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生きのびるための事務 第9講 どんな駄作でも誰かには大好きな傑作にみえる

第9講 どんな駄作でも誰かには大好きな傑作にみえる

「リトルモアから電話があって、0円ハウス本当に企画通過したって!」
「そりゃそうなりますよ。印税0円でいいんですから」
「重版からは印税も10%くれることになったし」
「翻訳の件もオッケーになりましたか?」
「うん。でも翻訳代として5万円しか出せないんだってさ」
「印税0円なのにケチですね」
「無理かなこれ」
「無理なことは何一つないですよ」
「どうすりゃいいのよ」
「恭平、あなたと同じようにやればいいんです」
「?」
「さすがにプロの翻訳家に5万円で200ページの翻訳を頼むことはできないでしょうから」
「素人にやってもらう?」
「そうです。とは言っても、英語できない人じゃ無理でしょうから、将来翻訳家になりたい人を見つけましょう」
「なるほど、それでその人の将来の現実を今すぐ実現してみるってことか」
「はい、それなら5万円でやってくれると思いますよ。あなたも0円で本を出すでしょ?」
「うん、出す出す、まずはそのきっかけを掴まなきゃ仕事にならないからね」
「そうです、まずは金よりも経験、経験をしないことには先に進めません」
「でも素人にやってもらってもいい翻訳ができるかどうか、悪い翻訳なら逆効果なんじゃないかな」
「そこはネイティヴの翻訳家にチェックしてもらった方がいいですよね」
「それは俺がやるの?」
「まさか、コネないでしょ? その今、素人だけど、将来、翻訳家になりたい人であれば、英語がネイティヴの翻訳の先生がいると思います」
「そのチェックまでお願いして、5万円で、やってもらえるかな」
「即金で払えばやる気になると思いますよ」
「リトルモアくれますかね?」
「無理でしょうね。会社って、すぐお金払えませんから、社長の許可が必要ですし、印税だって、本を出した3ヶ月後みたいな会社だってありますよ」
「そうかあ・・・・」
「でも私は違います」
「どうするの?」
「とにかく何事も前払いするんです。前払いしてもらったらどうです?」
「嬉しいよ」
「ですよね。他には?」
「嬉しくてやる気になる」
「ですよね。他には?」
「他?」
「はい、前払いの時、締め切り遅れたりできますか?」
「いや、できないねえ、前払いでもらったんだから、他の仕事よりも優先させるよね」
「今の日本の会社はすべて後払いですが、後払いだと、やる気は出ないし、他の仕事優先されるし、納期も遅れるからいいこと何一つないんですよ」
「そりゃそうだ。でも会社としては支払いはできるだけ遅らせるってことが重要なんだろうね」
「それは潰れる会社ってことですよね。一日でも遅れて潰れるために、支払いを遅らせるってことです」
「潰れる心配がなかったから、支払い先に済ませても問題ないもんね」
「後払いは事務だと思います?」
「好きなことをやるために支払いを後回しにするのは、確かに事務じゃないね」
「継続できないし、10年後潰れることを前提とするのは間違ってますよね」
「一番いい状態の会社ってのをイメージして、その会社がやるようなことを、今やるべきってことだね」
「と、私は思いますよ」
「どんな時もそのスタイルなんだよね、ジムは」
「そうしないとずっと潰れることを心配しなくちゃいけないと思うんですよ」
「でも会社はいつかはそりゃ潰れるでしょ」
「いや、そうとは限りませんよ。私は自分の会社が潰れるとイメージしたことが一度もありませんし、潰れたこともありませんし、もちろん経営が大変な時はありましたよ、でも潰れたことはありませんし、支払いが遅れたこともありません。私の会社は潰れないんです。なぜなら潰れるようなことをしてないからです。植物と一緒ですよ。植物だって、こっちが枯れると思ったら、枯れます。こっちが枯れると思わずに毎日優しく接してたら、絶対に枯れません。私は昨年4月に植えた大葉が夏で枯れるはずが、年越しましたよ。2月に枯れましたが」
「ジムは畑仕事もすごいねえ」
「とにかく私は畑に入るとき、植物が枯れる、というイメージを一切持ちません。どんなに調子悪そうでも、私は処置、手当をするだけです。病気の植物が枯れる、なんてことは一切考えません。無意識で枯れると思うだけで、植物には全部伝わってしまうので、枯れちゃいます。植物と人間は言葉を介して話すことができませんが、言葉以外のことなら全てあり得ないほど伝達されていくんです」
「へえ、でもわかる気はする」
「そしてこれも事務なんです」
「そういうことになるよね。植物と向き合うときに絶対にその植物が枯れるというイメージを頭に思い浮かべない、という事務だね」
「会社も同じようにやるんです。私は畑に毎日行きます」
「どこにあるの?」
「そこらじゅうの街中にある小さな植栽コーナーが私の畑です。土があれば、そこは私の畑ってことです」
「ユースケみたいだな、やっぱりお前も」
「あなたも会社に毎日、行ってください」
「オフィスも何もないけど」
「家でいいんです。ちょっとだけ模様替えすれば」
「この机のiMacで原稿書いてるから、ここを会社にしよう」
「掃除してみてください」
「オッケー」
「その机の周りだけで、いいから馬鹿みたいに、隅々まで綺麗に掃除してみてください」
「引き出しの中も?」
「はい、全部取り出して、どれが必要な道具かを選んで、不要なものは全部捨ててください」
「そんな掃除は今までやったことなかったかも」
「会社で使う道具を全て自分の頭の中に入れる作業です。量を確認するという事務の基本ですね」
「それだけでスッキリするもんだね」
「今度、必要なものは購入すれば全て必要経費ですから、領収書取っといてくださいね」
「会社っぽいね」
「はい、それが会社ですから。生活の全てに事務を取り入れていく作業。それが自分で会社を作るってことです」
「事務は好きなことを継続するための方法、つまり、会社を自分で作るってことは、生きるってことを死ぬまで楽しく継続するための総合事務ってことか」
「面白そうでしょ」
「すでに楽しいよ」
「大事なことです。先程の話ですが、植物は枯れると思うと、本当に枯れます。だから、私は無意識をコントロールする必要があった。植物が元気がないとやっぱり枯れるかもしれないと考えてしまうからです」
「無意識ってコントロールできるの?」
「できません。だから無意識なんですから」
「じゃあどうするのよ」
「意識を総動員して、無意識に働きかけてあげる必要があります」
「意識を総動員?」
「はい、つまり、自分の行動を全て言葉に置き換えるってことです」
「この円グラフも?」
「はい、それも言葉に置き換えているわけです。何時から何時まで何をするって言葉に」
「なるほど、ってことは・・・?」
「はい、事務とは行動を言葉に置き換えるってことです」 
「ってことは会社は総合事務なんだから、すべての行動を言葉に置き換えるってことか」
「いい感じです。例えば、直感、インスピレーション、偶然、こういったものはコントロールはできません」
「そりゃそうだ。コントロールができてもつまんないし」
「でも、直感が起きたら、それを全て、日付をつけて感じたまんまその瞬間にノートに記録する、ことはできます」
「当たり前だけど、それが事務ってことか」
「取引先のやる気をコントロールできませんが、仕事を頼むときは契約が決まった日に前払いをする、と決めておけば、どんな取引先も他の仕事を後回しにして、やる気満々で取り組んでくれます」
「でも今はお金が9000円しかないよジム・・・」
「前払いできない時は、人に仕事を頼まなければいいだけです。まずは、前払いするためのお金を稼ぐことを考えましょう」
「今月バイト四日入るから12万円ってことだけど、計算だと生活費抜いて42000円余る、でもそれだとちょっと足らないから、バイトもう1日入れようかな」
 ジムは僕が持っているエレキギターを呑気な顔をして弾いてました。
「いい音ですね」
「高校に入ったときに親が買ってくれたんだよ。ギブソンのレスポール。高かったと思う」
「これ今、使ってます?」
「家ではね。でも路上で歌う時はもっぱらアコギでやってるよ」
「じゃあ、これを売りましょう」
「え?」
「お金が入るのは早いほうがいいんです。せっかくやる気になっているのに、バイトで明け暮れて疲れて、気づいた時には何をすればいいのかわからなくなってしまいます。まずは金目のものを全て売り払って、この会社をスッキリさせましょう。このiMac必要ですか?」
「いるよ!」
「でも5万円くらいにはなりそうですよ。ギブソンレスポールは10万円にはなるでしょう。それでちょうど、会社設立の10万円と翻訳代の5万円ができるわけですから」
「じゃあ原稿を毎日書くのはどうすればいいんだよ」
「そんな何時間もずっと書くわけじゃないんだから、インターネットカフェでやればいいですよ。時間が決まってたほうがやりますよ」
「せっかく会社の仕事場作るために机掃除したのに」
「ここは会社の社長室、そして、インターネットカフェを書斎ってことにしましょう。私の畑みたいなもんですよ」
 そんなわけで僕はジムにそそのかされて、新大久保駅近くの楽器屋とパソコンショップに行き、大事な二つの道具を売り捌き、15万円をゲットしましたよ。
「じゃあ、次は大学に行きましょう。どこかの英文科ですね」
「そういえば、俺の弟は青山学院大学の仏文科で、まだ通ってるから、行ってみたら、何か教えてもらえるかも」
 ということで電車に乗って青山へ行きました。
「弟いないなあ」
「まあ、いいじゃないですか。大学のサークル募集みたいな感じで、適当に大声あげて、呼びましょう」
「そんなんで、なんとかなるの?」
「大丈夫ですよ。我々には即金で渡せる現金を持ってますから」
「はあ」
「英語の翻訳家になりたい人いませんか〜〜〜」
 ジムは万札を5枚空に高く上げて叫び出しました。仕方なく、僕も後ろからついていきながら、翻訳家募集の声をあげることにしました。僕は自分のことですから恥ずかしかったですが、ジムは人のことだからか、普段はおとなしいのに、ふざけた顔で、万札をふりふりしながら馬鹿みたいに大声あげてます。
 もちろん、こんな変なやつらのところに人が来るはずがありません。
 僕は落胆しはじめました。
「おい」
 ジムがこちらを笑顔で見てます。口調は明らかに厳しい感じなのですが、泣き笑いしているやつみたいな顔をしているのです。
「なんか損することあるか?」
 ジムはドスのきいた声でそう言いました。
「えっ?」
「ここであなたが翻訳家を探すことに失敗して、何か損しますか?」
「損はしないよ、恥ずかしいだけだよ」
「これ会社の仕事だよ、サンドイッチマンの仕事やってるやつが恥ずかしがって、どうする?」
 言われてみたら、確かにそうです。まだ僕は会社の仕事だという認識がありませんでした。だから自分が笑われることを恐れていたのかもしれません。ところが、これは仕事なのです。僕は世界中の人々に読み続けられる作家になるための大事な一歩なのです。ジムの厳しさもまた事務なのでしょう。僕は作家であり続けるつもりで、死ぬまで描き続けるのです。やるしかないでしょ。その辺でスイッチが入ったみたいです。僕はジム顔負けのピエロみたいなモードになって、万札5枚を涎掛けみたいにテープでくっつけて、キャンパス内を練り歩きました。すると、後ろから、控えめそうな女性が声をかけてきたのです。
「あの・・・」
「え、翻訳家になりたいの?」
「はい」
「え、英文科?」
「はい」
「ネイティヴチェックできる?」
「はい、千葉に翻訳家であるイギリス人の女性の先輩がいて、その人は実際に何冊も翻訳していて、その人にお願いすることができると思います」
「5万円しかギャラでないけど・・・」
「タダでもやりたいくらいなので、全然いいですよ。それよりも本になるのが決まっている、という条件なんて、今まで一度もないので、そっちの方が嬉しい」
「え、じゃあお願いしたい!」
「よろしくお願いします。私、サトウって言います」
「はい、じゃあ、5万円あげます」
「え、前払いですか?」
「はい。嬉しいですか?」
「むっちゃ嬉しいです。やる気になります。すぐ仕上げますね」
「わー嬉しい」
「バイリンガルで出すってことは、海外でも本を売るってことなんですか?」
「そのつもりだけど、何も決まってはないよ。でも、多分売られることになるんだろうし、きっと、俺は一生死ぬまで本を書き続けるんだよね、だから、どうせ最後はうまくいくと思う」
「いいですね、どうせ最後はうまくいくって。私も頑張ってみます!」
 ジムが後ろから少し意地悪そうな顔をして見ている。
「恭平、やりましたね。これで初めての取引先への外注が実現しました」
「お金を払うの、なんか気持ちいいね」
「お金をもらうのも楽しいですが、払うのもまた楽しいんですよ。まだこの世に現れてこない、翻訳された文章という赤ん坊を産んでもらうために払うんですから。敬意を払っているようなもんです。誇らしい作業ですよ」
「支払いってもっと嫌なものだと思ってた」
「いい感じでしょ?」
「うん」
「でも勘違いしないでくださいね。これはのちに出版されたら正規にリトルモアからちゃんと徴収するんですよ。リトルモアがフツーの潰れること前提の会社のスタイルで後払いだから、あなたが立て替えて、前払いしているだけですから」
「そっかそっか」
「さ、これでバイリンガルが実現しましたから、今度は海外で本を売ることを考えましょう」
「え、いきなり?」
「はい。あなた日本で有名な人ですか?」
「いや、無名だよ」
「それなら本はまず売れないと思ったほうがいいですよ」
「そんなこと言ったら、本当に売れなそうだから、言わないでよ、植物の時と違うじゃん」
「いやいやもう枯れている植物に大丈夫なんて言っても無駄ですよ。むしろ上手に枯らしてあげる方がいい。私は何も間違っているのに、間違っていない、と言い張っているわけじゃないですよ。それは私が一番嫌いな自己肯定感に溢れたやつと変わらないじゃないですか。間違っているのに、必死に肯定し、むちゃくちゃになるやつ」
「自己肯定感って言葉に対して、本当に辛辣だよね、ジムって・・・」
「0円ハウスがミリオンセラーになるだなんて計画を立てても、あなた会社潰れますよ」
「言うねえ、でも俺もなんとなくわかってるよ」
「植物だって、どこかで、先端を切って、成長線を切ってですね、その代わり実を大きく確実に収穫したりもするんです」
「なるほど、それはわかる」
「今回の本の目的を決めて、それが必ずうまくいくように設定してあげたらいいわけです」
「本の目的?」
「ミリオンセラー作家になることですか?」
「いや違うね。まずは名刺がわりというか、僕の考えていることを知ってもらうことが目的だよ」
「だから海外の販路を作る必要があるんです」
「いや、まずは身近な日本からじゃないの?」
「日本ではうまくいく可能性が低いんです」
「アメリカならいいのかよ!」
「いやアメリカでも可能性が低いです」
「じゃあイギリスかよ!」
「いやイギリスでの可能性が低いです」
「じゃあどこも可能性が低いじゃん」
「そうです」
「どうするんだよ」
「でもどこかにあなたを受け入れる国があるはずなんで」
「?」
「恭平、ビートルズ好きですよね?」
「うん、大好きだよ。初めて好きになった音楽家だもん」
「なんの曲が好きですか?」
「そりゃラバーソウルに入ってる『You won't see me』とリボルバーに入ってる『Got To Get You Into My Life』でしょ」
「はあ?」
「じゃあfor saleってアルバムに入ってる最高の曲『Baby’s In Black』は知ってるっしょ?」
「はあなんすかそれ? 知りませんよ」
「え、ここ、ビートルズのことを誰も知らないパラレルワールド入っちゃった?」
「いや、ビートルズのことは知ってますよ。ヘイジュードとかレットイットビーとか」
「いや、そりゃそれもいいよ。でもさ、さっきの3曲の方がいいよ。まじ聴いてよ」
「多分、それ多くの人が知らないですよ」
「マジかー」
「どんなクソな曲だと思っても、誰かは愛するってことです」
「いや、ビートルズと俺を一緒にするなよ」
「いや、私は一緒にしますよ。坂口恭平の作品を愛しているやつだって、立派にここにいるんです」
 ジムはこちらを睨みました。そりゃ僕もたじろぎます。
「それは嬉しいよ。ジムがそこまで言ってくれて」
「そして、そういうバカが私だけでなく、世界のどこかにはいるんです。だから、英語訳を入れるように伝えたわけです。英語の本を読んでいる人が、というか、英語の本自体が、一番流通しているからですね。アメリカでもイギリスでもなく、どこか別のどこか辺鄙な国でもなんでもいいんです。でも必ずいるんです。どこかに。日本じゃない可能性も高いわけですから、日本語で出したからって日本人に受け入れられるとは限らない、でもケニア人には気に入られることもあったでしょ恭平も」
「確かに。インドとケニアだったら俺はスターになれるってその時、現地人に言われた」
「です。だから、全世界で営業活動がしたいんですよ」
「どうやって、そのお金を工面するんだよ。まだ本は売れてないし、俺は家賃も払えてないんだぞ」
「大丈夫ですよ、みんなが一堂に集まってくれたらいいわけです」
「そんな都合のいい話があるか」
「それがあるんですよ。毎年一回、ドイツのフランクフルトで世界一の規模の本の見本市があるんです。それに参加しましょう」
「なんだかいきなり、話がデカくなったなあ、まだ本も出来てないのに」
「出版さえ決まっていたら、問題はないです」
「ほんとかよ」
「それに・・・」
「本の出版が決まったら、次何をするって言ってましたっけ?」
「なんだっけ、嬉しすぎて、忘れちゃったよ」
「ブリュッセルでどうのこうの言ってましたよ」
「あ、確かに!ホウハンルウだ!」
「彼にも連絡してみましょうよ」
「フランクフルトにブリュッセルに行くってこと?」
「もちろん。誰も知らないからって怯む必要はありません。あなたとビートルズは一緒みたいなもんなんです。誰かにとっては。つまり、私にとってはあなたとビートルズは同じくらいの価値を持っているんです。世界のどこかにはそんな狂人がいるんですよ。世の中の常識とは別です。でもどうでもいいんです。好きっていうのは全てを変革しちゃうんです。ビートルズが言ってたじゃないですか」
 ALL YOU NEED IS LOVE

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