。もちろん、僕はフーちゃんにはなれません。なる必要もない、とフーちゃんは言います。僕はもちろん、一人の他人として、フーちゃんに接するしかありません。そりゃ当然です。でも、僕はフーちゃんと出会うことで、フーちゃんが生まれてからずっと感じてきたであろう優しさや安心のようなものを、僕は勝手に自分は感じてこなかったと思っていたようなことを、僕にもそれがあったんだ、ともう一度感じることができるようになったような気がします。それだけじゃなくて、僕なりに自分が安心できる、不安なんか何一つもないんだ、って状態を、過去に求めるのではなく、自分なりに作ることもできるんだよ、とフーちゃんに無言のまま教えられたような気がします。フーちゃんは私に任せて、私が手伝うなんてことは言わないんです。やるのは自分でしょ、と。でも一緒にいるんだから、時々は助け合いながらやればいいし、困ったら、助け合おう、と。でもやるのは自分だよ、とフーちゃんはいつも無言のまま伝えてきます。でも、できるよ、それが、という強い確信が、フーちゃんが育ってきた時間、一緒に育ってきた人たちとの関係からぐわーっと僕のところに具体的な塊として、それはもちろん言葉にはできないし、触ることはできないのですが、それが安心の塊として、見ることはできてました。僕はそれこそが、幸福、なのかもしれないと、23歳の時に思ったわけです。もちろん手に入れてはいませんが、手本はありました。フーちゃんが僕の生きる手本になったんです。彼女は何かに秀でているとかでもなく、金持ちのお嬢様というわけでもなく、とびきりの美女でもなく、ナイスボディだったわけでもありません。フーちゃんは、素直に嘘をつかずに優しい周りの人たちに囲まれて生きる幸福な人でした。

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