幸福人フー 第4回 思ってもないようなことを口にしない方法



「今のところの文章はどんな感じかな? おれ躁鬱だしね、嘘もほんとも同じように書いちゃうから、確認しとこと思って」

 フーちゃんに一応、今日も聞いてみました。

「あのね、概ね、間違ってはないよ。へえ、恭平はそんなふうに感じてるんだとびっくりするところはあったけど、私が言ったこととか私のことに関しては何も間違ってはない。ちょっと大袈裟なところとか、そんな言い方は私はしないけどなあ、ってところはちょこちょこあったけどね」

「じゃ、今のところオッケーってことにしよう。ま、僕としてはいつも嘘を書いているつもりはないんだけどね。確かに、大袈裟には書くかもしれないけど、それは大袈裟というか、僕にとってはそういうふうに本当に受け取ってるんだけどね」

「うん、でも、恭平がそんなふうに思ってるんだと思って、感動したんだよ」

「あ、そっかそっか。ちゃんとフーちゃんが言ってることも正確に書いているつもりだけど」

「そうね、大体は合ってる。私はとにかく恭平に何かを伝える時、かなり慎重だから」

「どういう意味?」

「思ってもないようなことが絶対に伝わらないようにってかなり気をつけてるかも」

「なんで?」

「恭平がかなり繊細だから。言われたことの受け取り方が、ね」

「そうなのかな」

「お母さんにこういうこと言われたとか、昔のむちゃくちゃ細かいこととか、鬱の時、ずっと言ってるよ」

「確かにそれはそっか」

「だから、慎重にしてるの。とは言っても、私は元々、思ってもないことを感情的に口にするとかは絶対しないけどね」

「そうよね、フーちゃんは本当に思っていないことは絶対に言わない」

「恭平は言うけどね。恭平はイライラした時とか、もう帰って、って言うから、そんなに言うならと私が本当に家に帰ろうとしたら、突然、本当に帰るやつがどこにいるって怒ったのはびっくりしたなあ」

「確かに、俺は思ってもないことをついつい口にしちゃう。フーちゃんそういうこと全くしないよね」

「しないよ」

 僕は感情が揺れてしまうと、寂しさとかイライラが合体して帰って欲しくないのに、帰ってとか言ってしまいます。一方、フーちゃんは一度もそういうことを言ったことがありません。きっと、フーちゃんはどんなに鬱が苦しくなっても死にたいと言わないと思います。というか、フーちゃんは鬱になることはないでしょう。アトピーがひどくなると、むちゃくちゃ体が痒そうで、それで丸一日どよーんとしてそうな日はこれまでにも何度かあります。とは言っても、1日寝込むなんてことはありません。ご飯を作ったりとか体を動かさなくちゃいけない時は、体を動かします。その代わり、少しでも時間ができると、寝ている。朝起きるのも苦手で、起きなくて良いということがわかっていれば、いつまでもゆっくり寝てます。でもそれでイライラして、こちらに伝染してしまうとか、イライラして八つ当たりするってことは本当に一度もありません。これまで20年くらいずっとにいて、本当に毎日、大体一緒にいるのですが、本当に一度も感情的になったところを見たことがありません。逆におかしいんじゃないかってくらいです。

 鬱の時って思ってもないことを口にするオンパレードなんです。

 僕の場合だと、まず鬱になると、自分なんかダメな人間だってことをとにかくひたすら口にしまくるんです。これもたった一人で暮らしていると、しゃべりませんから、言えないわけです。何にも言えない。僕も鬱の時は家族から離れて、どうにか一人になろうとします。一人になって何をしているかというと、ま、何もできないんですが、横になるんですが、寝ることもできないわけです。でも横になっても、自分を否定する感覚みたいなものが止まらないんですね。口にはできません。一人ですから。一人ごとは言いません。僕は作家ですから、何かを書こうと思うのですが、鬱の時に書いたものはそれはそれはひどいものです。ずっと最初から最後まで自分の否定をしているんです。そんなこと書かなくてもいいのに、と思うのですが、どんどん書けちゃいます。でも本当は一人でいたくないんですね。一人でいたいわけではないんです。うちは四人家族なんですが、中二の娘のアオと、小四の息子のゲンと僕とフーちゃんなんですが、子供たちが学校に行っている時は、僕と一人になろうとはしません。フーちゃんだけなら、一緒にいれるんです。というか、本当は鬱の時はずっとフーちゃんと二人でいたいんです。子供たちとは顔を合わせることができなくなってしまいます。自分を否定ばかりしている姿を見せたくないんだと思います。恥ずかしいんですね。子供たちの前で、泣いてぐちゃぐちゃになれませんから、それなら一人の方がましだということで、一人になるだけなんです。本当は、ずっとフーちゃんに自分がいかにだめな人間なのかを聞いてほしいんですね。今、自分が感じていることを本当は全部口にして言葉にして、フーちゃんに伝えたいみたいなんです。めんどくさい人ですよね、本当に僕もそう思います。でもそれが鬱状態です。でも子供たちがいて良かったと思います。だって、子供たちのおかげで、僕がずっとフーちゃんにあーだこーだ自分のダメダメの話をしないで済んでますから。

 自分のことを否定するんですけど、たぶん、自分のことを否定したいとは思っていないんです。自分のことを完全に否定している人が、他人に、自分がいかに自分のことをダメだと思っているのか話しますか? 話さないんですよね。自分のことがダメ人間だとわかっている人は自覚がある人はただ黙っているはずです。それをなんとか口にするんです。しかも、子供には話せないわけです。1番の理解者で、むっちゃ優しくて、否定するわけがないフーちゃんに口にするんです。つまり、そんなことないよ、と言ってもらいたいだけです。たぶんですけど。今は鬱じゃないので、僕は鬱の時と普通の時と躁の時はそれぞれ人格が分裂していて、分裂していると言いますが、元々3、4人人格がいて、それぞれの人格がメインになる時期が違うという感じで、だから実際は、四人くらいが常に混ざっている。混ざる分量はそれぞれの時期で違うが、完全に別れているのではなく、同居している、スポットライトが当たる分量がそれぞれの時期で変わってくるってことだと思います。だから、今、僕は鬱の時の自分を思い出しているんですけど、どうもその記憶がぼんやりとしているんですよね。でも言ったこととかの記憶はあります。だから、鬱の時の本当の言葉とはまた違うから、鬱の時の僕にこう言うと怒られてしまうかもしれませんが、おそらく僕は鬱の時でも自分を否定しているわけではないと思うんですよ。さっきのフーちゃんの言葉で考えるとつまり「思ってもないことを口にしている」って状態だと思います。

 だから僕は、イライラした時はフーちゃんに「帰って欲しくないのに、寂しいのに、帰れ」と言っちゃうし、鬱の時は自分を否定なんかしたくもないのに「自分なんかダメ人間だ」と言っちゃうんです。つまり、感情が不安定な時に「思ってもいないことを口にしてしまう」んです。寂しい時は寂しいって言えばいいのに、寂しいと言うのが苦手で、つい反発してしまいます。人を羨んでいる時は羨ましいって言えばいいのに、無関心を装うんです。不安なのに、自分はなんかすごくいい感じである、と口にしてしまうこともあります。で、これが僕が考える「鬱の特性」なんですね。

 フーちゃんにはこの特性が全くありません。僕はもうネイティヴで特性がありますから、鬱の時だけでなく、いろんなところで、感情に揺さぶられ、思ってもないことを口にしてしまうんですね。不安なのに、強気で物を言うときもそうです。これをやるから、鬱でしっぺ返しを食らうわけです。しかも、鬱になってもまた思ってもないことを言うんです。実は不安で苦しい、と口にするんじゃなくて、不安なのに人前で強気な態度をしてしまった、そんな自分はダメ人間だと、思ってもないことを言うんです。

 フーちゃんはこれを全くしないんですね。なんでこういう抵抗をしないんでしょうか。というか、元々、フーちゃんが不安ゼロな人でしたよね。ついつい僕は自分が不安を感じたりイライラしたり思ってもないのに自分なんかダメ人間だと思ってしまうので、それが人間の基本ベースと思ってしまうんですけど、フーちゃんはそもそもそれを感じないんですもんね。そのかわり、特に自分に期待することもしないってことなんですかね。僕も書きながら、今、わけわからないです。フーちゃんの思考が全く体にないですから。フーちゃんはとても自然に行動を起こっているように見えます。そんなフーちゃんを見て、僕が気づいたのは、これまで不安を感じたり、虚しさを感じたり、人のことを羨ましく思ったり、嫉妬したりするとか、いろんな感情がありますが、それがあるのが当たり前だと思っていたんですね。不安が常に根底にあったわけですが、そうじゃない思考もあったんだと僕は結構とんでもなくびっくりしたんですよ。

 これ当たり前のことなんですかね、そりゃ考え方は人それぞれってことはわかってはいるんですけど、それでも僕が感じていることを、全く感じない人もいるんだと思って、びっくりしたんですよね。

 僕の中では僕の問題は僕の内側から僕の力で解決しなくちゃいけないと思っていたわけですが、これがなかなか難しいわけです。そもそも鬱状態の時は、自分はダメ人間だと思ってますから、それがベースになってしまうからです。しかも、実は自分のことをダメ人間だと思っていないんですね。思っていたら、ダメ人間であることは決定事項ですから、当然何事も失敗するわけですから、対応策としては失敗したらどうするか、失敗することはわかっているが、その失敗にそれぞれ適度に対応していけばなんとかなるって、受け身の体勢が取れるわけですが、そうじゃないんですね。自分のことをダメ人間だと罵りながらも自分が失敗すると、なんで失敗してしまったんだ、もう終わりだ、となってしまうんです。だから、ダメ人間だと思いながら、失敗すると思っていないわけです、そりゃどんどん拗らせてしまいます。すみません、むちゃくちゃめんどくさい人で、、、。僕も普段は違うんですよ、多分、結構まともだとは思うんです。でも鬱状態の時はこうなるんですね。鬱状態じゃなければ、このようなめんどくさい思考回路はしないってことも忘れてしまってます。そんな状態です。だから、結局、これは自分で自分の力でなんとかできるようなものじゃないんですね。でも僕は長年、この鬱状態の時の僕の思考回路が自分なんだと思っていて、そこからどうにか抜け出していかなくてはいけないと悩んでました。しかし、それは不可能なんですね。感情が揺さぶられてしまって、思ってもないことを口にし、やりたくもないことを行動してしまうからです。

 そこでどうするかというと、できるだけ、自分の思考回路を使わないで、行動をするんです。

 でも行動は思考をもとにやるわけですから、自分のものではなくても思考自体は必要なんです。で、僕は、鬱の時にできるだけ自分で考えずにフーちゃんの思考を体に取り入れることにしたんです。

「自分はダメ人間だ。もうだめだ」

「いやいや、今、鬱になってるんだと思うよ。恭平がダメ人間なんじゃなくて、鬱になると、いつも自分はダメ人間だ、もうだめだ、って言うよ」

「だってダメ人間だから」

「いやいや、そうじゃなくて、この前もこの前の前も、同じように自分はダメ人間だって言ってたよ」

「ダメ人間だから、そうだよ、そうなるよ。結局、いつもここに戻ってくる」

「あ、結局、いつもここに戻ってくる、っていうのもいつも言うよ」

「いつもこの自信がない自分はダメ人間だって思っているのが、消えない、いつもここに最終的に戻ってくる。だから、もっとこれからだめになる」

「ところがよ、今は鬱だから、そういうふうに考えてしまうんだけどね、元気になった時に、いつも恭平がいう口癖があって」

「元気な自分なんて信用できないけど、そいつはなんて言ってるの?」

「ねえねえフーちゃん、今、質問して~って言う」

「質問って何?」

「あなたは今ダメ人間って思ってますか?って聞いて聞いてって言うよ。そう言うもんだから、質問するとね、いや、能力があるのかないのかはわからないけどダメ人間とは思わないって答える。ダメ人間とは全く思わないけど、ダメ人間でもいいよ、とか」

「そいつは信用ならないよ」

「でも恭平、その元気な恭平はね、鬱の時の俺は勘違いしまくってるからちゃんと勘違いを直してあげて、って言うのよ。向こうは向こうで今の恭平を信用してないよ」

「はあ、だめだ」

「ダメじゃないよ。元気な恭平と鬱の恭平の連携は全く取れてないけど、大丈夫だから、私はずっと定点観測してるから。私は誇張したりもしないし、起きていることをそのまま話すから。いつも鬱になると、自分はダメ人間だ、って言うよ。いつも必ず言う。そして、躁状態の恭平を信用するなと言う。元気な恭平ももちろんお調子者ではあるけど、それでも今の恭平もちょっと言い過ぎっていうか、自分に厳しすぎる。足して2で割るとちょうどいいんだけど、ま、そんなうまくいくわけないから、私がそれぞれの言い分を聞いて、うまく調整しまーす」

 と、こんな感じで、僕はフーちゃんの思考をお借りしながら、自分で考えないで行動する、という方法を少しずつ身につけていったんです。フーちゃんよくやってきたと思います。結構大変だったんじゃないかと思います。僕は鬱になると、子供たちの運動会とかも行けないかもしれないとかって一日中悩んでいたりするんです。もちろん元気な時は気にせず行くのが楽しいんですよ。でも、鬱になるとそうじゃなくなるし、さらにめんどくさいことに自分はそうやって子供たちの学校の集まりにいけないしょうもないやつだってこととかをじくじくむっちゃ悩むんですよ。でも、フーちゃん何にも気にしないんですよね。あ、鬱だから、運動会は休もう~ってな感じで。運動会休んでいいのってこととかも全然わかってなかったんです。あとは、全部を見にいくんじゃなくて、アオとゲンが参加する演目だけさらっと見て、あとは弁当も食べずに帰るって方法とか、いろんなことを提案してくれました。

 僕は調子が悪いと、鬱の克服の仕方とかをグーグルで検索しちゃうんですよ。本当に馬鹿だと思うんですけど、つまり、これは自分で考えることができないから、他の思考回路を探しているってことなんだろうなあって今思いました。フーちゃんはそんなことしないんですね。フーちゃんが何か問題が起きた時に何か検索したりしないんですね。フーちゃんは目の前のことを、必死にどうやったら、それなりに事が順調に進んでいくかってことを具体的に考えるってことしかしません。仕事の締め切りがすぐ近くにあって鬱になって、僕が落ち着かずにどうしたらいいのかわからないみたいに、ぐるぐるしてると、あ、電話しとこうかと言って、担当編集者にすぐフーちゃんが電話してくれて、笑いながら話したりしてるんです。そうやって、鬱になると、抱えていること自体が重荷になって治癒することをどんどん遅らせるので、フーちゃんは出版記念トークを遅らせてもらったり、ライブは私も一緒に歌うからMCで話したりしないでいいからそれはもうチケット売ってしまってるから頑張ろっか、とか、とにかく具体的に対応する。そして、とにかく、自分たちだけで抱え込まずに、すぐに協力者を見つけます。それをやっていくと、だんだん、僕も、なんだか深刻に悩んではいたが、実は、そこまで焦るほど大変な状況じゃないんじゃ?みたいな感じで考えることができるようになってきます。もちろん、原稿とかを代わりに書いたりはしてくれませんよ、フーちゃんは。具体的な他者に頼ることを代わりにやってくれるんですね。そうすることで、近々2週間くらいは何もしなくても問題はないって状態まで持っていってくれます。すると僕は2週間かかるどころか、3日後には立ち直ったりするんです。立ち直ると、健康な自分に戻りますから、すると、一瞬で、自信がない状態、自分がダメ人間だと思っている状態、みたいなのが霧が晴れるみたいになくなるんですね。フーちゃんはただ健康なだけでなく、僕が自分なりの健康を取り戻した時には実は不安もゼロだし、悩みもゼロ、自信はないかもしれないけど、それでも少しずつ丁寧にやれば、何事もうまくやり終えることができると思えるんだってことを、鬱で死にそうな状態の中でも、チラチラと感じさせてくれるわけです。

 そこで気づくのは、何もフーちゃんが不安ゼロの驚きの超人だってことじゃないんです。

 その逆で、不安に押しつぶされて、自分がダメ人間だと思い込んでいる僕にも実は不安ゼロな状態があったんだということなんです。

 というか、それに気づいたのは、今、これを書きながらなんです。


 僕がやっているいのっちの電話は、フーちゃんがやったらいいのに、と思いますが、フーちゃんは「できない」と言います。一つ一つの問題に入り込みすぎちゃって、混乱しそうな気がするんだそうです。距離感を保つのが難しそうだ、と。全然知らない人の辛い話を聞くのは無理だと言います。鬱を経験してないから無理だとも。

 「私にできるのは知っている人を助けること」

 フーちゃんはいつも自分をちゃんと把握してます。大風呂敷を常に広げ続ける僕とは大違いです。僕は全国民と話をしたいと思っているくらいですから。でもフーちゃんと僕とで考えてみると、それぞれの役目が違うのかもしれないとは思います。でも、まず起点にあるのは、僕がフーちゃんに助けられたってことです。僕はずっと人に鬱苦しんでいることを伝えられなかったんですから。フーちゃんに見せたことで、自分の思考回路で自分の問題を解決しようとすることの矛盾というのか、不可能性を体感しました。鬱が病気だと思っていたのですが、これはもはや病気ではなく、絶対に必要な体力的な休息の時間だとも知りましたし、創造に関して考えると、それは休息どころか、鬱がないと僕は新しい作品を生み出すという機会を失ってしまうので、創造にとっては無くてはならないものだとも今では感じてます。

 そういったことに気づくきっかけになったのは、フーちゃんのとても具体的な対応でした。僕が鬱の時、いつも僕はフーちゃんに、僕の鬱が与える子供たちへの悪影響を心配してしまいます。「だから僕は子供を作りたくなかったんだ」と何度か言ったことがあります。もちろんですが、フーちゃんにはそのような後悔はありません。そうではなくフーちゃんはこう言いました。

「子供たちは、恭平を助けてくれると思うよ」

 僕はこれを聞いてとてもびっくりしました。僕は常に僕が子供たちを育てている、という認識だったんだと思います。もちろん、この思考回路は鬱の時特有なんですが。元気な時は、子供たちのことが大好きだし、育てているという認識も強くなく、一緒に遊んでいるという感じです。しかし、鬱になると、やはり思考が完全に変わってしまって、僕みたいな親が子供を育てたら大変なことになるという妄想が膨らんでしまうんです。フーちゃんは僕の妄想を否定することもしません。そう感じてしまうのは、鬱のせいだと思うよ、と伝えます。で、その後に、私たちがただ育てているわけじゃなくて、子供たちも恭平を助けるんだよ、と教えてくれました。当たり前のことなのに、言葉で感じてなかったことで、びっくりしたあと、むちゃくちゃほっとしたのを覚えてます。

「アオとゲンは恭平のことが好きなんだよ。だから助けてほしい時は助けてほしいって言えばいいし、辛いのを隠す必要もないんだよ。そして、恭平が鬱だからってアオとゲンが恭平のことを嫌いになるわけじゃないんだよ。その逆で、恭平が元気がなく寝込んでいるとき、二人はいつも、パパ、大丈夫かな、って私に言っているよ。心配してるんだよ」

 フーちゃんがこのように教えてくれて、僕は少しずつ、鬱状態の時に子供に申し訳なく感じることが薄らいでいきました。時間はかかったけど。

「一番、退屈な時間はパパが鬱の時、ずっと一緒に遊んでる仲間が突然いなくなったら、遊べないじゃん、だから鬱にならないように、元気な時もあんまり無理して、やりすぎないでいいよ、パパ、元気な時すぐやりすぎるから」とゲンが言います。

 中学生のアオは、僕が鬱を通過するから新しい作品を作ることができることを今では知ってくれてます。

 我が家ではいのっちの電話をスピーカーフォンで子供たちと一緒に聞くことがあります。電話をするからと隣の部屋に行くことを子供たちがあんまり好きじゃないからです。それなら、みんなで聞いている方がいい、と。だから、子供たちは今では僕だけじゃなくて、他の大人たち、子供たちも鬱で死にたくなることがあることを知ってくれてます。

「他の家族はどうか知らないけど、うちはこのメンバーなんだから、うちらなりのやり方を見つけたらいいの」

 フーちゃんの幸福の道を独自に歩く姿勢は今では、僕だけでなく、アオやゲンにも伝播していってます。

 おかげで、今では、もちろん苦しいけれど、それでも恥ずかしいとは思わず、自信がないのに、ある意味自信を持って、苦しい鬱の世界に降りていくことができるようになりました。今では落ちるとは言いません。僕は自ら、降りていくと思うようになりました。

 こういった僕の思考の細かい変化の端々に、フーちゃんの深い影響があると僕は思ってます。

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