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お金の学校 (10) 健康という経済

 みなさん、夢はありますか? 
 高校生のとき、僕は建築家になりたいという夢がありました。さて、どうするか。ということについて今日は考えてみましょう。建築家になりたいという夢はありましたが、建築家が一体、どんな仕事なのかってことは全然知りませんでした。家を建てる人が建築家である、ってぐらいにしか考えてませんでした。そもそも僕が建築家を志すようになったのも、僕が小学生のころ、よく自分の机に画板を屋根みたいにかけて上から毛布で覆って、洞窟みたいな空間を作って、机の下に布団を敷いて、そこで寝てたりしたんですね。そうすると、埃っぽいですから、よく持病の喘息を発症させてたんですよ。困った両親は僕に建築家という仕事があるから、それになったらいいやん、だからとりあえず今は普通に寝室で寝て欲しい、みたいな感じで、僕は建築家という仕事を知るんです。つまり、僕が作りたいのは、もともと自分が暮らす洞窟だったんですね。別に人から依頼を受けて、人のために何かを建てたいと思ってたわけじゃないんですね。
 ここで大事なことは僕がなりたいと思っていたものは、いわゆる社会で考えられている建築家ではなかったということですね。言葉って大雑把なので、建築家というと、建物を設計する人全てを指すわけですが、やっぱり正確じゃないわけですよ。僕は自分が暮らす面白く心地よい洞窟を作りたいだけだったわけです。でも人は建築家になると決めたら、ついつい自分がもともとやりたかったはずのことから離れて、ついつい社会の中で言われている建築家という言葉の方に近づいていってしまいます。なぜなら、その言葉、建築家という言葉が流れていると勘違いするからです。それが経済であると勘違いするんですね。 
 建築家になりたいと言いつつ、自分のための洞窟を作ろうとしているやつがいるとしますよね。ま、それが僕なんですけど。そうすると、建築家の訓練を受けているうちに、あれ、洞窟なんか誰も作ろうとしてないな、みたいな話になっていくんです。挙句の果てはつまんない大学の先生とかから、
 「あのな、建築家って建築費の10パーセントが設計費なんや。つまりな、お前、洞窟なんか自分で作ってたら、稼ぎゼロやぞ。人に借金させてナンボの世界なんや建築家は、だから巨匠安藤忠雄なんかも第一作目は小さな小さな建築だったけど、今じゃ、馬鹿みたいに無駄にドデカクなってる、なんでかって言うと、別にデザイン的にテンション上がってきて、新しい想像として、巨大なもの建てとるんじゃないわけよ。それは稼げるからってことなんやね。でっかくすればするほど稼げるってことなんや。はっきり言えばそれだけや。それはダサい世界や、でもな、稼げるんや。安藤忠雄はダサいけど稼げてるんや。それがこの建築家の世界の勝ちってことや。ダサいと稼げるどっちを取るんかお前は? ダサいからってやらなかったらおまんま食べれんぞ、お前な建築家になりたいんやろ、建築家になって一円も稼がんって、それ経済? 馬鹿なの?」
 とか言われたら、すぐ人間って、なんか上の人の言うことが正しいと思っちゃってるから、そっちになびくんですよね。なぜなびくのかというと、何も知らないからです。自分が何も知らないということを知らないと、こういう大人の、目上の、先輩の、先生の言葉に、なびいてしまいます。そっちはあきまへん。ただのダサいでっかい建物の世界です。そりゃお金は稼げるんでしょうね。でも、その人の顔をみてくださいな。顔色悪いですよ。黒ずんでます。目が死んでます。歩くミイラです。つまり、心が死んどるわけですわ。流れてないはずのところでお金だけが稼げるって、やっぱりおかしくてですね。なんか別の力がかかっているんですね。そうすると、そりゃ見た目には金持ちには見えますよ。でも、経済ではないんで、楽しくはないですよね。なんで経済じゃないのに、お金が稼げるんでしょうね。時々は頭使って考えてみましょう。でも大丈夫です。顔が全てを表しているはずです。顔が歪んできますから。流れてないですからね。楽しくないんです。怒ったりしますからよーく観察しててください。怒った人は全員流れてないです。だって楽しくないからです。楽しくないどころか辛いんです。生きてて嫌になってます。そうなると怒ります。怒られた時には、流れてないな、と察知しましょう。そして、流れてないところは楽しくないですから、たとえお金が稼げたとしても、顔が歪んでますから、さささっと立ち去りましょう。
 そういう時はどうするかっていうと、自分が何にも知らないってことを知る必要があります。そして、まわりも何も知らないってことを確認する必要があります。まわりも何も知らないから、建築家という三文字で大雑把に説明しちゃうわけです。どうやって確認するのか。では、高校二年生の時の僕を例にあげて考えてみましょう。すみませんね、脱線ばっかりで、もう一回、戻ってきましたよ。高校生の僕に。でもいいんです。無駄なことは何一つありません。脱線しても何度でも戻ってくればいいんです。戻ってきた時にはまた別の景色になってるはずです。経験だけがあなたの守り神ですよ。それ以外には神様はいません。何事も経験なんです。
 さて、高校生の僕です。二年生です。17歳です。夢は建築家です。
 でも建築家のことはよく知りません。高校の先生に将来どうなりたいのか聞かれる前に、東大に行けと言われました。ほんとデリカシーがないっていうのか、お前の世界だけで物事考えないでよ、と思いましたけど、そんな急に言い返すのもあれなんで、怒ったってなんもいいことはありませんからね、流れなくなるだけです、せっかく流れはきているので、建築家になろうとしているわけですから、流れ自体は止めずに進めましょう。
「ほうほう、なるほど、東大っていやあ、一番頭がいい奴がいく大学ですね」、
「そうだよ、うちは30人は東大に行くんだよ。お前は38番。つまり、もうちょっと頑張れば東大に行けるんだから、一浪東大を目指しなさい」
「ほうほう、38番だから、30番になるまで勉強を頑張って東大に入れってことですな」
「そうだ、それができるんだよ君は素晴らしいと思わないかい」
「で、僕は建築家になりたくてですね」
「あ、そうなのか、知らんかった」
「だから、東大で教えている建築家ってどんな先生がいるのかと思いまして」
「へえ」
「あの、先生、どんな建築家が教えてるか知ってますか?」
「ん? 建築家? 知らんな」
「ほうほう、先生は東大でどんな先生が教えているのか知らないってことですね」
「そうだな、うん、俺は知らん」
「ほうほう」
「なんだ坂口、そのほうほうっていうのは」
「あ、失礼、いや、なんでもございません。それでは私はこの辺で」
「で、志望校はどうするんだ?」
「ま、とりあえず今のうちは決めてもどうせ変わると思うので、先生が東大にしたいと思うのならば、東大と書いといてください」
「ずいぶん適当だな」
「ほうほう。東大で誰が教えてるか知らずに東大に行けとおっしゃる先生が、適当だとおっしゃるのなら、きっと僕は適当なのかもしれません。適当すぎてはまずいので、ここは一つ、東大で誰が教えているかを聞いてきます」
「誰に聞くんだ?」
「図書館に行けばいいんですよ。図書館は死んだ人の言葉だから嘘つかないっておじいちゃんに教わったので」
「あ、そっか・・・」
 高校の先生はこんな感じです。僕が通っていた高校は熊本では一番と言われているところで、僕がそんな学校に行ったから悪いのですが、進路指導の先生たちはぶっちゃけ、東大に何人入るか、京大に何人入るか、医学部に何人受かるかしか考えてません。塾の先生と変わりありません。別に公立の高校だから、東大に何人入ろうが、稼ぎには変わらないはずなのですが、なんだかすごく拘ってます。というわけで、高校生ってのは大抵が馬鹿ですから、先生が言われた通り親が言う通りに、頭がよければ東大に医学部にというふうに志望校を決めていきます。しかし、同級生の誰に聞いても、その大学に行って、どういうことをするのかっていうことには、思考が到達していないように見えました。
 これは変です。ゴールを設定しないとうまく達成できないということを僕は幼少の時から感じましたから、とにかく詳細はゴール設定が必要なわけですが、高校の世界にいては、その詳細な調査が全くできないわけです。大学名しか問題ではないわけです。もはや学部学科なんかどうでも良くて、それぞれの偏差値とか言う、偏った判断基準で、理系から文系に乗り換えただの、慶応に入りたいから学科はいくつも受けることにしてるだの、もはや狂気の沙汰と僕には見えましたが、そういったことが平然と行われていました。どう考えても人に優しくないやつが医学部を目指したりしているのです。絶対に将来、病院に行ったらこりゃまずいなとも思いました。僕のまわりで医学部を目指しているやつでまともな人間はほとんどいませんでした。でもそいつらの親父が医者だったから、どうやら医学部に入らなくちゃいけないらしいのです。でも、まともな教育は受けていないように見えました。なんというか自分本位な奴が多いように見受けられたのです。
 もちろん、これは17歳の僕による観察ですから、誤解も多かったと思いますが、僕は自分が通っていた高校が本当に心底嫌いでした。なんというか、大学のことばかり考えてまじで頭悪すぎるだろと思ってました。ということで、僕は受験をやめることにしたのです。なんというか、そいつらと一緒の空気吸って、同じ目標とかもったらやばいなと直感したわけです。さっきの経済が発生してないのに、お金が稼げる建築家の世界みたいなもんです。なんかおかしいんです。流れてはないんです。でもみんなが当然のように流れていっている。
 危ない兆候です。危険を感じたら、まずは逃げろ。君子危うきに近寄らず、ってことです。皮肉なことに僕が通っていた高校の教訓みたいな鬱陶しいものが掲げてありまして、それが士君子なのです。君子たれと言っているのです。皮肉ですかね。みんな馬鹿みたいに大学名だけで将来を選んでいてですよ、東大の何がすごいのでしょうか。本当にみんな馬鹿なんでしょうか。誰がいるのかも知らないんですよ先生たちは。僕は本物の馬鹿たちなのだこの人たちはと断定しました。もちろん人間的には興味深い人もいました。でも、人がいいからと言って、間違ったことを17歳の高校生たちに伝えてもいいのでしょうか。答えはノーです。いけないことはいけないと伝えるしかないのですが、当の高校生たちもどこの大学に入るかしか考えていないんです。だから僕が諭したところで、高校生たちから「僕は東大に行きたいのに、なんで邪魔するんだよ、なんの意味があるんだよ」とか言われて終わりです。人に注意しても仕方がありません。文句を言っても仕方がありません。やることは一つ、自分で自分を救うということだけです。まずはそこから、そして、そのことを人々の前で示すしかありません。ということで、僕はまずは受験戦争に参加することをやめたのです。ではどうすればいいのでしょうか。
 そこでおじいちゃんの遺言をもとに、僕は図書館に向かうことにしました。熊本市中央図書館です。建築コーナーを見てみましょう。いろいろと本がありますが、誰の本を読めばいいのかわかりません。棚の一番下の大きな冊子に目が行きました。それは建築雑誌でした。建築家たちが作った作品がたくさん掲載されてました。なるほど、建築雑誌を見れば、その年に活動していた建築家たちの作品を知ることができるようです。僕は自分で、建築家が何をしているのか知らずに建築家になろうとしていることにびっくりしつつ、迂闊だったと改めました。ちゃんと知らないとね。というわけで、1995年のことです。僕は一人で1996年の建築雑誌から毎月遡って作品を見ていくことにしたんです。オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件、阪神大震災などいろんなことが起きてました。でも僕としては熊本でしたから、遠い国の話のようにも感じてました。
 建築雑誌の中にあった建築物はどれもキラキラしてました。当然ですが新築っぽく、お洒落っぽく、なんかかっこいいっぽい、感じで、つまり、僕としてはどれも嘘っぽく見えてしまってました。なんだよ建築家と言いながら、ただのデザイナーみたいな感じじゃないか、流行っぽいデザインでなんか誤魔化しているだけだ、僕は昔から批評眼だけは優れていたというか、いやそれは言い過ぎですね、多分なめたガキだったわけです。でもひねくれてたわけじゃないです。ナメてはいましたが、でも正直の感想でした。なんも面白くなかったです。その25年前に見たものをなんとなく今も記憶してますが、確かにそのうちの一つも歴史には残ってません。全て流行が過ぎ去るとともに建築の経年劣化とともに劣化し、消滅してます。
 その中でいきなり1995年6月号に、とんでもない建築が掲載されていたんです。
 作品の名前は『ドラキュラの家』。タイトルもとんでもないです。しかも建築の写真が掲載されていたんですが、窓がどこにもないんです。それだけでなく、壁も工場で使われるような殺風景なもの、しかも玄関がシャッターでした。ただの工場、というか、それは地下鉄サリン事件後によく見るようになった、あのサティアンにそっくりでした。なんだこの建築は。僕は即座に釘付けにされました。
 早い反応です。早さ。なんだか受験勉強のことばかり考えてたので、忘れてた感覚でもありました。そして、受験をやめた僕にとってこの早さは福音のように体を温めてくれました。火がついたんです。住んでいるのは男性二人のカップル。男性二人でしかもカップルって・・・。住んでいる人のことをここまで書いているのもこの建築が初めてでした。なんで建築雑誌って生活感がないんだよ、と思っていたところに、この建築写真は中にビニールハウスを作って、寒さを凌いでいるだの、天井に十字架みたいな天窓がついていたり、内装も完全に工場で、しかも、よく店舗設計とかであるような工場風のおしゃれ建築とかではなく、ただの工場で、二人は夜型の人間で、全く光が必要がないから窓がないとか、もう建築雑誌にこんな家が掲載されていいのかと僕は湧き水を飲むように読みました。そこで書いている、建築家自身の文章もまたすごくて、衝撃、ボブディランを初めて知ったときのような衝撃を、つまりカッコ良すぎると思ったわけです、17歳の僕は。生まれて初めて経験だったかもしれません。存命中というか、今生きている日本の中で、この人と会いたいと即座に思った人物はこれまで一人もいなかったからです。みんな流れてませんでした、それなのに調子に乗ったり、頭いい奴みたいに演じてホラばっかり吹いてたり、とにかく全員かっこ悪かった、楽しくありませんでした。だから、僕は図書館で死んだ人ばかり探してました。
 でもですよ、見つけたんです。僕はすぐにその建築と文章を生み出した人の名前を調べました。
 石山修武。これでオサムって読むらしいです。なんかいい名前です。
 で、経歴のところを調べたら、早稲田大学理工学部建築学科教授って書いてあったんです。
 あ、俺、この人に会えばいんだ。この人に教わるんだ。この人が教えている大学に行くんだ。
 すぐに僕は決めました。詳細なゴールが設定されたんです。詳細も詳細です。一人の人間を見つけたんですから。それ以外のゴールがないんです。
 人名さえ判明すれば後は簡単です。図書館で石山修武と検索をかけて、図書館にある全ての石山先生の本を借りて帰ってきました。文章もはっきりしてました。清々しい文章。素直な文章。のちに書くことになる僕の文章の一つの源流がこの石山先生の文章だと思います。流れてます。みんな細かい買い物をするときは、部品が一ついくらを確認するのに、なんで住宅を買うときだけは全く部品ごとに見積もりを取らないんだ、なんで塊で3000万円とか5000万円とか言われて、平気な顔で、考えもせずに買うのか、もしかしてお前らは馬鹿なのか?って書いてました。びっくりしました。当たり前のことが当たり前のように心地よく書いてあり、僕が疑問に思っていることがなぜか僕から質問を聞いたように、そのままその人の声で答えてあったからです。これが流れです。流れてますね。経済が発生しているんです。もちろん楽しかったです。共同体が発生してましたよ。まさにこれぞ経済。僕は決めました。僕はこの人に会う。早稲田大学の建築学科に行く。
 そして興味深いことに気づけました。出会う先生を見つけたら、なんと大学に受からなくていいんです。だって、そこにその先生がいるってわかりますから、このお金の学校だって20000人以上の聴講生がいるんです。つまり、僕も上京だけして、後は早稲田大学に勝手に侵入して、先生の授業だけを受けたらいいんです。なんなら研究室にも出入りして、なんなら先生が設計している建築の現場にも入らせてもらえればいいはずです。図々しいですが、それでもいいじゃないですか。学びたい人が見つかったんですから。人生で初めてのことです。記念すべきことです。僕は家の中で興奮してました。そして、両親に伝えました。やったよ!僕はもう会う人を見つけたんだよ!もう大学受験なんかどうでもいいものに囚われなくても済むんだよ。僕は奴隷から解放されたんだよ!僕は馬鹿でした。そんなことを両親に伝えてしまったわけです。お前馬鹿野郎ですよ。何考えてるのと母親から怒られました。あ、怒りです。流れてません。このままでは僕に起きているこの流れすらも堰き止められてしまいます。これはまずいです。さっきと一緒です。決して言い返してはいけません。言い返すと向こうの停滞の世界に巻き込まれてしまいます。だからそういうときはこうです。
「そうだよね!あ〜びっくりした〜。ついつい興奮してそう口走ったけど、やっぱ受験だよね!センター試験だよね!やっぱ東大だよね!そして、あれだよね、母ちゃんって俺に医者になって欲しいんだよね!やっぱドクターだよね!人を助けたいからドクター、ではなく、金が稼げるから生活が安心だからドクターだよね!アルファロメオドクター!ポルシェドクターだよね!ドクター!私はあなたたちの息子としてドクターになります!建築家になりたかったのに、頭が良すぎて、金が稼げるドクター世界に行くために東大医学部にいっちゃいます!」
 そう言って、僕は両親とそれぞれ硬く握手をして、自分の部屋に戻りました。危ない危ない。これがバレてはいけないのです。うまく受験勉強をせずに、何にもせず、一切の勉強をせず、それで受験も一応やりつつ、どうせ、0点で終わらせて、それで浪人してるふりで上京して、早稲田に潜り込んで、石山先生に挨拶にいこう。
 そう決めた高校二年生の秋頃でした。いつになく清々しく晴々として、心地良かったです。やっぱりこれは経済だ、と僕は確信しました。一円も稼いでないのにね。僕が感じていたのは、やっぱり流れだったわけです。
 そんなわけで僕は受験勉強をしなくてよくなりました。裏技を見つけたら、とても気が楽になりまして、不安もゼロになりました。三年生になっても余裕です。しかし、勉強しないのだから、どんどん順位が落ちて行きました。不安に感じたのは先生です。志望校のところには、東大も医学部もなくなり、僕は早稲田理工学部建築学科としか書かなくなりました。偏差値的には80オーバーの難関です。馬鹿は合格しません。というわけでどんどん順位下がってましたので、最終的には判定もEとかそんな最低な感じでした。絶対に受からないってやつです。でも僕は心地よく過ごしてました。だって、受からなくても、その人は早稲田大学にいるからです。簡単なことです。みんなも見習って欲しいです。馬鹿みたいにどうでも大学に何浪も受験するとか狂気の沙汰です。それよりも会いたい人を見つけることこそが経済です。流れ出しますよ。なんと言っても、その後、僕は奇跡の展開に巻き込まれていくのですから。
 ある日、僕の担任であり、進路指導の熱血先生から呼び出されました。
「あのな、坂口、悔しいことなんだが・・・」
「どうしたんですか、そんな悔しがって」
「あのな、」
「はい」
「お前な早稲田大学理工学部建築学科に行きたいって言ってたろ、俺東大行けって言ったのに」
「そうですね。みんな国立ばっかり狙ってる時に、なぜか私立一本です」
「そんな早稲田に行きたいんか」
「はい。そこに石山修武って先生がいて、その人の建築に感動したんですよ。この人に会いたい学びたいって思って。大丈夫ですよ、ちゃんと受験もしますから、判定はEだけど、きっと俺奇跡の子なんで、きっと奇跡が起きて合格しますよ。勉強してないようにしか見えないかもしれませんが、早稲田の建築に受かるためだけの勉強をしているから、こういった模擬試験みたいなものではうまく結果が出ないんですよ。でも早稲田の建築には受かるようにセッティングしてるんで大丈夫っす」
「このまんまじゃ絶対に受からないよ、どうするんだよ」
「大丈夫、きっとうまくいくよ」
「なんだよ、突然、友達じゃないんだぞ」
「あ、すみません。いつも自分にこうやって言い聞かせてるんで、つい」
「そんなおまじないするより勉強しろ」
「ま、そうですけど、おまじないの方が効果100倍っすよ。勉強していいこと一個もなかったです」
「本当お前はいつもヘラヘラして」
「笑う門には福来たる」
「いいようにばっかり考えて、不安に対応するってこともしないといかんぞ」
「はい!」
「返事だけはいつも短く大きくていいよな」
「声出してたらなんとか生き延びれるっておじいちゃんに教わりました」
「うーーー」
「どうしたんですか先生」
「悔しい・・・」
「何が悔しいんですか? 僕なりに思ってもないですけど、それなりに先生に従順なふりしているつもりなんですけど」
「くそ・・・」
「なんかむかつくことしました俺?」
「あのなあ、、、」
「はい」
「お前、早稲田理工学部建築学科だったよなあ」
「そうです。そこに石山修武っていう先生がいて、最高なんで会いにいくんです。ゴールを決めるとうまくいくって人生歩んできたんで、ゴールを詳細に決めたんです。東大落ちたから早稲田みたいな選び方じゃ間違うんですよ。ちゃんと会いたい先生見つけたら、自動的にそこに行けるんです。そうなってるんですよ人生って」
「なんでお前が俺に人生語ってるんだよ」
「あ、すみません」
「でもな」
「はい」
「お前のいう通りだ」
「え?」
「あのな」
「はい」
「うちの高校はな、毎年、早稲田大学理工学部の指定校推薦ってのがあるんだよ。理工学部といっても、10以上学部があって、毎年順々に変わってるわけだが」
「へえ、そんなシステム知りませんでした。推薦なんかしてもらえないような人間ですから。なんか恩着せられるみたいでめんどくさいし」
「うるさいよ、それでな、今年が建築学科なんだよ」
「へえ」
「へえ、ってなんだよ」
「でもそれって俺資格ないでしょ。俺3年になってから成績最悪だし」
「ところがな、この指定校推薦ってのが、3年の成績が全く関係なくてな、1、2年の成績が評定になるんだよ」
「へえ、それじゃ俺、7.5とかあるんじゃないですか?」
「それがな、むかつくことにあるんだよ」
「で、他に行きたい人っているんですか?」
「みんな国立だろ? だからいないんだよ」
「やばいっすね。それ俺が応募したらどうなるんですか?」
「お前が面接でまじで本当に馬鹿なことでもしない限り、ま、する可能性はあるが、それ以外はほぼ100%合格しちゃうんだよ」
「まじっすか?」
「そうなんだよ。だから俺は悔しくて悔しくて。お前はもっと努力して、苦労もして、来年東大に行って欲しかったんだよ」
「まじっすか!やった」
「やったじゃねえよ」
「先生なんですかその態度は笑、よかったねおめでとうって言えよ」
「お前は東大にいって欲しかったんだよ」
「ぜってえいかねえよ。俺は早稲田に行って石山先生に会うんだよ」
「でもよかったな、悔しいけど、お前が頑張ったからだよ。おめでとう」
「先生ありがとう!大好きだよ」
 ということで、僕は最初に決めた通りに、早稲田大学理工学部建築学科に受験もせずに3年は1分も勉強しませんでした、余裕のよっちゃんで、合格し、石山修武先生のもとで学ぶことができるようになったんです。流れてませんか? どう考えても流れてますよね。その流れをあの進路指導の鬼であった、僕の担任も止めることができなかったわけです。ゴールを設定すると自動的にゴールすることができます。みんなが浪人する理由はゴールが決まってないからです。受験勉強なんかして楽しいですか? 楽しいはずがありません。つまり、全ての受験は経済ではありません。そんな経済でもないつまらないレースに参加して、落ちたら、まるで自分に才能がないみたいな感じで言われて、何が楽しいんですか? 楽しくないことは決してやってはいけません。それが経済の掟です。流れが止まるからです。お金が稼げなくなるんです。だから受験はせずに先へ進みましょう。やり方は簡単です。まずは夢を設定する。なんでもいいんです。まあ、なんとなくあなたがやりたいことに近い職業を見つけてください。ここら辺は適当に。あんまり真剣にやりすぎると失敗します。なぜなら夢と職業はどうせずれ込むからです。ここでこだわると、つっかえます。なんにせよ、引っ掛かり、突っかかり、は要注意です。流れないからです。流れている状態だけがあなたを次の段階へ連れて行きます。だから今からやってみましょう。自分の数年後の自分を心地よくイメージしてください。とにかく心地よく楽しい自分ですよ。辛そうな自分、、、、やめときましょう。そんなふうにして仕事してもいいこと一つもないです。なみだ、いらないです。汗、いらないです。心地よいことしているときは汗もさらさらですぐ乾きます。じっとりとした汗、それはやりたくない証です。やめときましょう。そんなんじゃないんですよ。努力をしていることも忘れてしまうくらい、かるーいこと、早ーいこと、心地いいこと、はい、なんか浮かびましたか? これで浮かぶ人はある程度すでに流れてますので、もっとどんどんうまくいくと思います。まだ浮かんでない人がいますよね。あなたたちはちょいと固いですね重いですね、真剣に考えすぎの下手な考え休みに似たりコースの方々です。やめましょう。次に進んでください。次は将来とかどうでもいいんで、今、一番好きなものを、挙げてください。なんでもいいんです。好きな食べ物、好きな映画、好きな本、好きな音楽、色々あると思います。好きなものを教えてください。見つかりましたか? これも見つからないって人がいるんですが、それでは一体、何をして生活しているんですか? その人はさらに別のコースに連れて行きますので、しばらく待ってくださいね。さて、好きなものが見つかったら、簡単です。それを作った人に会いに行ってください。それがあなたの流れているものです。それだけであれば、好きなものですから、とりあえず、どんなことがあっても、毎日それに触れられているので大丈夫だと思います。では好きなものもない人はどうすればいいのか。その場合は好きなものに気付いてない可能性がありますから、好きなものとは何かということについて教えておきましょう。好きなものとは生活の中で触れるものです。つまり、あなたは今、生きてますよね? 死んでないですよね? つまり生きているなら、生活をしているわけです。生活をしている中からしか好きなものは見つけることができてません。ということで、生活を一日中録画しててください。そして、そのビデオを見返してください。そのビデオの中に出てくるものの中から、自分に合いそうな職業を見つけてください。歯磨きが好きだったら、歯科医師、歯ブラシ製造者 歯磨き粉製造者、歯の技師、みたいな感じですかね、その中で自分に合ってそうなやつを、どれか一つ選んでください。それが仮の夢です。夢はどうせ仮初です。仮のまんまでいいんです。現実とくっつけすぎると「私夢がないんです」とか、もう夢見る少女みたいな発言をしてしまいますから気をつけてください。どうせ夢は現実ではありません。如何様にも変えられます。だから歯磨き粉製造者を選んだからって、本当に歯磨き粉だけやらなくてもいいんです。ちなみに、僕の友達は歯磨き粉製造者ですけど、なんだか楽しそうですよ。スリランカとか海外にも行ったりしてます。歯磨き粉1つで世界を変えようとしている男です。つまりなんでもいいんです。生活で毎日触れているものなら。でもそこから大事なことは、かなり詳細に調べて、出会いたい人を一人見つけるってことです。僕は石山修武先生でした。あなたは誰でしょうか? 考えてみましょうよ。だって楽しいじゃないですか。それは模倣する対象を見つけるってことでもあります。もうすでにそれが経済なわけです。
 でも模倣を経済にするためには三つ必要でしたよね?
 僕が高校生当時模倣していた三人とは一体、誰だったのか。
 一人目は石山修武先生です。これはもう会うことができそうです。もう一人は、高校生のとき、僕はネオダダという芸術集団のことを知り衝撃を受けるのですが、そのことを教えてくれたのが赤瀬川原平さんという作家であり、芸術家でした。高校生のときはもう彼の本しか読んでなかったくらいです。そういえばそれは嘘で僕は椎名誠さんの「哀愁の町に霧が降るのだ」という本が大好きでしたね。今思い出しました。しかも作家で言えば、僕はジャックケルアックというビートニクの作家も好きでした。そして、そういったことを色々考えながらも、やっぱり音楽が一番好きで、その中でも、ボブ・ディランが最初は顔が好きで、歌も少しずつ好きになりました、で、彼みたいに生きてみたいと思ってました。これが高校生の時の僕でした。

 ちょっと図にしてみます。

 17歳の僕が影響を受けていた人物相関図

 ①建築家 石山修武(1建築家 2作家 3画家)
  
      1 赤瀬川原平(1芸術家 2作家 3観察家)
 ②作家  2 椎名誠 
      3 ジャック・ケルアック(1作家 2詩人 3音楽家) ←H・D・ソロー(1畑家 2作家 3詩人) ←鴨長明 (1建築家 2音楽家 3作家)
                                
                              
 ③音楽家 ボブ・ディラン (1音楽家 2詩人 3画家)

 ちょっとわかりにくいかもしれないので、少し説明してみましょう。まず、僕は経済を起こすために、秘密を知りましたよね、サカリオの時。つまり、模倣を三つ集めると経済に変わるってことです。というわけで、この時も三人、石山修武、赤瀬川原平、ボブディランという三人を見つけ出しました。石山修武先生を本を読みながら調べていくと、彼には建築家と作家、そして画家という三つの顔があることがわかりました。おそらく彼もこの三つの模倣の法則によって経済を起こしている可能性があるわけです。実際にただ建築を設計するだけでなく、その時に何を考えていたのか自分の考えていることをうまく伝えるために文章を書き、またその文章自体もすごく高い能力を持ってました。つまり訓練してたってことです。ぽっとでの建築家が適当に書いてみました的な文章ではなかったんです。画家としての仕事もまた然りです。彼は図面を描いていたわけですが、その図面が全部手書きでしかも一枚の絵として成立していたのです。これにも衝撃を受けました。石山修武も三つの模倣の法則をしっかりと理解して実践していたんですね。では赤瀬川原平さんはどうでしょう。彼もまたもともと、芸術家としての活動から始まり、それだけでなく当時の芸術運動の文章を書いたり、芥川賞を取ったり、芸術家として食えない時期を書くことで乗り切ったんですね。しかし、純文学の真ん中を恥ずかしくて歩けません。そこで今度は観察家としての能力を発達させ、老人力、トマソン、文字通り、路上観察学会などを立ち上げ、ミリオンセラーまで出してます。彼もまた三つの模倣の法則で経済を発生させてました。
 そして、僕はどうやらその当時から建築家と言いながら、実は本を書いて暮らしたいと思っていたようなのです。だから本、つまり、作家に関しては建築家よりも音楽家よりも関心が高かったんですね。というわけで、僕はこの作家という分野でも三つの模倣を取り入れていたようです。赤瀬川原平さんは、なんというか細かい文章です。細かく面白い文章。だいぶざっくりしてますがそんな感じです。誰にも伝わらない細かいところに目が行きます。さらに僕は椎名誠さんの文体が好きで、どんどん読めるんです。わき水飲むみたいに。これは読みやすく面白く柔らかい文章。こんなふうに書いてもいいのかと驚きました。でもそれでもまだ足りないんですね。というわけで、ケルアックを知ります。これは早い、麻薬みたいな文章、頭の中のまんまの文章。
 というわけで、僕はこれら三人の模倣ってことで、細かく面白く読みやすく頭の中のまんまの麻薬みたいな文章を書きたいと思ったらしいんです。どうですか? 今、そうなってますか? なってたら経済発生です。いや、もう流れていることは知っているんです。だから、そんな文章になっているはずです。だって、17歳の時からそれをやろうとしていたんです。25年積み上げてきてます。だからできます。ずっと枯れずに流れ続けているんです。だから、僕はスランプというものが人生で一度もないんです。スランプとは何か、書きたくもないのに書いている状態です。だから書かなきゃいいだけです。しかし、僕は流れてますね。経済ですね。つまり、書きたいことしか書いたことがないんです。だから止まらないんです。流れ続けるんです。だからスランプがないんです。簡単なことです。でも実践するのはぶっちゃけ難しいです。なぜなら金のために書きたくないことを書いたりしちゃうからです。多くの人は。でもみんなもお金の学校にせっかく通ったのだからもうわかりますよね。やりたくないことはしない。なぜなら稼げないからです。流れないから。経済ではないからです。ということで、僕はやっぱり17歳の時から作家になろうとしていたんですね。今知りました。びっくりです。
 しかもケルアックは①寒山の影響を受けてます。②ジャズのチャーリーパーカーにも、そして③森の生活を書いたヘンリーデビットソローにも影響を受けてます。ここでびっくりなのは、石山修武の著作の中にもソローの森の生活についての話が度々出てくるんですね。こうしてジャックケルアックと石山修武が繋がります。このように三つの模倣を追いかけていると、いろんな触手が見えてきて、それが他のものとどんどんつながるんです。つまり、この道一本みたいな生き方では流れないってことです。なんでもやると流れるんです。これはどういうことかというと、近代が始まると資本主義世界になりますが、そうなると、人はこの道一本化していくんですね。そうやって技術を向上させて富を増やしていけると妄想したのです。しかし、近代以前、それこそルネッサンスの時、はダヴィンチの時代ですよね、つまり、万能人というなんでもできることがダヴィンチだけの特徴ではなく、普遍的な人間のあるべき姿として考えられていたんです。ルネッサンスとは古代ギリシアローマに回帰しようという動きですから、つまり、そのこ時代の人たちもまた万能人、なんでもできるってのが大事だよーって考えていたんだと思います。つまり、職業とは資本主義の考え方にすぎず、この道一筋ってのは近代の思考なわけです。でもそんなんじゃ、固まった経済、つまり、お金を稼ぐためだけの一つの経済でしかないわけです。しかも、経済は一つでは流れないんです。固まるんです。固まるとお金を持っている人だけが強くなっていくみたいになってしまうんです。そうなると、固まっていた方が、お金を持っている人は得するわけで、どんどん流れなくなるんですね。これが安藤忠雄の建築が馬鹿じゃないかと思うほど巨大化していった理由なわけです。つまり、あれは建築ではないわけです。あれはお金でしかありません。忠雄はお金を建て続けているのです。ありゃま。大丈夫かな? とか思ってたら国立競技場のあれこれとかで批判されてだいぶやつれてましたね。これでいいんじゃないですか。叩かれたほうがいいんです。お金から弾かれた方がいい。その方が万能人としての本来の忠雄が出てきます。本来、忠雄は万能人です。ボクシングもしますし、勝手に人の土地に家を建てる設計を持ち主に相談もせずに実践し、その後、家に押しかけてその建築案を実現するようなアキンドです。今後の活躍を期待します。一度失敗したからと言って潰してしまってはもったいないです。潰されると、汁が出てきます。これが潤滑油となるのです。これで流れるようになるのです。固まってるとつまんないです。今は面白いんです。楽しくなります。だから失敗したやつは固めようとしたから失敗したわけです。僕はいつも流れているから失敗をしないわけです。簡単なことです。お金だけの経済を信用せずに、万能人として生きれば問題はないです。みんなも安心して分裂しましょう。
 で、何でしたっけ、ソローの話だ、ソローは鴨長明の影響を受けているんです。それが森の生活の元ネタです。とここでケルアックから入ってきたのに、なぜか出口は建築家の話になりました。こういう流れが僕は大好きです。一人で相関図を書いては楽しんでました。そうです。相関図もまた楽しいんです。つまり、流れてます。つまり経済が発生する前には誰もが相関図を描いているんです。みんなも描いてみましょう。自分の相関図。楽しいですよ。なるほど・ザ・経済ってやつです。
 そしてボブディランです。ディランはケルアックも通過してます。もちろんソローも通過してます。ディランの絵も最高です。ディランはあらゆるものを通過して行きます。僕の基本ベースにもなってます。ディランは分裂してます。常に流れてます。2020年の新譜聴きましたか? ヤバイですよ。まじいいです。流れてます。ノーベル賞とっても関係ありません。スランプもありません。毎日世界のどこかでライブをしてます。何度も離婚し慰謝料がすごいなんか言われてますけど、ディランが毎日ライブをする理由はお金のためでは決してありません。流れるためです。経済を発生させ続けるためです。トルネードが起きてます。みんな吹き飛ばされてしまいます。でもディランは台風の目の中にいます。いつもゆっくり動いているだけです。ただ作り続け、演奏し続けているだけです。いつもみんなの前にいます。でもいつもディランは人から隠れているようにも見えます。ディランは自分が経済になることが流れ続けて、トルネードを起こし、観客、メディア、噂ばかりするばかな人間たちを吹き飛ばし、それなのに、自分はいつも真ん中で演奏をし歌を歌っているのです。だからこそ2020年にも最高の作品を作りだすことができるのです。
 17歳の時に知ったこれらの素晴らしい経済人たちは、25年経過した今、2020年42歳の僕の目にはどう映っているでしょうか。
 石山修武先生。まだご健在です。しかし、彼の作品は少し陰りが見えてます。新作は出せてません。過去作はさらに輝きを増してます。石山先生は少し恥ずかしがり屋で、それは赤瀬川原平さんも同じです。僕はのちに初めて出版した2004年にその作品『0円ハウス』の初めてトークで、つまり僕の初めての人前のトークで、赤瀬川原平さんと初対面し、対談することができました。その時、はっきりと原平さんが「僕は恥ずかしがり屋だから流れていかないのよ、でも坂口くんは恥ずかしがり屋じゃないからどんどんいくよね。流れてるよ」とおしゃってくれました。そういうこともあり、晩年の原平さんはやはり流れてしませんでした。もうなくなりました。作品群はどうでしょうか。やはりその恥ずかしがり屋が邪魔しているような気がしてます。でも僕の尊敬する方です。僕は一生好きなんです。椎名誠さんは鬱病、不眠症であることを告白したり、不倫を暴露されたりしてました、そうすることでやはり恥ずかしがり屋であるところが露呈しているかもしれません。でもそんな自分の弱さを全面的に隠し切って、元気に書いた哀愁の町に霧が降るのだが僕は大好きです。でも文学的な評価となるとかなり厳しいかもしれません。ケルアックも晩年はかわいそうでした。
 共通点はみんな恥ずかしがり屋であるということです。人間は経済です。人間が流れると人間自体が経済になってしまいます。才能がある人間は皆そのような流れに巻き込まれていきます。しかし、自我が強すぎると、恥ずかしくなってしまうんです。羞恥心とはつまり、自我の強さの度合いということです。恥ずかしがる人ほど自我が強いわけです。俺みたいなやつがなんで流れちゃってるんだよ、って自己批判してしまうんですね。別に人間的にはそれでもいいと思うんですよ。照れ笑いってやつがひどくなって照れて顔が歪んでいってしまうんですね。でもそれをやりすぎると、流れなくなってしまうんです。そうすると、経済ではなく、ある人間の芸術作品ってことになるんです。もちろんそれもまた必要なことでしょう。だから僕は否定はしません。でも、その中でディランだけが2020年の今年も作品を作れてるんです。普通であれば恥ずかしがり屋になって潰れているであろうこの時代に、彼はまだ毎日ライブをして、新作を発表し、しかもその新作がとんでもなくいきのいい音楽、つまり流れているんです。
 つまり、僕が次に目指す経済のあり方を実際にこの現在、この現実で実践している一人が、ボブディランなのです。17歳の気づきから変わらずディランは相変わらずトルネードを起こして、周りにいる人々を洪水の渦に飲み込み吹き飛ばしてます。これがジャスト経済です。この中で誰よりも恥ずかしがり屋なはずですが、ディランは生活の日課を徹底的に作り上げることによって、しかも一年の日課ではありません、30年、40年、50年、60年の日課なわけです。彼は1960年代から活躍しているんですよ。ビートルズよりも先だったんです。
 この相関図の中では残っているのはソロー、そして鴨長明です、ソローは鴨長明の模倣ですから、やはり鴨長明も残すべきなんでしょう。
 つまり、現在、僕の2020年の模倣の三人は、ボブディラン、鴨長明と二人がいます。
 では後の一人は誰でしょうか。僕は2011年の原発事故の後東京から熊本に移住し、東京の経済を全て捨て、熊本で新しく経済を発生させることにしました。
 その過程で出会ったのが、石牟礼道子という作家です。もう亡くなりましたが、今でも僕の先生です。彼女からは土と動物と植物と人間と海と天がそれぞれの流れを持っている、つまり、これもまた経済、しかもそこで交換のために使われている通貨はお金ではなく、言葉でした。言葉による経済を生み出していたのが石牟礼道子なのです。彼女はまたディランとも鴨長明とも違う経済の存在を僕に教えてくれました。そのおかげで僕は植物と話せるようになりました。野良猫とも話せるようになりました。しかも道子さんも作家ですから、それを言葉にすることも教えてもらいました。そうやって人間以外の生命体と対話ができる、つまり、これは言葉が流れるってことです、つまり言葉の経済ってことですね、もちろん楽しく幸福を感じます。いま、僕は畑をやってます。毎日植物と野良猫と風と空気と雲と空と話してます。虫と話してます。言葉が流れてます。声にならない言葉がいつも僕の周りでは流れてます。これを教えてくれたのが道子さんなんです。というわけで2020年版の僕の経済の三つの模倣は

 ①ボブディラン
 ②鴨長明
 ③石牟礼道子

 というわけです。これが17歳の気づきから25年が経過した今、僕がふるいにかけてどうにか抽出した最高の経済人三人だと思ってます。
 彼らがやってきたこと、やっていること、今も残っていること、そこに次の経済の秘密が隠されているわけです。それを読み解きながら、僕は新しい経済についてのことをずっと考えているんです。どうでしょうか? はい、つまり、流れているんです。脈々と鎌倉時代から。僕はそれを受け継ぎ、さらにその流れの中にいるわけです。流れを引き伸ばそうとしているわけではないですよ。無理をさせてはいけません。いつも流れは好きなように楽しいように。みんなももう楽しいでしょ。こうやって僕と経済についてお金について話すことが? これは僕が今まで教えてもらってきたことです。親に? いえいえ。 先生に? いえいえ。僕は僕の中のご先祖というのか、僕の血に流れるものから教わってきました。そして、そのうつつの姿として、ディランや長明、そして道子とも出会ったのです。もう八百万の神が溢れて出てきてるんです。人間だけじゃありません、あらゆる生物、無機物、微生物たち、それらの神が今、僕の血の中を流れているんです。流れてます。はい、これが僕の経済です。僕の経済の発生です。僕は経済ですから、僕が発生しているんです。それが私ってことです。つまり、経済とは私とは何か?ってことなんです。本当ですよ。それが今回の学校のほとんどの答えってことになります。私とは何かって、真剣に向き合って、時には猥談も交えながら、考えることなんです。それが経済です。最後は自分に行き着くんです。それでいいんです。エゴイスト? そんなわけのわからない言葉を吐かれてももう落ち込まないと思います。
 自分自身をそんなものと勝手に見捨てずに、気を配ってあげてください。
 なおざりにしないでください。
 きっとその先にその人それぞれの健康と呼ばれる前向きな力を発見することができるはずです。
 健康とは探究です。もちろん試練でもあります。そうやって湧き出る健康という泉を調査してみるのです。そこからは水が流れてます。血が流れてます。いろんなものが流れてます。命もたくさん流れてます。死んでいった人も動物も植物も皆流れてます。ほら、またきましたよ。流れてますね。これが経済なんです。つまり、経済とはあなたの健康のことでもあります。健康という経済は、あなたが自分を見捨てずにちゃんと配慮することから始まります。そして、最終的に究極のあなたにとっての健康と出会うのです。つまり、それがあなたの魂でなくて、なんなのでしょうか。
 僕が出会った2020年の僕の経済。それは僕の魂ということです。僕は流れを感じ、ここまで探索を続けてきました。そして、僕は泉と出会ったのです。それは健康でした。自分を自分で救うという行為でした。覚悟でした。そして、それがその健康が、まさに僕の経済となったのです。そして、経済とは自分の魂のことであると気づいたのです。
 さて、みなさんお疲れ様でした。今日の講義もいよいよこれで最後です。
 疲れたでしょう。しばらく休憩も必要です。
 いつも自分に気配りをすることを忘れないでください。
 大丈夫です。必ずうまくいきます。
 なぜならあなたの経済、つまり、あなたの魂は、常にあなたを喜ばせるために、あなたを生かすために、幸福を感じられるように流れていくからです。
 あなたもあなた自身の経済に気づいてください。あなたのお金はなんなのか。その探索をはじめるんです。
 いつか必ず見つかります。魂は遠くにあるのではありません。
 一番近くにいます。
 あなた自身です。
 どんな時でもあなたはあなたから離れないでください。
 あなたを見てあげてください。
 優しく触ってあげてください。
 自分にかける言葉を選んであげてください。
 最大限の敬意を払ってください。
 その払う敬意があなたのお金なんです。
 そんな敬意というお金で満ち溢れたあなたという経済を作ってみてください。 
 きっと魂が震えて喜んでくれるでしょう。
 それを幸福と呼ぶのです。
 
 


  


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