幸福人フー 第5回 フーちゃんの目、躁の僕と鬱の僕の和解

 第5回 フーちゃんの目、躁の僕と鬱の僕の和解

 躁の時の僕と鬱の時の僕は元々ほとんど対話することができないでいました。その二人が完全に断ち切れていて、行動したことの出来事の記憶は繋がっているんですが、どうしてそんなことをしたのかという感情の記憶が繋がっていません。そんなわけで、鬱の時に、躁の時にしでかしたことをどれだけ反省したとしても、躁に戻ると、鬱の時に反省していたことをすっかり忘れてしまいます。これが本当に別人じゃないかってくらい、綺麗さっぱりに忘れてしまうため、また同じ失敗を繰り返してしまう。こんな状態でした。そこで、僕は、自分だけでなんとかすることは無理だと判断し、もう一人の人格のような感じで、いつも安定しているフーちゃんの思考を自分の中に取り入れることにしたわけです。しかも、フーちゃんに僕にこうしなさい、あれしなさいとは一度も言ったことがないです。僕は色々としでかしてしまうのですが、フーちゃんからそのことで怒られたことはありません。そういう意味では僕の中で思考の一つとして動いてはくれたのですが、感情は離れてました。だから、感情を持った思考というよりも、どちらかというと、装置や機械のような手触りがありました。だから僕の中に他人が入り込んでいるとは少しも感じずに、躁鬱の操縦法を学べたんだと思います。どうして、フーちゃんはそのようなことができたのか、今でもよくわかりませんが、フーちゃんはいつも、自分の考え方を人に押し付けるようなことを絶対にしません。
 僕の躁鬱が激しくなったのが29歳の時で、今は44歳ですから、もう15年も激しい躁鬱の波とフーちゃん自身も付き合ってきたと思うのですが、何度言うようにイライラされたことはありませんし、なんでわからないのか、みたいな感じで怒られたこともありません。フーちゃんは一貫して、躁の恭平はこんなふうに言ってたよ、鬱の恭平はこんなふうに言ってたよ、それを含めて私はこう感じてるよ、と少しだけアドバイスしてくれる記憶装置のような役目を果たしてくれたと僕は思ってます。僕は躁の時でも鬱の時でも、それぞれかなり偏った思考回路を持っているのですが、フーちゃんはそれぞれの時の僕のメッセージをもとに、その偏りを少しだけ調整しようとします。僕は躁鬱病だと判明し、しかもその激しい波に飲み込まれ、どうやって生きていいのかわからなくなることが何度もあったのですが、フーちゃんも僕と一緒に落ち込む、みたいな光景は一度も見たことがありません。無理に気丈にしているというのとも違います。
 フーちゃんから僕が受けていた印象は、僕が鬱でかなり苦しくなっている時に、僕の体調のことは心配して、それで心配そうな顔はしているけど、僕の病気によって、フーちゃん自身が精神的に参っている様子がありませんでした。すごく心配ではあったみたいです。そして、僕が落ち込むことによって、家族全体がギクシャクするかもしれない、という不安も感じずに済みました。これには、本当に助かりました。僕は、フーちゃんや子供たちのことを心配せずに、基本的に、自分の体調だけを気遣うことできたおかげで、拗らせることなく、躁鬱の操縦法を学び続けることができたんだと思います。これが逆だったら、僕は多分、自分も落ち込んでいたと思います。フーちゃんは、そこらへんがきっぱり別れてます。僕の体調は僕の体調、家族は家族、私は私と。でもそこが鬱の僕には寂しく感じられる時もありました。もちろん、一緒に落ち込んでくれとは思わないのですが、僕が寝込んでいる間も、フーちゃんは子供を連れて、外で誰かと遊びに行ったりいく姿を見ながら、なんでそんなに元気でいられるのか、心配じゃないのか、なんてことを感じ、僕がイライラしたりしてました。それを伝えると、フーちゃんは、外に遊びに行っても、そりゃ心配でそこまで楽しむことはできないよ、でも、それでみんなで一緒に落ち込んでも仕方がないでしょ、とまっすぐ素直に言います。そりゃそうです。むしろ、そうしてくれてありがたいんです。でも、僕はついつい言ってしまう。鬱の時はついつい意地が悪くなってしまいます。寂しいからなんですよね。寂しいからついつい言っちゃう。今ではごめんなさい、と思いますが、その時は、なんでなんで、と思ってました。
 フーちゃんは、僕が躁鬱病だからといって、躁鬱病のことを調べたりはしないんですよね。僕はついついいつも躁鬱病を克服する方法を調べちゃいます。どうせ、どこにも載ってないんです。躁鬱病で苦しんでいる人自体が書かないことには、医者の観点からだけでは限界があるんですね。もちろん、医者は医者で唯一の助っ人でもありますから、助かっているんですけど、僕が本当に欲しい情報を見つけることはほとんどできませんでした。一方、フーちゃんは躁鬱病を治すために必死になる、という感じではありませんでした。その都度、具体的に対応していくんです。これはもうこの本で何度も書いていることではあるんですけど、フーちゃんはよくわからないところに助けを求めないんです。助けを求める時は、いつも具体的です。僕が、今日は、鬱が苦しいことについて、少しだけでいいからフーちゃんに吐き出したい、と伝えたら、フーちゃんは僕の両親に連絡をして、アオとゲンに夜ご飯を食べさせてくれませんかってお願いします。僕がお願いできないので。鬱の時、僕は人にお願いするってことができなくなります。そして、二人を両親に預けて、預けにいくのももちろんフーちゃんなんですが、それで、二人で話します。と言っても、話すことと言えば「自己否定が止まらない」ってことです。自己否定が止まらない、とは僕は言いません。この自己否定は躁鬱の鬱状態の症状であることは、今はわかるのですが、鬱の時は全くわからないからです。自己否定が止まらない、って言わずに「やっぱり僕はもうダメかもしれない。もう作品を書くことはできないかもしれない。お金もなくなってしまうかもしれない。もうずっと鬱のまんまでもう二度と元気になることはできない」と嘆くんです。本当に呆れるくらいに同じことを毎度言うのですが、フーちゃんに、何度も同じことを言わないよ、と怒られたことはありません。そうじゃなくって、フーちゃんはいつも、一つの嘆きに対して、一つずつ具体的に答えていきます。

「やっぱり僕はもうだめかもしれない」
「だめかもしれないというときはいつも鬱の時で、実はだめなんじゃなくて、いつも疲れているよ。恭平はダメだと思わないと、すぐに動いちゃうでしょ。本当にびっくりするほど元気になったら、すぐに突然に新しいことを始めちゃうよ。だから、だめだと思っていないと、体を休めることができないのかもしれないよ」
「このだめだって思うのは、体がわざとやっているってこと?」
「だって、そうじゃないと、すぐ外に飛んでいくもん。それじゃ体が休まらないよ」
「体が休みたくて、体が僕にダメだと思わせてる?」
「その可能性が高いと思うよ。だって、鬱じゃなくなった時に、何度聞いても、自分のことをだめだと一切思ってない、としか言わないんだよ。だから、元気になったら、ダメだとは思わなくなる。だめだから鬱になったんじゃなくて、鬱になったから疲れを取ることが必要で休息しなくきゃいけないから」
 鬱の時に自己否定的になるのは、何も自分がだめだからではなくて、自己否定的になっていないと体をどんどん動かしちゃうからだ、ということに気づいたのはこのようなフーちゃんとの対話がきっかけです。これも昔は全く気付いていませんでした。もちろん、フーちゃんも元々は気付いていなかったと思うのですが。でもこうやって、一つずつ話をすることで、少しずつ理解が深まっていきました。
「でも恭平って、休む方法がわからないもんね」
「そう、いつも休むことがわからない。躁状態の時もわからないし、鬱状態の時ももちろんわからない」
「私は寝てていいなら、いつまでも寝てたいけどなあ。寝ることが一番好きだもん。恭平の場合の休みって、寝るってことじゃないんだと思う。あ、そういえば、恭平が鬱から抜けていく時は、いっつもみんなに夜ご飯を作ってくれたりするよ」
「でも今は絶対にご飯なんか作れない」
「もちろん、無理な時はいいよ、でもやっぱり恭平は何かを作っている時が休みになるのかもしれない」
「体がきついからそんなこと少しも思わないけどね。でも、横になってても、どうせ自分はだめな人間だとか不安がどんどん増殖しちゃうから、寝てられないんだよね」
「とは言っても、横になるだけで、それはそれで休みになってもいると思うよ。で、ある程度横になったら、たぶん作ったらいいんだよ」
「そうね、また、不安が強くなってきたから、きついけど、ちょっと作ってみるわ、とりあえず絵を描く」
 こういう細かいことは躁鬱についての医学書なんかには載ってないわけです。鬱の時はただ休め、としか書いてない。しかし、休むと言っても、人それぞれにあるんだということがそもそも僕もわかってませんでした。休む、と言えば、寝るだと僕自身思っていました。ただ退屈して寝ていても、僕にとっては完全な休みとは言えないとこうやって話すことでわかっていったんです。最初はきついから、横になる、でも、少しずつ退屈もしてくる、退屈したまま、無為に1日を過ごすと、それは僕にとっては逆効果になって、落ち込んだりするんだとわかりました。ある程度、横になったら、今度は、体を動かす必要が、僕の場合には休みになる可能性があるんです。
「でも、ただなんてことない散歩するってだけでもなさそうよね。やっぱり恭平の場合は、創作することが一番充実する、体の動かし方だもんね」
 創作をすることで充実する、この充実感が、僕にとっては休みになる、と少しずつ気付いていきました。休みも本当に色々です。充実感が僕の安らぎになるんです。
「私は毎日、原稿用紙10枚原稿を欠かさず書いたり、絵を毎日一枚描いたりするのは無理だけど、恭平にはやっぱり大切なんだと思う」
 今では僕は鬱の時こそ、一番創造的な時間である、という認識で仕事をしてます。鬱の時に感じたことがもとになって生まれた作品が今ではたくさんあるから、それを自分でも深く認識することができたわけです。でも最初の頃は何にもわかってませんでした。鬱の時にどう過ごせばいいのかどうかも何にもわからず、体はきついのに、それなのに居ても立っても居られない、という鬱状態特有の症状に対しお手上げだったのですが、つまり居ても立っても居られないんですから、何か動きたい、と思っていることは確かなんですね。でもそれがバイトをしたいわけではない。親戚の集まりに参加したいわけではない。家事でもない。買い物でもない。掃除でもないわけです。僕の場合は、一人で、何も周りのことを気にせず、周りのことは全部フーちゃんにお任せして、フーちゃんのことも子供たちのことも家事も掃除も全部お任せして、自分は創作に夢中になる。ま、とても自分勝手な夢中ですが、確かに、そうやって夢中になっている時だけは、不安がなくなっていることに、気付いていきました。
 フーちゃんにとっては、鬱の時も躁の時もどちらも悪い状態ではないようです。どちらも違うけど、それぞれ恭平だよ、とフーちゃんは言います。僕は鬱の時は、躁の自分が憎いわけです。逆もまた然り。だから、どうにかどちらかを消そうとしてしまってました。それだと反発するのは当然です。鬱の僕も、躁の僕も、どちらも僕だからです。消されたら辛い。だから抵抗するわけです。しかし、そのことも長い間気づかずにいました。でもフーちゃんはどちらの僕も否定することはせず、かといって、諸手をあげて賞賛することもせず、でも、基本的には否定しません。どちらにもいいところがある。そして、どちらにもちょっとやりすぎなところがある、と。僕は躁の時、鬱の僕を擁護しようとするフーちゃんを見ながら、何度か嫉妬したものです。乖離している僕を、ちゃんと人間として扱ってくれたフーちゃんがいたから、僕はどちらの自分も完全には否定することなく、うまく付き合っていくしかないと感じ、さらには、それぞれに長所と短所があり、もちろん短所はそれなりに修正しつつ、長所はどんどん伸ばしていったらいいじゃん、と思えるようになっていきました。僕は何度も躁の時に、鬱の僕にあてて、手紙を書いたことがあるんですけど、それは一度も、気持ちが通じたことはありませんでした。ずっと、全く理解することができない二人でいたのです。フーちゃんはその翻訳家として、対話を可能にしたと言えます。
 今では、僕にとって鬱はなくてはならないものです。もちろん、苦しい時は苦しいし、今でも死ぬほどきついって時はあります。しかし、もうそれは長引くことはありません。今年に入ってからで考えると、長くても5日間くらいです。もっと早く抜け出す時もあります。フーちゃんの翻訳を通じて、少しずつ躁と鬱の僕がお互い、言語を理解し始めているような気がします。二人が喧嘩することが今ではほとんどなくなってます。さらには、躁と鬱で二極化しているのではなく、その二人は常に混じり合っていて、躁の時は恭平が、そして、鬱の時にはもう一人の恭平が、それぞれ主に担当はしてくれてますが、それでも常に二人三脚で活動していることもわかってきました。そして、先日、フーちゃんは鬱の時の僕に対して、墨平という名前をつけてくれました。真っ黒だけどただ暗いだけじゃないから、墨、かな、とフーちゃんは言いました。すると、僕、恭平は墨平に感謝の気持ちが現れたんです。いつも鬱の時、きついのに、頑張って、踏ん張ってくれてありがとう、って僕は手紙で初めて、鬱の時の自分に、つまり墨平に感謝の気持ちを伝えることができたんです。そんなこと考えたこともありませんでした。その後、鬱の時、墨平は僕からの手紙を読んだのですが、なんと初めて恭平の気持ちが伝わったんです。感謝の気持ちを持ってくれたことで、墨平が柔らかくなりました。そして、実は、躁の時も墨平が存在してるってことを教えてくれました。そりゃそうですよ。墨平が鬱の時しか知らない人生なんて大変だし、辛いじゃないですか。そんなわけはなかったんです。墨平は引っ込み思案で恥ずかしがり屋ですので、表には出てこなかっただけで、躁状態の時も、存在はしていたんです。だから、躁の時、もっと墨平の意見を耳に入れてあげたらよかったんです。いないものと思いすぎて、墨平の気持ちを無視しすぎてきたんですね。そりゃ鬱の時、墨平は反発しますよ。誰のいうことも聞かない、みたいな聞かん坊になってしまっていたのも今なら理解ができます。「恭平は二人いる」とすぐに理解していたフーちゃんが自分は表に出て来ずに、徹底して、言葉の意味を伝達する翻訳家としての職能に専念してくれたおかげで、僕と墨平の対話が実現できたんだと思います。墨平の気持ちが理解して、墨平が躁の時もいるんだという認識が広がると、自然と躁の時の僕の激しさがまろやかになっていきました。同時に、鬱の時の自己否定が薄らいでいったんです。しかも、記念すべきことに、今年(2022年)の7月にまた二泊三日で鬱になったのですが、その時、生まれて初めて、自己否定をすることが一度もなかったんです。ただ疲れている、そして、一人になって仕事場にこもって、次の新作を作りたい、とただ素直に思えたんです。これには驚きでした。僕と墨平と翻訳家フーちゃんの三人での29歳くらいから試してきた対話の実験が15年を経て、もしかしたら和解したのかもしれないと僕は感じました。フーちゃんにはこのことに関しても感謝しかないです。フーちゃんは、アオとゲンが僕を助けるんだよ、と教えてくれたのと同じように、僕が人生で一番嫌悪していた、鬱の時の僕、つまり、墨平も僕を助けるんだよってことを長い間かけて、諦めることなく、いつも変わらず静かに翻訳してくれたんだと思います。完全に解離していると思っていた、僕の中の二人の人間、言葉も通じなかった二人の翻訳をするのは大変だったと思いますが、なぜかフーちゃんは実現しちゃってます。何か技術があったからできたんでしょうか。そういうことは見当たらないんですね。何か特別な能力があったというわけではない。治癒する方法なんかフーちゃんは知らないわけです。勉強もしてません。知識もないんです。しかし、躁鬱病に関しての知識をどれだけ増やしても、僕は少しも自分の中の二人を和解させることができませんでした。なぜなら病気ですから治療すること、つまり、その疫病を退散させることにしか気持ちが向いていないからです。それでは困るわけです。それでは鬱の墨平どころか、躁の恭平もいなくならないといけません。そんなのは辛い。フーちゃんは、持ち前の知らないことは知らない、思ってないことは口にしない、自分と人は違う、自分の尺度で物を語らない精神で、そして、何よりも、不安を感じることがない目で、人間には実はそんな目があるんです、そのことも僕はフーちゃんに教わりました、その目が僕が消そうとしていた鬱の時の僕も差別せずに、優しく見守ってくれた。それは退散すべき病の元凶ではなく、実は僕の創作の原点であることにフーちゃんが先に気づいたんだと思います。それは、フーちゃんの自分自身に向き合う力かもしれません。フーちゃんは、私は私以外の誰かではなく、これが私の姿で、私は他のどの姿でもない、と気づき、その目で混乱する僕も見てくれたわけです。僕が毛嫌いしていた鬱の僕に対しても、その目で見てくれました。フーちゃんは僕に何か指図することはありませんでしたが、フーちゃんはその目で、眼差しを鬱の墨平に向けたんでしょう。長い間かかっても、諦めることがなかったのは、フーちゃんにとっては当然かもしれません。鬱を消すことばかりに夢中だった僕とは違い、フーちゃんはそこに生命を感じていたんですから、それならフーちゃんは目を逸らすことはしないでしょう。で、その眼差しが、ゆっくりと、僕自身の眼差しを変化させていったということなのかもしれません。最終的に、今、僕は墨平をもちろん消そうと思ってませんし、墨平が元気な今も体の中にいることを知ってます。いつの間にか、その眼差しは存在しなかったはずなのに、今では当たり前になってます。自分と向き合え、というのではなく、フーちゃんはまずは自分が先に墨平の生命を感じ取り、墨平と向き合った、その姿を見て、僕も少しずつ向き合うようになっていきました。今ではそう思えます。今、僕は鬱の時、いや、もう鬱とかではないかもしれませんね、墨平が主に活動しているとき、自己否定をしなくなっているんですから。自己否定とはつまり、墨平の叫びだったんでしょう。こっちを見てと言っていた。僕は墨平を自分の弱い姿だと判断し、それは自分じゃないと否定し続けてました。そうじゃないんです。墨平は墨平なんですよね。私は私。その時、ずっと恭平の視点でしか物事を見てなかった僕の中の目が移ろい、墨平からの視点で鬱の時、見れるようになったのかもしれません。体はきついのに、なぜか安心感もありました。もちろん、これは僕のケースではありますから、一般化することはできないと思いますが、そして、誰にもフーちゃんみたいな翻訳家がいるとも限りません。しかし、この僕の生活という実験を通して、感じたことはもしかしたら鬱で苦しんでいると感じている人にも参考になるかもしれません。このように、僕はフーちゃんとの関係を通じて、フーちゃんは言葉を残す人ではなく、一方、僕は馬鹿みたいにどこまでも言葉にすることが得意な人間ですから、それがいいのかどうかは分かりませんが、私は私ですから、僕なりのやり方をやっていくしかないし、それをやっていけば自ずと道は開けるはずです。何かの参考になれば幸いですし、僕が長く続けているいのっちの電話というものも、あれは実は、僕がフーちゃんとのやりとりで、フーちゃんから学んだことをもとに行動しているというわけです。それでもいのっちの電話を10年以上やっても、躁鬱病と15年以上付き合っていても、墨平と和解するという方法はわかりませんでした。それが可能になった今だからこそ、僕はフーちゃんの言葉を書いてみたいと思ったのかもしれません。


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