広く浅く生きる効能 はじめに


 こんにちは、坂口恭平です。もう僕が何者なのかとか誰も気にしません。それはとてもありがたいです。ありがとう。広く浅く生きている人です。適当にやってます。上手くいかなくても気にしません。もはや、上手くいっているのかいっていないのかと自己判断することすらなくなってしまいました。つまり、体が楽です。体が楽なもんですから、手は止まらないわけです。悩むってのは、結局、考えてるってことじゃないんですね、悩むってのは手が止まってるってことです。手が止まると新作は作れません。そうすると悩みは深まるわけですね。で、実は悩んでいるわけじゃないんですね、そういう時は、手が止まっている。手が止まっている時には、手が止まっていると気づくべきですが、なかなか気づけません。悩んでいると勘違いしてしまうんですね。広く浅く生きると、そういうことがなくなってしまいます。つまり、広く浅く生きると、悩みがゼロになってしまうんですね。悩みがゼロになればいいだなんて少しも思っていませんよ。悩むことは大事なことだと思います。人に対してはそう言えるんですね。悩むことで、いい作品が生まれることもあるんだと思うんです。他の人にはそう言えます。しかし、どうも僕の場合は違うんです。悩む=手が止まらない、わけですから、新しい作品が生まれないわけです。そうすると、何にも打破できないんですね。そこで見つけたのが、広く浅く生きる方法です。広く浅く生きる、なんて言葉は、どちらかというと、軽蔑する時に使うじゃないですか。広く浅くの人だよね、と人にはなかなか言えないじゃないですか。なんでなんですかね。僕はとてもいい言葉だと思うんです。広く浅くということが頭に入ってから、自分に対して攻撃することが数段減りました。自分を攻撃しなくなるとてもいい言葉だと思うんです。でも、今は、人を見下す時に使う言葉みたいになっている。つまり、それと対極の生き方が人間としてあるべき姿みたいになっているってことです。それは、


 一貫性をもって、この道一筋に生きるってことです。


 なんかこういうのが生きる、みたいなことだと大半の人間が勘違いしているわけですね。イチローみたいなのが、なんかすげーみたいな感じですかね。将棋だけえらく上手い人とか、ああいうのを褒め称える世界があるわけですね。そりゃ、統治する人間にとってはわかりやすいですよ。頭脳ならこいつに任せて、腕力があるやつはこいつだから、と、戦術を立てやすいわけです。でも実際はどうですか。一つのことに集中するあまり、脳みそはおかしな方向に固定して成長してしまい、揺れ幅もなく、ちょっと壊れただけで落ち込んでしまうなんてこともあるかもしれませんね。ついつい、僕は極端に一部分だけの能力が肥大している人に対して文句を言ってしまうのですが、これは、僻んでいるわけではありません。と言っても、向こうは天才、こちらは中途半端の器用貧乏ですから、馬鹿にされるのはこっちなはずです。相手を悪くいうのはやめましょう。そうです。こっちの道も色々面白いことあるよ、光あるよ、希望あるよ、って話を今から書いてみたらいいんです。


 ということで、今回は広く浅く生きることの効能について書こうと思ってます。

 一貫性を持ち、この道一筋に生きている人なんて、ほんのひとかけらの人間たちの仕業です。大抵の人間は実はこっちなんですよ。きっとあなたも広く浅い人間です。僕と同じなんだと思います。それが、一つに秀でた人間を目指してしまうと、そりゃ人生の落とし穴にハマってしまうに違いありません。現にあなたはしっかりと浅い、薄っぺらな自分自身に対して、悩みを抱えているわけです。悩みを抱えるとどうなりましたっけ? そうですそうです。手が止まるんです。それで何もすることができずに1日を無為に過ごし、そして、眠れない夜を過ごしていることでしょう。

 そんなあなたに朗報です。 

 広く浅く生きることに効能があるんです。それを知れば、すぐにでもあなたは生き方を変えるでしょう。いや、変えるというか、そのままでいいんだ、ちょこっとだけ目線を変えたらあら不思議、体は楽になって、仕事の遊びのパフォーマンスも向上することでしょう。みたいな話が好きですよね、このままでいいんだ、でもちょこっと変えるだけで、仕事の技術が向上するんだ、みたいな話。好きですよね。つまり、みんな楽をしたいんですよね。楽をしたいなら、楽に考えたらいいものを、楽をするのが好きなくせに、変に、壁が好きで、好きじゃないのかもしれませんが、壁にぶつかっても、壁を努力して乗り越えるんだ、みたいな感じのど根性スタイルがまだ体の中に染み込んでいて、壁を乗り換えるには当然努力が必要です。努力って、そうです、やりたくないのに、やらなくちゃいけないからって、体を無理矢理起こして、眠いのに我慢して、やりたくもないけど、やれと言われていることを、やるあの行為です。その努力をして、どうにか壁を乗り越えようと思いますが、努力はいやいややるのがスタートですから、ですから上手くいかないわけです。ただの上手くいかないのとも違います。やりたいことをやってみようと思って上手くいかなくても、まあ、楽しいという体験は残るわけですが、いやいややると、失敗したらただの徒労感しか残らないんですね。それが現代、みんなが抱えている徒労感ではないでしょうか。もうやめませんか。もういらないと思いますよ。なんのためにもならないとも思いませんが、何かのために、やりたくないことを努力し続けるってのは、どう考えても、疲れるし、何より楽しくありません。能天気に僕は楽しいとか好きとかしか言いませんから、なんの信憑性もないと思いますから、適当に読み飛ばしてもらっても構いません。どうせ、適当に書いているんです。適当に思いつくままに。小説と思ってもらったほうがいいです。決して、真面目に、なんだこの適当な文章はなどと声を上げて怒ったりしてはいけません。人には文句を言わないほうがいいんです。そのイライラは僕に対して向けてはいてもあなたのイライラだからです。そうじゃなくて、リラックスして、適当にして、体の力を抜いて~、みたいな体操の先生のつもりで、今、書いてます。まず怒らないことです。いやいややることを続けてしまうと、ついつい怒ってしまいます。そこで、ちょっと力を抜きたいわけです。そんな準備運動の文章です。気楽に読んでみてください。


 ということで、今から広く浅く生きることの効能について話すことにします。

 適当になんでもできるようになりますよ。無茶面白くなるはずです。そのかわりと言っちゃあなんですが、たとえこの技術が身についても、金が稼げるわけでもありませんし、出世したりするわけでもありませんので、そこは気にしないでください。気にしないでどうやって生きるんだよ、と思うかもしれませんが、まあ、とりあえずは僕の調子に合わせてみてください。なんでもそうでしょ。ダンスとか書道とか。まずは我流でやるんじゃなくて、適当に先生がいう通りに適当に真似してみる。そんな感じで、今は練習の時間ってことですから、適当に真似して、つまり、この文章をそのまま鵜呑みにしてみてください。変に突っかかったりしないでください。してもいいのですが、僕は一才聞くつもりがないんです。だから書いているんですね。これを話せば、あなたは突っ込むことができるわけですが、これは書いているだけで、僕は一人でこっちにいるんですね。あなたとは触れ合っていません。ですから文句が言えないわけです。嫌なら、このページを閉じたらいい。それだけのことです。簡単です。簡単なことから始めましょう。一つも疑問を持たずに、適当に読んでみてください。それくらい、みんなは一貫性をもって、この道一筋に生きなくてはいけない、仕事をしたら成功しなくてはならない、お金は稼がなくてはならない、みたいな妄想を、母ちゃん父ちゃんから学校の先生から会社の上司から言われまくって、みんないうことを聞く、お利口さんなもんですから、自分ができないときは相手を批判する前に自分を批判する、お利口さんになってしまっているので、まずは、そんなふうに物事を真剣に受け止めるのをやめましょう。物事は適当に受け止めましょう。しかし、真剣がいけないとは思っていません。真剣に使い方ですね。真剣をそんなところに使わないでください。真剣さは、この適当さに使いましょう。適当ってことは、自分が楽にやるってことです。真剣に楽にやりましょう。楽にやることに関して一切手を抜かないでください。

















 

 

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