見出し画像

京都市台場クヌギ・アーカイブ - 1

 地元でも今では知る人のまず居ない、京都市内のかつてのオオクワガタ生息地をチェックしてきました。此処はその地名さえもがクヌギ由来だったりするくらい京都市内でも屈指の本数の台場クヌギが在ったところでなのですが、道路敷設と宅地造成でその殆どが失われ、今はひっそりとその数本が残存しているのみです。
 他に京都市内のクヌギ古木で有名どころですと、惟喬親王所縁の地の台場クヌギが知られていましたが、其処もかなり以前から管理放棄され既に崩壊。謂わば「台場クヌギ・アーカイブ」的な林でしかありませんが、オオクワガタは居らず、何故かミヤマクワガタは少しだけ居ます。おそらく、これは産卵場所の違いからですね。つまり、オオクワガタ生息には林分のクヌギの萌芽更新がなされていないので産卵材がもう無い、ということです。
 明治時代の公式な資料を調べますと、この林を含めて規模の大きなクヌギ薪炭林が京都市内には数カ所在りましたが、今やそれらすべてが薪炭林としては既に崩壊しています。その名残りの様な一部分の林分(雑木林化)にオオクワガタが今も生息しているというのが現状なのですが、さて、此処はどうか。

伝統的に京都の台場仕立ては高め

 いやあ、久々に立派な台場クヌギを見た気がします。樹齢は大凡八十年くらいではないかと思われます。京都市内の台場仕立ては根際落としではなくて、結構上の人の胸か頭くらいの比較的高い位置で落としている場合が殆どなんですよね。これはおそらく、鹿害を懸念されてのことだと思うのですが、それ故に、わたしの子供の頃のクワガタ採集では洞穴採集が高所で困難だった記憶があります。友だちどうしで肩車し合ったりしてよじ登った思い出です。

洞に歴史あり。樹皮上より他の樹種の萌芽の憂き目

 樹液浸出材も在るには在るのですが、産卵材が圧倒的に枯渇していましたので、オオクワガタはもう居ないですね。他のクワガタたちの姿さえも見られませんでした。まあ、ここまで本数が激減してしまうと厳しいと思います。比較的若めの二次萌芽木も在るのは在るのですが、台場仕立てにはされていなくて、か細い電柱クヌギなんですよね。なので、オオクワガタが居着くには厳しいかと思われます。残念ながら「台場クヌギ・アーカイブ」認定です。

もう萌芽再生はしないであろう老木

「クヌギ林の崩壊」……こう聞くと、クワガタ好きな方ならば大変残念な気分になられると思います。以前までだったなら、わたしも同様の感慨を得たであろうと思います。がしかし、今はそうは思っていません。まあ、確かに、惜しい。大きな台場クヌギが生き生きとわんさか生立している景色を見てみたかった。それはもう、さぞかし絶景だったことでしょう。微かに記憶にある子供の頃に見たのであろう朧げなかつての山の景色。そういう思いはありますよ。けれども、何にしたっていずれは無くなる運命なのです。

洞というか、捲れというか

 そもそも、薪炭林というのは、石油という資源が日本に無かった時代に燃料としての薪や炭の生産のために人工的に植林されていたものです。なので、里山の人家集落に最も近い山裾に植林されていることが殆どです。七合目までクヌギが植林された山てのも在るには在ると思われますが、そのような地は全国的には珍しく、それらは木炭生産に特化した村の山と考えられます。燃料が石油の時代になって後は必然的に薪や木炭が必要なくなってしまいました。こうなると土地所有者にとっては薪炭林は経済的に成り立たない、お金を産まないお荷物な林になってしまった。従って、そのような土地は売買されどんどん宅地造成化されてきたのです。大凡、昭和の時代には全国的に殆どの薪炭林は大規模に宅地造成されてしまいましたし、バブルの頃には不必要なくらいにゴルフ場化されたりもしました。今はメガソーラーでしょうか。自然派を気取る諸氏のお宅が立つその場所が元は薪炭林だったなんてことは実際よくあるわけです。そして、国の方針でスギ・ヒノキが大規模に植林されてきたのですが、それは助成金で賄われてきたわけで、まあ、言うなれば、我々は税金を払ってスギ花粉症になってしまった。これを人災というべきか、いや、これは、国災(官災か?)と言ってもよいと思うのですが。

このフラスはカミキリムシの穿孔によるものでしょうか
生きてはいますが……

山の歴史を調べる

 それで、現状の「クヌギ林の崩壊」にあっても、何故にわたしは憂いてはいないのかと申しますと、実は、山活をし始めてから、そのフィールドワークによって
色々と真実が見えてきたからなのです。
 そもそも、わたしが山活をし始めたのは、オオクワガタ採集が目的だったのではないんです。古道を探索してみたかったからで、それは、その前提として歴史民俗学研究に興味があったからなんです。まあ、その当時の憂鬱な気分を紛らわす目的も含まれてはいましたが。その過程で偶々ワイルド・オオクワガタを採集できたのが、今の京都市産オオクワガタ・ブリード趣味に繋がったわけです。ですので、大方のクワガタ好きの方々とは、森林や山に対する見方が違うと思われます。おそらく、自然に対する思いもまた違うのではないかと思います。そして、歴史民俗学研究のためのフィールドワークを基に、それらのエッセンスを題材にした小説を書きたいという願望もありましたので、史実や地域の風土の記述に誤りのないように図書館や資料館に足繁く通い、その下調べや裏付けとしてのリサーチも同時並行でしておりました。
 実際に自力でワイルド・オオクワガタを採集してきたような猛者ならばお気づきだとも思うのですが、通説の歴史観、おかしいんです。気分的にちぐはぐなんですよ、山に慣れると。どうも一般的な歴史観がすんなりと腑に落ちるところが無いのです。というのは、我々が教えられてきたこと(歴史)と相容れないことがあまりにも多すぎるんですね、山には。だいたい、現代人は、経済発展と共に同時並行的に自然破壊をしてきたと考えがちというか、まあ、これは自虐的な刷り込み教育ですね。事、山の自然に関しては特にですね。「原生林」、「自然林」、「天然林」というやつです。これらすべて、我々を罠にはめるためのバイアス・ワードみたいなもので、これらの表現では本来、一旦人が入れば成立しない林を表す言葉である筈なんですが。それはさておき、はてさて、実際はそれとは真逆なんです。現在の方が山は森林化が進んでいるんです。先ず、素朴な疑問として、山に古木が残存していないのは何故か? ということがあります。だいたいですが、二百年を越す古木が在りません。つまり、それ以前の歴史が山には欠け去っているということです。これは一体、どういうことでしょうか?
 京都市内の山々ですと、足元を見て登っているだけでも山頂に近づくと判ります。一に、落ち葉が広葉樹から松葉に変化してくるから。二に、松の香りが漂ってくるからです。これは、昔からの山の不文律で「植林は七合目まで」という風習があったからで、古くから人の管理が行き届いた山ほど決まってそうなっているんです。つまり、昔の京都の山の木と言えばアカマツだったのです。これは資料を調べますと更にはっきりしまして、昔の絵図を見てもアカマツだらけ。他の樹種なんて描かれてません。あとは、低木ですね、ヤブツバキとかソヨゴとかリョウブなんかです。クヌギなんかが描かれている昔の絵図って見たことありますか? そんなもん、無いんです。それは、実際に無かったから、なんです。
 そして、山歩きと言えば、尾根筋です。日本の山中の古道は大凡、尾根筋を伝って拓かれているもので、それら殆どは木地師と修験道者たちが作ったと言われており、本州ならば青森の北の端から奈良までは尾根伝いに一度も山を降りることなく踏破できるんだそうです。これも山に慣れれば直ぐに理解できることですが、山は尾根筋の方が歩くのが圧倒的に楽です。沢筋は蒸し暑く、足元も泥濘んでいたり、大きな砂利が多くて疲れ易い。沢筋歩きだけの山行きをやってしまうと、もう二度と山に行きたくなくなるものです。あ、このテーマ、今、気づいたのですが、ちょっと話が長くなりますので、シリーズ化必須ですね。で、まあ、七合目までの植林の木々に古木が少ないのは理解できる。植林しては根刮ぎぎ狩って消費してしまうを繰り返してきたからです。しかし、山頂に近い尾根筋の天然木は昔から放置され続けてきたわけで、上述のように、それは京都ならアカマツなわけですが、これらの樹相が見るからに貧相です。京都市では近年、マツ枯れ被害が甚大であったので、それで枯れた分を差し引いたってしょぼいのです。それに、アカマツは昔から京都の山に在った筈なのに、その大木が無いのは何故なんだ? 尾根筋に何故、古木が無いのか? というか、樹齢二百年、いや、百年を越す古木は山全体に見当たらないのは何故か? 帳尻が合わない。
 だんだん見えてきたでしょうか? わたしの言わんとしているところが。つまり、です。事実として、日本の山の歴史は、山に現存する樹木の樹齢からして頭を傾げてしまうほどに明らかに浅いのです、我々が教えられてきたよりも実際は。これを、このわたしのnoteの通底テーマでありますオオクワガタに関連した部分だけ抽出したとして、ざっくりと、現存するクヌギの古木で二百年を超えるものは在りません。だいたい、地域で大切にされている銘木、古木の樹齢は嵩増しされていますので信用できませんのでかなり差し引きが必要です。実際、植林管理されてきた台場クヌギも幹回りから察して、古くてもせいぜい樹齢八十年ほどと思われます。要するに、オオクワガタの生息の歴史も実は非常に浅いのです。言い換えれば、オオクワガタの居る林が新たに成立されるのは容易いと言えるのです。人間に当てはめれば、一世代で更新成立される。確かに自然は大切ですが、しかし、事、植物に関しては案ずるよりも恐ろしく逞しいので、山の自然は実は簡単に更新可能なのです。
 解りますよ、今、読者が抱かれているのであろう、大きな認知的不協和。「昔の方が自然が豊かだった」という大前提の認識からすれば。はい、わたしもそう思っておりましたとも。そう思わされていましたとも。でも、それは思い込みであり、刷り込みあり、実はまったく正しくない認識なのです。わたしたちは皆、騙されています。ひょっとしたら、江戸時代という時代そのものが無かったかもしれない、それくらい、壮大な歴史改竄の大嘘が山に入ると見えてくるんです。いやあ、わたしのこの記事の内容も壮大になりつつありますが(笑)、これは、続編を執筆しないとどうにもならなくなってきました。今回は内容が少々オオクワガタ本体からは懸け離れてしまいましたが、お楽しみいただけたでしょうか?

*続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?