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躁鬱大学 その10 鬱の奥義 三の巻/自己否定文には全てカギカッコをつけろ

10 鬱の奥義 三の巻/自己否定文には全てカギカッコをつけろ

 心臓を落ち着かせるためには、座るんじゃなくて、横になるとお伝えましたよね。それだけでずいぶん楽になっていることがわかりますか? わからない場合は、一度立って確認してみましょう。とにかく、毎回毎回自分で体感して、実感を得て、気持ちよさ、心地よさ、楽になった感覚を覚えていくことが重要です。われわれ躁鬱人はそうやって心地よくなるのが、大好きです。それがのちに話すことにもなる性的奔走、つまりいろんな人とついつい交わってしまうことにもつながったりするのですが、それは後で話すとして、えっ、今がいいですか? エッチな話が躁鬱人は本当に好きで、猥談とはつまり躁鬱語ってことなんですけど、今は鬱でそれどころじゃないですもんね、エッチなことなんかね、まずはどうやって生きていくべきなのか、私はこれから何を真剣にやれば、このどうしようもない私を立て直せるのか、と考えるところにこんなに適当なこと言ってすみません。鬱で死にそうになっているのに、深刻になっているのに、ふざけてどうすると時々、いのっちの電話でもお叱りを受けます。本当にごめんなさい。葬式でも笑ってしまうバカなんです。祖父の葬式だけは、祖父が生前から「俺が死んだら笑え」と言っていたので、みんなで亡骸の前で麻雀してましたが、なぜか深刻な方が勝っちゃうんですよね。でもね、とにかく忘れてはいけないことは、ゲイの画家だったデビットホックニー先生がおっしゃった「自分に深刻になるな、作品に深刻になれ」という言葉ですね。僕はこれをパニック状態になっていた大学生の時に知り、体が楽になりました。こうやっていろんな人が口にした楽になる言葉って大事ですよね。あれ偉人の言葉ってなってますけど、言葉って常に自分に言い聞かせてるんですよ。これは僕が文章を書く人間だからなおのことよくわかってますが、言葉は全て自分に向けて書くんです。だからこそ、それを読む心に染み渡るんですね。だから、ある文章を読んで心にしみ渡った時、それはいい言葉を見つけたわけではなくて、同じことに苦しむ同志を見つけたってことなんです。言葉は人なんですね。ま、これは些細なことです。僕が常日頃考えていることです。ここで書かれている言葉は全て、困っている僕に向けて書いています。まずそのことに注意してくださいね。これはあなたに向けて書いているんじゃないんです。僕に向けて書いているんです。でもあなたも、これは私のことだ、と思う時もあるじゃないですか。それを「言葉」と言います。あなたと僕が同じ言葉で同じ反応をしているんですね。同じ躁鬱人であることを感じます。そことても重要なので確認お願いします。この文章は完全に僕に向けて書いている、しかし、あなたもこの言葉を聞いて同じような反応をして楽になっているとします。すると、あなたも躁鬱人の言葉を一つ覚えたわけです。躁鬱人の言語は言葉ではなく、感覚ですので、ほとんど言葉でわかり合う機会がありません。だからなかなか躁鬱人同士はうまく仲良くできなかったりします。同じ少数民族なのに、です。しかし、躁鬱人は非躁鬱人と出会い方がちょっと違います。こうやって、僕が文章を書いて、あなたが読む、すると、完全に自分のことだという風になる。これが出会いです。出会うときだけ言葉が読めます。鬱のあなたは「私は昔は本も読めてたけど、今はもう読めない。好奇心がない。そんな私はもうだめ。死んだほうがいい」となります。そこまで行ってしまいます。でも今、僕の言葉は読めてるでしょ? これ本当に大事なことですから気づいてくださいね。今、あなたはこの文章が読めている。なぜか、もちろん興味があるからです。だから好奇心がないだなんて文句は言わないでくださいね。自分に文句を言わないコツがあります。それは口にしないことです。簡単です。文字にもしない口にもしない。そうすれば自分に文句を言うことができません。それでももしも自分に文句を言いたかったら、こうしてください。まずその文句を書いてみてください。ちょっと例文やってみます。

 【例文1】 僕は本当にダメな人間だ。調子がいいときについついなんでもできるとか言ってるけど、実はそれは調子がいいだけで、大きくなっているだけで、本当はいつもみすぼらしい、一人になると、落ち込んでるし、本当は友達も一人もいない。できることがたくさんあるとか言ってツイッターで宣伝してるけど、実はどれも自信がない、どれも専門家には負けるし、そもそも飽きっぽいから、もう今はやってないのも多いし、でもそれも俺はできるとか調子がいいときは言って嘘ばっかり、俺は嘘しか言わないし、俺は本当は自信がない、友達もいない、孤独なバカだ

 これはある日の鬱状態の僕がiPhoneのメモ機能に書き残したものの抜粋です。いやあ派手にやってますねえ。自己否定。もうなんと言いますか、これこそ例文になるべき教科書的自己否定文です。まず確認すべきところは、一つもいいところを書いていないことです。もうやりすぎなんですね。あのですね。人間には一長一短という言葉がありまして、極端にただただ全てダメな人間なんて一人もいないんですね。そうなると人は死ぬわけです。生きていけませんから。そうじゃなくてあなたが何年か生き延びてくるってことはですね、どんな人も一長一短あるんです。だから、全てダメだということはないんですね。大げさなんですよ。躁鬱人の表現って一つひとつが本当に鬱陶しいくらいに大げさで、僕も自分で書いてて恥ずかしいです。でもこれは鬱の時の僕の素直な気持ちでもあります。素直な気持ちなのに、大げさ、っておかしい感じですが、つまり、それくらい客観的に見ることができません。これはどういうことかというと、客観的に見るという行為も結局、脳みそがやっているのですが、それはその脳みそが正常に動いている時にできることで、正常に動いていない時は、青を赤だと思っている脳みそで青空見たら大変じゃないですか。それを「おいおい、赤い空なんかありえないでしょ。だからそれは今、あなたが青を赤と思う目になってしまってるってことよ。しばらくすれば青く見えてくるから待っときなさい」と突っ込んでくれる人がいないんですね。いや、その客観的に言ってくれる人も同じく誤作動が起きてしまっているのです。なぜなら脳みそが客観的な思考も作り出すため、そこがおかしければ客観的思考もまたあべこべになってしまうんですね。さっきの話だと、鬱状態の時の客観的思考のをもつあなたの別の人は「あ、空が赤く見えるわけね。本来青空って言葉があるのに赤く見えてるってことね。ふむふむ、なるほどね、えっと、おかしいのかな、私も今、赤く見えてるんだけど、つまり、これは勘違いじゃなくてどこかで山火事が起きてたりするんじゃない? 本にも書いてある、アボリジニたちの旗がまさにそれで、太陽の背景に黒地と赤地が半分に割れてて、どうやらそれと同じだから、私たちはこれからとんでもない天変地異に飲み込まれるに違いないわ。そんな苦しみを受けるくらいなら、死んだほうがまし、そんなことを言うあなたの意見も客観的に見て、うなずけるところがあるわよ」なんてことを言い出してしまいます。じゃあ、どうすればいいんだよってことですよね。みんなが知りたいのは僕の無駄に長い例文なんかじゃなくて、だからわかったから早くどうすればいいかってことを教えろってことですよね。なんか、あなた鬱なのに、読書速度早くなってませんか? はい、簡単にお答えします。自己否定文、これは読書感想文みたいなもので、躁鬱人のわれわれには書きたくもないのに、書かないと落ち着かない時が時々やってきます。そうしないと頭がおかしくなりそうなんです。だから外に出そうとします。ところが外に出す方法を間違ってしまいますと、さらにこじらせてしまうので、ここでまた技術を覚えましょう。これは方程式みたいなものです。丸暗記してください。

 自己否定分には全てカギカッコをつけろ

 たったこれだけのことです。さてやってみましょう。

 【例文2】
「僕は本当にダメな人間だ」
「調子がいいときについついなんでもできるとか言ってるけど、実はそれは調子がいいだけで、大きくなっているだけで、本当はいつもみすぼらしい」
「一人になると、落ち込んでるし、本当は友達も一人もいない」
「できることがたくさんあるとか言ってツイッターで宣伝してるけど、実はどれも自信がない」
「どれも専門家には負けるし、そもそも飽きっぽいから、もう今はやってないのも多いし」
「でもそれも俺はできるとか調子がいいときは言って嘘ばっかり」
「俺は嘘しか言わないし」
「俺は本当は自信がない」
「友達もいない」
「孤独なバカだ」

 はい、これが先ほどの例文1にただカギカッコをつけて、分けただけです。鬱の躁鬱人はつらつらと長く自分の文句を言うので、数珠繋ぎみたいに、いつもの発想がとんでもないつながりを持つ直感が、下手に悪いこと、否定的なことに、結びつきますので、段落も作ってくれないので、こちらで勝手に段落にしました。で、なぜカギカッコをつけたかと言うと、客観的思考ができない鬱状態のあなたの代わりに、客観的記述をするためです。カギカッコですから、誰かの発言です。この時のコツが、この発言をしている人をあなたにしないでください。これは僕の発言が元になってますが、僕の名前坂口恭平を使うのではなく、ジョージというおサルの名前をつけることにしましょう。そして、あなたがジョージに返事してあげてください。今から書くのは、先ほどの例文2にさらにおさるのジョージの友達である坂口恭平が声をかけてあげるシーンです。

【例文3】

「僕は本当にダメな人間だ」
 とジョージは日本語を口にした。
「え?」 
 坂口恭平は驚いている。ジョージが喋るのを聞くのは当然だが初めてのことだった。ジョージは確かに猿だった。ニホンザルだ。しかし、ジョージは日本語を喋っていた。
「調子がいいときについついなんでもできるとか言ってるけど、実はそれは調子がいいだけで、大きくなっているだけで、本当はいつもみすぼらしい」
 とジョージがまた日本語で言うので、坂口恭平はモニタリングの番組かなんかではないか、これはドッキリなんだとあたりをキョロキョロうかがった。
「一人になると、落ち込んでるし、本当は友達も一人もいない」
 ジョージは坂口恭平の目を見て言った。坂口恭平はモニタリングの番組自体を騙すことを決意し、ここは一つジョージの言葉に乗っていくことにした。
「俺のことを友達と思っていないのか」
 坂口恭平はそう言った。ジョージは黙り込んだ。しかし、またジョージは自分を否定するようなことを言い出した。顔は赤く、ほとんど泣き出しそうになっていた。
「できることがたくさんあるとか言ってツイッターで宣伝してるけど、実はどれも自信がない」
 坂口恭平はおもむろに取り出した小さな太鼓を思い切り叩いた。すると、ジョージは無意識で体が覚えているのか、両手で頭を抱えて真剣に悩んでいたのにもかかわらず、反省のポーズにすぐさま体の動きを切り替えた。
「できてるじゃん! ま、うちらがやってるのは阿蘇お猿の里猿まわし劇場のパクリだけどね。でもいいじゃん、彼らより安いギャラで彼らより長い時間、時にはノーギャラで人を喜ばせてるんだから、お前、日本語も喋れるんなら、うちらの打ち出せる新機軸やんそれ」
「どれも専門家には負けるし、そもそも飽きっぽいから、もう今はやってないのも多いし」
 ジョージは坂口恭平の励ましを無視し、反省のポーズを続け自分を否定し続ける。
「ジョージ、、、、お前、結構いろんなことできてると思うよ。反省のポーズしながら日本語喋れる猿は世界にお前しかいないよ」
「でもそれも俺はできるとか調子がいいときは言って嘘ばっかり」
「嘘が言える猿なんて聞いたことないよ。日本語でこんにちわならまだいるかもしれないけど、複雑な嘘なんかできないよ普通、お前、才能あるんだっ・・・て」
「俺は嘘しか言わないし」
「だから・・・」
「俺は本当は自信がない」
「それで自信持てないとか言われたら、逆に自慢にしか聞こえないし」
「友達もいない」
「だから、それって、自慢? なんか辛そうにして、実はなんでもできる的なことを俺に再確認したいの?」
「孤独なバカだ」
「はいはい、もうわかりましたよ、日本語も喋れる孤高の天才ジョージさん、これ、モニタリングなんでしょ? どっかにカメラあるんでしょ?」

 はい。というふうに、一つの寸劇が出来上がります。つまり、鬱になって自己否定が止まらない状態で、さらにそれを口にしないという治療法くらいじゃおさまらない、大変重症な自己否定モードになった時は、たった「全ての自己否定分にカギカッコをつける」だけで、あらふしぎ、寸劇になります。戯曲ですね。あなたは演出家になったわけです。鬱になればなるほどそうなれる。長い文章かけますから、もしかしたら、これを小説だと呼べば、小説家にもなれるでしょう。そこにはあなたの深い実感が伴ってますので、素晴らしい効果を読者に与えるはずです。まあ、突然小説家になったのですから、それが出版されることはないでしょうが、しかしこのnoteだったら誰でもアップできるんですから、ここに書きまくって公開しちゃえばいいです。で、躁鬱人というのは、自分が活躍できるかもしれない、と思うと、何度も言いますように、主役に立てる可能性が出てくると、突然鬱が治ります(笑)。本当にひどいもんです。ただ主役に立てなかったから拗ねてるだけだったのです。それなのに、自分の悪いところばかり言い立てて自分を滅多打ちにするんです。肝心なことは言いません。ただ主役になりたい、価値のある仕事ができるようになりたい、みたいなことを躁鬱人はどうしても考えてしまいます。どうかんがても金がないなら、寝込んでいる場合ではなく、バイトでもした方がいいんですが、躁鬱人はそういう下積みとか我慢が基本的に出来ませんので、すぐ劇作家です、すぐ小説家です、と言い張りたい人です。そのためにはバイトもせずに、家でひもじい方がまだマシなんです。そのことに自信を持ってみましょう。そんな奴でもいいじゃないですか。夢をでっかく持ちましょう。現実など直視しないように。基本的に現実を直視することが苦手です。もしくは全くできません。そうではなく、とにかく夢の一攫千金を掴みたいのです。愛すべき自己中心的な人間です。ほら、どうですか? あんなに失っていた、自己中心的なところが少しずつ顔を出してきたでしょう。そんなあなたは鬱が少し明けてきてます。面白いでしょ。この方法。これが僕がもう何十年もやっている秘密の方法です。絶対に人に教えちゃだめですよ。人に教えるんじゃなくて、自己中心的な躁鬱人はこのコツを使って、どんどん劇作家に小説家に映画の脚本家に、なんならハリウッドの映画監督になりましょう。日活よりもハリウッド、知る人ぞ知るジェイムズ・サーバーよりもやっぱりナンパな村上春樹先生が大好きです。そういうところが躁鬱人の素敵なところです。ここは一つ言い切りましょう。
「自分にとって都合がいいこと、とにかく嬉しいことは、ただひたすら栄養になる」
 というわけです。つまり、その逆は全て毒です。
 真面目に自分の悪いところを直そうと今後一切努力しないでください。
 努力は敵です。もはや。
 適当に思うままに、自分がやりたいように、まずは自己否定分を書き直してみてください。ここで好き勝手にやるという方法を見つけましょう。鬱状態が長いあなたはそんな自由な躁鬱人の特徴を、誰かに指摘され、バカにされ、傷つき、隠してしまっている可能性があります。そうなると、なかなか治りません。ここは一つこのバカな章を参考にして、好き勝手に書いてみてください。まずは設計図を書く必要があるんです。つまり、自己否定文が出てきたら、もう拍手なんです。次にやることが見えてきたってことです。意味がわからないと思いますが、まずは書きたいだけ自己否定文を書いて、カギカッコつけて、一つ変なおもしろ話作ってください。間違ってもカギカッコの中を真面目な怒る母親とか先生とか上司とか登場させないでくださいね。スヌーピーの漫画の先生たちみたいに出てるけど、体の一部だけでいいです。言葉は喋らせないでください。こんな自由な国に立ち入らせないでください。ここは自由です。あなたの好きにやるのです。なんでもやっていいんです。本当になんでもやっていいんです。本当にやりたいことはあなたは気づいてます。遠慮して言えなくなってるだけです。それが窮屈の原因です。是非ともこの主人公ジョージはお猿ですから、おっぱいを触りたければ、すぐ触り、その場で食べたければ、会計せずにバナナをとって、食べてみてください。あなたの自由です。自由にしてください。
 一つおまけのヒントです。
「自由にしてくれと言われても、自分が何をしたいのかわからない」
 という人もいます。もう完全に非躁鬱人に染まってしまった躁鬱人が特に好んで使うスラングです。そういう時は、下の三つの問いに答えてみてください。

問1「寝ていたい? 起きていたい?」
問2「外で動き回って人によく合う仕事と、部屋でパソコン向かって座ってる仕事どっちが好き?」
問3「青と赤どっちが好き?」

 この三つのどれもわからなくなってしまっている場合は、危険ですので、今すぐ09081064666まで電話してみてください。ご安心ください。僕は冗談みたいな話ばかり書いてますが、電話は実際につながります。そこだけ冗談ではありませんのでご注意を。多くの躁鬱人がおそらくこの三つの問いだけで、好きなものがわからない、のではなく、自分への問い方が曖昧すぎるから答えられないだけだということに気づくと思います。頼みます。問いはシンプルに。女の子がやってきて「私はあなたが好きなの、私とやりたい? やりたくない?」と聞かれて答えるくらいに、感覚が動くままに、やってみたい方に。
 それが好きなこと、ってことです。別に将来の明確な夢なんか聞いてません。どうせそれを聞いても、すぐ明日には変わっちゃうんです。それがわれわれ愛すべき躁鬱人なんです。

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