躁鬱大学 その5 記憶を思い出す時も「今から作り話をします」と前置きして話そう
5 記憶を思い出す時も「今から作り話をします」と前置きして話そう
さて、今日も講義をはじめてみましょう。次のテキストです。一段落めの最後の文。
「普通、中高時代より好調と不調の時期があったはずです」
確かにそうです。僕自身、どうにもならなくなって、わけがわからなくなって、それこそ死にたくなって、心療内科に行くしかないと感じ、受診し、躁鬱病と診断を受けたのは2009年ですから、30歳のときです。しかし、それ以前から好調、不調の時期はありました。気分の波が激しかったのは小学生の頃からです。それでも高校生の時までは特に学校を休むことも、家に閉じこもったりすることもありませんでした。躁状態が飛び出して、ちょっと羽目をはずすことはありましたが、でもまだ可愛いものでした。
だから気になるのは、中高時代から好調と不調の時期があったにもかかわらず「なぜその時は、破綻しなかったのか」ということです。実は波自体は大して変化がないのではないかと僕は感じてます。小さい時から、いろんなことに興味を持ったり、人とワイワイ騒ごうとしたりする一方、一人でちょっと塞ぎ込むような気持ちになったり、寂しくなったり、みんなが笑っている横で、突然悲しい気持ちになったりすることはありました。鬱の時は、そういう経験も全て、悲しい記憶として思い出されます。躁鬱人は不思議な記憶の持ち方をしています。前にも言いましたが、時間の感覚が非躁鬱人とは違います。どのように記憶しているかというということを少し話してみましょう。もちろん、記憶の量は非躁鬱人たちと同じくらいだと思います。躁鬱人はある人からは記憶力が極端にいい、しかし別の人からは記憶力がない、とどちらも言われます。これがどうして起きるかというと、躁状態と鬱状態は二極に完全に分かれているわけではなく、ピアノの高い音が出る鍵盤から低い音が出る鍵盤まで並んでいるようにグラデーションになっているのですが、例えば、一番高い音(つまりこれは躁状態マックスの時です)の時と、一番低い音(これが鬱状態マックスの死ぬ寸前ですね)の時とでは、記憶の総量は違わないのに、それぞれの記憶に対する重要度の度合いが全く変わってしまうからです。人付き合いについての記憶を例にとると、躁状態マックスの時は、たくさんの人たちが集まってワイワイ楽しく過ごした日々や一人の人ととんでもなく親しくなってただ直感で話しているような対話ができていたことなどを思い出し、鬱状態マックスの時は、誰にも会いたくなくて部屋にずっとこもっているとき、もしくは人から文句を言われ傷ついたこと、などをしかも辛いことにやたらと鮮明に思い出します。もちろん躁状態マックスの時も、一人で悲しんでいた記憶がないわけではありません。必死に思い出そうとすれば思い出すことはできます。つまり、記憶自体は残ってます。しかし、その元気すぎる時に、一人で悲しんでいた記憶は重要度が全くないと判断されて、もうほとんど透明のゴーストになりかけてます。逆もまた然りで、死にそうな時には、たくさんの人前で堂々と話していた自分の姿は重要度がないと判断され、もうほとんど足が消え始めているのです。バックトゥザ・フューチャーの未来に少しバグが入ったことがきっかけで、写真に写っている過去のドクが透明になっていくシーンがあるじゃないですか、あんな感じに記憶がすぐに気分の波によって変化するんです。しかもそれが躁と鬱の二極化されているわけではなく、ピアノ鍵盤のようにずらっとグラデーションになっているのです。そのため、気分の波は常に変動してますから、記憶の重要度マークもその都度変動します。つまり、その気分の波の時に経験したことだけを、次に同じ気分の波の時に思い出す、ということです。ということは、やはりこれが寄せては返すが、同じような波ではあるということです。海の干潮と似ています。もちろん、それぞれの波が同じなわけではありません。海の波と同じように、波自体は変わってはいるが、そのリズムのようなものは繰り返してます。そして、それぞれの波に合わせて、その時に体感した記憶が、変貌していくのです。
だからこそ「とても記憶力はいいが、とても忘れっぽい」という非躁鬱人にはわけがわからない記憶力の持ち主になってしまうわけです。ある波における記憶に関してはそれがずいぶん昔のことだろうと鮮明に思い出せます。しかし、過ぎ去った別の波に関しては昨日のことだろうと忘れてしまうのです。そして躁鬱人は出来事自体よりもその時に感じた感覚の方が重視されてます。これはこれまでにも話してきましたね。われわれ躁鬱人はただひたすら感覚で生きているわけです。われわれの言語がまさに感覚なのですから。それは感情とも呼ばれますが、躁鬱人にとって感情という言葉はあんまり当てはまらないのではないでしょうか。例えば、あることがあったとして悲しいと感じても、悲しいかな躁鬱人は別の波になれば、一切悲しくなりません。よく言えば、切り替えが早いということですが、感情によって生きる非躁鬱人から見ると、この人に感情ってものがあるのだろうかと怪訝な目を向けられることもあるかもしれません。もちろん躁鬱人は情で動くところもありますが、それは何度も言うように、みんなから褒められたいというほとんど条件反射と化した感覚が実は作用しています。だからこそ、たとえ情的に大事なことであろうとも、自分が飽きたら、つまりそのことに感覚が動かなくなれば、すっかりやる気を失ってしまいます。しかし、この世は情け、と言うように、やたらと社会は情を重要視します。と言うわけで、躁鬱人も情で動いているんだと勘違いし、自分の条件反射だけの感覚野郎だと言う性質をないがしろにしがちです。結果的にやりたくもないことをやり続ける羽目になり、まあ、すぐに鬱に移行していきます。そういう意味でも、あなたが感情ではなく、感覚で動く、つまり、その場でも好き、嫌い、心地がいいか、窮屈かってことだけで動く体質の人間なんだよ、と体全身で必死に伝えているのが鬱ということなのかもしれません。つまり、鬱とは「躁鬱人のお前さんが非躁鬱人になろうとするなよ」という体からの警告でもあるのです。
少し話がずれましたが、そんな躁鬱人はまず何よりも「感覚」こそが重要で、感覚が言語なので、それ以外のことは雰囲気くらいしか記憶しません。出来事よりも、感覚の記憶の方を優先するのです。その時にどういう人とどういうことをしたという記憶よりも、その時に感じた感覚の記憶がより鮮明です。つまり、人に伝えようとする記憶は、出来事についてですから、その口にした記憶自体は実はほとんどが適当な記憶です。捏造とまでは言いませんが、かなり曖昧な記憶でも、それぞれの波に合わせて、適当にくっつけて、自分で記憶を作り出していきます。躁状態マックスの時の記憶は、ほとんど小説の世界と変わらないでしょう。記憶を捏造ではなく、創造しちゃいます(笑)。もちろん、その独創的な記憶は何か創造的な仕事に有効に活用することができるかもしれません。いや、むしろ、そこにしか活用の道はないのかもしれません。なぜならば、そのような創造された新しい記憶、ここで大事なことはそれも躁鬱人にとっては大事な本当の記憶と感じてますが(いや、本当の本当は少し作っていることを知っていますが、そんな記憶の方が面白いし、楽しいので、つまり感覚にとっては栄養になるので、それでよしと思ってます)、非躁鬱人は「またオーバーな表現を」とか「それは思い込みでしょ」などと感じてます。非躁鬱人からそんな豊かな作り出された素敵な記憶を真顔で否定されたからといって、怒らないようにしてくださいね。悲しむ必要もありませんし、これが真実だと言い張る必要もありません。厳密にいうと、躁鬱人の記憶が事実に基づいて正しかったことはありません。もちろん、それは多数派である非躁鬱人たちが信仰している、事実、という概念に照らせばということです。しかし、われわれ躁鬱人は違います。記憶、つまり過去の時間もまた、未来と同じように、日々刻々と変化し、成長するものなのです。われわれはそんな多数派である非躁鬱人たちが多く暮らす島に住んでいるということをまずは適当に理解しておきましょう。そして、出来るだけ、自分の発言、思いなどを真剣に真顔で語らないことです。記憶においてだけでもこのように違います。時間の感覚が違うんですから当然です。自分が感じた本当の記憶に関しては、できるだけ躁鬱人に伝えましょう。非躁鬱人に伝える時には「これは事実ではなく、フィクションです」というあのテレビとか映画とかで流れる字幕があるじゃないですか、あれを利用しましょう。つまり、作り話として伝えればいいんです。われわれ躁鬱人は、過去と未来が混在しているように、夢と現実もまた混在してますが、非躁鬱人は、それらをきっちり分けるという約束事を元に集まってできた、人工的な集団ですから、フィクションとリアルをごちゃ混ぜにすることを極端に嫌います。ちゃんとわれわれが少数民族であることを理解しなければなりません。少数民族にも自由と権利を!だなんて叫んだところで無駄です。そういう事例も非躁鬱人の世界に取り入れられることで、きっちり夢と現実の二つに分けられてしまいますので、躁鬱人は権利主張など一切しないようにしましょう。滅びたら、それまでよ、の精神で。生きるか死ぬか、はっきりいうと、どっちでもいい。躁鬱人にはその区別ももちろんなく、混ざり合っているんですから。だから、思い出話するときは、いつもテレビや映画みたいに「あ、思い出したんだけど、といっても、これは事実ではなくて作り話なんだけど・・・・」と一言添えましょう。それだけで、笑ってくれます。そして、うまくいくと、その一言を添えたおかげで、非躁鬱人のガードが下がり、ちゃんと事実として思い出として、伝達される場合もあります。非躁鬱人がこれを読んでいないと仮定して、つまり、これもフィクションとして書きますが、非躁鬱人は本当に退屈なところがあります。頭でっかちで夢で起きたことが事実だとは感じることができません。だからそこはわれわれがちゃんと譲歩してあげる必要があるわけです。躁鬱人は柔らかいですから、簡単に捻じ曲げ、折り合いをつけることができます。その辺には変なプライドを持たずに、どんどん切り替えましょう。非躁鬱人はやはり少し愚鈍なところがあります。その愚鈍さはこのように人口がバカみたいに多くなった世界がそれなりに、大多数の人が、なんとなく生きていくためには必要な鈍さです。その世界に鋭さを持ちこむと大変です。ジャックナイフみたいな躁鬱人ですが、ちゃんと性根は優しく、人が喜ぶことが好きですから、愚鈍な方に折り合いをつけてあげましょう。そうすることで、あなたの良さがどんどん発揮されるので、きっと得るものも多いでしょう。間違っても躁鬱人の権利主張をしないことです。あらゆる少数民族がそれで失敗し、結局多数の非躁鬱人に取り込まれ、苦しんでいるのですから。多数派に紛れ込み病者に変装し生きのびることを決めた躁鬱人は、そうではない道を探しているということを自覚してください。あなただけの躁鬱人ではありません。この血はそれこそ類人猿の時からずっと受け継がれてきたものです。もしかしたら、魚だったときからかもしれません。その長い悠久の時に思いを馳せてください。大丈夫です。あなたは躁鬱人なのですから、自分の記憶だけが記憶ではないことを知っているはずです。遠い祖先の声に耳を傾けることが容易にできます。もちろんそれはでっち上げと言われます。そこで怒らずニコニコ顔で「今から作り話をします」と言ってください。大事なことはそれだけです。
さて、今日は本当は「中高生の時も好調・不調があったのに、なぜその時は破綻しなかったのか」ということを考えたかったのですが、記憶の話になりましたので、つい長くなってしまいました。毎日、この講義をし続けていく上で、大事なことはやりすぎないこと、ですので、この「毎日の分量を決める」ってことが躁鬱人が非躁鬱人世界で生きる上で非常に大事なことですので、それに従って、今日はこれくらいにしておきましょう。なぜ破綻したい時があったのか、ということに関してはまた明日話しますね。それではみなさん今日も良い一日をお過ごしください。私の作り話におつきあいいただいてありがとうございました。