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お金の学校 (5) 僕の印税についての楽しい話

 今日もまた実例をもとにお金について研究をしてみましょう。お金のことを考えるのはどうしてこんなに楽しいんですかね。みなさんも楽しいですか? 僕はとにかく大好きなんです。お金って、なんでこんなに楽しいのかって、まずは楽しいことしかしないからですね。僕の行動の基本は楽しいことしかしないってことなんですが、それだと楽しいことってなんのことかわからない、なんてことを言う人が結構いらっしゃるんですね。楽しむってのは、一つの技術でして、このお金の学校では、お金の話をベースにして、いかに楽しむか、いかに好きになるか、ってことを僕は実は伝えたいのですが、のっけから楽しいこと、なんていうとみんな思考停止に陥っちゃうので、楽しむことに慣れてない人に伝える時は「やりたくないことは絶対にしない」と伝えます。ま、このやりたくないことをしないという術も実は細かく色々とあるんですが、つまり、僕は自分の作品を作り続けるために、毎日10枚原稿を書く、この講義だってそうです。毎日10枚以上、昨日なんて30枚も書いちゃってるわけですが、そうやって書くことが、全くやりたいことではないってことなのか、というと、実はそうでもないんです。それなりに大変ではあるんです。
 でも、まあ厳密にしすぎてもいけませんので、サッと次に進んでいきましょう。なんとなくでいいです。やりたくないことはしない。これを信条みたいにして生きていくと、ただのうざいやつになりますので、バランスよくやってくださいね。何事も極端にしていいことはありません。お金は何よりもバランスの世界です。自分だけ稼ごうだなんて無理な話です。お金とは経済であり、つまりは流れ、しかも楽しい流れですので、楽しいとはつまり、人との関わりでもあります。もちろん、これは人だけではないんです、お金との関わり、植物との関わり、風との関わり、動物たちとの関わり、そういったあらゆる関わりを含めての関わり、これが経済なのですが、今は、経済=お金になりすぎていて、もちろんそれも真実ですが、それは真実のうちの一つです。
 経済、つまり流れは無限にあります。だからと言って、その流れの混沌の中に飲み込まれてしまっては、バランスを欠いた生活になってしまいます。こんな極端そうな僕が言うので、ちょっとびっくりかもしれませんが、これから話をするのは、そんなバランスの話になるはずです。
 昨日の畑部の話は面白かったですか?
 あれを読んで笑える人は少しずつ柔らかくなってきてます。矛盾を矛盾のまま受け入れられるようになってきていると言ってもいいかもしれません。これはとても大事なところです。なぜなら経済とはあらゆる流れの総体であって、一つの流れだけを指すのではありません。これもまた大事なことです。今、人々は経済を一つの「お金の流れ」と断定してしまっています。しかし、実際はいろんな流れがあります。もちろん、経済もまた自然のものなのです。だから植物みたいに、切っても、別のところから生えてきます。人間の合理性と植物の合理性は全く違います。植物の合理性によるツルの生え方、伸び方は人間の合理性から捉えると矛盾そのものになります。植物は切られても平気です。むしろ喜んで伸びていきます。踏まれることも切られることも腐ることも全部喜びに変えちゃいます。そんなふうに合理性もまた自然界には無数に存在してます。経済もまた然りなのです。
 ま、実例を示しながらお話をしてみましょう。せっかくだから2020年の話をしましょう。僕は自分の育ってきた歴史をもとにお金について話をしたいと思いつつ、ついつい脱線して、いろんな話をしてしまっていて、もう僕もどこまで話したのか、どこから続きを話そうとしているのかわかりませんが、植物的合理性を感じつつ、思うままに、好き勝手に話してみましょう。最近の話の方が楽しいはずです。いつだって、人間は過去を虚飾します。嘘をつきます。今のことなら嘘もなかなかつきにくいです。しかも、お金のこととなると、さらに嘘がつきにくいです。だから、今のこの瞬間のお金の話をすることはこの世界ではタブーとされていることが多いです。僕の仕事で言うと、印税がいくらなのかどうかとか、まあそんな話です。そんな話はほとんど誰も書きません。本の値段の10%くらいが印税である、なんてことは知っている人もいるかもしれませんが、それは一概に言えません。そして、印税で楽に過ごせている人なんて、あんまりいませんので、と言うか、作家って食べていくのが大変な仕事のうちの一つのように思われているような気がします。実際に食べれてない人も多くいると思います。だからこそ、誰も喋らないのです。しかし、守秘義務はありません。だから自由に楽しく話していいのです。
 というわけで、今日は僕の印税についての話をします。気になりますか? ワクワクしますか? 楽しいですか? 大事ですよ。楽しんで学んだことしか体は覚えません。それは僕だけなのかもしれませんが、僕はそうです。しかめっ面していいことは一つもありませんでした。だから、とにかく楽しんで考えたいんです。そうすると、なぜかお金に困らないという体験を僕は一度だけではなく、何度も味わってます。と言っても、別に僕は富豪ではありません。この学校では僕の年収、そして、細かい収入のことも逐一説明していこうと思っているのですが、なぜなら誰もそれを教えてくれないからで、みんなが知りたいし、参考にしたいのはそこだと思うからで、もうすでにニーズがあります。ニーズがあるんですから、やるのは当然なのです。別にただの露出狂なのではありません。チラリズムはもともと人が興味がなければ発生できない楽しい時間です。まあ僕はチラリズムではなく、野暮なんで、あ、僕はヤボ族の生まれなんて、とにかく全部喋っちゃいますけどね。
 だから、あんまり売れないんだと思います。売るためには、稼ぐためにはチラリズムが必要です。しかし、それは売るため、稼ぐための戦略です。お金の学校ではそんなことは教えません。売ること、稼ぐことはまったく重要ではないからです。重要なのは、自分が必要だと思うものを、楽しく流れを感じながら獲得することです。これができていなければ売れてても、どうせ廃ります。売れたものは滅びるのです。売れてるものでいいものは一つもありません。売れるとはよくわかんない人も宣伝の効果でついつい買っちゃうってことです。全然洒落てないし、第一、そんなつまんないやつに買ってもらっても、売る方は少しも楽しくありません。
 でもお金のためには仕方がない。
 すぐ人はそう言います。でも僕のお金の学校では決してそんなことは言いません。だって楽しくないじゃん。
 楽しくないところには・・・・・? もうみなさんわかりますよね。そうです。流れが発生しません。つまり、そこにはお金は生まれるかもしれないけど、経済は発生しません。それでは面白くないのです。面白いってことは何なのかというと、最初の直感的な感覚が持続されていく、ってことです。それが面白いんです。セックスだってそうでしょ? セックスしたあとは興味が無くなったりする人いるじゃないですか。やたらと美貌は素晴らしいのに、話をしても面白いない方とか。。。その時の容姿とか美貌とかスタイルがいいとかが、お金のためには仕方がない、という時のお金です。でも本当の関係ってそうじゃないっしょ、って誰もが思っているじゃないですか。もちろん、好きな顔のタイプはあるけど、それだけじゃなくて、話をしてて、何でこんな細かい自分の感覚があなたに伝わってるんだろう、あ、好きな匂いのタイプが一緒だ、好きな音楽の方向性が似てるけど、自分が知らない音楽も知っていて気になる、とかあの楽しい時間。あ、ここでも時間が出てきましたね。
 あの時間ですよ。別に恋人じゃなくてもいいです。親友っていうか、旅先でたまたま会っただけなのに、昔から兄弟だったような、あのサンフランシスコで一緒にマリファナ吸ったジェイソンのことを僕はふと思い出しました。まあ、20年も昔の話はいいでしょう。今の話です。今の時間です。今のお金のことを話しましょう。
 
 僕は今度、画集を出版するんです。今、10月5日ですよね。ちょうど一ヶ月後くらいに発売する予定です。『Pastel』というタイトルの画集です。これを読んでいたら知っている人もいるかもしれません。僕は毎日10枚原稿を書いている自称作家であるんですが、同時に毎日2枚のパステル画を描いている自称画家でもあるんです。自称とつけたのは、僕は自分のことを作家だとも画家だとも思っていないからです。それらはどちらも有機的に生物のように一つになってます。だから、これは作家の作品です、これは画家の作品ですと僕の中では分けられないんですね。でも、それだと、じゃああなたは何家なんですか?みたいに聞かれてそれもめんどくさいんですね。めんどくさいことはしない、というのも僕の鉄則なので(しかし、これはあくまでも人との関係においてです。人との関係、つまり、それが流れであり、経済なのですが、めんどくさいと周りが動きづらいために発生しにくいです。しかし、僕はよく自分自身ではめんどくさいことをよく積極的にやります。このめんどくささについてはまた後日、一回分の講義として説明することにしましょう)、文章中心の本を出す時には作家、絵を描くときには画家、歌っている時は音楽家(CDとかも出してるんです)、料理本を出す時は料理家(なんでもやってるんです)みたいに分けて説明してます。
 ま、それはいいとして、僕は毎日パステル画を二枚描いていて今度11月初旬に初のパステル画集を出すことになってます。この画集にまつわる一つの話をすることにします。これは寓話ではありません。これはれっきとした事実です。だからきっとみんなの参考になると思います。自分が経験したことは全て気前よく人々に披露する。これが僕による経済です。それをやると自分の稼ぎが減ると思って、みんなは黙ってます。もしくはあまりにもお金の流れが楽しくなさすぎて、言えないということもあります。どちらもあんまり面白くないですよね。だからこそ、僕は覚悟するんです。面白い方がいい。楽しい方がいい。だから、全てを公開する気で本気でぶつかろう、やりたくないことはしないでいよう。楽しいことをできるだけ求めて、愉快な流れを発生させよう。
 つまり、この画集についてのお金の話をするという行為自体がまた、愉快な流れ=経済になっていくわけです。このような波上効果が起きます。それは必ず楽しい時です。きっとこの話もうまくいくんだと思います。
 まず僕は2020年の4月25日パステル画を描こうと思い立ちます。その理由まで説明していると大変ですので、端折りますが、それまでも一日に数枚のアクリル絵画を描いてた僕は飽きてたんですね、その手法に。何かもっと面白いことはできないか、もっと直接的に絵が描きたいと思ってました。そんな時にパステルを使って指で近所の風景画を描くという行為に可能性を感じたんです。まだこの時は何もやってません。それまで風景画なんか描いたこともなかったくらいです。実は小学四年生の時から僕は近所の風景を描くのが好きだったんだと思い出したのは、ずっと後のことです。と言いつつ、パステルをはじめたのはそれくらい最近のことなんです。まだ初めて丸五ヶ月しか経過してません。それなのに、画集が出るんです。
 参考までに僕が描いたパステル画をいくつかあげておきましょう。なかなかいいもんですよ。

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 僕は10枚くらい描いてみて、あ、これは僕がやりたかったことだとすぐにわかりました。それで10枚しかできてないのに、画集にしたいと思いつきました。なぜ画集を作ろうとしたかと言いますと、それはパステルをずっと描きたいと思ったからです。そのために一番うってつけな方法が、僕にとっては「本にする」という行為なのです。どういうことかと言うと、本にするためにはある程度の量が必要になります。そして本にするということを、先日お伝えしたように企画書を書きながら構想を練ると、ある形が導き出され、そうなると、必要な絵の数、とか原稿の量とかが、明確に見えるんですね。これも大事なことです。
「明確なゴールを一回、完全に設定する」
 僕はあらゆることをする時に、この方法をまず取り入れます。つまり、これが企画書を書くということの正体です。具体的な量を知りたいんです。運動会を考えてご覧なさい。ゴールが設定されてないかけっこなんかどうしたらいいかわからないでしょ。
 僕はこのヒントは路上生活者から学んでます。
 隅田川で暮らしていた鈴木正三という男がいます。彼が僕の建築の先生です。彼から僕は多くのことを学びました。僕にとってのメディスンマンみたいなものです。師匠だけではなく、心の師です。彼が僕に伝えたとても単純な真理は、
「生活に必要な様々な量を知ると、不安がなくなる」
 というものでした。鈴木さんは1日、どれくらいの水が必要で、どれくらいの電気が必要で、どれくらいのお金が必要なのかを細かく研究していたのです。話を聞きながら、僕は自分が一ヶ月にどれくらいの水、電気、食糧が必要なのかを全く知らないことに気づきました。不安の根源はそこにあると鈴木さんは教えてくれたのです。
 それ以来、僕はとにかく一体、どれくらいの量になるかをまず一番初めに決めるようになったんです。そうすると、動きが変わります。そりゃそうです。目的地がわからない場所へ行く時、行きと帰りでかかる時間が違います。当然かと思われますが、それだけってことです。まず初めに量を決める。そうするだけで楽になりますので、みなさんもぜひ。流れは楽なところにしかおきません。理由は簡単です。水が上に上がって行きますか?川が逆流しますか? しません。高いところから低いところに、つまり、力が一番楽なように流れます。ボートで逆流してて楽しいですか? まあ、そういう楽しみもあるかもしれませんが、楽しいとはつまり楽ってことです。流れていく方が楽なんです。楽しい、がわからない人は、楽ってことで考えてみましょう。楽か辛いかだったらすぐわかるでしょ? そうやって判断しやすいことを、サッと自分で見つけて、まずは判断をしてください。
 判断するのは、それって心地いいの?ってことです。
 で、僕が企画書を書こうとするのは、つまり本を作ろうとするのは、そうすると無茶苦茶楽だからです。しかも本ができたら楽しいです。心地いい。気持ちいい!嬉しい!泣ける!もしかしたら奇跡も起きるかもしれない!んです。じゃあやるしかないでしょう。そして、やるしかないでしょう、となると、やっちゃうのが人間です。それはみんなも知ってるでしょう。テスト前にはついつい勉強しちゃうんです。しかも勉強できちゃうでしょ。受験だと思ったら、英単語憶えちゃいます。目的をはっきりさせると、プロ仕様になります。だから、料理も普通にしてるとつまらないんですけど、料理本をつくるってなると、めんどくさいチャーシュー作りとかもやれちゃうんです。パン作りとか。大福まで作れちゃいます。これが企画書の効能です。
 というわけで、僕は画集をつくることにしました。なぜならパステル画を思い切り、プロ仕様で描きまくりたかったからです。本を出すとなると、毎日アトリエに向かえちゃいます。妻から何処かに遊びに行こうと言われても、いや、本を出すから、と言って、なんか仕事モード風に子供が休みの日でもアトリエに行けちゃいます。趣味じゃないんだよ、って雰囲気出すと、何もかも変わってきます。パステルも本気モード入ったので、本格的な道具を揃えます。料理家のスタジオキッチンみたいな感じです。好きなものを好きな場所にストックも備えて品切れしないように安心安全の設備。そんなふうになれるんです。本を書くっていうのは、そうやって本格的に向き合う環境設計のために宣言するんです。それが僕の経済の起こりです。もうここには一つの流れが発生してます。
 次に毎日描く量を決めます。これは画集の最終形をまずイメージするわけです。300ページのフルカラーの本は流石に素人の僕には無理でしょう。でも面白いかもしれないけど、なんとなく150ページくらいのイメージです。もうここからは楽しいイメージ発生中です。美術書をおいてる素敵な本屋でかっこいい画集とかを見ながらイメージします。僕が見ていた本たちは、フルカラー150ページくらいでした。どれも。きっと印刷費的にもちょうどいい感じなんでしょう。値段は五千円くらいでした。うーんちょっと高い。できたら3000円で売りたいなあ。僕はその時にもう値段まで決めてしまいます。だって買うのは一人の読者ですから。彼が画集を手にして値札を見てレジにいく感じをイメージします。ここでもうすでに架空の経済の流れの一つがさらに発生してます。本を作ると決めた僕の流れ、そして、その本を買う読者の流れ、これらは違う流れです。複数の流れ。複数の流れが明確に見えたら、さらにレッツゴーの瞬間です。これは流れになるんです。しかも複数の流れによって、立体的な流れになる予兆です。そうなると、編集者に電話をするタイミングです。
 一応、まだ絵は10枚しか描いてません。でも流れが起きているので問題なしです。あとは電話でなんとなく話して、その立体性を伝えましょう。版元をどうするか。僕は一冊の本を手にしました。簡単なやり方です。家にある本棚の中で、今回の画集を作るに当たって参考になりそうな本。それはヴォルスという芸術家の小さな作品集でした。なんか感じがいい本なんです。持ってるだけで嬉しくなる。これが右腕ってことです。前回出てきそうで出てこなかった、いやミツマサ34世は出てきましたけどね。まずは右腕を見つける。これが第3の流れです。僕が「イメージしている原型に近い、すでに流通している物質」を見つけるってことです。それが僕が言うところの右腕です。
 右腕は見つかりました。次にどうするか。簡単です。右腕を作ってる版元に今すぐ電話するんです。
 版元は左右社というところでした。会社の概要をチェックします。そんなに大きな会社ではありません。でもいいんです。右腕を作ったところなんですから。規模は関係ないです。だって僕が好きな本を作ったところなんです。きっと話は好転していくはずです。
 しかも、ちょうど僕は左右社の担当編集者から一冊の本の依頼を受けていたことを思い出しました。ピカビアというぶっ飛んだ芸術家の語録が面白すぎるから、ピカビア名言集を作ったらいいのに、という僕の本の中の一説に注目して、本当にその本を作りましょうと言ってくれた人でした。僕のイメージとウマが合う人ってことです。第四の流れも来てます。実際の右腕、つまり担当編集者を見つけたわけです。感覚も合いそうな感じ。
 でもまだ左右社とは実は一度も仕事をしたことがありませんでした。
 しかし関係ありません。流れは立体的になっているからです。もうそうなると、大抵うまくいくんです。だってその流れは楽しいですし、それだけでなく参加する他の人たちも感覚が近いので、その僕の楽しさ、楽さ、心地よさを共有できるはずだからです。でも、もちろん勘違いの可能性もあります。というわけで、この時点で電話して確認するわけです。左右社の電話番号を調べて、連絡をしてくれていた編集者の名前を告げて、電話を繋いでもらいました。
 彼女は梅ちゃんというのですが、梅ちゃんが出てきました。梅ちゃんとはメールでやりとりしてただけで初めて電話で声を交わしました。
「ピカビア名言集を作るって話だったけど、パステルの画集を作りたいんですよね」
「あ、Twitterで見てました。あれいいかもです」
「でもまだ10枚しかないからね。だから、これから毎日2枚描いて、50日間くらいで100枚目指したんだよね。100枚描いたら、画集出して欲しいな」
「100枚揃ったら、楽しそうですね。ぜひ我が社で」
「頑張ります!」
 というわけで、これで第五の流れが発生しました。本を作るということを、僕以外の人、右腕と共有した瞬間です。本を出すには会社で企画を通す必要があるのですが、そんなことどうでもいいんです。なぜかって、左右社で出せなくても、やってみようと右腕と対話をしたならば、なんにせよ、100枚のパステル画が完成することは見えるからです。そうなれば、左右社からふられても、他の版元に持っていけばいい。僕も左右社もノーリスクです。口約束ってことです。
 僕は完成するまでは口約束だけ、完成するときは実際に契約書を結びます。完成する前に書類を交わすと、その相手のためにやらなくちゃいけないことも出てきます。でもこれではダメです。お金のための経済が入り込んでくるからです。会社は失敗したくないですから、リスク回避しか頭にありません。それが21世紀の自称資本主義者たちの悲しいところです。現在、全ての版元が、リスク回避しか頭にありません。どうなるかわからないけど、面白すぎるから出版しますとはどこも言えません。なぜかは知りません。恐怖心が板につきすぎて日常になってしまっており、守りに入っていることすら見えていないんだと思います。これはどこかの版元を批判しているわけではありません。それは現在の出版のセオリーになってしまっているんです。
 
 そこでどうするかっていうこともお話ししましょう。
 まず企画を通すなんてことはどうでもいいんです。ウマが合う人を見つける。そうすれば流れをさらに増幅することができます。おかげで本当に僕は50日間かけずに100枚を描きあげました。しかも、描きながら楽しいもんですから、当然うまくなっていくんです。だって楽しいんですから。どんどん描きたくなるわけです。楽しければ、そういうことがおきます。楽しくなくてもいいのですが、楽しくないことは予想を超えることができません。予想を超えるのはいつだって楽しい時です。楽しすぎて、リスクのこととか忘れちゃってる時です。セオリーなんか無視しちゃってる時です。
 楽しいとは、リスクのことを考えないでいいほど安心できて、人々が不安だから群がるセオリーから遠く離れることができるってことなんです。ここ大事です。
 もうこの時点で複数の流れの数を数える必要性がなくなります。つまり、流れが完全に立体的になって動き始めているんです。僕は確信しました。これはいける。なぜなら楽しすぎるから。僕が楽しいんですから。売れるから描くなんてことはしなくていいわけです。売れなかろうが、評価されなかろうが、描けるんです。楽しいですから。どんどんいっちゃいます。やっちゃいます。ほっといても描くようになります。どんどんうまくなります。こうなると、もうそれは誰が買わなくても経済です。そうなんです。お金になる前にすでに経済はあるというのは、そういうことなんです。まだ誰も買っていません。100枚描くまで一枚も売らないと決めてもいました。売るって、セックスでいうと、射精です。もういっちゃうと、なんもしたくなるでしょ。もうどうでもよくなる。セックスは頂点に達しても仕方がないんです。その過程だけが楽しいんです。ゴールを設定するのは大事だが、ゴールしても面白くありません。というかゴールに達する必要がありません。だって過程が楽しいんですから。
 ということで、一番初めにはゴールを設定しますが、それはあくまでも初期設定であり、経済が立体的に発生するまでの暫定的なもので、途中で、経済が発生した瞬間に、ゴールはまた別のものへと変換させる必要があります。これが焦らし大作戦です。自分をイカせないようにするんです。右手でシコシコ、もしくは濡れ濡れおまんこの中でグチュグチュ言わせながらしかし、イカないようにゴールを変えましょう。過程を延々と続けるのです。なぜなら楽しいからです。気持ちいいからです。そんなこと言う必要もないでしょう。だって、もうみんなも逝きたくなくなってませんか? このお金の学校の最終回なんか読みたいですか? 僕は間違っても読みたくないですよ。ドンストップミュージックってやつでしょ。
 
 で、ためてためて、僕はまず個展を開催することにしました。100枚揃った絵を販売するんです。個展を開催することにしたのは、左右社から画集が出ても出なくても、それでも僕は楽しいんだから、全然大丈夫だと自分でさらに楽しくさせるという目的がありました。絵が売れたら、それはそれでまた画集を出したいと思ってくれるところができるはずです。なぜなら画集というものは、印刷代が高いわりに、売れることがほとんどなく、版元にとって旨味が少しもないんですね。リスク回避という宗教に入ってしまっている出版界ですから、そんなわけで画集の出版の企画を通すことがとても難しいんです。
 そこで僕はどうしたか?
 ここからが今回の話の一番大事なところです。ずいぶん時間がかかってすみません。事細かく説明することだけが普遍に通じると僕は固く信じているので、そうやるしかありません。そして、こうやって説明することもまた僕の好きな、楽しい作業でもあります。
 一体、いつも僕は何をしているのか、これを説明することが僕が皆さんに提供する学び、いやどっちかというとアミューズメント(楽しさ)です。
 さて、印刷費で悩む版元左右社。それは世の常ですから左右社でなくても一緒です。ただ印刷費だけならいいんですけど、印税があるわけですね。僕は最初に設定したゴールのイメージで話を進めてました。つまり、一冊3000円、150ページくらい、フルカラーの画集です。すると、大抵の画集だと、1500部とか2000部の話になります。僕のパステル画はそれなりに注目を集めてはいましたので、その数では足りないのではないかと僕は伝えましたし、編集者もそう感じていたようです。最近の僕の著作はそれなりに好調で、前々作『まとまらない人』が4刷、そして前作『自分の薬をつくる』もまた4刷で、2冊とも1万5000部は超えていました。いい感じではあります。しかし、今度は画集です。画集は置く場所にも難点があり、とにかく部数をふやすと版元にとっては大きなリスクとなります。それでも少しずつ数字が見えてみて、初版3000部からでやってみたいと言われました。 

 僕の初回の印税はいくらになるでしょうか。まずは単純計算してみましょう。印税とは売れなくても、印刷した分だけ著者に入ってくるギャラのことです。通常一冊につき価格の10%。僕と左右社の間でもその契約で進んでました。つまり

 3000円×10%×3000部=90万円 

 となるわけです。おそらく印刷費も200、300万円くらいかかるだろう、ということは、僕も2004年に0円ハウスというフルカラーの写真集を作っていたからわかっていたのです。そこにさらに僕の印税90万円も重なると、版元は前払い400万円近くになってしまいます。もちろん、これは僕の予想の金額ですよ。実際はわかりませんし、その細かい数字までは教えてもらっていません。でも、いいんです。そういう細かいことは。もっと大きな数字に着目しましょう。そうです。僕の印税です。それは100枚必死に描いた僕にしては少ないですが、版元が印刷費を先に払う感覚としては結構な金額です。
 そんなわけで発行部数がどんどん少なくなるわけですが、それだけならいいのですが、画集は通常の印刷と違って、印刷の質がより重要になります。例えば汚い印刷でも文字はまだなんとかいけますが、絵が印刷されててもちょっと辛いです。僕が感じたのは、僕に印税を払うせいで、印刷の工程をいくつか抜いたりして、印刷の質が下がってしまう可能性がある、ということでした。たとえば、確認のための調整のための色校という印刷された色の具合を確かめる作業とかがあるんですが、そういう工程がすっ飛ばされたりしたら嫌だなあと、別にそんな話があったわけじゃないですよ、金かけられないとかあんまり会社と著者の間で言いにくいじゃないですか、だから知らぬうちにすっ飛ばされたりしたらどうかな、いや、そんな人たちではないですよ、編集者も会社もその時にはとても前向きに出版すると言ってくれてたので尚更、なんか気持ちよく印刷して欲しい、印刷に関してコストカットしないで欲しいと感じたんですね。そこで僕の必殺技を繰り出すことにしたんです。

「僕の初回印税はいりません」
 そう伝えたわけです。90万円いらないと。そうすると、無茶苦茶楽になるわけですよ。印刷の部分でケチる必要はなくなる。でもそうなると、僕は90万円損するわけですね。もらえるはずのものをもらわないんですから。どんなに気前のいい僕としても90万円を寄付するほど余裕があるわけではありません。でも流れはできてますから。なんか面白いようにやりたいじゃないですか。そんな時にケチってる場合ないじゃないですか。と言いつつ、面白い流れにさらにまた流れの予感を僕は感じてもいたわけです。
 さて、画集はソフトカバーの普及版と別に100部限定でハードカバーの布張り特装版というものも出すことが決まってました。そちらを少しスペシャルな本にして、少し高値で売って、高い印刷代の分をできるだけ補填したい、というのがほとんど全ての特装版のゴールなんですね。そこで僕はこう伝えました。
「100部のうちの30部を僕に無償で提供してくれませんか? 印税の代わりに」
 人間はお金を渡すのは大変ですが、自社で作ってる製品ならいつでも気前良くくれたりするじゃないですか。あの感じです。お金じゃないので、交渉はスムーズでした。というわけで僕は印税の代わりに特装版を30部手に入れることができました。そして、僕はさらにこう伝えたのです。
「特装版にパステル画の原画をつけたプレミアム版を僕に独占的に販売させてくれないか?」と。
 僕は絵を一枚15万円で売ってました。それを今回は特別価格として布張り画集付きで30部限定で15万円で売らせてもらうことにしたのです。本来はそれはギャラリーや版元がやる仕事かもしれませんが、僕はなんでも全て自分でやるんです。やるのが楽しいんです。僕は経済の起こり、流れ、流れの立体化の過程を肌で感じることに市場の、いや至上の喜びを感じるんです。だってセックスですから。気持ちいいんですもん。というわけで絵も全部自分で売るんです。僕はどこにも所属してません。マネージャーもいません。メールでの仕事の受け答え、スケジュール管理、税理士との打ち合わせ、細かい経理に至るまで、全部自分でやってます。なぜなら鈴木さんの言葉を体に刻み込んでいるからです。
「量を知れ」
 そうです。それが経済だからです。だから細かいことや雑事と思われるようなことも、どれくらいの量なのかという知的好奇心でどんどんやっちゃいます。みんなもやってみたらいいですよ。やればやるほど自分がやるのが一番効率いいことに気づきますから。なぜなら自分のことだからです。自分のことを他の人がやると遅くなります。自分のことを自分でやると早いです。なぜならただの事務処理じゃないからです。これは焦らしです。過程です。立体の起こりです。経済です。発生の瞬間です。目の当たりにしたいじゃないですか。快感を感じたくて僕は事務処理を好き好んでするんです。というわけで、このプレミアム版は僕のネットショップ。いつも使うBASEで売らせてもらったんです。すると、すぐに1時間で完売しました。

 15万円×30部=450万円 

 仲介料はありませんから、丸々いただけます。そして、パステル画の予約をとるために、僕は頑張って宣伝しました。すると、僕がこれまで出した本の予約件数の中でも最高位になるほどのすごい予約が入ったのです。そうすると、左右社は安心します。初回印税を著者に払わなくてすみますし、注文はきてる。ということで、3000部に上乗せして、さらに発行部数が増えることになりました。この発行部数は表に出しても問題なさそうですが、どうも出版界では発表しない空気がありますので、気を遣って、発表はしないでおきます。でもつまりは重版したと変わらないので、重版からは10%で印税くださいとお願いしていたので、100万円近くが入ることになったというわけです。

 というわけで、90万円をもらうつもりだったのが、それを全額版元に戻すことで、なぜか550万円になって僕の手元に返ってきたんです。これが僕がパステル画をはじめた時に感じた立体的な経済の一つの面です、これが結果ではありません、まだ僕はイッテマセン。まだ焦らし中です。だって、まだ本は出来上がっていないのです。本屋に並んでいないんです。印刷が完了するのは10月中旬です。まだ何もはじまっていないんです。
 先手必勝。そして、経済の起こり、流れ、立体化を感じたら、どんどん身銭を切ってでも自己投資しろ。
 他人に投資するのではないんです。
 印税を版元に戻したのが、自己投資だったのです。
 そうすることで、版元と著者という固くなって変わらないままになっている経済を整体し、ほぐし、バラバラにし、実はそこに複数の経済の流れがあることに気づき、その伏流として、もう一度、自然界に戻し、それによって立ち上がる立体的な経済の流れ、つまりお金というものの生態系をもう一度、楽しく戻してしてあげると循環し始めます。すると、何よりも、この僕が一番はじめに感じた、これを画集にした、この画集が欲しい、この画集を作っていることが楽しい。この画集が好きだ。お前が好きだ。お前のことを一生愛す。守る、という僕の気持ちが、経済だということを自分自身が気づけた、だからこそ大事にできたという喜び、そして、自信に変わるのです。そして、それはきっと左右社のモチベーション自体も変化させたはずです。だって、今までにない予約がきてるんです。何かが起こるかも知れないじゃないんです。
 もうすでに何かが起きているんです。
 これを僕は優しさだと思ってます。
 どんな些細なものに対しても優しく接する。
 つまり、愛情です。
 愛情が複数の経済の間の糊となって、つなぎとなって、立体的に組み合わせ、一つの生態系にまで立ち上げてくれるのです。


 面白かったらぜひお金の学校に入学してみよう笑。入学金は10万円。決して高い金額ではないはずだよ^ - ^。

https://sakaguchiya.theshop.jp/items/34296108






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