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生きのびるための事務 第1講 事務は「量」を整える

 第1講

 大学4年生のとき、就職活動もせずに卒業だけは決まっていた、無名の僕が、事務員のジムと出会うところまではお話しましたよね。今回はそれからどうしたのかって話をします。はい、ジムさん入ってきてますからね。実は結構スムーズだったんですよ。ジムさんは希望的観測とかあんまりしないんですよね。むしろ、最低だけ考えとけって言います。だからと言って悪くなると決まったわけでもないんだよ、とも言いました。
「最低考えておくと、ラクだからね」
 ジムはなんというか、ぼーっとしているんですよね、せかせかもしない、こっちが焦ってもぼーっとしているだけなんです。不安じゃないの?と聞いても
「フアンってなんですか?」
 って返すくらいなんです。帰国子女なのか外国籍なのかわからないんですけど、時々日本語を知らないんです。しかも、フアンとかキョウフとかジシンソウシツとかそういう都合が悪くなりそうな言葉を知らないんですね。だからうまく伝わりません。楽天的ってわけでもないんです。全部うまくいくとも全く思ってないみたいで、何が楽しいのかわからないようなところもあります。何よりも楽したがるんです。こっちが命令しても動きません。ジムはジムがやりたいこと、つまり、事務しかやらないんですね。でも、僕は事務なんて、大学生の時ですから、何にもしらなかったんです。だから、僕は事務に本当に助けてもらいました。どうやって助けてもらったかをこの講座で伝えていきたいと思います。
「あー、やばい」
「どうしたんですか?」
 ジムはドラえもんみたいな感じでいつも僕の狭い四畳半の高円寺のアパートに同居し出しました。いっつもやばいやばいと焦ってる僕にジムは優しく声をかけてきます。
「何がやばいんですか?」
 呑気なもんです。ジムは自分でお金を稼ごうという気が一切ありませんので、僕が働くしかなかったんです。
「ジム、、、お前ね、俺は今、21歳。早稲田大学の建築学科でさ、建築家になろうとしてたけど、どうも肌が合わなくてね、就職活動もできてなくて」
「恭平サン、どこに就職したいんですか?」
「そんなのあるわけないだろ、会社なんかつまらんよ。なんでみんな平気な顔でエントリーシートなんか書けるのか信じられない」
「あ、そうなんですね、じゃあ、就職活動していないのも当たり前じゃないですか」
「じゃあ、どうするんよ」
「えっ?」
 ジムは適当に驚いた顔をしてこちらを見ました。
「えっ、ってなんだよ」
「これからどうするのか計画立ててないんですか?」
 ジムは完全に馬鹿にしたような顔をしている。
「俺はね、芸術家になろうとしているわけよ」
 僕は悔しくて恥ずかしいことを言ってしまった。
「芸術家なら、計画が必要がないんですか?」
「なんかイチイチムカつくなあ。まあ芸術家だから直感が大事って感じじゃないのかな。なんかちょっと破天荒な感じがあった方が将来的には売れたりするんじゃないかな」
 ジムはメガネを指で整えながらこちらをまっすぐ見た。マジな顔だ。
「恭平さんのやり方は間違ってますよ。どんな仕事にも事務員が必要なんです。例えば芸術家であるピカソが直感のままで生きてらっしゃるとでもお思いなのですか?」
「違うの?」
「ピカソがキュビズムという、おそらくみなさんがピカソを思い浮かべた時に出てくる、前から後ろから横から見た姿をいっぺんに取り込んだような絵が描けたのは、それ以前に、薔薇色の時代、という作品シリーズがあるのですが、そこで成功したからです。それでお金を獲得し、自由に恐怖心なく新しい作風に挑戦できた。写真家ブラッサイとの対談の中でも、生きるためではなく作りたい作品を作り続けるためにも成功が必要だ、とおっしゃってますし、それこそピカソは、その時代ごとのコレクターに合わせて作風を変化させてます。つまり、名作も残したけど、その以上に、売ってお金にするためのつまらない作品が山ほどあるわけです。ピカソはそのようにして生き延びたわけです。直感ではありませんよ。現代でも草間彌生先生だってそうです。草間先生は精神病院とアトリエを行き来しているアウトサイダーな一面を押し出してはいますが、実際は一般財団法人も組織してます。税金にただ取られるばかりじゃあれですから、非営利の法人を作っているわけですね。このように、あらゆる芸術家はワタシが知る限り、どのひとも事務員を雇ってますよ」
「なんだよ、ジム、お前、突然、物知り顔になってきたな。しかし、何やら有力な情報だね」
 僕は少しずつジムに対して敬意を持つようになっていった。
「それこそマルセルデュシャンですよ」
 ジムが僕の部屋の本棚に並んでいるマルセルデュシャンの全作品集を手に取った。
「あなたが好きなこの芸術家はどうやって生計を立てていたか知ってますか?」
「え、知らない・・・。絵を売ってたんじゃないの?」
「デュシャンは途中で絵を描くことをやめてますし、途中で全く何も作ってなかった時もあります。実は発表してないで、長年、大作に取り組んでいたわけですが、別に大した金持ちでもありません。やっていたのは、ブランクーシって彫刻家わかりますか?」
「ジム、ごめん知らない・・・」
「ほんとに芸術家になりたいんですか? 芸術家は無知では無理ですよ。全てに歴史があるように、芸術にも歴史があるのですから」
「なんか時々、手厳しいよねジム。。。はい、勉強します。でブランクーシがどうしたの?」
「そのブランクーシの彫刻の画商をやっていたんです」
「デュシャンが?」
「はい」
「あの絵画作品を売買すること自体がナンセンスだと無意味が便器を美術館に並べてた人が、彫刻品の画商をやって食べてたの?」
「はい、そうですよ。彼は自分の作品を使って売るのが嫌だったから、他の人のいい作品を見つけて売って金にして、それで自分は寡作のなんか謎めいた人間を演出していたのかもしれませんね。もちろん詳しいことは分かりません。でも、デュシャンは芸術家というよりも、事務員だった可能性が高いです」
 ジムの言葉は目から鱗でした。というかそんなこと一度も僕は考えたことがなかったんです。何かしら作る人間にはなりたい。会社には入りたくない。自由に生きたい、と思いつつ、じゃあどうやってそれを実現するのかということを何も考えていない自分がまずいと思うようになりました。もう大学卒業の瞬間なのに、です。何も知らずに、これはまずい。僕は徹底してジムから学ぶべきだとここで気持ちを改めることにしたのです。
「ジム、やり方を教えてくれ」
 声をかけると、ジムは少しだけ笑みを浮かべてくれました。
「もちろんです。私は芸術のこと、文学のことは分かりません。でもあなたといると、それを感じられて楽しいんです。きっとあなたに事務の力が備わったらもっとあなたの伝えたいことが伝わるに違いありません。私も協力したいんです」
「じゃあ、まず何をやればいいの?」
「事務員の仕事で重要なことが、スケジュール管理とお金についてです」
「スケジュール管理とお金?」
「はい」
「いまいちピンとこないなあ。でも俺はジムのことを信頼したわけで、ここは一つ素直に聞くよ」
「素直さはとても重要ですよ。芸術の世界ではビッグマウスも大事な演出かもしれませんが、事務の世界はもっとシビアです。私にとってはシビアというよりも正直で素直で清々しい世界に見えますけどね。嘘が一切通用しないし、素直であればあるほど正直であればあるほど、計画以上の楽しいことが起きます」
「じゃあしっかり素直に聞きます」
「スケジュール管理とお金、どっちが気になりますか?」
「まずはやっぱりお金だね」
「分かりました。じゃあまずはお金について考えていきましょう。まずですね。月にいくら必要ですか?」
「いくら? あれ、いくらだろう。あるだけ使って、なければ使わない。そういう生活しかしてこなかったから」
「初心者ですから仕方ありません。でもお金もスケジュールも同じですが、見ない限り見えてこないので、しっかりゼロからやっていきましょう。まずは量を知るってことです。この量という世界を整えるのが今から私が教える『事務』という職務なのです」
「事務は量を整える?」
「はい。まあ、ゆっくり進めていきましょう。まずはいくら必要かをとにかく目にみえるようにしてみましょう。家賃はいくらですか?」
「28000円だよ。高円寺徒歩8分四畳半トイレ別の物件でね」
「東京のど真ん中で30000円切っているのはいいと思いますよ。他に何にお金がかかってますか?」
「俺家計簿とかつけてないからなあ、わからない。レシートも取ってないし」
「家計簿なんか必要ないんです。家計簿なんか細かくやったら、事務の時間ばかり取られて仕事にならないでしょう」
「なんかジムが教える事務は楽だからいいね」
「事務は決して力を使ってはいけません。疲れてはいけません。疲れるのは、あなたで言えば作品を作る時だけにしてください。事務はあくまでもあなたの作品ありきなんです。それが反転してしまってはいけません。だから私が教える事務は徹底的に楽です。むしろ楽しいくらいです」
「なんかちょっとワクワクしてきたよ。ちょっと書き出してみる」
 というわけで、僕は自分が一ヶ月にかけているお金を紙に書いてジムに見せました。

 坂口恭平(21歳)が一ヶ月にかかるお金の量

 家賃     28000円
 携帯代     7000円
 食費     30000円(1日1000円以内)
 定期券     5000円(高円寺〜新大久保)
 奨学金    17000円
 国民年金   17000円
 国民健康保険 17000円
 光熱費     7000円
 合計    111000円

「何にも買わなくても10万円超えちゃうね・・・」
「これ全部払ってるんですか?」
「いや、年金も奨学金も適当にちびちび払ってるね、健康保険は病院いけなくなるからちゃんと払ってるけど」
「じゃあ、奨学金返済猶予と、年金支払猶予の申請しておきましょう」
「ブッチしちゃダメか」
「破天荒なあなたはぶっちしてもいいですが、お金がないと落ち込むのもあなたですから、事務員はそういうあなたに素直に接します。猶予しておけば、もちろん払ったことにはなりませんが、請求はされませんし、そのうちうまくいったら払い始めたらいいんです。とりあえず今のうちに全部申請しておきましょうよ。気が楽になりますよ。昨年、あなた病院行きました?」
「いや、病気といっても風邪くらいだから、行ってないよ」
「それなら本当は健康保険は払わなきゃいいんですけどね。。。」
「なんとなくそれは怖いな」
「まあ、じゃあオッケーでしょう。ということで、奨学金と年金を猶予してもらうとしたら、月に7万7000円になりますね」
「何にも買ったり、酒飲んだりしなければ、ね・・・」
「とにかく最低の状態を想定しておくのが事務なので。7万7000円ですと、生活保護を申請すると約10万円ですから、それをもらうとすると2万3000円余りますから、一応、一切働かなくても、2万3000円分のお酒と物品購入ができますよ」
「笑、なんか意外と優雅な生活だね、それ。一切働かなくてもいいんだもんね」
「では生活保護申請書を書いて、無言のまま役所の生活保護課に提出してください」
「でも働こうかな、体は動くし」
「でも、生活保護貰えば、一切無駄な仕事をしないで、あなたがやりたいと思っている創作に24時間打ち込めますよ」
「ジム、お前、なんか正直に思っていることをそのまま言うんだね」
「はい、それが事務員ですから」
 ジムはアンドロイドのような能面でこちらを見てます。ちょっと怖いくらいです。
「お前みたいに、割り切って生きていけたらいいけど、俺もまだ体動くし、このまま生活保護貰えば無駄な労働しなくて済むのはわかるけど、なんとなく、体を動かしていた方が精神衛生的に良さそうな気がするから仕事見つけるよ」
「あ、そうですか。芸術家なのに意外と真面目なんですね」
「うん、よく考えていくと、ジム、お前の方が破天荒だよ」
「そうですか。破天荒だと言われたことはありませんが。いつも堅物扱いされます」
「そうなの? 俺にはジムが自由の塊の人間に見えてるよ笑」
「じゃあ、バイトは8万円くらい稼げばいいってことになります。日給一万円の仕事を八日間やってください」
「はいよ。幕張で24時間丸一日、催し会場を作る仕事が日給3万円だから、それを月に3回やるよ。それで9万円になる」
「恭平、いいですよ。その調子。できるだけ労働は極限まで切り詰めてください。あなたがこれからやろうとしている仕事に支障が出ますので」
 ということで、僕は24時間働いて3万円もらえるバイトの面接を受けることにしました。いつでも好きな時に電話すれば、翌週のバイトに入れるらしい。
 速攻でお金の問題が解決したんです。解決といっても支払いは猶予しているわけで、後で払うわけですが、それでもジムのいう通り、後で稼いで払ったらいいんだから、稼ぐまでは一切払わないと決めたらスッキリしました。自分がやりたいことに徹底して時間を使うために、バイトの時間も最小限にするというジムの考え方は励まされましたし、確かにジムが言うように、紙にそうやって、単純に書き出すだけで、量が目に見えて感じられて、こういっちゃあれですが、余裕みたいなものができました。もともとお金はかからない人なので、確かにお金のための労働は極限まで切り詰めても問題がないわけです。それよりも、徹底して自分がやるべきだと思っていることに時間をかけること。しかし、この時点では僕はまだ何をやっていいのかもわかっていませんでした。
「さて、恭平、次は・・・」
 いつの間にか、呼び捨てされているが、僕は気にしないことにしました。ジムが少し頼れるやつに見えたからだと思います。
「もう一つの要である、スケジュールを設定したいからノートを一冊持ってきて」
 僕はいつもスケッチをする時に使っている無地のノートを手に取った。
「じゃあ、今からタイムスリップしてちょっとだけ未来に行きます」
 ジムはバッグから白衣のようなものを取り出し科学者のように羽織ると、突然そう言ったのです。
 頭の毛が真ん中だけ額から後頭部にかけて完全に抜け落ちてました。
「バック・トゥザ・フュチャーしましょう」
 ジムはそう言うと、僕のノートの表紙をゆっくりめくったのです。

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