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天国建設記 はじめに

 僕は天国を作ろうとしている。これからここに描く物語はそんな僕が天国を作り上げるまでの過程だ。実際に天国はすでにここに存在している。僕の中に存在している。僕の外にもきっと存在している。それを今からみなさんにお見せしようと思っている。

 天国は日本にある。九州にある。九州の熊本という国にある。熊本に僕は住んでいる。住んでいるから熊本に天国を作ったわけじゃない。世界中を旅してきた僕が最終的に天国建設予定地として選んだ場所が熊本だった。海あり山あり都市あり交通の便も良く物価も安い。天国を作るにはうってつけの場所だと思ったからだ。

 天国は他の国作るのは難しいと思う。日本がいいなと思ったのは、僕が日本語を話すからじゃない。天国を作るってことになると、国家がびっくりする。びっくりするだけならいいんだけど、びっくりしたら、国家は反射的に攻撃的になる。それで色々管理しようとしてくる。管理するだけじゃなく弾圧してくる。世界にはそんな歴史がたくさんある。中国に作ったら、すぐに僕は殺されるだろう。アメリカだと土地の値段が高すぎてうまくいかない。監視もされてしまうだろう。ヨーロッパはどうか。ヨーロッパも自由なふりをして、あれはここまでは自由にしていい、しかしやりすぎると弾圧しますよ、という形での自由だ。それじゃいけない。僕が死んでもいけない。天国なんか作ろうとしている人は他にいないのだから、みんな天国ってのは死んだら向かう場所だと勘違いしている。勘違いしていないのはおそらく僕だけだと思う。

 天国はこの現実に存在する。

 僕はその天国の存在に若い時に気づいた。4歳くらいからか。細かいことは追々話すことにしよう。まずは天国が現実に存在することに気づいたということだけ覚えておけば大丈夫。存在に気づいたのだから、僕はいつでも天国に行ける。それは僕の頭の中にある。頭の中だろうが、関係ない。僕は現実に生きているのだから、現実に生きている人間の頭の中にあるのだから、つまりは天国は現実に存在するのである。そんなわけで、僕はずっと天国を作ろうとしてきた。

 天国を作るわけだから、要はこれは建築なのである。都市計画だ。そこで僕は高校生の時に、建築家になることを決めた。別に住宅とかビルの設計をしたかったわけじゃない。ただ天国を設計、建設したかったからだ。そこで高校生の僕は、まず天国を建設するにあたって、必要な師匠を見つけることにした。高校の担任の先生に聞いてみたところ、何も知らないごめん、と言われたので、僕は図書館へ向かった。図書館もまた天国に似た場所だ。あそこには死んでしまった人が生き返る場所である。生きている人間が手にとって読めばあら不思議。とっくの昔に死んでいるはずの人々が生き生きと生き返るのである。僕は気づいた。あ、図書館もまた天国の一部なんだと。つまり、僕の天国には素敵な図書館が必要だ、とも。

 僕は図書館にある建築の雑誌を全て出してもらって、全ての日本の建築家を調べさせてもらった。すでに死んでいる人の中で一番天国建設に協力してくれそうな建築家は、吉阪隆正という建築家だった。でももう死んでいる。でも本を開けば生き返った。彼は資格がなくても誰でも入れる研究室を作っていて、そこでどんな身分の人でも意見ができる設計会議をやっていたという。そんなところがいいなと思った。彼の師匠は、近代建築の巨匠の一人であるスイス人のルコルビュジエという人だということも知った。どんどん死んでいた人が生き返ってくる。これは不思議な経験だった。あ、この経験って言葉は大事だから忘れないように。天国はまだ誰も現実の世界に作ったことがない。つまり、存在しないと思われている。しかし、僕は天国をもう知っている。頭の中にあるが、それは存在している。僕には天国の経験があるのである。だから、作り出すことができる。経験は積めば積むほど現実とは別の力を発揮する。現実だけが世界ではないのだ。まあ、細かいところは追々に。そんなわけで僕は建築家という職業であれば、僕が考えているところの天国を建設するに一番近道であると判断し、17歳の時に明確に建築家になると決めた。そのために勉強をしようと思って、今度は生きている人の中で、弟子入りするべき建築家を探すことにした。すぐに見つかった。なぜなら、僕には目的がはっきりしていたからである。天国を作る、これが僕の唯一の目的である。何千万円の家を建てることではない。そんな建築家がいるのか。いやいやいるのである。なぜなら僕が確固として天国を建設すると決めているからだ。これは物語である。現実は物語だ。つまり、物語の発端として、直感を天国から受けとっている僕に懇切丁寧に技術を伝達してくれる師が必ずいるはずだ。僕はそんな風に考えていた。呑気な人間である。それでいい。呑気な人間でもなければ天国を作れるなんて思わないだろう。両親にはそのことは言わないでおいた。両親は僕がとても頭が良かったので、東京大学の建築学科に行くんだろうと思い込んでいたそうだ。しかし、実際は違った。結局、僕は一人の建築家を見つけ出した。彼は住宅を購入することの馬鹿らしさをとうとうと語っていた。彼は、金がないけど家を持ちたいという施主のために設計図を描いてあげて、それを施主自ら全部自分で作れば金がかからないということを教えた。施主はその後何十年もかけて家を完成させた。家は購入するのではなく、部品ごとで観察し、それをカタログから選んで購入するのではなく、全て自分で作り出し、組み合わせ家にしたら、なんとも安く、しかも自分の体にあった家になるという秘密を教えてあげたのだ。とても心の優しい人だし、賢い人間だと思った。当時の僕は、世の中の大人は全員バカだと思っていたので、なぜなら経験を積んでいる人間が周りにほとんどいなかったからだが、この男はとても経験豊かな、僕の師匠になるにうってつけの人材だと判断した。

 その男の名前は石山修武という。早稲田大学で建築を教えていた。僕は大学には行く気はなかったが、彼が教えているので、行くことにした。受験なんかしょうもないことをする気はないと、担任の先生に伝えたところ、先生は何も知らない馬鹿ではあったが、それでも心の優しい人で、僕に受験なしで早稲田大学の建築学科に進学できるように、指定校推薦の枠を見つけてきてくれた。おかげで僕は何一つ苦労することなく、早稲田大学に入学し、石山修武に会うことができた。先生には4年と卒業してからも1年間お世話になった。建築的直感の向上の仕方は全て彼に学んだ。僕は建築的技術をすっかり学んで満足すると、師からも離れて、一人で独立することにした。天国は一人で作らないといけないのである。なぜなら、誰も天国が存在すると思っていないからだ。存在しないと思っている人間が一人でも入ってしまうと、存在しなくなってしまう。それがこの世の常である。だから、僕はたった一人で行動をはじめた。でも不思議なもので、天国を作ろうと思うと、たくさんの師が僕の前に現れた。その度に僕は天国は本当に実在するということを経験を通じて、さらに強く感じるようになっていった。

 大学を卒業し、石山修武のもとで1年間修行した僕は、高円寺の四畳半、家賃28000円のボロ小屋に住んでいた。仕事はほとんどせずに天国の設計図を描くことばかりやっていたので、当時家賃は払えていなかった。ところが大家さんがまた優しい人で、あなたは人助けをやっているのだから、家賃なんか払わなくてもいいですよと言ってくれたのだ。人助けというのは、僕の隣の住民で5年間そのアパートに引きこもり自殺するところだったのを、僕が見つけて、僕の部屋に招いて、その男、トヨちゃんという30歳代の男だったのだが、トヨちゃんにクリーニングしたスーツを着せて、毎日、ハローワークに通わせ、トヨちゃんが就職をしたいと希望したからなのだが、それで無事に二週間後、彼のお望みの会社に入社させてあげたからで、トヨちゃんは大家の親戚でもあったので、大家さんは僕のことを、何か神様でもあるかのように接してくれて、おかげで、僕は20歳代は家賃のことを一切考えることなく、払うことなく、すくすくと生きていくことができた。天国はもちろん家賃が〇円なのだが、僕はすでに自宅が家賃〇円だったのだ。僕の家もある意味では天国の一部だったのかもしれない。その大家もトヨちゃんもそれ以来、いつもビールを差し入れしてくれて、僕はビールにもお金を払ったことがない。二人とも僕が考えている天国の住民だったのだろう。そんなわけで、僕は働く必要がほとんどなかったので、天国建設のための勉強を一人で自学することに集中することができた。

 そんなある日である。僕はまた新しい師と出会うことになった。彼は船越天子という嘘みたいな名前の男で、テンシではなく、フナコシテンジという。彼とは東京の多摩川河川敷で出会った。つまり、船越さんはいわゆるホームレスの人、路上生活者だったのである。僕は船越さんに出会うと、一週間に数日は多摩川で生活するようになった。船越さんは広大な敷地の家に住んでいて、もちろん家賃〇円、家を建てるお金も〇円で作っていた。そんな家なんか存在しませんとあらゆる建築家が言ってた。しかし船越さんは経験を通じて、〇円で家を建てることが可能であることを突き止めていた。つまり、それもまた天国の片鱗である。だからこそ僕は彼の家に通い続け、一緒に生活をともにし続けた。経験を積んでいった。彼は僕に様々な方法を教えてくれた。どれもが天国建設には重要な考え方ばかりだった。僕は幼児みたいな吸収力で貪欲に彼から無数の知恵を教わった。まずは彼から教わった天国建設のコツの話からはじめることにしよう。

 時は2001年。今から20年前の話である。僕は23歳だった。のちに妻となるフーと出会った年だ。僕は無職だった。金もほとんどなかった。それでも天国を作ることができるという確信を持っていた。フーにだけは天国のことを教えた。フーは「あなたはいつか必ず天国を作れると思うよ、あなた、とっても面白い人だもん」と言ってくれた。僕は躁鬱病という精神の病にたびたび倒れていた。しかし、フーは「ぜーんぜん大丈夫よ。あたしには変に見えないわ」といつも励ましていた。僕は天国を作るという決心とともに同じ頃、フーを一生の伴侶にすることを決めた。

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