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継続するコツ 第7回 作るとは自分が得意な方法が何を知ること

 前回書こうとしてたら書きそびれて、脱線してしまったので、もう一回書くことにしましょう。継続していくと、こういうことが起きます。作るという行為は、何かの目的のために一目散にやっているわけじゃなくて、作っている最中の自分ってのはその都度変化しているわけです。こうやって書きながらも、毎秒変化している。頭の中にあるものは固まった何かではなく、ウニャウニャと動いてます。それを外に出すと、その都度変化する、それをまた外に出そうとすると、これまた変化する。そういうことの連続なんです。だから、外に出さないことには始まらないのですが、外に出した途端に始まるどころか、動き始めます。最初は、外に出すだけで力が入るので、例えば、執筆であれば、何かについて書こうと思って、ある程度、ゴールを設定して、そのゴールに向かって書こうとします。しかし、それだと固いんですね。今、継続するコツについて書いてますが、そうすると、もう継続する、というテーマ以外には書かない方がいいわけで、それ以外のことを閃いても、頭の中でカットして、外には出さずに継続について書こうとします。でも、それは、作る、行為とは真逆の動きなんですね。そうすると、すぐに書くネタがなくなったとか、そういうことになる。それで少しずつ慣れていくに従って、もちろん最初に書こうと思う動機になった、ここで言えば継続することについて書いていくのですが、今日も、昨日書きそびれた、継続するコツを書こうとしたのですが、もうすでに変わってしまっているわけです。僕は、今は、この変化することそのものについて書きたくなっているのです。これじゃ、いつまで経っても、人に伝えたいと思っていた「書こうとしているもの」が書けないじゃないか、脱線に次ぐ脱線で、なんの話かそもそもわからなくなっていくじゃないかと不安になったりします。でもいいんです。これで。だって、目的は人に何かを伝えることじゃないからです。そうじゃなくて、目的は、ただ書くことが楽しい、ってことです。これが僕の継続する原動力なんですが、とにかく書いていて楽しい、今も、この変化し続けながら外に出しながらまた変化していくことを書こうと思うとそれだけでワクワクします、これがもっと書きたいという力をどんどん生み出していきます。書くことについて考えると、言葉とは人に何かを伝達するためにあるのではありません。え、それおかしくない、と思われるかもしれませんが、僕の実感としてはそうです。言葉を伝達のために使うとおかしくなるんです。つまり、自分の中に浮かんでいる、形になっていないものを、全部削除することになるんです。そうすることで、伝えることはより容易になります。しかし、それは本当に伝わっているんでしょうか。単純なことはそうやることで簡単に伝わるかもしれません。しかし、それじゃ面白くないんですね。面白くないどころか、伝達は命令になっていきます。国家は、言葉をそのように命令する道具へと変換していきました。書くことの喜びなんか潰して、頭の中に去来していることも無視して、次の行動を命令するために言葉を使うんです。でも、書くことの本来の喜びは違います。書くことは伝えることじゃありません。伝わることを意図してやるのではなく、頭の中の形に永遠にならないグニャグニャしたものを瞬間的に一時的に出し続けることによって、頭の中を共有するというか、その中で遊ぶというのか、そうすることで、音楽を一緒に聞いているような、映画を一緒に見ているような、それなのに、一人でいることができるというのか、深くつながるという瞬間と孤独の瞬間が混ざっていく、どちらでもあるような心地よい感じが出せたら、僕が感じている流れみたいなものが人に伝わっていくんです。それが面白いんです。意味を伝達するために言葉を使わないってのが、僕が書くときにイメージしていることです。そうじゃないもの、言葉にすることができないものが伝わっていく感じ。そういうことが書くことで具体的に形に見えないのに表現することができるんです。そのこと自体に興奮していくというのか、そのこと自体が面白いんです。今、これが伝わっているのかわかりませんが、伝わらなくてもいいんです。流れが振動となって、読む人が感じてくれたらそれでいい。最初から言葉の意味を伝えようとしてません。むしろそれを避けている、ということでもあります。命令はしたくありませんから。笛を使って、人をコントロールするのとか嫌じゃないですか。それよりもサックスを吹きまくって、意味もないのに、聴いている人が自然と体を揺らす方が気持ちいいじゃないですか。あんな感じです。

 とまた、脱線してしまったのですが、また戻りましょう。こうすることで、延々と書くことができます。僕としてはドンストップミュージックみたいな感じで、とにかく書くことを読めたくないんですね、読むことを止めて欲しくない。だから、とにかくできるだけ長く、できるだけどこまでも書き続けるために、いくつもいくつも道を作ります。思いつきでいいんです。そうやっていくつも道ができると、読む人も、なんだなんだどこに向かっていくのかとワクワクしますし、書く方も道が定まっていませんので、なんか緊張しつつも、楽しくなってくるんですね、マンネリしない方法でもあります。そうすることで、継続したいという気持ちの螺旋を生み出すわけですが、ほんと、不思議なことに、この継続することについて書くと、なんで、こんなに、作ることの面白さについて、書こうとしてしまうのか、それが楽しいからやっているだけなので、なんでもいいんですが、何か尽きることのない、言葉にならない言葉の塊みたいなのが、頭の中にあることを感じて、うずうず嬉しくなります。


 自分が得意な方法が何かを知ること、それが作ることである、ということですが、本当にそうなのでしょうか、僕はそうだと思っているので、僕の行為を実例として考えてみることにしましょう。ようやく戻ってくると、ほっとする、みたいなこともあります。脱線も楽しいけど、戻ってくるのも安心します。

 

 【執筆】


 こうやって、見出しを作ると、書きやすいかもしれません。こうしないと脱線しまくるので、わざとやってみました。こうやって、少し自分を制御するのもそれはそれで楽しいんですね。そうすることで今日の分量が決まってきます。いつまでも脱線し続けると、それはそれで僕はむちゃくちゃ好きなんですが、それやりすぎると疲れて、継続できなくなります。ある程度で、今日の自分というものを切り分ける、みたいな作業も無駄ではないってことです。では行ってみましょう。


 執筆、つまり本を作るってことですが、別に本にならなくてもいい、と感じておくことが、まず、僕にとって得意な方法です。僕は、本を書こうと思って、つまり、そうなると、出版してくれる出版社を見つけるってことなんですが、そこが最初から見つかっていると、うまくいかないことが多いんです。編集者は有能な人たちばかりですが、しかし、編集者はできるだけ作品にしようとします、それもありがたいことなんですが、さっきから僕がずっと言っている、頭の中の形にならないもの、みたいなものはできるだけ排除しがちであることも事実です。そうすると、書くことがただの作業になってしまうんですね。そうすると楽しくない。楽しくないと、全然書きたくなくなります。これも当然です。もちろん、こういうことを書いてください、と言われた方が作業を進めやすいという人もいるとは思います。でも僕は違うんですね。もちろん、一冊の本は出来上がるかもしれない。しかし、それが僕の目的ではないんですね。と言いますか、僕には目的ってのがないんですね。作るという行為をできるだけ続けたい、ってことだけがあるんです。というか、それが目的ってことなのかもしれません。ただ継続したいんです。理由はもうお分かりですよね。それが僕の幸せだからです。毎日の時間を、24時間を、作ることが好きなんだから、作ることで、どんどん埋め尽くしたいんです。だから一冊の本を完成させることなんかもうどうでもいいんです。はっきり言えば。そこに固執してしまうと、どうしても完成品を作るってことに執着してしまって、書くことの楽しみが半減します。そうすると書かなくなるんですね。それじゃ僕は嫌なんです。だから、僕は本にならなくてもいいから楽しく書いたらいいよ、って自分に伝えているんです。それじゃ仕事にならないじゃないか、と人は思うかもしれません。しかし、僕は違うんですね。逆に考えるんです。自分がやりにくい方法でしか仕事にならないんだったら、そこからはさっさとおりて、自分のやりたいようにできて、なおかつ仕事になるように、新しく環境を設定し、作り上げたらいいだけなんです。人が継続できなく理由は、つまりこれです。既存の決まりに従って、自分がやりたいようにやると、必ず壁にぶつかり、その壁を乗り越えようと思って、自分がやりたい方法を少し変化させちゃうんですね。 そうすると、自分が完全に得意ではないが、それでもまあやれるかな、でもこうすることで仕事になる、つまり、お金になるから、というふうにやっていくと、必ずスランプが訪れます。で、最終的には作る手が止まって、やらなくなるんです。あの人は今、みたいな状態になるんです。

 それだと継続できないので、スランプになるので、そもそもいいパフォーマンスができないんですよね。そこで、完全に切り替えます。自分が得意な方法でやればいいんです。自分が得意な方法をまずは知ることです。そうすると、どんどん作ることが広がっていきます。僕にとっての得意な方法は、書きたいと思ったことをその日にただ書くこと、ズバリそれだけなんです。そのために、原稿依頼を待つということをすっぱりとやめました。それでも依頼はくることがあります。その時はどうするかというと、僕が得意な方法が何かをズバリ伝えるんです。つまり、依頼原稿は苦手なので、今、僕が書きたいと思うことでよければ、今からすぐに10枚は必ず書けますから、それを書いて、今から送ります。それを気に入ったのならば、掲載してください。気に入らなかったら没にしてください、と答えてます。こう伝えると、それでは困るという方からは、また次回にします、と断りの返事がきます。それでいいんです。でも、そういう人が少ないことも事実です。自分が得意な方法を伝えると、多くの人が、それでお願いします。締切日なんかいらないんですから、だって、僕は毎日書いてますから、今日依頼されて、今日書いた分を送るわけですから。しかも、そう伝えて、原稿を送って、没になったことが僕は一度もありません。僕は没になったことがないんです。理由は簡単です。自分が得意な方法でやってますから。いい感じなわけです。こういう経験を積むことで、社会状況とか、依頼された環境とかで、自分を変えるのではなく、自分が得意な状態を伝えることで、仕事自体の環境を変えることは、むちゃくちゃ簡単だとわかりました。ルールなんてものは実は脆いんです。わけもわからずに使っている場合の方が多いんです。通例、とか言いますけど、その通例に対して、真剣に考えて、これで間違いないと思っている人の方が少ないんです。それより、自分が得意なことを伝えて、そっちの方がうまくいくと感じたら、どんどん人は飲み込んでくれます。自分を変えると、病気になります。そうじゃなくて、相手も変えるのではなくて、僕と相手の環境だけをさっさと自分の都合のいいように変えちゃうんです。それで納得した人とだけ仕事をすればいいんです。人間なんてそんなもんです。それでも十分稼げます。だって、得意なことを存分に発揮できるんですから。

 これは対外的な仕事を継続していくコツです。

 でも書くということに関しては、仕事として依頼されることはサブ的な役割です。サブはサブで大事ですが、僕にとって一番肝心なのは、その日に書きたいと思っていることをその日に書くことです。自分が一番得意な方法としては、これは幼少期からですが、まず朝早く起きて書くことです。今日は3時に目が覚めました。二度寝せずにそのまま書斎に行き、とりあえず今日分を書き終えると1日が気持ちよく過ごせます。僕は夜はほとんどやることがありませんから、今日の夜、足りない分は早く寝ればいいだけなんです。だから朝早く起きれたらラッキーと思って、すぐに書き始めます。朝一番にやることは依頼された仕事ではありません。依頼された仕事は朝一番にやってはいけないことにしてます。朝一番が一番パフォーマンスがいいので、その時間はとにかく、真空状態にある、ただひたすら書きたいと思っていることを書く、という行為に集中させてます。今は、継続するコツ、って話を書きたくてたまらないので、今これを書いているわけです。これは仕事ではありません。今のところは。まだ出版することは決まってません。ただ書きたいから書いているだけです。

 僕が得意なのはこれです。何か形になると思って作り始めるとどうしてもその形のことが頭に浮かんでしまって、縮こまってしまうんです。のびのび書くのが一番楽しいし、一番自由な原稿になります。一番自由に書けた文章が一番嬉しい作品です。そういう作品こそが、次に繋がります。最高傑作になる可能性を秘めてます。ならなくてもいいんですが、だって、また書き終わったら、次の新作を書き始めるからです。僕は、一度書いた文章はほとんど書き直しません。これが僕の今の時点の実力だからです。それをああでもないこうでもないと修繕していくことをしないんですね。これも僕の得意な方法です。村上春樹先生なんて、一年も二年も作品を推敲し続けるらしいです。僕がそんなことをやったらすぐに病気になるでしょう。風通しが悪すぎて。人それぞれってことです。僕はあんまり恥ずかしいと思わない性格なので、自分の今の実力をただ知りたいだけなので、一度書いた文章はそれが自分だと思って、その日に人に公開することができます。人はついつい、いいものを作ろうと思って、手直しをします。僕は逆です。手直しをしません。下手なら下手でいいんです。馬鹿にされてもいいんです。それよりも、のびのび生きてくことが重要なんです。いい作品を作れなくてもいいんです。最終的に90歳頃にいい作品なのかもしれないと感じれたらいいんです。それは最後でいいんです。それよりも毎日作品を新しく作れているっていう事実の方が心地よいんです。だから溜め込みません。書いたらすぐに発表します。出版社から本を出す方が遅いと思っているくらいです。ネットで即日公開した方が楽しいです。だからこの文章も朝書いて、書き終わった瞬間にnoteで発表しているんです。多くの作家はそれだとお金にならないし、ちゃんとした作品にならないと思っているでしょうから、そんなことはしません。書き上げた原稿は大事なわけです。それも理解はできます。ですが、僕の場合はとにかく流れを堰き止めないってことに集中してます。そうすればするほど大量の原稿を書くことができます。そこまで止まらずに作り続ける人は絶対に仕事が無くなりません。これも僕が経験で得た事実です。作家として生きていくためにはどうすればいいかは簡単です。明日、新作が書けているかどうか、それだけです。新作を書けば続くわけです。僕は一つの作品を完璧に仕上げても完璧にはならないと感じることが多いし、作り上げても少しも幸せになれませんでしたから、今こうやっているのです。新作を書いているとき、それが僕の幸せです。書き上げた作品が売れても楽しいと感じるのは数日です。新作を書き上げていないと、気持ちよくありません。ということで、僕は作品を完成品としてパッケージするよりも、とにかく明日どんなものを書くかにだけ集中してます。だから毎日朝早く起きて、その力を全て原稿にぶつけているわけです。この時間さえしっかり取れていれば、僕は幸せなんです。幸せを感じている時の力はとんでもないです。恋もしてないのに、恋の力を上回る力を出せるんですから。継続は恋にも勝ります。本能的な力に勝るってことです。継続は本能を超えるんです。これはとんでもないことです。本の出版計画なんか打ち合わせしている時間があったら、新作を書きたいんです。書き上げてからでいいんです。打ち合わせは。というわけで、僕は何よりもまずは毎日新作を書く、そして、とりあえず自分一人で勝手に書き上げる、その後に、出版するかどうかどこで出版するかとかを決めてます。で、決まったら、あとは基本的に丸投げです。その編集者の好きにやってくれとお願いします。そこに力をかける暇がないからです。新作をただ書きたいだけなので。このペースで仕事をしていると、ほんとに年間10冊くらいの新作を書くことができます。そこまで新作を書き続ける作家は仕事がなくなることはないです。でも仕事にならなくてもいいんです。そうやって、仕事の本能すら超えていくんです。これが継続の恐るべき力です。富も名声も地位も欲望も何もかも超えていくんです。麻薬よりも効果抜群です。現実を軽く飛び越えていくます。そこが僕にとっての真の幸せの世界です。


【絵】


 継続している創作は、書くことだけじゃありません。僕は絵も描き続けてます。絵も僕が幸せであり続けるために大事な日課です。では絵については、僕はどうやって自分の得意な方法を見つけたのか、それについて書いてみましょう。絵は描くだけでなく、こうやって、絵について書くこともできます。これもまた継続がリンクする面白いところです。永遠にこのリンクは止まりません。

 絵は僕は20歳頃からそれなりに継続的に描いてきましたが、なかなかこれと自分でやり方が定まることはありませんでした。でもその都度、なんとなく作品を残してきました。絵をもっと継続していきたい。ずっとそう思ってましたが、なかなか難しかった。文章を書くことよりも仕事にするのが難しかったというのもあります。絵を売るなんて、僕は専門的に学んだわけでもないのに難しいですよね。文章も結局はそうですが、僕は誰からも自分が作ることに関しては習ったことがありません。これもまた僕の得意な方法です。僕は人から習うことがとにかく苦手なんです。すぐその人に合わせちゃうからだと思います。気を使ってしまうんですね。一人でやると、どんどん好きにやれます。でも人が関わると、その人が求めているようなことをついやってしまうんです。持ち前のサービス精神で。そんなわけで、僕はどんなことでも習わずに自分で考えてやれることだけをやっていくと決めてます。

 継続的に絵を描く方法を見つけたのは、昨日お伝えした、タガミさんと出会ってからです。タガミさんはバラバラのサイズの紙に絵を描いていたのですが、それをいつも同じサイズのA1くらいの白い紙に貼っていたんですね。そうすることで、作品としては同じサイズになるわけです。なるほどと思いました。同じサイズの紙に描けばいいんだと。それだと僕もやりやすそうな気がしたんです。紙を一律に整える。これがまず決めたことでした。紙がなくなると、落ち着かなくなるし、継続できなく気がしたので、僕の家から一番近い画材屋、文林堂という江戸時代からやっている老舗があるのですが、ここにある紙で、A1サイズの水彩紙があるんですね。これが質が良くて、一枚150円とリーズナブルでしたので、毎回100枚の業務用のセット売りがあるのですが、それを買うことにしました。文章であれば、パソコンの電源を入れたら、すぐに書き始められるのですが、絵だとパレットとか絵の具とか準備しなくちゃいけなくて、それが面倒臭いと継続できないんですね。筆を洗うのも面倒だし。そういうことで、僕は筆は大きめの平筆を一本、ラファエルという高いメーカーの質が良いものがあるのですが、それを一本だけ使って描くことにしました。あとは全部手で描いてます。そうすると、めんどくさくない。パレットは使わずに紙の上に直接絵の具を垂らして、そのまま描いてます。そうやって、描く紙を設定して、筆を設定して、絵の具の使い方を決めました。それで毎日、好きなだけ描いてみたら、6枚くらい描けたので、一日最低でも半分の3枚は描こうと決めました。これはもちろん誰からも依頼はされませんでしたが、タガミさんを見てたら、そんなこと関係ないなと思うわけです。まずは500枚くらい描いてみて、そこから考えようと思いました。テーマもない、描きたい題材もない状態でスタートしました。抽象的でもなんでも良いから言葉を書いていることとは違うことをしようと思ったわけです。楽しかったのかと言えば、楽しいことは楽しいが、芯を当てている感じはしませんでした。でも、なんとなく続けることはできたので、なんとなく続けてました。毎日3枚でやってましたが、毎日とは行かなかったようです。それでも4、5年で1000枚は描きました。1年経ったら、絵が売れました。A1サイズで値段も一律8万円と設定して売ることにしました。僕は最初に値段を設定し、あとで値段をあげることはしない、と決めました。そうすることができたのは、ギャラリーとかに所属しなかったからです。絵を売るためには、ギャラリーみたいなところに所属する必要があるのですが、それだと値段をギャラリーが決めるんですね。そうすることで、僕が人からコントロールされる可能性があります。そうなると、売るために描くみたいになっちゃって、もちろんギャラリーに所属することで、宣伝とかもしれもらえるので、ありがたいんでしょうが、僕はとにかく人からコントロールされるのが嫌いです。好きな人もいるかもしれませんが、ただ好きに描き続けていたいだけなんです。というわけで一人でやっていくために、値段も自分で決めちゃいました。展示する場所は、二箇所見つかりました。どちらも僕の友達がやっているギャラリーです。そこで場所借りみたいな感じで売らせてもらったんです。

 でもまだ自分が描きたいものがなんなのかはわかりませんでした。文章も絵もそうですが、文章だと書き始めたのが2007年からですが、自分が書きたいと思えたものが書けたのは、2012年の「独立国家のつくりかた」で、本当に書きたいと思えたのは、2016年の「現実宿り」という小説ですから、5年、10年とそれぞれかかっています。書くことは元々お喋りが好きだったからか、あれは僕の中で書いていたんだなと思ってます、だからすぐに継続することができるようになったのですが、書いているだけで楽しかったですから、しかし、絵を継続するのは結構難しかったかもしれません。理由は、文章ってのは、良い悪いとか判断する前に書くことが好きだったから、何にも考えてなかったんですが、絵だとついついうまく描かなくちゃとか、今日描いた絵が良い絵なのか悪い絵なのかって、吟味しちゃってたんですね。だから根っから描くことが好きなだけで描いているだけで幸せって感じじゃなかったんだと思います。だから、悩むときは結構悩んでました。それでも僕の場合、悩んでも解決できない、手を動かさないと解決しない、ので、というか、悩むという行為は存在しない、悩むとは手を動かすことである、と感じていたので、つまり、悩むという行動は何もしない状態なので、執筆ならば、書くことで悩む、絵ならば描くことで悩むようにしたんですね。僕は考えすぎの人間でもあるので、手を止めて、ああでもないこうでもないとやっていくと際限がないんです。死にたいというところにまで行っちゃう。そこまで行っちゃうと手がさらに止まるんです。そこで、悩みそうになったら、あ、手を動かす時だ、手を動かせってことなんだと思って、動かしながら悩むようになりました。結局、継続できないって悩んでいる時って、手が止まっているわけですよね。なかなか習慣にできないとか言っている人に聞いてみますと、全員手が止まっているわけです。当たり前なんですけど。手を動かしながら悩むってことに決めてやっていくと、継続は継続します。悩みというものは一時的なもので忘れるとなんで悩んでいたのかすら思い出すことはできませんが、作品を作りながら悩むと悩みは消えても作品は残ります。当たり前のことしか言ってないですけど、そうやると、作品は進んでいくんです。それでも継続的に描き始めた絵は2015年から2020年まで、自分が良いなと思える絵は数枚で、そんな感じですから、毎日描く前に、緊張するみたいなこともありました。

 でも5年経過した時に、僕はパステル画を見つけたんです。

 どうやって見つけたかというと、まず畑を始めたんですね。畑ですから、継続的に畑に行かないといけないんです。毎日夕方が暇でしたから、夕方に畑にいくという日課が見つかった時は嬉しかったです。毎日やることが見つかると嬉しいですよね。それで毎日、これまで行ったことのない道を車で走るようになったんですが、これも風景を見ることを継続する、ってことだなあと思ったんです。それで毎日同じ道走ってますけど、畑と季節は連動してますから、毎日風景が実は少しずつ変わっていることに気づいたんですね。これも当たり前なんですけど。それでまずは写真を撮るようになった。それでも抽象画みたいなのは描き続けていたんですけど、そこで、毎日、風景ってよりも光とか空気とかを継続的に見ているってことに気づいてきて、それを現したいと思うようになったんですね。生まれて初めて、描いてみたい、と思うことが姿を現したんです。この時はむちゃくちゃ嬉しかったです。それまで描くという行為は楽しかったんですが、何を描くかってことにまで精神が向かってなかったんですね、それでも十分楽しかったんですが、描きたいものが見つかった時の楽しさの広がりはびっくりしました。こうなると、絵を描くことも文章を書くことと同じくらい死ぬまで継続できるものになると思えるんですね。そうすると継続の気持ちもグングン上向きになります。毎日一枚必ず描くという毎日を2020年5月からずっと続けてきてます。もうすぐで丸二年です。まだまだ2年とも思いますが、描きたいものが見つかってからの2年の充実っぷりといったらないです。

 絵も依頼では描きません。ですが、絵はストックが何百枚もありますから、何か頼まれた時はその中から選んでもらってます。さらにパステル画の継続がかなり強いものになってきたあと、油絵もはじめてみました。こちらもまだ描くことが楽しいだけですから、毎日描くというところまでは行ってませんが、描きたい題材と描き方をパステルで掴んでいるので、描きたい感触はもう感じているような気がします。絵で心がけているのは、変に新しさを取り入れようなんか思わずに、と思っても、一応、流行みたいなものも頭に入るので難しいのですが、できるだけ素直に描くってことです。そして、ネットで毎日発表するだけ。あとはギャラリーには所属してないですけど、自分で美術館を作っちゃいました。自分でギャラリーを作ったってことですね。僕の場合、いつもこの方法をとります。僕は会社で働くのが苦手なので、会社を作って、自分が社長になって、自分が作ったものを管理してます。この延長で、絵を売る部署も自分で作ったわけです。こうすると、流行に関係なく、美術界にも関係なく、自分のペースで絵を販売することができます。値段もいつも先に自分で決めて、それを死ぬまで変更せずにやっていこうと思ってます。こうすると、世界の経済の動きで変動することがないんですね。僕は自分が変化しまくるので、変動しまくるので、とにかく周りの環境に左右されないように、自分で環境というのか、世界というのか、そういう場所を作って、そこで適当に遊ばせてます。ま、おかげで美術界では何ひとつ評価されていませんが、それでも僕は健やかに毎日作り続けることができるわけです。自分で値段を決めてますから、自分が欲しい金額は仕事として稼ぐこともできてます。それで良いんです。僕の場合は、傑作は人に任せて、一流も人に任せて、僕はただひたすら周りに評価を求めずに、自分でいかに評価し、楽しく死ぬまで継続するかってことだけに力を注いでます。もちろん、そうすることで、緊張感とか人と競争することで、伸びる部分もあると思うので、そこは全く伸びないんですよ、でも、それで良いんだと思ってやってます。でも一人で全部やるのが素晴らしいと思っているわけではありません。競争の世界を端っこから眺めるのは大好きですし、美術界で必死に頑張っている芸術家たちの姿も尊敬してます。興味がないわけではないんです。逆にむちゃくちゃ興味があるし、よく調べてます。ただ、そこと自分を比べるということを一切してないんですね。僕はそういうことが苦手だからです。反面、僕は自分で設定した環境の中で、思うように生きることはむちゃくちゃ得意です。知り合いとかでも、一枚の絵が何千万円という値段で取引されていたりするんですね、それを見てすごいなーって思います。でも僕はそこには関わろうとは思わないんです。とにかく苦手ですから、人に左右されるのが。僕の人生は一点突破じゃないんですね。いろんなことをしながら生きていくんです。本も作るし、絵も作る、音楽も作るし、いのっちの電話も出る。そうやって組み合わしていくことで、継続はどんどん他の継続とリンクしていくんですが、そうすることで、糸を織り込むことでむちゃくちゃ強くなるみたいな感じで、揺るがないものになるんじゃないかとは思ってます。今は一つのことで一点突破することでしか評価されない世界なので、静かに黙って過ごすんです。でも、本来は違うと思ってます。本来は人はあらゆる物事に手を出しているはずだし、興味を持って生きてきたはずです。そのことの意味をずっと考えてます。


 こういう感じで、僕は作っているもの一つ一つにそれぞれどんな環境が一番自分に合っているのか、どういうことが得意なのかってことを結構細かく考えてます。そして、得意なことだけ実践してます。やってみてわかるのは、得意なことですから、大抵うまくいくということです。苦手なことは本当にうまくいきません。どんどん人に任せてます。人に任せるときはできるだけお金を払って仕事にしてます。僕は原稿を全て橙書店の久子ちゃんに読んでもらうのですが、継続にはこのように継続的に付き合ってくれる親友が本当に重要です、いつもお願いするときは、お金を支払ってます。ちゃんと自分で仕事ということにしていくってことです。そうすることで、周りに流されないいい緊張感を生み出すことができるし、なんにせよ、人が関わってくれることは幸せですし、楽しいです。そして、理解者は分野別に一人で充分であるというのが経験でわかったことです。たくさんの理解者は足枷になります。今、注目されて仕事になったりお金になったりすることが目的ではないからです。そんなものに振り回されていると、継続はできません。一時的にぶち当たっても、人生は続くんです。のびのびし続けるためには、生き生きとし続けるためには、できるだけ少ない理解者と、一人で十分なのですが、その人と二人三脚しながら、静かに黙って、作ることを継続していくんです。そのための環境を、世界を一つ自分のために作るくらいのつもりで、真剣に作り出す。作品を作るってことに真剣になりすぎると固くなりますので、適当にしておきましょう。その代わり、自分が得意なことを得意なままに表現し続ける環境作りに関しては、職人の精神で、まじで真剣に取り組むのがいいと思います。そうすることで、力を抜いて、作り続けることができます。自分の人生は作ることだ、だから命をかけて作り続ける、みたいに力を入れていると、すぐに折れちゃいますから、自分がやることなんかたいしたことないという心持ちは結構重要だと思います。人から見たらたいしたことなくても良いんです。たいしたことはないけれど、なぜかその行為を継続することが自分にとっての揺るぎない幸せにつながっている、この確信が、人を生かします。生きててなんだかポカポカするなあって朗らかな気持ちは、このような瞬間に訪れるのではないでしょうか。僕には訪れてます。同時に、いつか、多くの人々に伝わって欲しいなあっていう軽い願望も持ってます。でも、それは時間をかけていこうと思えるのです。継続が5年を超え、10年を超えてくると、もうすでに幸せタイムには入っているので、長い目で見ることができるようになってきます。そうなってくれたら嬉しいけど、そうならなくても十分幸せだから問題なし。このようなポカポカな気持ちに入ってくると、もう人生何が起きても怖くなくなります。怖くなくなると、さらに挑戦ができますし、継続はより強くなっていきます。こういう時には必ずチャンスがやってくることも経験を積んでいくとわかるようになるでしょう。余裕のあるところにしか楽しい気持ちは舞い込んでこないのであります。大事なことは周囲に一切の期待をしない。自分には期待をしない。期待はせずに、明日また継続するです。そうすると、期待というものが、継続していないのにただ望んでいるだけの、幸せとは結びつかないものだとわかってくるはずです。継続していると、期待はしなくなります。でも、自分の行為の延長線上がはっきりと見えてくるんです。だから、その後に起こることが少し予測できるようになります。しかも、人間の経験を通じた予測はいつも思ったよりも、良い結果に繋がります。


 自分が得意なことが何かを知ると、作ることの速度と強度がどんどん増していきます。

 とにかくあらゆる局面で、自分はどうすれば良いのかとか焦るのではなく、自分はどうするのが得意なのか、ってことを正直に考えて、素直に人に伝え、自分自身で整えていくと、驚くように作ることが楽になります。楽になると、作る量が増えます。作る量が増えると、継続する喜びが体を伝って感じられるようになります。そういう力を手にすると、何か失敗するとかありえるでしょうか。何事も失敗だと思わず経験だと余裕で口にできる気持ちの余裕で溢れかえっていくはずです。

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