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継続するコツ 第5回 何を書きたいとかはなく、ただ書きたいだけなんです

 自分で自分のことを馬鹿だとちょっとけなす人がいるとするじゃないですか。たとえば本当に馬鹿な人がいるとして、たとえば僕は自分のことを馬鹿だと思っているのですが、その馬鹿な人に向かって、お前は馬鹿だと言わないじゃないですか。
 理由はそんなふうにけなしても何の意味もないどころか、悪影響を及ぼすからです。その人は自分が馬鹿だとは知っているかもしれませんが、馬鹿だと人から言われたら落ち込みます。そんなこと言われても、何ひとつ嬉しくないですよね。なんでこんな当たり前のことを書いているのかと言うと、当たり前のはずですが、そういうふうに自分のことを言う人が多いなと、いつもいのっちの電話に出ながら思うからです。だからなぜ人は自分のことを馬鹿だとけなすのかということが、僕は気になるし、知りたいんです。今回は、継続の話になるのかわかりません。ただ、今日、今、書きたいと思ったことを書いているだけです。ですが、これこそが僕にとっての継続するコツなので、やってみましょう。別につながらなくてもいいんです。別に本のタイトルとかどうでもいいんです。それはなんか適当な、書きやすさとか読みやすさのための目印くらいなものなんです。本当は。どうでもいいんです。ただ、書くことが好きなだけですから。何でもいいんです。ただ書きたいんです。それが僕の本音です。正直な気持ちです。そして、継続するコツはこの正直な気持ちに対して素直に向き合うというか、そのまま素直に出す。こうすると、引っ掛かりがなくなりますので、どんどん継続することができます。毎日、違うことを書いていたとしても、書くという行為は継続していくわけです。僕にとって、作品を完成させるということはどうでもいいことです。なぜなら、必死に、一つのものを完成させようと努力することは大変だからです。面倒臭いからです。そうやって努力して完成させると、今度は完成させたあと、しばらく何もやりたくなくなります。しんどいですから当然です。それも当たり前です。そうなると、こんなしんどい目にはもう二度とあいたくない、と考えるようになります。そうすると、継続しなくなります。とは言っても、生活、人生は、時間の連続で、とは言っても、この時間、というものも、人間が感じているものですから、実際には存在しないのですが、これ以上書くと、少しこんがらがってきますので、もっと、こんがらがっていきたいのですが、こういう時に、ちょっと考えます。もっとこんがらがっていきたい、でも、ちょっとやりすぎると疲れる、こういう時は、疲れない方をすぐに僕は選びます。こうやって、書くことの方向を決めていきます。でも、本音はたくさん、とにかく書きたいだけなんです。ですので、こんがらがっても本当はいいんです。もう何を書こうとしているかもわからなくなってますが、なぜか書いている自分は、流れてます。引っ掛かりがないです。人には伝わらないかもしれませんが、書きたいことは湧き出てます。でも、これ以上やると、何だか疲れそう、と思った時点で、僕は広がっていくのを少し止めます。流れてはいるけど、流れすぎそうになっていくのを少しだけ体重をかけて、速度を落とすようなイメージでしょうか。
 つまり、簡単に言いますと、時間とは何か、みたいなことは、今は書かないようにしようと思いました。でもいつか書きたいです。そこで、ここでいつか書きたいなとだけ書き残しておきましょう。
 その手前の話に戻って、そこを少し広げて、流れを見てみましょう。
 何が言いたかったかというと、努力して必死に一つの名作を完成させる、そのことに力を注ぐと、もちろん、それはとてもいいことだとは思います。人間に傑作は必要ですから。でも、僕にはそんなに必要ではありません。なぜなら僕にはそんな才能はもともとないからです。諦めるの早くないかと思われるかもしれませんが、僕はさっさと諦めてしまいます。しかし、人間にとっての向上とは何かを考えると、諦めることがいいことだとは思っていません。みんな、自分はもっとできるはずだ、自分は才能があると感じているでしょうから、諦めない人は諦めない方がいいんだと思います。これは僕の話です。僕はさっさと諦めます。僕は努力したからといって、自分が何かたいそうなものを作り上げることができるとはハナから思っていません。僕にとって重要なことは、今日もまた、新しい新作を作っている、ということだけです。つまり、自分が興味を持っている行為、それは作るということ全般なんでもいいんですが、それを今日もまた、昨日と同じように繰り返し、継続しているということです。それが嬉しいんです。僕は、今、継続するコツを書いているくらいですから、継続マニアなんです。人におすすめできるような人生ではありませんが、継続することがただ好きな人ってだけです。別に継続する人が偉いとも何とも思っていません。でも、継続する人生はとても楽で楽しいなという、本当に安直な理由で、この本を書いています。継続することに何か意味があるとかではありません。継続することは僕にとっての最高の金のかからない、どころか金になったりもする、ならなくても満足する、なんというか万能の暇つぶしです。また別の話が盛り上がってきましたが、何となく、継続の話をやっぱり今日も書いているようです。
 
 さっき書きたかったことを、むちゃくちゃシンプルに書くと、
 
 継続したいことを継続することができなくなっても、また人生は続くのだから、つまり、それが生活なのだから、つまり、何かは継続している、ということです。
 結論が、人間は全てすでに継続し続けています。何かを。どんな人も。やりたいことだろうが、やりたくないことだろうが。つまり、僕がこんな本を書く必要はないのかもしれません。確かにそうかもしれません。でも人は、自分はなかなか継続ができない、と思っているところもあるようです。それは電話で確認していることでもあります。私は継続できない、と思っている人も実は、毎日、何かを継続してます。これはどういうことなんでしょうね。そういう人はどうやら、やりたくないことを継続してしまっている、ようです。
 
 やりたいことを継続することは無茶苦茶難しくて、やりたくないことを継続することは惰性でできてしまう。
 
 何だか言葉で書いていると、そんなわけはないとみんなから言われそうですが、どうやら、こんな感じじゃないですか? 僕も書いてて、ちょっとびっくりしているくらいなんですけど、何でやりたくないことを継続することは惰性でできて、やりたいことを継続することは惰性でできないんでしょうか。これを考えるのは面白いのかもしれません。予想外に、予想外のことが飛び出てきて、今、少し嬉しいです。これぞ、書いてて、楽しい、瞬間です。

 なぜやりたいことは継続するのが難しいんでしょうね。

 ちょっと待ってください。僕の場合で考えるんですけど、どう考えても、やりたくないことは一切継続できません。やりたくないことは気づいた時にすべて停止しちゃいます。そりゃ当然です。やりたくないんですから。やらなくていいわけです。でも、やりたくないことを継続してしまっている、という人が多いような気もします。なんでだ?

 やりたいことを継続しようとすると、自分に才能がないことを自覚しなくちゃいけないからですかね?
 たとえば、僕の場合でも、僕は書くことが好きなんですね。書くことが仕事にもなっていて、とてもその幸運に感謝もするんですが、かといって、書くことに自信を持っている、と思われるかもしれませんが、実際はちょっと違います。書きたくて、書くことが好きで、書くことで仕事になってます。だから作り続けてます。でも、書く才能があると、思ってはいないんですね。その逆くらいかもしれません。書く才能は多分ないんですね。僕には。こんなに書いてますけど、みなさん読みながらわかるでしょ? こんな、何を書きたいのかわからず論点も視点もバラバラで曖昧で、日本語の使い方もちょっとどうかと思うんですよ。なぜなら僕は本が読めないんですね。もうこれ言っちゃってますけど、人の本をほとんど読めないんです。だから、能力の向上にはなかなか向いてない体質なんですね。だからといって、必死に本を読めるようになろう、みたいな向上心がゼロなんですね。本が読めないなら読まなきゃいい、と思ってます。別に開き直っているわけでもありません。本を読むことが嫌いなわけでもありません。読みたいんです。でも読めないので、仕方がない。できないことを必死に努力してできるようになろう、という意識が薄いのかもしれません。本を読まなくても、こんだけ書きたいことはあるんだからいいじゃないか、と思っているわけです。僕は本を買うのは無茶苦茶好きです。家にはそれなりに本がたくさんあります。全集とかも買うのが好きです。でもほとんど中身は読んでません。僕にとって、本を読む、とは、占いの「読む」先を「読む」に近くて、適当に開いて、そこから、気になる3行くらいを選んで、それを読むことはできるんです。でも、じっと座って、いや立っていても歩いていても、本を読み通せたことはほとんどありません。でもそれでも何の問題もないんです。書きたいんです。問題はそこですから。ただ書きたらいいだけです。でもその代わり、たいしていい文章は書けません。時々、坂口さんの文章は楽しくていいですね、と、何も知らずに褒めてくれる人がいますが、読書家で褒める人はほとんどいないです。だから、褒めてくれる人に対してありがたいなとは思いつつ、あ、素人なんだろうなあ、本が読めない人なのかもしれないなあ、くらいに思ってます。褒めてくれているのに、その人を貶しているようで申し訳ないと思うこともありますが、僕の本音はそんな感じです。読書家の方で、僕の本をじっくり読んでいる人はほとんど見たことがないです。何も考えずに、適当に、思いつくまま、ただ馬鹿みたいに書き続けてますから、熟読して何か感動する、みたいな経験はできないですから、まあ、駄作ばかりなので、それも当然だと思ってます。で、それでいいんです。そのことで、自分のことをダメな人間だと僕は自分を貶すことをしないんですね。むしろ、本が読めないのに、たいして美文も書けないのに、ここまで書くことが継続できて、幸運だったね、と自分を褒めているくらいです。自画自賛男なのかもしれません。うざいですかね。僕としては自画自賛しているつもりはないのですが、むしろ無能力だと思っているのですが、無能力もさらけ出して、ここまでやっちゃうと、継続できちゃうので、それはそれで自慢に見えるかもしれません。でも、人からなんと思われるかはここでは全く問題ではないんです。自分がどう感じているか、これが重要で、自分としては、駄作をとにかく連発している。しかし、自分では駄作だからだめだとは思っていない。かといって読書をすることで、執筆の技術向上をしようとも思わない。自分の素直な気持ちを素直に書く、という技術だけを毎日書き続けるという継続で磨いていこうと考えているんです。人におすすめできる生き方ではありませんが、こうすることで、生きのびることができたという事実はあります。
 僕の目的は、ただひたすら死ぬまで書くということだけなんですね。しかも、書くことだけじゃなくて、描くこともします。歌も作ります。それらも死ぬまでずっとただひたすらやり続けたいんです。だから、書くことで成功することはどうでもいいんですね。成功って何ですかね? ベストセラーですか? ノーベル賞を取るとかでしょうか? どうでもいいんです。逆に変に売れると、めんどくさいことにつながりそうなので、人はすぐ人に嫉妬して、ほんと無駄な行為だと思うのですが、それで蹴落としたりするのが癖でしょう、ああいうことに巻き込まれると、継続することを阻害されますので、僕の場合は、とにかく死ぬまで継続したいんだけなんですね。はっきりいうと、それだけで幸福なので、今、幸福かと聞かれるともうすでに幸福なんですね、しかも、幸福になったら、満足して、やめちゃう、ハングリー精神がなくなるとかじゃないんですね、継続することだけが幸福なので、今、書きたいように書けている、売れなくても本にならなくてもどうでもいい、書けているからむっちゃ幸せ、しかも、それは継続することでさらに倍さらに倍とバイバイゲームなので、もうとにかく何があろうと継続することだけに集中しているんです。もはや、駄作だろうが気にしないんです。しかも、やってもやっても、書くことがなくなった、もう何もない、みたいな、若手作家の悩みみたいなものが一切ないんですね。だって、はじめからそんなすごいものを作ろうと努力してませんから、お気楽にやっているだけなので、書けない、みたいな感じがないんですね。ネタがなくなった、みたいなこともない、努力もしないので、書くのに疲れた、みたいなこともない。書き終わったら、翌日からまた別の新しい本を書くだけです。しかもネットで無料公開しているだけで、別に本になることもなくても、気にしないんです、今や、毎回、本が一冊自分で出せるようにと貯蓄までしちゃっているので、出版社から干されたとしても、自分で本を作っちゃいます。もう鬼に金棒です。もうどうでもいいんですね。これは前に書きましたね。スランプがないってことよりも、スランプの前の、必死な努力、傑作を書き上げたみたいな経験もないってことです。さらっとできることだけを延々とやっているんです。これが継続するコツです。笑われてしまいそうですが。
 とそんな僕でも、今日はなんか書けないなあ、って思う日もあるんです。今日も実はそんな日でした。ここまで30分で15枚書いちゃってますけど、それでも書きたいことがないなあって、日だったんです。本当は。いや、違いますね。本当は馬鹿みたいに書ける日だったんですけど、今日は書けない日かもしれない、と思って、嫌だなあ、と思っていたんです。書けないって嫌なんですよ。だって、書くことがただ好きなんですから。馬鹿みたいに何でもいいから、何も考えずにただ書きたいんです。書くことだけに夢中になりたいんです。何を書くかなんかに夢中になりたくないんです。変な話かもしれないですけど、僕は書くことが好きってだけなんです。実は伝えたいことなんかなんもないんです。少しくらい人が興味があることであればいいなというだけです。本来の目的は、ただ書くことだけで内容は問わず、もちろん、それでも書きたいと思う文章が自然と湧き出てくる瞬間が気持ちいいので、今、頭の中にあることをそのまま水のように外に出すということで時間を費やしたいんです。で、今、できてます。ですが、30分前までできてませんでした。どうしよっかな、退屈だな、と寝転んで、Twitterとかぼんやり見たり、モノマネのyoutubeとか見てました。僕、モノマネが好きなんですね。モノマネ番組を見ているだけで、何も考えないでただひたすら楽しいと思っちゃうんです。
 でもすぐに退屈しちゃうんですね。だから、適当に書き始めました。自分のことを馬鹿にしていた人から電話がかかってきたから、その人に向けて、何かを書いてみようと思って書き始めました。いのっちの電話をなぜやっているかというと、こういう理由でもあります。もちろん、死にたい人を助けたいとも思ってますよ。でも、それ以外に僕は電話を受けて、相談に乗っていると、あ、これを書きたい、あれを書きたい、と書きたいことが次から次に浮かんでくるんですね。だからやってます。もちろん、電話の内容を書くわけじゃないですよ。プライバシーは一応、守っているつもりです。そうじゃなくて、人と話していると書きたいことが浮かんでくるんです。僕の目的は書きたいだけなんです。だから、書きたいことが浮かぶだけで幸せなんです。だから、いのっちの電話なんか何でめんどくさいことを一人で無料で十年もやっているのかと聞かれますが、理由はそれです。書きたいことが浮かぶと幸福です。ですから、自分の幸福のためにいのっちの電話をやってます。それで、少しでも人の助けになれば一石二鳥だと思ってます。動機が不純ですか? 僕としては純粋に幸福を求める行為のつもりですが、賛否両論あると思います。あっていいです。それもまた書きたいことに繋がりそうですから。
 で、電話で書きたいことが浮かぶ、というのはきっかけでありまして、結局、それで何を書きたいとかではなく、あとは流れで広がるままに書くだけなんです。
 でも自分を馬鹿だという人についても、お話ししておきましょう。あくまでもこれは僕の意見ですが。
 自分を自分で馬鹿だという人は、人に馬鹿だということをイメージすると簡単に考えられます。人から馬鹿だと言われると、やる気がなくなります。これは完全にやる気がなくなってしまいます。もちろん、そういうひどいことを言われたことをバネにしてなにくそと努力するタイプの人間もいますが、僕は努力型の人間ではないんです。僕は嫌なことは徹底してやりたくないんです。だから会社で働くことが本当に嫌なので、自分で会社を作ったわけです。失敗したらどうするとかそういうこと関係ないんです、失敗するも何も、会社に勤めることが1番の失敗なので、それよりかは自分で環境を整えたら、それで稼げなくても何となく、気持ちはいいわけです。で、そんな人間ですから、人から馬鹿にされるとすぐにやる気をなくします。そのための攻略法としては、文句を言いそうな人には一切会わないってだけです。基本的に僕は、僕に文句を言わない人としか付き合いません。これも当然ですね。文句を言ってハッパをかけるタイプの人には一切近づかないです。親はそういう人でしたが、基本的に、僕から会いには行きません。ま、人に文句をいうのは楽しくないので、そのうち文句を言わなくなります。今では親もそんなに言わなくなりました。ま、それはそれでいいのですが、人からばかと言われるととにかくやる気がなくなるんですね。やる気をなくすと、継続できなくなります。横になってしまいます。つまり、人が人に文句をいう理由はこれです。その人がやる気を失い、その人が何か向かっていこうとしていることを挫くことが目的なんですね。それと同じことを自分にしているわけです。
 つまり、自分のことを馬鹿だと貶している人は、自分のやる気を失わせることが目的で、さらには横にさせることが目的なんです。つまり、本音としては休ませたいのかもしれません。自分は会社で何をやってもだめ、だめのダメ人間と自分で言う人は、本音としては「やる気でも失わせて、早く布団で寝たい」です。だから、自分のことを貶してる人には、この説明をして、早く寝なさいな、と伝えることにしてます。
 だって、本当に自分のことを馬鹿だと熟知しているとすると、自分のことを馬鹿だと貶しているところを人に見せる必要はないんですね。
 なぜなら馬鹿ですから。馬鹿な人に対して、もしも優しい心を持っているとすると、どうしますか? お前は1タス1もできないのか?って怒りますか? 怒らないでしょ?
 そうじゃなくて、鉛筆を2本用意して、この一本の鉛筆とこの一本の鉛筆を合わせると、何本になりますか? って丁寧に教えないですか? それが馬鹿な人(失礼な言い方ですが、たとえ話ですからご勘弁)に対しての優しさじゃないですか。それを自分にしてあげるんです。そうやって、できることから少しずつ教えていく、そして、毎日練習させる、そうすると、すぐにうまくいくようになります。
 だから、僕は毎日、書くことを継続しているんですね。なぜなら、書くことがそんなにうまくはないから。しかも、書くことをうまくさせるために、本を読む、という方法はあるけど、どうもそっちはやりたくなさそうにしているから。書くことであれば、よだれを垂らして、やるわけですから、それを毎日やるとなると喜んで、やるわけです。馬鹿ですから、とにかく修行は大切です。だから、馬鹿なんだから、毎日休まずにやりなさいよ、しかもやるだけで楽しいんだから、いいでしょ、あとはやる時間だけ決めてあげて、それも一番、心地よい時間に設定してあげるんです。僕は朝型なので、とにかく夜はすぐ寝なさいと伝えて、僕は人に会うのが苦手ですから、夜、飲みにいくとかそういう行為が全くないもんですから、あとは酒を飲ませると金がなくなりますから、僕にとって金とは「ただひたすら継続させる」ために、むちゃ楽することができる道具なんですね。だって、やりたくないことで働かずに済みますから、だから、早く寝ると、その分、貯蓄が増えるよ=、その分、継続できるよーと甘い言葉をかけます。そうすると、この人はすぐに寝てくれます。そうするとすぐ起きる。今日も朝4時に起きてます。起きると、その時が一番体調がいいんです、で、その時に一番継続したいことをさせてあげる。そうすることによって、毎日書くという修行をさせるんですね。これは修行ではあるんですが、一番楽な体調の時に一番やることにストレスがかからない書くというやりたいことをさせているってのがポイントですね。そうしないと修行も続きません。修行は楽しくないと続きません。楽しくない修行なんて修行ではありません。だって続きませんから。修行ってのは1日では不可能です。1000日必要です。10000日必要です。そのためにも修行は一番、世界で一番、人生で一番負荷がかからないことでないと続きません。というか、そんな楽な修行なら馬鹿でも続けられるのです。
 
 ですが、そんな僕でも書くことがないって時は頻繁にある。そういうときどうするか。
 僕はただ書きたいだけです。世界で唯一自分にしかできないことを書きたい、みたいに、色々形容詞とか、内容のうんぬんカンヌンは付属していないんですね。そうするとめんどくさいじゃないですか。めんどくさいことは続かないんです。楽しいことでないと継続できない。あれ、さっきの話と矛盾してますね。どうやら、人は、楽しくないことは継続できるが、やりたいことは継続できないと悩んでいる人が多いらしいんです。そうだ、これを考えてみたかったんだ。今日、考えられますかね。そろそろ疲れてきているんです。多分、これは明日に回しましょうか。しかし、僕は明日に回しましょうと言って、明日に回せたことがありません。明日はまた違う自分ですから。でも、なんとなく、今は順序立てて書きたい。つまり、ただ書きたいだけなのに、書くことがないときはどうするか。簡単です。気になる本を一冊だけ取り出してみてください。
 本が読めない僕がお伝えする誰にでもすぐに馬鹿みたいに書ける方法。何千枚でも書けますこの方法なら。
 僕がやるのは、好きな本を取り出します。何でもいいんです。それなりに分厚い方が可能性が広がるかもしれません。それで1ページ目を開いて、何でも本ってのは冒頭が重要ですから、その冒頭を読むんです。冒頭くらいなら僕も読めます。全文読まなくていいです。冒頭の文章の、感じ、どういう空気で書いているかだけパクりましょう。いいんです。自信を持ってパクってください。冒頭に使われている言葉をいくつか拝借してもいいです。全文丸写しは面白くないですからやめてください。音楽でいうと、リミックスというのがあるじゃないですか。ああいう感じで、その冒頭の文章を適当に書き換えてみてください。書き換えるときに、その人の話にせずに自分の話をするために、主人公は僕、とか私にしてみてください。場所も自分が住んでいるところの名前を入れるんです。そうやって、一行目が終わったら、二行目、つまり、全文、書き換えてみてください。30行くらい書いていると、もうそれで一つの全然違う文章が完成です。そんなふうにして、僕は『けものになること』という小説を350枚あるのですが、一冊全部書いてみちゃいました。でもそれでいいんです。僕にとってはオリジナルな文章を書く、なんてことは僕の書く行為の判断基準に入っていないんです。何でもいいからただ書きたいだけなんです。これくらい適当にしちゃいましょう。名作は他の天才の方々に任せて、僕たちはさっさと駄作を馬鹿みたいに作り出しましょう。それで良くないですか? そんなに書いたことがオリジナルと認められて、それで成功したいんですか? そんなことじゃないでしょ。この生きている時間を、ただひたすら自分がやりたいことだけで埋めていきましょう。そのためには何でもかんでも利用してやる、くらいの気概があってもいいかもしれません。なぜならそれができていれば、継続できますから死ぬまで、それは幸福なんです。幸福であれば、人を助ける余裕も出てくるでしょう。金がなくても笑えるくらいの余裕はできます。友達がいなくても気になりません。人と比べて貧しかろうが何だろうが、こっちは幸福なんですから、強いです。
 やりたいことを継続することはどうやら、とても難しいこと、だと思われてます。だからより楽な方、つまり、やりたくないことを継続することを人は選ぶのかもしれません。
 でもそれは幸福ではないはずなんです。とにかく知ってほしいのは、僕は駄作ばかり書いてますが、幸福だってことです。名作を書いた人で自殺した方はたくさんいますが、僕はそんな人生あんまり興味ないんですね。作家たるもの、悩むべしみたいなことも興味ないんです、僕はただ書きたいんです。とはいいつつ、僕に不安も何もないわけではないですよ。僕の知り合いの橙書店という本屋があって、そこの店主の久子ちゃんは僕が書いた文章を好きでいてくれて、だから、書いた瞬間に全ての原稿をまずは編集者ではなく、僕は久子ちゃんに送るんですが、久子ちゃんに「何で僕はこんなに継続するのが得意なんだろうか」と聞いたら、即答で「継続してないと不安だからでしょ」と言われました。そういうことでもあるらしいです。継続してないと不安なんです。でも、継続できてたら幸福なんです。それならいいですよね。お金がないと不安、でもお金があると不安じゃない、幸福、とおっしゃる方もいるかもしれませんが、お金って、なかなか手に入らないじゃないですか。だからなかなか幸福になれないじゃないですか。でも継続って、誰にでも金をかけずに人に頼らずにたとえ家がなくても世間から馬鹿にされようとできるんですよ。才能がないから、やめる諦めるとか言っている場合じゃないのは少しずつ伝わってきているかと思います。それって、幸福をドブに捨てるようなもんです。こんなに幸福のことを考え続けている僕は変なやつですかね? なぜ人は幸福になろうとしないのか。それは僕からの疑問でもあります。自分が今、幸福で、なぜ幸福なのかって理由を細かく説明してくれる人って、いますか? そんな本ありますか? 僕は読んだことないんです。みんなどこか困っている。どこか悩んでいる。でも、僕はそうじゃないんです笑。やっていることといえば、作ることを継続しているだけなんです。これって僕にだけの、特異な状態なのでしょうか。そうじゃないんじゃないかって思うんです。
 あ、すぐ自分は幸福だ=っていう人が近くにいました。僕の息子ゲンです。9さいになったばかりの。
 彼は、パピコが好きだから、パピコしか食べません。ゲームが好きなので、自腹でプレステ5買って、ゲームばっかりしてます。釣りが好きなので、釣りばっかりしてます。乗馬が好きなので、暇になると馬に乗ろうと僕を誘います。お風呂に入るのが嫌いなので、10日間は余裕で入りません。歯磨きもしません。そのくせ、虫歯は一本もありません。友達と遊ぶことより一人で遊ぶことの方が好きらしく、大抵一人でいます。漫画ドラえもんは全巻10周くらいは読み続けているので、全ての道具について知り尽くしてます。年齢制限とか完全に無視して3歳でジュラシックワールドも、店員を自分で説得して観てました。
 彼がよく言うんです。なんか人生って楽しいなあ、幸福だなあ、って。
 なんか気になりませんか?
 今、幸福だ、って言っている人、いますか?
 僕あんまり聞かないんですよね。だから、貴重なことだと、とりあえずこの幸福を噛みしめてます。
 噛み締めるってことは、今日も、こうやって、原稿を書く、それを明日も明後日も継続していく、ってことなんですよね。
 それだったらやりますよ。雨が降ろうが戦争になろうが何だろうが。

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