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生きのびるための事務 第10講 売人のように生きろ

 第10講 売人のように生きろ

「ホウハンルウに電話してみたよ」
「なんて言ってました?」
「ホウ、えらく興奮してくれて、お前まじやりやがったなと喜んでくれて、さくっと、パリにいるからパリにいますぐこいって言われた」
「いいですね。行きましょう」
「金ないじゃん」
「手元に10万円あるじゃないですか」
「そうだけど、これ自分の会社のための・・・」
「会社設立のためのお金なら私が立て替えておきますから大丈夫ですよ」
「え、そうなの?」
「会社設立のための金なんかどうでもいいじゃないですか」
「あ、そっか」
「今、ホウハンルウがパリに来いって呼んでて、それで行ったらやばいじゃないですか」
「そりゃそうだ」
「行きたいでしょ」
「うん行きたい」
「やりたいことを最優先、即決で実行するための事務があるんですから」
「そうだよね、それ知らんかったよほんと。事務っていうとさ、家計簿つけて、毎月いくら必要で、いくら稼いで、領収書と請求書書いてとか、そんなん思ってた」
「うわ、ダサ・・・」
「いや、そんなん言うなよジム、、、」
「まじそれやばいっすよ、一番ダサいやつっすよ。それで、なんか芸術家ぶって、宵越しの金は持たないとか言って、金がなくなったら、凹むんでしょ」
「ダメ押すなって、なんだよ、突然・・・ジム時々怖いよ」
「で、パリ行くんすか?」
「行くしかないやろ」
「行きたいんでしょ?」
「あ、そうやった、行きたいんだ俺」
「そうです。一番やりたいことを一瞬で即決してやるために私がいるんですから」
「チケット買いに行こう」
「はい、私の中国人の友人が格安航空券を大久保駅の近くで売ってますから、今すぐそこに行きましょう」
「話が早いなあ」
「で、フランクフルトのブックフェアにも行きたいですから、成田〜パリのチケット買って、そこからは電車で動きましょう」
「いくらくらいかな」
「飛行機がリンってやつのところで買うと、8万円でお釣りがくるくらいです。パリからフランクフルトが往復で1万円ちょい」
「じゃあと、1万円しか残ってないやん。どうするのよ」
「あなたはギターを持っていけば、路上で一万円稼げるんでしょ?」
「渋谷ならなんとかなる」
「それをパリでやりなさい」
「まじで?」
「それで生活費を稼ぎなさい。パリに知り合いいます?」
「ストラスブルグサンドニに留学してる友達が住んでる。でも女の子だよ」
「そこに上がり込みましょう」
「じゃあパリでそれでオッケーです。海外旅行なんて一人で何も目的もなくするもんじゃありません」
「ま、それは俺も興味ない。高円寺周辺で遊んでる方が楽しいもん」
「目的がない限り旅行なんかしても、ただの旅行者でしかありませんから、意味ありません」
「そうそう。それは一緒だね。ホウハンルウはキチガイ中国人だから、きっと洒落たところ、人間知ってるはず」
「その人間たちのデータをしっかりいただいてくるんですよ」
「わかったよ」
「なんか面白そうですね」
「そうだね」
「私も行きたくなりました」
「お前もくるんかい」
「はい、一緒に行きましょうよ」
「パリに友達いるの?」
「いませんけど、すぐ誰とでも友達になれますから、使えると思いますよ」
「そりゃそうだろうねえ、一流のヒモだもんね、あなた・・・」
「じゃあ、パリのチケットは私が買ってきます。あなたはフランクフルトのブックフェアに参加するために動いてください」
「どうやるの?」
「日本からも見本市に出品している人がいるはずなんです。最近、日本の漫画とか売れてるから」
「なるほど。でもリトルモアはブース出してないみたいだよ。でもリトルモアの本は海外で人気らしい」
「どうやって、流通していってるのかをリトルモアに聞いてみてください」
「そうだね。電話してみよう」
 僕はリトルモアの営業部に電話をしてみました。初めて本を出すやつのくせに海外で本を売ろうとしていることを少し笑われましたが、仕方ありません。ジムがやる気満々なので。僕は営業部の人にむしろ共感し、別に1冊目から海外で売らなくてもいいのではと思ったのですが、ジムが言うので、教えてくれと言うしかありませんでした。
「どうでした?」
「ちょっと笑われたけど、優しく教えてくれたよ。どうやら、リトルモアから積極的に売り込みをしているわけではなさそう」
「ふーん、じゃあどうやって流れていったんですかね」
「オランダに本社があるIDEA BOOKSという会社があって」
「また会社ですね。いいですね会社ってやっぱり」
「営業部の人もよくはわかってないみたいなんだけど、そこが洒落てるっぽいんだよね。世界中の本を世界中に流通させるディストリビューターという会社らしい」
「つまりそこも事務の会社ですね」
「だね、なんかいい感じなんだと思う。取り扱ってるラインナップ見てたら、どれも欲しくなった」
「いいですね。物事がうまくいく時は?」
「うまく行くことだけやるとうまく行くんだよね」
「つまり、その会社が洒落てるんですね。目利きってやつですよ」
「ほう」
「ぜひ会って話したいところですね。直接、彼らとフランクフルトで交渉しましょう」
「アポもせずに?」
「どうせブースはないんですから、普通に入場料を払って、中に入りましょう」
「あ、それでいいのか」
「その自家製本を持っていけばなんとかなると思いますよ」
「確かに。この本はその力あると思う。可愛いもんこの自家製本」
「ブックフェアなんか、印刷された本しか並んでませんからね」
「そりゃそうだ。自家製本なんか持っているやついないだろうね」
「もしかしたら目玉になるかもしれませんよ。フォーマルな場所ではアンフォーマルなことを求める酔狂な人間が多いんです」
「なるほど」
「もしも恭平が、IDEA BOOKSの腕利きディトリビューターとして年収1500万円くらいで働いているとイメージしてみてください」
「いいね、世界中を飛行機で飛び回り、洒落てる本を探し求めてる日本人の男。英語がしゃべれないのに、目利きがいい感じだから、給料もたくさんもらって、日本語で打ち合わせしてるかんじだね。みんなに愛されてそう」
「いいですね、イメージ豊かです。そのあなたが、浮浪者みたいな格好したやつがブックフェアにきて、自家製本持ってたら、見ます?」
「もちろん。みんな金にしたくて、綺麗な印刷された本のことなんかよくわかってないビジネスマンばかりだから退屈してきたところに、そんなやつを見たら、俺から行くね。見せろって」
「ほら、なんかいけそうなじゃないですか?」
「確かに」
「物事が進むときは必ず関節がうまく動いている時です」
「ほう」
「美術で言うと、あなたの場合はホウハンルウです。ホウが関節です。関節がダサいとどうですか?」
「やばいね、それは最悪のアートフェアになるよ」
「ですです。でもヨーロッパは日本と違って、間違いは犯しません。天下りのしょうもない奴が芸術祭のディレクターになるなんてことはあり得ないのです」
「そういうところは抜け目ないだろうね」
「洒落てないと、稼げないからね」
「本来の経済はそうですよね。日本だと洒落てなくてもCM打てば売れちゃうから、買う人がおかしいんだと思います」
「ジム、言うねえ」
「ブックフェアではIDEABOOKSの目に留まるようにやるってことが見えましたね」
「だね、できるだけ、俺も適当な浮浪者風の感じで、行くから、アポもなしで」
「基本アポなんていらないですよ」
「そうなの?」
「アポが必要な人は、労働として、その仕事をやっている人たちです」
「やりたくもない人たちってことね」
「そうです。やりたいことをやってる人たちの間ではアポが不要です。時間ってのはそんなふうには動いてないですから本来」
「出会った時が話す時だもんね」
「そうです。でもその瞬間が起きるのは、あなたが本当にやるべきこと、やりたいこと、一生続けていきたいこと、楽しいこと、嬉しいこと、喜びをもってやり続けている時だけで」
「だね」
「その精神でパリとフランクフルトに向かえば、きっと、くだらない海外旅行をしている人間には見えない世界の時空が姿を表すはずです」
「そりゃそうだろうね。ジムの事務は本当によくわかるし、何よりもめんどくさくないよ」
「めんどくさいことでうまくいくことは一度もありません」
「やりたくないことをやっているやつらだけでやりたくもない労働をしているからこそ必要なめんどくさい作業なんだろうね。できるだけ時間を延ばす、という」
「そうですね。うまくいく時は全部話が早いです。早くない話は乗らない方が得策です」
「だね、それもなんとなくわかるよ」
「ですね。じゃあ明日空港に向かいましょう。リンがキャンセルされたチケットを売る専門のやつで、即日でパリに格安チケットと同額で行けるってのが彼の会社の強みです」
「リンもリンでおもろい商売してるね」
「そうです。私たちは、ドラッグは売ってませんが、売人の精神で生きてますから」
「名刺も何もない世界」
「そうです。直感だけの世界」
「最高の世界じゃんそれ」
「そうですよ。子供の世界。赤ん坊の世界」
「よだれが出るね」
「でしょ」
「それやって、お前らが飯食えてるのが、ほんと俺を励ましてくれるよ」
「そうじゃないと、まずい飯しか食えませんよ」
「そうだね。売人のように生きろってことか」
「ドラッグの売人ほど事務的なやつもいませんよ」
「それもなるほど頷けるわ」
 ということで、僕とジムはヒッチハイクで成田空港に向かいました。お金はほとんどありませんので、できるだけ経費がかからないように、しかも稼げるようにギターも持っていくことにしました。でもジムはリンの計らいでエールフランスのビジネスクラスに乗ってました。僕はエコノミーでした。そして僕とジムはシャルルドゴール空港に着いたのです。
 ジムは一人の黒人に何やら話をしてます。
「恭平、今からキセルをしますから、このトミーという黒人の後ろにくっついてください」
「は?」
「我々はお金がないんですよ。トミーを神様だと思って、着いていってください」
 改札を乗り越えるトミー、僕も同じようにしましたが、足を引っ掛けてこけてしまって、フランス人たちに大笑いされました。でも誰もキセルを咎めもしませんでした。
 そして地下鉄に乗りました。
「トミー、メルシーボークー」
「イリヤパドゥクワ」
 トミーはそういうと口に咥えたハッパをジムに渡しました。
「パリ、久しぶりにきました〜。楽しいですね。さて、恭平どこへ?」
「まずは、ホウハンルウの根城らしい11区のベルヴィルへ。そこにシャルボンカフェというアールヌーボーの時代のそのまんまの建物を生かしたカフェがあるらしい。そこのカウンターでホウハンルウを呼べば、ギャルソンが電話で呼び出してくれるんだってさ」
「なかなか洒落てますね。さて、向かいましょう」
 僕は手に自家製本を、肩からギターを下げてます。僕もジムも面倒だからと着替えも持ってきてません。
 でも楽しくなるなこの旅は、と思いました。楽しい時は、楽しいやつらとしか顔を合わせません。初めて対面した奴がトミーで、僕らはこれからの幸運を確信しました。
 二人とも煙を吸い込むと、息とめたまま、強く抱きしめ合いました。

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