幸福人フー 第二回 フーちゃん語法


 今日も子供たちを学校に送って、明日から夏休みなので、それはそれで僕たちの大変な生活が始まるのだが、それで家があるマンションの一階がアトリエなんですが、そこに二人で下りてきて、コーヒー飲みながら、またインタビューを再開しました。すると、フーちゃんが言いました。
「あのね、こうやって、恭平が私に注目してくれて、話を聞いてくれるのは初めてのことだけどね、あのね、これ、なんだか嬉しいよ」
「えっ、そうなの?」
「恭平がさ、桂三枝さんみたいに、いろんな夫婦たちに、新婚さんいらっしゃいみたいに、新婚じゃなくて熟婚さんたちにもインタビューしたら絶対色々思い出したりして、仲良くなると思うよ、なんか、このインタビュー、なんか、なんだろ、嬉しいし、がんばろって思える。ありがとね」
 注目してもらえて嬉しいというフーの言葉が素直に入ってきました。この本がいい本になるとかどうでもよくなりました。やっているだけで、フーちゃんに良い作用がある。フーちゃんだけでなく、僕も一緒に、僕たち夫婦に何か良い作用があるのかもしれません。
「恭平はフィールドワークの達人で人に話聞くの上手いからできるけど、普通は夫婦同士でこんなインタビューはできないじゃん。今日が何か企画してやってあげたら良さそう」
「おー、それは出版記念のイベントでやればいいかもね。で、早速また話を聞きたいんだけど」
「うん」
 今回は、昨日あげたフーちゃんの特徴について話を聞くことにしました。

「孤独感って、フーちゃん感じないよね?」
「そうかも。というか、孤独で辛いと感じたことが一度もないってことかな。孤独が悪いこと、辛いことだって全く思ってない」
 フーちゃんは一人でいることが多いです。いつも外にいて、友達とわいわいやっているという感じではありません。どこかに出かけることもあんまりありません。でも家にいるのが好きって感じでもなく、外で遊ぶのも好きです。一人で出かけることよりも、僕と一緒に出かけることの方が多い感じです。かといって、一人では外に出かけないというわけでもありません。一人で買い物するのも全然平気にやります。なんというか、こだわりがないっていうか、どんな状態でもいいって感じです。一人で出かけるのも良し、でも、できるなら二人とかの方が楽しいかな、でも、時には一人でゆっくりするのも楽、と。僕は家で一人でゆっくりしているのが苦手ですが、フーちゃんにはそういうことは全くありません。
「恭平は、鬱の時、よく孤独感を感じるって辛そうに言ってるもんね、それを私は感じたことがないからわからない。辛そうだなっていうのはわかるんだけど」
 フーちゃんは、5つ上のお姉ちゃんと、両親と暮らしていましたが、中学一年生の時に、大好きだったお父さんが突然亡くなります。だから僕はフーちゃんのお父さんとは会ったことがありません。フーちゃんの幸福の謎を解く鍵の一つとして、フーちゃんの温かい家族があると思っているのですが、実はかなり早い段階で、フーちゃんはお父さんを失っているんですね。失っているはずなのですが、そして、僕もお父さんとは会ったことがないのですが、不思議なことに、僕にとって、フーちゃんは3人家族に思えないんです。4人家族なんです。つまり、お父さんはまだ生きているように感じます。僕が感じているくらいですから、きっとフーちゃんたちもそう感じているんだと思います。僕はお父さんが亡くなっていることの寂しさみたいなものを、フーちゃん一家から感じたことがないんです。
 いつも僕は、初めて、フーちゃんの家に行った時のことを思い出します。ちょっとヘンテコな出会いだったからです。当時、僕は高円寺に住んでいて、フーちゃんは戸塚のニュータウンに住んでいました。で、僕はよくお酒を飲んで、終電で高円寺に帰るんですが、馬鹿だから、いつも乗り過ごすんですね。で、その日はどうしたのか、中央線ではなく、京王線に乗っていて、気づいたら、終点の橋本駅で起きたんです。終電で。もう帰れないじゃないですか。で、僕はまだ付き合いたてのふーちゃんに電話をして、今からフーちゃんの家に行くよ!とわけのわからないことを言い出します。タクシー代なんか持っていないわけです。橋本から戸塚なんか遠いですから、せめてまっすぐ高円寺に帰ればいいのに、フーちゃんに会いたかったんでしょうね、それと、得意技の躁状態でもあったんだと思います。普通であれば、フーちゃん、実家に住んでますから、何を冗談言ってるのまっすぐ家に帰りなさい、となるはずですが、フーちゃんもちょっとおかしな人ではありましたから、まあ、恭平が言うのなら、わかったよー、でもどうやってくるの?と言いました。僕は当時、天才的なヒッチハイカーだったので、お金がなくても日本一周とか余裕でできていたんです、だから、ヒッチハイクで向かったんですね。戸塚方面に向かうトラックを見つけるのも当時は簡単で、話をするのもうまかったので、それなら高速を下りて、その彼女の家の近くまで乗っけていってあげるよ、とトラックのおっちゃんが乗せて行ってくれたんです。
 さすがに、そんなやつ、ちょっといやじゃないですか。それなのに、フーちゃんのお母さんはむっちゃ優しくて、優しいのは僕に対して、優しいというよりも、もちろん僕に対してもその後もむっちゃ優しいんですが、フーちゃんが選んだ人なんだから、とやかく言わない、みたいな感じのお母さんだったんです。ただ甘いっていうわけでもなく、でも、フーちゃんの選択に対して敬意を払っているという感じが僕はしてました。僕の家はどちらかというと、お前は変な選択ばかりするから、そうじゃなくて良い選択の方を私たちがしっかりしているから教えてあげる、みたいな感じでした。だから、いつも僕の選択に対して、厳しく批判されていたんですね。もちろん、それはそれで良い批評になっていたと今では思うんですが、フーちゃんのお母さんはそうじゃなくて、フーちゃんのことを信頼していて、あの子が選択したことなんだから最大限に尊重する、だから、とやかく批判しない、フーちゃんががんばれるところまでは尊重して、大変になったら助けるから言ってね、という感じなんです。でも、まだヒッチハイクして、家に行ったときはそんなこと何にも知らないですよ。で、実家なのに、大丈夫なのかな? しかも、俺彼氏で、しかも、俺、無職で、お金も持ってないし、会社に勤めたりもせずに、作家になりたいとただ夢みたいなことを思い描いている、ま、馬鹿なんですよ。でも、普通に家に入れたんです。ドアのロックが開いて、フーちゃんと会えて、喜んで、それでフーちゃんのお母さんと初めて会って「おばちゃん!初めまして!」と僕は言いました。いまだに、僕はフーちゃんのお母さんのことをおばちゃんって呼んでますが、それはこの時からです。おばちゃんの料理を食べて、食べっぷりがいいわね、と言われ、笑われて、で、フーちゃんのお母さんがむちゃくちゃ優しいっていうか、なんでしょうね、ただ優しいだけじゃなくて、フーちゃんのことを信頼していて、その信頼している娘が選んだ人だからって僕のことまで最大限に尊重してくれているんです。ご飯食べたら、お風呂まで沸かしてくれていて、将来何も見えずに、夢だけ見ているんじゃないかと不安だった僕にはおばちゃんが僕の本当のお母さんだったらいいのにな、とすら妄想してしまいました。あとで、僕は馬鹿だから、何度かフーちゃんもおばちゃんも裏切ってしまうのですが、しかし、それでも二人から僕は文句一つ言われたことがありません。そして、僕はお父さんの仏壇のある和室に布団を敷いてもらい、寝たのです。こんなどこの馬の骨とも知れない僕を受け入れてくれたことで、何よりも僕が救われたのでありました。
 そして、翌日です。僕はまだ寝ていたのですが、物音が聞こえます。おばちゃんが起きていて、台所であれこれやってまして、朝ごはんの匂いがします。なんか朝ごはんの準備をしてくれているだけで嬉しくなってきました。すると、おばちゃんは僕が寝ている部屋に入ってきたんです。そして、目を瞑ったままの僕が寝ていると思ったのか、静かに音も立てずに、お父さんの仏壇の前にたち、チーンと鳴らし、お水とご飯をお供えしてました。そして、何やら、おばちゃんはお父さんに対して、おしゃべりをしていたんです。それがずーっと今も記憶に残ってます。お父さんがまるで生きているように僕が今も感じているのはそのおばちゃんの姿を見たからです。朝ごはんを食べようと席につこうとすると、僕とおばちゃんとフーちゃんともう一つ、誰も座っていない椅子があって、僕はなんかそれがお父さんの席なんじゃないかって思って、フーちゃんはチーンとすることがなかったのですが、それがさらに、お父さんが生きているように感じ、僕は家族の中で死んでいった人に対して、そのように接している人たちをそれまで見たことがなかったので、ジーンとしました。おばちゃんやフーちゃんがお父さんの思い出を話すとき、いつも、それが生きている人を思い出すのと何も変わらないことにジーンとしました。僕はこの家族たちと一緒になりたいと、その時、強く思ったのを覚えてます。
 でもフーちゃんがお父さんの死を受け入れていない、というわけではないんです。
「家族は一緒にいるもんだと思ってたけど、突然、死んでしまうこともあるんだなと思ったよ」
「お父さんの死を受け入れてるってことなのかな?」
「どうかな、受け入れられたのかはわからないけど、あ、家族と言っても、別の人間なんだなってその時、強く思ったよ。死んだ後も触ると、まだ温かいんだよね、それが少しずつ冷たくなって、そこにいるのに、いないんだとわかって、火葬されて、骨になるじゃない。死んじゃうことってよくわからないけど、なんだろ、死ぬときは自分しか死なないんだなってその時思ったの」
「死ぬのが怖くなった?」
「うーんどうかな。そりゃ小さい頃は死ぬのは怖かったよ。でも、私、火の鳥のアニメを見た時に、ずっと死なずに永遠生きているって状態の方が怖いんだなと思ったから」

 フーちゃんは多くはないけど信頼している友達は何人かいます。でも一人の人に全部自分のことを話したりしているわけではないとのこと。それともちろん恭平もいるし、恭平も親友みたいなもんだし、とフーちゃんは言いました。あ、そういえば、恭平以外の異性の友達ってのはいないね。そうです。フーちゃんは、誰か異性をご飯を一緒に食べに行くとかはしたことがありません。僕はよく、異性と二人きりで一緒にご飯を食べに行ったりするけど、フーちゃんはそんなことありませんし、僕のその行為を怒ることもありません。フーちゃんは嫉妬はまったくしません。もちろん、ご飯を食べに行く異性と言っても、フーちゃんにもちゃんと紹介していて、フーちゃんとも仲良い人ばかりなのですが。フーちゃんは何か辛いことがあった時は、そういった信頼できる同性の友達になんでも相談します。
 フーちゃんは家に一人でいることは多いです。一人でいるのが好きなんだそうです。でも人とわいわいするのも好きだと言います。フーちゃんの場合は、一人でいるのも好き、わいわいするのも好き、と好きにこだわりがありません。いろんなことが好きって感じです。でも一人の時間が全然ないのは無理なんだそうです。
 僕は鬱の時、いつも「孤独感を感じる」と言ってしまうんですよね。孤独じゃないのはわかっているんですよ。だって家族もいますし、僕にも信頼できる友人はいます。それでも孤独感を強く感じてしまうんですね。だから、これは僕の孤独感というよりも、鬱状態になるとそういう症状になってしまうのだ、とわかってきたのは、この孤独感がわからないというフーちゃんのおかげかもしれません。僕が何度も孤独感を感じると伝えても、フーちゃんはなるほど、と言ってくれなかったんです。深いところまでは見ることができないから、あなたの孤独感がやっぱり理解ができないと正直伝えてくれました。そして、孤独感を感じることはあるとしても、いかに孤独ではないかをいつも細かく説明してくれました。
「孤独なんじゃなくて、今は、連絡を取りたくないから取っていないだけだし、しかも、相手の方でも恭平が調子が悪くなっているのを知っているから、今はそっとしてくれているだけだし、でも、恭平が連絡を取りたいと思えて、取ろうと思った瞬間に、友人たちもちゃんと扉を開くと思うから、そのままでいいんだよ」
 フーちゃんは鬱でどんどん孤絶しているように感じている僕にこのように言ってくれてました。これはとても助かりました。フーちゃん自身が数少ないけれども、とても信頼できる友人との関係を築いているので、孤独という単語が一つも頭の中になかったことが僕を助けるきっかけになったわけです。そして、そもそも孤独のことを悪く思っていないのがフーちゃんでした。生まれて一度も孤独感で辛いと思ったことはないそうです。
 フーちゃんはいつも一人でよく遊んでいたようで、ブロックで家を作ってみたり、バービー人形で遊んだり、シルバニアファミリーで遊んだり、シルバニアファミリーの大きな家はまだ生きていたお父さんが手作りで作ってくれたむっちゃかわいい家で、とにかく物を大事にするフーちゃんは今でもその家やベッドなどの小物類、お父さんが作ってくれたものを大事に持っています。このフーちゃんの物を本当に大事にする精神はいつもはっとさせられますし、何よりも、感動するというか、いつも僕は心が動きます。そのような人間でいれたらいいのになあ、とどこか遠い昔の人のことを想うように、見てしまいます。一つ一つの物に対して、これはお母さんが作ってくれた、お父さんが作ってくれた、おばあちゃんから買ってもらったもの、とか何かフーちゃんだけの大事な大切な物語が今も息をしていて、僕は反対に、物に対して、ありえないほど執着がなく、すぐ人にあげたりするので、フーちゃんはそれはそれでびっくりするそうです。僕はフーちゃんの物との付き合い方がむちゃくちゃ好きです。孤独でないのは、人間だけでなく、物との関係も深く結びついているからなのかもしれません。フーちゃんは僕にこれが欲しいから買って欲しい、ってほとんど言いません。できるだけ物を増やしたくないという精神です。かつ、今まで出会ってきた物と深く繋がることができているので、欲求不満のようなものを感じることがほとんどありません。実際、僕は付き合って22年が経過するのですが、フーちゃんがイライラして僕に八つ当たり、子供に八つ当たりするようなシーンを一度も見たことがありません。僕はついついイライラすると、フーちゃんのダメなところとかを突っ込んでしまいます。結局、自分がイライラしているだけなんです。それで人を変えようとしても無駄なんですが、ついついやってしまいます。寂しいだけなんです。それで何か関わろうとしている。でも関わり方でいつも間違いをしてしまいます。フーちゃんはそういうことがまったくない。人は人、自分は自分と完全に分離ができているんでしょう。
 おばけが怖かった時もあるが、お父さんが死んでしまってからは怖くなくなった。つまり、お父さんはおばけに近いわけです。お父さんの霊を見たことは一度もないが、あっちの世界はお父さんがいるし、あっちはあっちで大丈夫な世界なんだろうって思っているようです。お父さんの突然の死が全くトラウマになっていません。むしろ、お父さんに今も守られている意識があります。お父さんが今も生きているという感覚が家族全体に漂っているのに、死を受け入れていないわけでもありません。理性はしっかりと持ちつつ、それなのに、どこか温かくてポカポカしている。
 孤独を悪いものだとそもそも思っていないわけです。孤独はそのまま孤独です、ってフーちゃんは言います。フーちゃんよく、それをそのまま事実として受け入れます。僕は孤独だから、自分はだめだ~とかって無駄に落ち込んだりするのですが、いやいや、孤独なら孤独でもいいじゃない。でも、私もいるしなあ、友達もいるし、孤独じゃないじゃん、でも孤独感を感じるなら、それはそれで孤独感なんだから仕方ないよ、感じて苦しいなら、今日はゆっくり寝て休んでいたらいい、でも孤独感を感じる自分がダメだ、とまで飛躍するのはちょっとやりすぎだよ~、って感じです。
 孤独感を感じているとき、僕にどんなことが起きているかというと、つまり、人と比較しているわけです。あの人はあんなに友達がいるのに、僕は今一人で、何もしていなくて、家でじっと寝ているだけで、落ち込んでいるだけだ、というように。すると、フーちゃんはこう言います。
「その人のことは、恭平には何にもわからないんだよ。本当のことは何もわからない。だから、勝手に判断しないよ。自分にわからないことを勝手に判断すると疲れちゃうでしょ。その人にとって、あなたには友達がたくさんいるように見えるけど、その人にとっての親友と言える人がどれくらいいるのかとか、実体は何もわからないでしょ。そういう時は、私は、自分は孤独でその人にはたくさん友達がいるとは、思わないの。何もわからないって、だけ思う。そして、私には、友達が何人かいる、ってこともわかる。恭平もアオもゲンもいる(アオは中2の娘で、ゲンは小4の息子のことです)、その人たちのことが好きだし、彼らは話を聞いてくれるし、それで十分、だから大丈夫、って思うよ。
 フーちゃんの生き方、物事の捉え方は、ついつい僕も何も言えなくなって、黙ってしまいます。
 でも威圧的ではないんです。そっか、そう思えたら、むっちゃ楽じゃんってことをフーちゃんは僕に言ってくれます。そして、それをフーちゃんは自分にも言ってあげているはずです。もちろん、それは僕にはわからないんだけど、きっとそう言い聞かせて、自分が落ち込んだりする前に、さっと自分を立て直しているように見えます。

 これもいつものフーちゃんの言い方で言うと、一人でいることが寂しいことだという認識がないんだそうです。
「じゃあ一人でいるってどういうことなの?」
「え、、、どういうことでもないかも笑。ただたまたまその時、私は一人でいるってだけだよ」
「寂しいからって、行きたくもない集まりに顔を出す、みたいなこととかないの?」
「それはないなあ。もちろん、久しぶりだし、めんどくさいけど、顔くらい出しとくかって感じの時はあるよ。でも行きたくないけど、寂しいからいく、ってことはないなあ。楽しくないじゃんそんなことしても」
「行きたいか、行きたくないか、だけってことかあ」
「うん、そうそう」
「フーちゃんって、何かやりたくないけど落ち着かないからそれをやって気が紛れるってこととかないもんね」
「気は紛れません! 一人でいる時は一人でできることをやるだよ」
「そっか、俺は気が紛れると思っているのかもしれない」
「で、例えば、寂しいからって女の子とかに会ったりするじゃん? それで気が紛れたりするの?」
「もちろん、その瞬間は紛れるけど、結局、また一人になると、より深くズドーン、って落ちる」
「ほら。気持ちは紛らわすことができないのよ」
「はい」
 フーちゃんはいつもこんなです。あんまり喋る方じゃないけど、いつも答え方は単刀直入で、はっきりとしてます。優柔不断の人なのに、答えはいつもスッキリと決まってます。
 
「お父さんが死んだ時は不幸だと感じなかったの?」
「お父さんが死んだ時は、、、、自分にとってお父さんって大切な重要な存在だったんだなって思った。悲しんだけど、不幸だとは思わなかったなあ」
「そっかあ」
「逆に幸せだなあっては思ったよ」
「えっ、どういうこと? なんでお父さんが死んだのに?」
「もちろん悲しいんだよ。でもね、お父さんが亡くなったことは寂しいんだけど、そのおかげっていうと、変だけど、親戚とか、ずっと家族ぐるみで付き合ってた昔からの幼馴染とか、みんなが集まってきてくれたの。お父さんってこんなに大切にされてたんだなあって思って、それにみんなが私とお姉ちゃんのこれからの学費とかを心配してくれて、みんなで寄付してくれたりしたみたい。助けてくれる人が本当にたくさんいたのよ。お父さんだけでなく、私たちのことまで大切にしてくれる人がこんなにいるって感じで、エネルギーを感じたのよね。で、そのこと自体は、私は幸せなことだなあって思ったの」
「泣ける。。。」
「恭平、人のことはわからないの。人の気持ちと自分の気持ちを比べることはできないのよ。今だって私にもコンプレックスはあるんだよ。アトピーだしお肌が荒れてて、人に見せたくないとかもあるもん、でも人の気持ちは想像することしかできない、人に入れ替わって感じることはできないから。私は私でしかないじゃん。これでしかないし。これでいいじゃんって高校生の時にふと思ったの」

「フーちゃん、後悔とかもしないしねえ」
「後悔? しないねえ。でもね、だから、私っていっつも決めるの遅いじゃん」
「遅い! レストランのメニュー決めるのなんか、俺は一瞬だけど、フーちゃんはとんでもなく遅い!」
「でもね、それくらい考えてるの!」
「どういうこと?」
「だから、私は物事を決める時に、ものすごく迷って迷って迷ってものすごくさらに考えて選ぶってこと。ま、いっかこっちでも、って感じで決めないもん。そうやって選んだことが一度もない」
「なるほど。だから時間がかかるんだ。優柔不断な人だなあって思ってた」
「ま、優柔不断なんだけど。でもそれくらいしっかり考えて決めるよ」
「いや、それフーちゃん、優柔不断じゃないよ。ちゃんと長考してるってことじゃん。後悔しないために」
「そうだよ。あとのことを考えているわけじゃないんだけどね。ものすごく迷って決めてきたことの連続の今だから、後悔する余地がないんだと納得しているの」
「でも、後悔する人多いんだよなあ、いのっちの電話で聞いていても」
「だから、人それぞれだから、私はそうやって、決めるときにむちゃくちゃ時間かけるから後悔しないけど、人のことはわからないから、みんながみんな決めるときに長く考えているわけじゃないってことかも。後悔している人は、その時の決めるまでの考えが足りなかった、軽く決めてしまったとかがあるから、後悔しているのかも」
「でも俺も鬱の時は後悔するよね? でもフーちゃんは俺の後悔の時はそうやって、理解を示さないよね」
「だって、、、私は人のことは知らないからわからないだけだよ、恭平のことはいつも見てるじゃん、恭平は考えてああなるこうなるって色々予測たてて、それでもこれをやろうって決めてるじゃん、それを知っているから、ちゃんと考えて決めてきたじゃん、って思って、後悔する余地なんかないよ、って声かけるんだよ」
「ああ、、そっか」
 いつもフーちゃんは予測で勝手に言葉にしない。フーちゃんは経験していること、見ていること、判断できることだけを考えて言葉にしている。フーちゃんの言葉にする方法も、後悔しないやり方と同じかもしれない。フーちゃんは以前した発言を忘れていることがほとんどない。今考えるとそれも当然ですね。

「退屈ってどんな感じなの? 恭平も鬱のとき、よくつまらない、退屈だって言ってるじゃん」
「うーんとね、そうなんだよね、鬱の時だけ感じるのが退屈とつまらないって感情。あれは創造的になりたいのになれないってことなんかなあ。フーちゃんってよく寝てるよね」
「寝たいから寝てるだけだもん。恭平はだらだら寝てると落ち込む笑」
「そうだよ、あ、今日も無為に過ごしてしまったってね、そうなる。フーちゃんはそうならないんだ?」
「ならない、寝たいから寝てるんだから、やりたいことがやれて嬉しいってなる」
「幸せな人だなあ、おれは人からどう見られているかってことを考えすぎなのかなあ」
「人からどう見られているかっていう言葉を聞くと、いつも図書館で自習する高校生の頃を思い出すのよね」
「え、何それ?」
「高校生の頃って、図書館で自習するってのに憧れてて、やってみたことがあるの」
「で、どうだったの?」
「なんか図書館で自習するって、なんか図書館って勉強に集中できる、勉強している感が強いじゃん」
「なんかわかるよ」
「で、私もそれに憧れて、図書館で自習してみたんだけど、勉強に集中している自分というものを演出しなくちゃいけないみたいな気分になって、全然勉強に手がつかなかったの」
「変だねそれはw でもフーちゃんもそうやって人からどう見られるか気にしている時代があったのね」
「そうそう、でもすぐにわかった、人の目を気にしすぎると、何事にも手がつかなくなるって」
「で、どうしたの? 克服したの?」
「勉強は家でしかやらなくなった」
「克服はしないんだ」
「無理だと思って、私には向いてないと感じたことは、私には必要ないもん」
「おれだったら、図書館で勉強できるように練習しちゃいそう」
「私はそれじゃないな、私に合う方向はどっちかと私はすぐ探して選んじゃう。だって、気持ちがおかしくなるもん」
「ふむふむ」
「違和感を持ったまま行動することが、、、」
「嫌い?」
「いや、嫌いとかじゃない」
「向いてない?」
「ま、向いてないのは向いてないけど、そうじゃなくて、しない」
「しない!」
「そう、違和感を持ったまま行動することは、しない、の」

「フーって結構、暇そうだよね?」
「え、そうなの? 私にとっては無茶苦茶忙しいんだけど! 掃除も洗濯も家の掃除も、みんなしないし、恭平も時々やってくれるけど、やっぱり毎日じゃないし、みんな細かいところに全然目がいかないから、でもやってくれてるだけでありがたいから、そこは何も文句はなくて、ありがとうって思うんだけど、でも、私は清潔にしとくのが好きだから、いろんなところに目がいくから、あれもしなくちゃこれもしなくちゃって忙しいのよ」
「そっかあ、俺はいつも暇そうだけど、大丈夫なのかなって、心配したりしてた。なんかフーちゃんって、ほんと、自分の自分に対する評価軸みたいなものが、ぶれないよね」
「恭平は、自分のことをすごいと言ったり、ダメだと言ったり、忙しいもんね。私はそのへんの体幹がしっかりしてる笑」
「でも、変に自分を褒めるとかでもないしね。不思議な感じ。自分を褒めることもしないし貶すことももちろんしない。自分を守ることの天才だと思うよ」
「あ、でも、そりゃ人から褒められたりしたら、嬉しいよ!」
「そっか、褒めることも忘れずに行きます。話は変わるけど、二人で旅行とかにいくと、二人の反応が違うといつも思うんだよね。例えばある町に行って、その町が退屈だとする、もしくは、レストランでご飯を食べたら美味しくなかったつまり、つまらん味だったとする」
「恭平は、退屈な町にきてしまったと落ち込むよね笑 美味しいレストランを選択できなかったと落ち込む笑」
「そうなんだよね、別にフーちゃんはそれで嫌がるわけじゃないのに、自分の選択に対しての評価が厳しいから笑ってられない。その時、いつもフーちゃんは、ありゃーこの街は何にもないねーとか、これだけ美味しくないのもある意味すごいね~とか笑って言うよね。俺はいつもうまくいってないと落ち着かないからすぐ凹んでね、でもそのとき、フーちゃんが笑ってくれるから助かるよ、でもいつも自分はそんなふうにはなれない」
「もちろん、2回目はないよ、でも、すべて、体験するしかないじゃん!」
「そりゃそうだ。でもそれわかっているのに、俺は落ち込む」
「ま、恭平は落ち込んでもいいよ、私は違うから、私は笑うし、体験しないと面白いものにも出会えないから、体験することはやめないし、また変な町に行っても、笑うよ」
「俺はすぐ虚しいとか言うしなあ」

 フーちゃんは虚しいということも感じたことがないそうです。僕の場合、なぜ虚しさを感じるかというと、これだけやったのに、結果がうまくいかず、嫌になる、という感じだと思います。これだけやったらこれくらいになるだろうと想像しちゃってそうならなかった時に虚しく感じちゃうわけです。見返りを求めているわけですね。しかし、フーちゃんはこれが全くありません。フーちゃんは現在、ジュエリーデザイナーとして、自分でジュエリーを作って、お店に並べて、金曜日と土曜日だけですが、店番もやっているのですが、お客さんが一人もこなかった時も落ち込む様子はありません。お客さんはこなかったけど、その代わり、制作に集中できた、とかなんか自分で無理やりフォロー入れてる感じでもなく、素直にそう言います。誰も来なかったあ、ってヒャヒャって笑ってます。プレッシャーみたいなものがないんですね。
「確かに、それじゃだめだと言う人がまわりにいたら焦るよね」
 とフーちゃんは言いました。僕の場合は、そんなんじゃだめだとはもちろん少しも思わず、いつも感心しちゃうわけです。うまくいかなくても、それで落ち込むんじゃなくて、今、できることを、できるだけ丁寧にやってみる、という姿勢はいつも学ぶものがあると感じてますので。
 フーちゃんは過度の期待を抱きません。一方、僕は、とんでもなく高いハードルを設定したりしてしまいます。
 事実だけを事実として受け入れる。無理がないよね、と声をかけると、無理をするつもりが一切ないと返ってきます。手が届く範囲の最大限を行うだけだ、と。一方、僕は手が届かないことだけを想像してしまいます。ま、もちろん、それによって、掴めるものもあるのですが、その分、虚しさも感じることがあるんでしょう。

「フーちゃんは人の文句を一切言わないじゃん。俺はフーちゃんにイライラしてしまうと突っ込んでしまうのに」
「あれ不思議だよね、いつも思うよ。恭平がよく言う言い方は、君が僕のことが好きなら、僕が作った作品に興味を持つべきだ、とか、僕のことが好きなら、僕が好きなTバックのパンティーを履くべきだ、とか笑」
「イライラしてる時、つい言っちゃうよね」
「なんか、恭平の中に、理想の彼女像みたいなのがあるんだろうね。理想のパートナー像ってのが。それと私が違いすぎるから、ついつい、あれをやるべきだ、とか言っちゃうのかなあって。私は自分に対しての理想像もなければ、もちろん人に対しての理想像も全くないからね」
「なんかないの文句?」
「ま、もちろん、細かく見たら色々あるんだよ。恭平、家事もいつも手伝ってくれるからありがたいけど、そのやり方がちょっと違うなあって思う時はよくある。でも、それは自分のルールから見たら、おかしいだけであって、恭平はやってくれてるのに、それを言っちゃうと、私のルールを押し付けちゃうことになるじゃない」
「じゃあ我慢してるってこと?」
「いや、我慢してるとも違うかな、私が納得いかないことは、恭平がやってくれた後に、ありがとって言って、最後の仕上げを自分ですればいいだけ」

 と、色々と僕が感じたフーちゃんの特徴について聞いてきましたが、よくわかったのは、質問について、よくわからない、みたいなことがなかったってことです。フーちゃんはどうやら、それを自覚してやっている。言葉にすることができている。普段は一切、言葉にはしていないけど、どうやら、その都度、自分なりに言葉にするって行動を、普段からやっている可能性があります。そして、このフーちゃんの言葉にするという行為に僕は助けられてきたんだということもわかってきました。なぜなら、僕が今、鬱を克服しつつ、というか、新しい付き合い方を見つけつつあり、それによって、僕は自分なりの健康を見出しつつあるのですが、どうやってそれを実現したかというと、その都度、その都度、何かが起きた時に、この時はどうやって、考えるかってことを、本に助けてもらうわけでも、精神科医に助けてもらうわけでもなく、自分なりの言葉にすることで、自分の苦しみとの向き合い方が変化していったんですね。そのきっかけにずっと継続になっていたのだが、僕が苦しい時、フーちゃんに何度も同じことを嘆くんですが、その嘆きに対しての、フーちゃんからのリアクションです。その言葉によって、僕ははっとしたり、新しいアイデアを思いついたりしてきました。今では鬱になっても、鬱自体を悪いものだと思っていないんですね。これはフーちゃんの語法なのかもしれません。孤独を孤独だと感じ、孤独を悪いものだとか良いものにしなくちゃだとかは考えない、みたいな。そこで、今度は、フーちゃんに、僕の躁鬱病について、話を聞いてみたいと思います。もちろん克服したのが僕自身ですが、それにはフーちゃんの言葉という蜘蛛の糸のような助けがあったからです。それによって病気という価値観までも変化し、今では僕の仕事の中枢を駆動している力そのものだと、我が家では我が家全体で感じているところがあります。その命の恩人でもあるフーちゃんに、僕の躁鬱病について、さらには精神病を抱える家族と一緒に暮らし生きていくことについてなどを聞いてみましょう。しかし、それにしても言葉の体幹がしっかりしているフーちゃんは一体、なんでそんなに体幹がしっかりしているのか。話を聞けば聞くほど、僕がどんどんその謎に取り込まれていき、わけがわからなくなってしまいます。しかし、フーちゃんはやはり一切の迷いがなく、言葉にしていくのです。あのメニューも決められないフーちゃんが、とは今では思えません。あれだけ遅かった決断の理由が今回の話で分かったのですから。


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