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継続するコツ 第4回 無能の術

 僕はいろんなことをやっているんですね。本を書いたり、絵を描いたり、歌を歌ったりするだけでなく、料理本も出してたり、陶器やガラスの器を作って展示したり、織り機を一万円で買って敷物を作ってみたり、セーターを編むのもやってます。とにかくいろんなものを作ってます。なんでこんなにいろんなものを作ろうとしてきたのかってことを考えると、前回書いた「作りたいけど、作れない」という気持ちになった時の対策としてなんですね。
 本を書こうとしているとします。しかし、なかなか書けない。書きたいのに書けない状態です。つまり、今、書こうとしている内容については、実は書きたくないんですね。書けないんじゃなくて、書きたくないだけです。今、この本の連載を書いていますが、これは依頼原稿ではありません、僕が自主的に書こうとしていることです。それでも、連載となると、毎日、少しずつ書いていくので、書きたい時に一気に書けたらいいんですが、1日に300枚も書くわけにはいかないので、それだと継続できませんから、1日に定量書いていく必要があります。僕はまず、何か書きたいことを思いついた時には、すぐに書かせるんですね。そりゃ書きたいことですからどんどん書きたいことは出てくる。書きたいと思ったその日は最高の日です。何も考えずに、どんどん書けます。でも、書いていると、体力的に、きついなと思う時がくるですね。それ以上やると、少し嫌になります。作りたいことはたくさんあるけど、体力的にしんどくなると、それでも嫌になります。というわけで、体力的にきつい、と思った瞬間にやめます。この本では初日に書いた原稿は34枚でした。13000字。結構な量ですよね。僕は毎日、どんな原稿でもいいから、10枚は書いていこうと決めてます。そういう習慣を継続しているからではありますが、30枚くらい一気に書けちゃうんですね。で、これを継続できるかというと、できなくはないけど、体力的にきつくなる。そこで、毎日書く量は、少し落とします。それは初日の原稿量を見ながら調整します。半分くらいの量だと楽に書けます。そうすると17枚ですよね。キリがいい量として、もう少しいけそうなので毎日20枚書くことにしました。こうやって、継続する量を決めていくんです。
 とはいっても、毎日20枚書くのもそれなりに大変です。そして、早速ですが、僕は何を書こうかなあ、と少し止まってます。昨日、畑仕事したので、その疲れも溜まっているのかもしれません。
 それでも日課を決めたんだからと思うと、継続したいのが人間の心情、たとえ自分で決めたことだろうが、依頼仕事と同じように、書かなくちゃいけない、みたいな思考回路に入っていくんです。それは継続が得意な僕もそうです。頭でっかちになりそうになる。そうすると、これから、毎日、何を書くのかってことを、事前に全部決めておいた方がいいんじゃないか、そうやった方が、迷わないんじゃないかと思うじゃないですか。だから、計画を立てようとするんですね。
 そこで目次みたいなものを書いてみようとします。
 しかし、うまくいかないんですね。僕の場合は、ですが、僕もかなり長い間、ずっと作品を継続的に作り続けてきている人間ではあるので、これはもしかしたら多くの人に当てはまるのではないかと思ってます。たぶんみなさんも計画を立てても、あんまりうまくいかないと思うんです。ものを作る場合は。もちろん、何か達成しなくちゃいけない仕事があって、これを納期までに終わらせなくちゃいけないって時は、計画は重要だと思います。もうすでに全体量が決まっている場合は、今日はどこからどこまでやって、これを何日間かけて、あそこまで終わらせる、みたいに具体的に段取りを決めれば決めるほど、楽にさらには失敗もなくうまくい気ます。この話は、僕は別の本「中学生のためのテストの段取り講座」で書きましたので、そちらを参考にしてみてほしいです。全体量が決まっている場合は、段取りを具体的に細かく設定することで、ほぼ百点満点の結果を出すことができます。
 ですが、何かをゼロから作り出す、ということになると、そうはいきません。というか、多分、それは「窮屈」で「退屈」なんですね。
 僕が今から「継続するコツ」を書こうとして、頭の中にある、継続するコツをただ羅列して書いていくだけだったら、面白くないんです。それは継続するためのビジネス書みたいな感じにしかならないんです。ま、そういう本はそういう本でいいんでしょうが、それは本質的には継続していけないんですね。だって、窮屈で退屈だからです。脱線しようにもできない。伝えたいことは継続するコツだから、それ以外のことは全部除去しよう、みたいな感じで、進んでいくと、とにかく面白くないんですね。それはやらされ仕事です。それは金にするための方法です。一回、二回はいいかもしれないが、面白くない。
 作る内容があらかじめ決まっていることを、作っても、なぞっているだけで、全然面白くないんです。
 でも計画を立てないままに進むと、わけのわからない森の中に迷い込んでしまいます。それも不安です。不安ばかりだと、これもまた苦しくて、継続できません。
 というわけで、僕は、何かを作りたいと思ったら、まず思うままに、計画も立てずに、作ってみます。それが初日です。そうすると、迷いなくどんどん作れます。先のことは何も考えずに、今の頭の中にあるものを体力的にちょっときついなと感じまで、ひたすら外に出してみます。それが今回の本だと、34枚の原稿として外に出てきたわけです。そこから毎日の定量が、半分より少し多いくらいの20枚と決まった。体力的にこの連載をどれくらい書き続けることができるかと考えたら、2週間くらいだなと感じた。そうすると、今日は34枚、残り13日間で20枚ずつ書き進めていくので、合計294枚の本になるんじゃないかと段取りを立てます。
 僕の段取りはそこで終わらせるんです。そこから何を書こうかという具体的な細かい計画は立てずにやってみます。なぜなら書きたいことは、書く前の頭の中で育つのではなく、書いている中で伸びていくからです。書いている中でグングン広がっていきます。僕は今日のこの原稿を、最初、タイトルから始めました。タイトルを「無能の術」と最初書いたんです。何を書くかを決める前に、無能の術ってことに関して、今は書いてみたい、と思ったから書いてみました。でも、今、無能の術について書いているのかどうか、わかりません。今は、計画とは内容を具体的に決めることではなく、初日の創作初期衝動をもとに毎日の創作量を定め、体力と照らし合わせて継続できる日数をイメージし、完成する作品の全体量をぼんやりと算出するってことについて書いてます。これがみなさんに必要な情報かどうかは分かりません。本にするとき、推敲段階で削除するかもしれません。本にするときは、できるだけ分かりやすくした方が、読者層も増えますから、編集者はそういう判断をするかもしれないんですね。出版されるとも決まってませんが、そういうことも考えます。僕は、誰からも声がかかっていないのに、そういうことをずっと考えているんです。ここでまた書くことが増えましたね。
 「無能の術」について書こうと書き進めていくうちに、その初期段階ですぐに「創作における計画の立て方」の話になり、なぜ計画をするのかというところで「依頼を待つ前に全部自分で依頼する」という方法論の話も出てきました。こういうことは計画を立てて、書いていると、削除してしまう創作意欲なんです。もったいないと思いませんか? 僕はもったいないと思うんです。だって、もう今、気分は、無能の術のことでも、計画の話でもなく、全部自分で依頼するって話を書きたいんです。広がってきてます。継続すること、ということについて、考えること自体が、そして、連載と称して、ここで何かを書いていること自体が、作品とかもうどうでもよくて、もう、わかってくれると思いますが、今、僕は何を書こうと迷っていないんです、もう見つけたんです、今、体が一番書きたいこと、書きたい「こと」じゃないですね、書きたい「感じ」です。この作りたい「感じ」を毎日出しやすくさせて、見つけてあげる。これが継続するコツです。分かりにくいですかね。分かりにくいと思いますので、今回は、オンタイムで、作りながら、その過程自体をみなさんにも一緒に味わってもらおうという試みです。この「感じ」を見つけると、もう今日だけは永遠と体力が続く限り、書けちゃいます。どこまで書けるかどうかやってみましょう。あとで推敲して、削除はするんです多分。でも、今日という1日の今日の感じは全て、定着させたいと強く思う。これが創作意欲です。これが楽しいんです。これは麻薬です。僕が今、喜んで書いているのが分かりますか? これはのちに作品化される時に、多くが削除される感触です。でも、僕は僕の作品の中で、この感触を残しちゃいます。勢いを残してあげるんです。だって、話の内容は、もう何がなんだかわからなくなっていると思いますよ。でも、スラスラ読めると思うんです。だって、これが僕の流れなので。僕の流れに読者も巻き込まれ、一緒に流れていくので、それがすごい勢いだとかそういうことすら、自分も流れまくっているのでわからなくなります。これって楽しくないですか? 僕はこのために、ありとあらゆることを作り、継続しているんです。これが僕にとっての幸福です。言葉ではうまく説明できないですが、みなさんが今、読みながら感じている、これです。これは言葉では説明できませんが、僕が書いているこの文章の連なりを読んでいく中で、でも僕は読んでいなくて、書いているんですが、この書く行為と読む行為、つまり、作る行為と鑑賞する行為がドッキングして一つになっている瞬間、これなんともいえない瞬間ですよね。いや、本当はわからないんです、この文章を、楽しいと感じながら読んでいる人が一人もいないかもしれません。でも、僕はこの感触さえされば、どんどん継続できる、いつまでも死ぬまで永遠に作り続けることができる、と思えるんです。死ぬまでこれが続いたらいい、と思っているんです。もちろん、これは体力がなくなれば、消えていきます。今日寝たら、また消えていきます。でも、今この瞬間は存在している。それを僕は書いて定着するんです。
 さて、ここで、一体、何を書き進めていけばいいのかわからなくなる、みたいな感じになりました。つまり、これは、計画的に進んでいない、というシグナルです。でも、実は他に書きたいことが見つかっているときです。これはスランプのお話の延長ですね。どうすればいいかはもうお分かりでしょう。なんでもいいんです。今、書きたいと思うことを書けば、たぶん湯水のごとく、文章が出てくるんです。
 というわけで「依頼を待つ前に全部自分で依頼する」ということについて書いてみましょう。
 何かを作ろうと思うじゃないですか。今であれば、僕はこれから、継続するコツについての本を書こうとしてます。
 でも、本に限らず、なんでもいいんですよね。本当は。僕は何か作りたい、伝えたい、と思ってます。
 多くの人は、ここで、本を書こうと思っても、別に作家じゃないんだから、なかなか形にするのは難しいし、形にしたとしても、出版してくれる出版社を見つけるなんて、無理だろうし、結局、ただ文章を書いただけで徒労に終わる感じがする、みたいに感じるのかもしれません。だから、継続することが無駄だと思ってしまいます。そのうち、作らなくなります。作ったとしても、たいそうなものはできないから、とすぐに諦めてしまいます。僕が死にたい人からの電話を受けて話を聞く限り、みなさんすぐにこの思考回路に入っていくんです。役に立たないもの、無駄なこと、金にならないもの、どうせ自分なんて能力がないんだからやっても、形にならないんだから、そんなことに力を入れても仕方がない、みたいになっているんですね。もったいない。
 ここで、すぐ自分のことを「能力がないんだから」みたいに、言ってしまうことの理由について、書きたくなってます。でも、これ以上、やると、一体、なんの話なんだか、わからなくなっていきますよね、そうすると、軌道修正したくなるじゃないですか、でも、軌道修正なんかしなくていいんです。能力がないんだから、と自分を決めつけて、継続することができないパターンに陥る理由について、さらっといいので、流れに身を任せて、書いておけばいいんです。もうこの時点で、僕は作品にするとかどうでも良くなっているんです、僕は楽しいんです。はっきりいえばそれだけで、遊びはじめてます。本にしなくていいのか? いいんです。これがだめならまた別の本を書けばいいだけです。はい、これが全てです。次の新作をただ作ればいい。これが継続の力です。あ、、、今、また別の書きたいことを見つけてしまってます。順を追って、説明しますか? いや、そんなことしなくていいんです、今、思いついたことだけをどんどん出していけばいいだけです。これがすなわち、僕が継続していくことができているエネルギーそのものの姿です。簡単に説明することはできませんが、この文章の連なりを読んで、流れを感じてくれたなら、この流れ自体が、そのまま、その意味です。意味を言葉に説明はできないですが、これが継続がもたらす意味です。どうですか? 分かりますか? 感じてくれてたら超嬉しいです。そうです。僕はもう今、すべての決めつけから楽になってます。金にすること、作品化すること、発表すること、編集者を納得させること、売れること、読者を獲得すること、作家と思われること、評価されること。まじでどうでもいいです。だって、この流れきたもん。これが、作ることの全てです。作ると、このような渦が起きます。
 もうここまでいくと、無能だろうが、無能とよばれようが、理解不能と言われようが、気にならなくなります。本にならなくてもいいんです。だって、ここでオンラインで無料で公開して、たくさんの人が読んでくれたら、バッチリなんです。この作ることがもたらす渦は、多くの人を幸福にするからです。それだけで百点満点じゃないですか。
 能力がないから、作らなくなった、みたいなことを言って、挫折したような顔をしている方、みなさんに伝えたいです。
 早くこっちに戻ってきなさい。
 早く、みんなでまた作ろうよ。
 能力がない? 才能がない? 戯言もほどほどにしてください。誰もあなたのことを才能がある人でいてください、だなんて思ってませんから。才能あふれる人にそんなになりたいですか? 僕は全く興味がないです。才能あふれていると自覚している人間にそんなになりたいですか? 僕は友達に絶対になりたくないです。僕は穏やかな人が好きです。才能がないからって毎日修行している人こそ好きです。才能がないからって諦めている人は、才能であふれていて練習する必要がなくふらふら才能を持て余している人と何も変わらないじゃないですか。才能にあふれていると自覚している人が練習とかしますか? 素振りとかしますか? しないんです。なぜ練習するのか、なぜ、僕は毎日10枚原稿を書き続けるのか。それは無能だからです。無能であることを自覚しているからです。才能があると自覚している人はよく「あの人は勘違いしている」と言われますが、無能であると自覚しているとどんなに伝えても、勘違いしていると言われません。これも不思議です。面白いです。無能とは、しっかり自覚することができる稀有な感覚なのかもしれません。僕は無能です。よく知ってます。謙遜では全くありません。その証拠に毎日、馬鹿みたいに練習してます。毎日10枚書き続けている人を、僕はほとんど知らないくらいです。むしろ、無能であることを自慢しちゃってます。無能であるからこそ、毎日、とにかく努力をしようと思えるのです。努力をしない人は、おそらく、自分のことを能力がある人と思っているのです。才能がないから、と何かを諦めた人は、才能がないから諦めたわけじゃないんです。その逆なんです。私は、才能があって当然なのに、何かを作ってみたけど、結果として形になったものは酷い有様で、こんなのは才能がある私が作ったものとは思えない、そのギャップに苦しんでしまって、ついには諦めてしまうのです。にゃー! 
 びっくりしましたか? 僕は書きながら少しびっくりしました。確かに僕が今書きましたが、書いているときはよくわかっていませんでしたが、今、ちょっと振り返ると、確かに、当たっているかもしれません。ということは諦められないじゃないですか。はい、そうなんです。人間諦めることはそもそもできないんです。諦めてるんじゃないんです。チェックするのはたった一つだけ、その昔、作っていて、諦めたと思ったことがあるのなら、それをもう一回、やってみてください。素直な心で。楽しかったら、今の、この僕の原稿みたいに、ここまでいかないかもしれないけど、ちょっとだけ渦が起きます。それが楽しい渦で巻き込まれたいと思ったら、もう一度やってみてください。楽しくなかったら、やらなきゃいいだけです。楽しくなくなったからやめただけなんです。挫折と言わないでください。挫折ってマジで意味のない言葉ですよ。つまらないからやめた、飽きたからやめた、でいいじゃないですか。挫折なんて言葉は才能がある人だけが使えばいいんです。無能な我々は挫折とは無縁です。見てくださいよ、この私を。無能ですけど、毎日毎日やってますよ。毎日やってたら、かなり微量ですけど、それでもちょいとだけ成長するんです。それは実感します。いまだに無能ですけど、証拠は毎日練習しているからです、でも、ただの無能じゃないな、とは思ってきてます。むしろ、無能を活用しちゃってるなお前、練習すればするほど半端なくなっていくのをお前知り始めてるなとは思ってきてます。無能の達人かもしれません。こうやって、下げつつ上げるみたいなやり方は、継続していく上で必要なスキルです。
 そして、今、なんか、疲れたな、と思ったので、書くことをやめます。 
 それでいいんです。無能ですから、また明日も書くんですから。
 無能だから、一生継続するんです。才能がある人はこんなことできませんよ。馬鹿らしくて。
 無能のバカにしか永遠に修行を継続するという難行はできないのです。
 で、ここでちょうど原稿20枚なんです。
 また明日。とにかく定量を死ぬまで継続。これこそが人生だということに少しずつ気づいてきましたか?
 休憩も大事ですので、ゆっくりしましょう。

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