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生きのびるための事務 第7講 事務はあなたのわからなさを守る

 第7講 

 玄関が開くと、ジムが現れた。
「あれ、もういなくなったのかと思っちゃったよ」
「昨日は友達の家に行ってました」
「へえ、その人の事務も担当してるの?」
「まあ、そんな感じですかね」
「わ、でも戻ってきてくれてよかったわあ」
「そうなんですか? 俺がいて大変だなんだ言ってたじゃないですか」
「そう思ってたけど、ジムがいなくなると急に寂しくなっちゃったよ」
「でも私はいつ追い出されてもいいように、いくつか住む場所はあるので、大丈夫ですよ。本当に気に入らなかったら、出て行けって言ってください。いつでも笑顔で出ていきます」
「そのへんの事務も徹底してるよね。それで、ジムがいなかった昨日、こりゃまずいと思って、自分で色々動いてみたんだよ」
「いいですね。実践すると事務がむくむく動き始めますから。いい流れですよ」
「それがさ、朝5時に起きて、そのまま執筆ができたんだよ。初めて!」
「設定したんですから。もちろん書けますよ」
「あれ? 驚いてくれないの?」
「何事もそうですよ。できないできないって言ってるのは、別に技術的にできないわけじゃなくて、事務的にできていないだけなんですよ。つまり、設定できていないだけ。不思議なもんです。いつか本を書こうと思っていても、書けませんが、明日から毎日朝5時に起きて、一日10枚書くと決めたら、できるようになるんです。どんな能力がない人間でも」
「なんだよ、興醒めするなあ。俺はつい自分が書くための人間として生まれてきてたんだあって思っちゃったよ」
「あんまり自分のことをそんなふうに思わない方がいいですよ。私にはあなたが一生書いていく作家だとは思えません」
「そんなふうに言わないでよ」
「自分は褒めるな、自分の事務を徹底して褒めろ」
「時々、格言が飛んでくるよね、何それ」
「自分自身なんかどうでもいいってことです」
「また〜」
「あなたは昨日、自分は天性の作家だと思った。しかし、今日、私は醒めた目で、そんなことないと言うわけです。しかも、あなたは私を信頼してくれているからこそでしょうが、私の発言を聞いて、ちょっと怯んだり、落ち込んだりしてます。このように、評価ってのは人によってもその日によっても違ってくるんです。その都度、評価に合わせて気分が変わっていては、継続して物事を進めていくことができません」
「ということは、さっき言ったことは嘘なの?」
「そうやって、言われたことをいつまでもぐじぐじ考えてしまうでしょ。私は嘘は言いませんよ。全部本当の言葉です」
「えー」
「それでまた落ち込んでいくんです。自分自身のことなんか考えていたら、そのうち筆を折ってしまうのでやめておきましょう。ダメな時もそうですが、褒める時も同じです。褒める時も自分の事務を褒めるんです。夜9時に寝て、朝5時に起きて、そのまま執筆をはじめて10枚書き上げる。そうやって、恭平が自分で決めたから、書けたんです。それはあなたの能力の問題ではありません。あなたの事務能力が正確にあなたの体に合っていたということです」
「今日ももう10枚書いたよ」
「素晴らしいと思いますよ。自分の方法を見つけたのかもしれません」
「あ、そこは褒めてくれるのね」
「はい、私は事務しか見てませんから。それぞれの人の行動の中身はそれを見る人で評価は変わります」
「でも事務は違うってことね」
「はい、私が『夜9時になんか寝て、もっと人生を謳歌したらどうなんですか? つまらない人間に見えますよ』と言ったらどうですか?」
「え? ああ、まあ、そうですか、つまらない人間でもいいですよ、僕は明日また朝5時に起きて、執筆がしたいので、と答えるね」
「落ち込みます?」
「いや、全然、むしろ、なんか清々しい」
「なぜかわかります?」
「なぜかって? なんでだ? なんで自分が作ったものとかをけなされたり褒められたりすると気分が変化するのに、事務に関しては、外から何言われても揺るがないのかって? わからないかも」
「そうです」
「え? 俺はわからないんだよ」
「そうです。答えは『わからない』からですよ。正解です。あなたは自分が作ったもの、自分が作家になる才能があるかどうか、わからないんです」
「確かにわからない」
「でも私にも本当はわからないんです」
「それもわかるんだけど、自分がわからないもんだから、つい人の意見に引っ張られてしまう」
「だからこそ、自分の仕事の内容を人に評価させるのはかなり慎重にならないといけません」
「それはそうだね、理解できるよ」
「事務はなんのためにあるかというと、わからないものを明らかにするためではないんです」
「そうだね、いかに朝5時から毎日10枚書き続けても、その中身には一切関わりがない」
「関わりがない、というよりも、わからないものを守ってくれてると私は思ってます」
「守る?」
「人はわからないってことにすぐ恐怖心を感じてしまいます。それはこれまでも何度かお伝えしてますが、恐怖心とは知らないってことなだけです。だからすぐに知りたい。恐怖心を消したくなる。でも自分の仕事の中身なんて、本当に誰にもわからないはずです。それは時間が経過しないとわからない。だから、そこまで継続していく必要があります。人にちょっと言われたからといってすぐ落ち込んでやめたりしても何も物事は進みません」
「わからないものを明らかにするのではなく、わからないものをわからないままに守るために事務がある?」
「そうです。そうすることで、初心を保ったまま、しかも延々と仕事を継続させることができるわけです」
「一文一文に一喜一憂するのではなく、毎日10枚を延々と継続させることに集中するってことね」
「事務のおかげで仕事の効率が上がり、どんな分量の仕事でも完遂させることができるはずです。でも一番大事なことは、このわからないままの状態を守るってことです。逆に考えることもできます。あなたが朝5時に毎日10枚書くことができているのだったら、つまり事務に守られている状態ですので、そこであなたが書いていることは、わからないことだろうが、何かしらあなたらしいものが生まれている証拠でもあります。そもそもすぐ評価されるようなものを作って面白いですか?」
「わかりやすいものって、すぐ飽きるよね」
「そうですよ。事務はやりやすいものをもっと効率よく進めるためのものではないんです。むしろその逆で、ほとんど理解されないようなものを人々に伝えようとするときにこそ、事務が重要になってくるんです」
「俺が昨日と今日の朝、書いたものをジムに読んでほしいと思ったけど、まずは事務しっかりやって一ヶ月間毎日執筆してみるよ」
「そういうことです。だってあなたの面白さなんか、誰にもわからないでしょう。もちろん、一つ二つ、面白いなと思えるところはわかりますし、誰にでも言えるかもしれません。私はあなたの面白さに気づいているつもりですが、それが正確かどうかわかりません。まあ、正確さなんかどうでもいいのですが。というか、わからないところが面白いんですよ。何をするのかわからないところが、それでいて、あなたはもうすでに何かをわかっているところもあるわけです」
「そうかねえ、でも建築もやってきたし、本も書きたいし、向かいに住んでたあのトヨちゃんを仕事に就かせることも楽しかったし、そのためにはやっぱり音楽だし、絵も描きたいし、でも作家になりたいわけでも画家になりたいわけでも音楽家になりたいわけでもなくて、自分が感じたまんまに動いていきたい」
「ほんと批判されたら、すぐに消されそうな夢みたいなことを言っているわけですよあなたは」
「そうだよね」
「だから面白いんじゃないですか。これやったら、ああいうふうに上手くいく、作家になるために賞を取る、絵を売るためにギャラリーに入る、なんでもそうです、何かになるために、わかりやすく、資格とかとって、いい会社に入って、できるだけ先が見えるようにして生きていく、そんなことして何か楽しいんですか?」
「でも多くの人が不安だから、そうやろうとするんじゃないかな」
「フアンってなんですか?」
「だから〜、ジムは不安ってものはないから、おかしなことになるんだけど、大抵の人は道から外れることが不安で、できるだけ道から外れないように外れないようにと石橋を叩いて生きているからね」
「あなたは無鉄砲なのにね」
「そうだね、と言っても、俺も不安はあるよ。こんなこと言ってて、どうやって仕事になるのかもわからないし、いつか食えなくなるかもしれないけど、でもさ、食えなくなるってことはないんだよね。路上で歌えば一万円だから」
「そこがいいですよ。みんな安定、安定って、馬鹿みたいに退屈な世界に向かってて、絶対安定を目指す人はいつか死にたくなりますよ。退屈なんですから」
「事務って退屈かと思ってたけど、全然違うもんね」
「事務は冒険をするための道具なんですよ。みなさん誤解されてますけどね。冒険をしない限り、事務なんて存在しないんです。というか、冒険をしない人生って何が面白いんですか? つまり、冒険のない人生ってことは事務のない人生ですからね、事務のない人生なんて生きるに値しないんです」
「ジム、今日は熱いね。おかえり! でさ、色々試してみたから聞いてよ」
「はい。楽しみです」
「で、まず本の出版についてだけど、とりあえず一番好きな本はなく、一番好きな雑誌はあったから、そのアートディレクターの角田さんには会ってきたんだよ」
「どうでした?」
「これが予想以上の自由な人でね。建築雑誌なのに、壁ドアップの写真とかばっかりだったりとかなり実験的にカッコ良すぎるデザインだったから、人生自体も颯爽と生きている人であって欲しいと思ってたけど、予想状態の飄々さで、もっと言うと、よくあれで、デザインの仕事ができてるなってくらい自由な人だった」
「その方も事務があるんですねきっと」
「そう思えないんだけど、だからこそあるんだろうね事務が」
「いつか教えてもらうといいですよ。全ての自由な人間には冒険がありますから、冒険があるところには事務があるわけですから。真面目そうになんもかんもルール守っているような人には実は事務はありません。事務はルールがない広大なフィールドに線を引くってことですから。もともと箱庭で生きている人には必要がないんですね」
「なるほどそれはそうかもね」
「とにかく冒険家には事務話を教えてくださいと聞いてみることです。全て有益な情報のはずです」
「ジムといると、世界を見る目が変わるよほんと」
「で、どうなったんですか?」
「角田さんむちゃくちゃ俺の〇円ハウスを喜んでくれて、これは面白いからリトルモアって出版社に持っていけって教えてくれた」
「それも事務ですね」
「事務?」
「はい。あなたはまずは日課を作って自家製本を作った。それを一番好きな雑誌のデザイナーに見せた。そしてデザイナーは当然気に入り、次に持っていく出版社の名前を教えてくれた。あなたの本が面白いのか売れるのか、誰もわからない、あなたもわからないのに、です。事務はあなたの本を守り始めてますよ」
「なるほど」
「次はあなたはリトルモアに本を持っていくんです。そして出版が決まるということです」
「そんな気がするよね・・・」
「だって大工さんの笠井さんにも会えたでしょ」
「うん」
「あなたの事務が発生してますよ。事務が上手いこといってますから全部うまくいくはずです」
「で、どうする?」
「素直にやるだけですよ。お金は必要ですか?本を出すことで?」
「いや、もう幕張のバイトしてるからいらない。それよりも本を出すという経験が重要だね。ずっと死ぬまで出していきたいから」
「じゃあ、印税はゼロでいいんです、と伝えてください」
「なるほど。印税って普通はどれくらいもらえるの?」
「この〇円ハウスだとカラー200ページの変形の本ですから3500円くらいになりそうですね。初版が2000部か3000部ってところでしょう。その10%ってことです」
「100万円くらいってことかあ。なるほど。でも喉から手が出るほど欲しいってわけでもないなあ。俺、今のところは普通に食べれてるし。結婚とかしてたら、変わるかもだけど、今は全然問題なし」
「事務が上手いこといっているのに、お金の問題で、素直な流れが濁ってきたりしますので、まず基本はお金は自分でなんとかする、ってことです。お金に左右されなければ実は全てうまくいきます。あなたは幕張バイトでやりくり見つけてますので、こっちの本の冒険では一切、お金に関しては揺るがずに事務を徹底させていきましょう」
「そだね」
「契約書を書くんですよ」
「へえ、契約書。なんか突然硬い感じだね」
「まあ事務っぽいですよね。いわゆるみんなが想像しているところの事務」
「うんうん、硬くてなんか俺得意じゃなさそう。文面も読めるかわからないし」
「読むんじゃないんですよ」
「ん?と言うと?」
「書くんです」
「契約書を?」
「はい」
「どんなふうに?」
「好きなように書くんです。あなたの冒険なんですから、あなたの冒険がスムーズに起きるように書けばいいんです」
「そんな感じ?」
「はい、そうですよ。あなたは自由です。契約書の世界では」
「へえ、まだ本の出版も決まってないのに?」
「本の出版は決まってるじゃないですか。リトルモアから出るんですよ。契約書は簡単です。自分が思っていることをそのまま書けばいい。本の印税はゼロでいいって書くんです」
「あ、それか笑」
「でもね、それは初版分だけです。最初はゼロですが、重版したら、10%もらえるように書いておきましょう」
「どうやって書くの?」
「いや、普通に日本語で、初版印税は〇円、重版分からは10%って書けばいいんです」
「それだけでいいの?」
「はい。多分、向こうが、そんな紙っぺらじゃ不安なので、こちらでちゃんと書き直しますって話になりますので」
「なるほど」
「まずは要求を受けるんじゃなくて、要求をこちらからするんです。どんな時も。それが嫌がられる時は何してもうまくいきませんから、あきらめましょう。そうすれば、自分の要求を常に受け入れられる環境がのちに出来上がりますよ」
「ジムはいつもその後のことが念頭にあるよね」
「まあ、事務ということがつまりは継続していくことと同意ですからね。さらに印税を〇円にすると、こちらがまずは身銭を切っているわけです。これも重要で身を切ると、アドバンテージが発生しますので、あなたの望みが一つ叶います。あなたの望みはなんですか?」
「え?」
「あなたがやりたいことですよ。さあ」
「神龍みたいやな。俺の望みは、世界中で本が売られること」
「はい、それでは日本の本は普通は日本語しか印刷されないですけど、バイリンガルにしましょう。英語だけでいいですか?」
「英語で十分だよ」
「それなら、契約書に、英訳もつけること、と書き足しておきましょう。他にありますか?」
「本が出て、英訳をつけて、重版分から印税もらえたら最高っす」
「じゃあそう書いておきましょう。よくルーキーは間違えます。ルーキーだからちやほやされるわけですが、ルーキーだからもちろんギャラは安いんですね。それで印税10%が通常ですが、ルーキーだからって、5%とかで契約書にサインしがちです。でも私は事務員ですから、継続担当ですから、その人もルーキーではなくなるのを知っているわけです。でも契約書はルーキーのまま。それでギャラが安いと言って、ルーキーじゃなくなると怒り出すわけです。それで他のところで仕事をするときは取り返さなきゃといって、印税に関しても泥臭くなりがちです。全てはルーキーシステムで仕事をするからいけません。あなたもどうせ死ぬまで続けるんですから、はじめから晩年様式でやるのです。晩年の作家は、自分でやりたいように契約書を作ってもらうわけです。それでも出版したいのですから、版元も文句は言いたいけど渋々サインします。そういう感じで初めからやってみましょう。きっと晩年までやっていけるでしょう。ルーキーはダメです。中堅作家になった時点で、書く力がなくなってしまいます。どんな時も死ぬ直前の視線から考える。もしかしたらあなたの価値は将来とんでもなくなっているかもしれないんですよ。私にもあなたにもまだわからないし、まだ出版すら決まってないのに、事務はそのわからなさを守ってくれるわけです」
「なるほど、自分を安く見積もらないのは大事かもね。でも、それを口で言うのではなく、契約書として見せなさい、と」
「そういうわけです。もちろん横暴を働いたら、出版されません、嫌われます。だからすぐに横暴を働いたかどうかが瞬時にわかるのです。ルーキーのまんまだと自分の横暴さにすら気づけません。自分の横暴さをチェックするためにも常に晩年様式でやるのです。そのやり方がうまくいけば、死ぬまで使える最高の事務になるわけですから」
「よく意味がわかるよ。わかった。契約書を書いてみる」
 というわけで僕は角田さんに教えてもらったリトルモアという出版社に電話してみたんです。
 女性が出てくれました。
「あの」
「はい」
「僕は建築学科卒業をしたもので、建築家になろうとしているんですけど、路上生活者の家を建築学的に研究してまして、それで自家製本を作ってみたんです。ぜひ出版してみたいと思ってまして、一度、自家製本を見てもらえませんか?」
「あのですね・・・・どんな本ですか?」
「家の写真が掲載されている、まあどちらかというと写真集ですね?」
「写真家の方ですか?」
「いや違います。写真は自分で撮影しているので、素人の写真ってことです」
「はあ。さすがに写真家でもない素人の写真集をうちが出せるとは思えません」
「そうですか。そこをなんとか」
「しかも、今、少し忙しくて、すみません!」
 というと女性は電話を切りました。
「いやあ、スッキリ断られたねえ」
「まあ当然でしょうね」
「どうするんだよ」
「またしばらく経ってからもう一度電話しましょう」
「えっ?」
「だって角田さんから、あそこしか出せないけど、あそこなら出るって言ってもらったんでしょう」
「うん」
「角田さんの直感を信じてみましょうよ。それが今回の私たちの事務の流れでは一番自然なはずです」
「でもまたかけたら絶対ウザイやつになるよ」
「ウザさを越えるには、真正直に話すしかありません」
「素直にやるしかないのね」
「やればうまくいきますよ」
「なんでそんな楽観的なのよ」
「決して楽観的ではありません。これが事務的なんです」
「わかったよ・・・」
 ということで、もう一度、電話をしてみました。
「あの・・・」
「はい」
 また同じ女性が出ました。僕からの電話だとすぐに気づいたようです。
「あのですね、正直言いますと、角田さんというアートディレクターがいまして」
「はい」
「角田さんが僕、むちゃくちゃ好きで、そのデザインが、それでこの本を持っていったんですよ」
「はい」
「すると角田さんがリトルモアという出版社なら出してくれるかもしれないから、今すぐ持っていきなさいと言ってくれまして」
「はあ・・・・」
「なので、もうリトルモア以外に電話するところがなくてですね。またかけてしまったわけです」
 少し女性が笑ってくれました。
「でもですね、今は忙しくて・・・」
「あのいつでもいいんです。暇な日を教えてもらったら、いつでもいきますので、角田さんが背中押してくれたので、もうこの本はリトルモアに持っていくしか考えてなくて、出版とかしたことがないもんですから勝手がわからず、ほんと、初めての持ち込みなので、むちゃくちゃ暇な時でいいですから、ダメですか?」
「仕方ないですね、一週間後なら、暇な日ありますよ」
「何時でもいいです!」
「でも、出版することになるとは思いません」
「それでもいいんです。角田さんが言ってくれたので、ここは一つ、出版企画持ち込みの練習をさせてください」
「わかりましたよ。角田さんって、ホームやってる角田さんですか?」
「そうですそうです」
「ああ、角田さんなんですね、へえ、じゃあ、とりあえず作品を見るだけ見るってことで」
「ありがとうございます」
 そして僕は電話を切りました。
「おいジム聞いた?」
「もちろん。やりましたね」
「角田さんだって、よくわからないといいつつ、作品を見たら、ぶっ飛んでくれたんだから、きっとうまくいくはず」
「契約書も忘れずに」
「もちろん! しかも、一週間後ってことは、そういえば、あの言ってた、妻有トリエンナーレの最終審査の面接の日も近い」
「面接では何をするんですか?」
「面接の中身ははっきり言うと、どうでもいいんだよね。僕の企画じゃなくて、僕はあくまでも審査を通過するためのプレゼンテーションを担当しただけだから、でもさ、面接官の一人に、ホウハンルウっていう中国人のキュレイターがいてね、彼はアジア人なのに、ベニスビエンナーレのディレクターとかやっている凄腕の人でね、僕はこの人に、〇円ハウスの自家製本を見てもらいたいんだよ」
「出版は出版で伸ばしつつ、その作品を美術側からも伸ばそうとする試みってことですね。いいと思いますよ」
「だから面接しているふりはするけど、俺はこの本をただひたすらホウハンルウに見せつけようという計画」
「とにかく一人の理解者を見つけること。まず初期の事務の基本はそこですから、間違ってません。音楽はどうですか?」
「これ作ってみたのよ」
「ほう、アルバムですね」
「今まで作った曲を並べてみたらアルバムっぽくなったから、セブンイレブンでカラーコピーしてジャケットも作ってCDにしてみたよ」
「これをどこに送りますか?」
「僕はデビットバーンって音楽家が好きで」
「トーキングヘッズのリーダーですよね。私も好きですよ。ブライアンイーノと一緒に作った」
「ブッシュオブゴースツ!」
「はい、あのアルバムが好きです」
「俺もだよ! でこの作ったアルバムはデビットバーンに送ろうと思ってる」
「住所はわかっているんですか?」
「デビットバーンはルアカバップというレーベルをやってて、そこの住所はわかるから、送ってみようかと」
「やってみましょう」
「デビットバーンしかいないんだよ。聴いてもらいたい人が、他にもいるけど、みんな死んじゃってる」
「じゃあデビットバーンしかないですね」
「わかった送ってみる!」
「恭平は、なんだかやろうとしていることはわかりにくいかもしれませんが、好きなものがはっきりしてていい感じです」
「俺が何をやろうとしているのかは俺もわかんない。確かに好きなものははっきりしてるよ。だって、好きだもん」
「事務は好きな物事を進めていく上でしか、うまく好転しません。つまんないものの事務はただの作業です。つまんないです。好きなことを継続しようと思うとき事務はイキイキと動き出します」
「うん、それ何度も言ってくれるから、もうわかるよ」
「生きてる間にすることってそれだけですよ」
「好きなこと?」
「はい。あなたが何が好きなのかを探すことで、見つかったら、死ぬまでそれをやり続けるだけです。それだけです人生は。それ以外の人生もありますが、どれもつまらない退屈なただの時間です」
「そりゃそうだね」
「角田さんに言われてリトルモアに持っていくこと、ホウハンルウの面接を受けている間、主題である企画について出なくて〇円ハウスについて熱弁しようとしていること、そしてデビットバーンに自分の素人アルバムを送ろうとしていること。どれも面白いです」
「嬉しい!うまくいくかはわからないけど」
「面白くないことはうまくいくと思いますか?」
「いや無理でしょ」
「面白いことはうまくいきます」
「うまくいかなくても笑えるしね」
「失敗しても記憶には残りますから、恭平だけでなく、デビットバーンの頭のどこか片隅にも」
「なんかワクワクするね」
「ワクワクすることはうまくいきます」
「面白いもんね」
「つまり、事務は『好きとは何か?』を考える装置でもあります」
「ほう」
「将来何をするか?だと、作家とか画家とか音楽家とか職業になるわけですね。それが将来の現実とは何かと考えることで、執筆をして絵を描いて歌を作る生活になっていくということはもう学びましたよね。さらに事務の別の側面を取り入れていくことで、その生活の中でさらにどんなふうにしているのが一番好きなのかってことを深めていけるわけです」
「今、僕は執筆してリトルモアに持ち込みをして、絵を描いてホウハンルウの前で作品をプレゼンして、歌を作ってデビットバーンに送る生活をしているわけね」
「そんな感じです。いいですよ」
「でもそんなバラバラな生活をしてほんと食べていけるのかね」
「金はどこで稼ぐんでしたっけ?」
「幕張のバイトだったね、12万円」
「何か問題でも?」
「今のところはなし」
「ということは、もう今、あなたは現実の中での最高の生活を組み立てることができているってことでもありますよ」
「確かにそれはそうだ」
「じゃあ、来週、リトルモアに持ち込みして、ホウハンルウの前でプレゼンして、デビットバーンにCDを送ってみましょう」
「なんだか最高の日になりそうじゃん。もうそれ言葉にするだけで面白い」
「嫌なことが入り込んでませんか?」
「いや、不思議なことだけど、ちっとも入り込んでないよ。俺まだ無職だし、無名の何をするのかわからないやつなのに」
「他者からの評価が不要なことを体感できてますか?」
「なんでこうなの? 意味はわからないけど、自分もわからないのに、確かに、僕が好きなことだけはできてるよ」
「そうですよ、いつだって、事務はあなたのわからなさを外敵から守り、好きなものを明確にしてくれるんです」
「俺みたいな無名で無能の人間にもチャンスがある気がするよ」
「あなただけじゃないですよ。おそらく全ての人間にこれが当てはまります」
「そっか」
「人々に足りないのは才能や能力や運ではありません」
「事務なんだね」
「恭平、もうわかってきましたよね」
「もちろん」
 そして、僕はジムみたいにぐっすり眠れるようになったんです。一週間後、緑道を見に行くと、スイカの芽が出てました。あのスイカの種から芽が出ること自体が奇跡に思えましたが、同時にスイカにとっての事務ってなんだろうと考えると、芽が出るのも不思議ではないような気がしました。僕がやることも無数でいいじゃないか、どこかで芽が出る、いやこのスイカの芽みたいに大抵は芽が出るんじゃないか、そのうちスイカのツルでこの緑道が鬱蒼としてくるのかもしれない、そんなふうに自分もツルになって、どこまでも鬱蒼としていきたいなと思いながら、まずはリトルモアへ向かいました。

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